Phase3-7:命の授業
そのトラックは、ブレーキのかけ方が窮屈という点を除けば、順調な走りをしていた。
カザミのカフに表示されたレーダーからその様子が窺える。トラックのコンテナに発信器を取り付けたのはクロエだ。
ワイヤーで空を飛んでいたカザミは、ビルの屋上へ着地。縁に立って道路を見下ろす。
トラックの正面が見えた。
荷物の重量を支えるためにも、トラックだけはまだタイヤの装着が必須。アスファルトを踏み鳴らしている。
ホームレスを率いている何者かが、いったい何を計画しているのかは分からないが、ここで止めねば間違いなくより悪い事態に陥る。
狐面を被った後、カザミはひょいっとビルから垂直落下。吹きすさぶ風を一身に受ける。
その最中に、両太ももの機械からワイヤーを射出。アンカーをコンテナの角に引っかけると、巻き取りの反動で全身を前方へ飛ばす。
空中でその身を斜めに回転させて逆に勢いをつけ、コマの要領で爪先からコンテナの天井へ着地。
そこまで速度は出ていないため、風圧に耐えながらも、簡単に立ったまま歩ける。車体側へと跳び乗ってから助手席側へ近づく。
しゃがんだ末に縁を掴み、逆さの状態で中を覗いてみる。
ハンドルを握っている汚れた男は、こちらの様子に全く気づいていない。リズミカルに身体を揺らしながら口笛を吹いている。
小物入れから、指で摘める程度の丸い吸盤を取り出す。
それをガラスのちょうど真ん中に貼り付けた後、スイッチを押して手を離す。
これは主に潜入用に使用する。デバイスが接地面を認識し、全体に静電気を流し込む。
その仕組みが、ガラスと窓枠の接着を一時的に切り離し、簡単に取り外せるようになるのだ。
この一連の流れに音はない。カザミが吸盤を少しの力で引くと、ガラスはいとも簡単にズルッと外れた。
そして、運転手がそれに気づくのも、四秒以上かかった。
「ぬお!?」
二度見の後に驚いた彼へ、拳銃を突きつける。
「はい! はーい、止まってー! このトラックを路肩に停めたら、おとなしく降りて、待機すること。いいー?」
彼はしばしこちらを見た後、薄い横目で前方を凝視。
その視線の先へ弾丸を撃ってみせた。
ガラスがひび割れると共に、彼の尻が浮く。即座にハンドルを左へ切った。
トラックは急ブレーキを経て停車。カザミは銃身を払うように動かし、ホームレスを車外へと降ろさせた。
本題はここからだ。
クロエの読みが正しければ、改造された人間が後ろのコンテナ内にいる。
強化イレギュラーは強力な生物兵器だが、向こうが設定した音による何らかの合図をもって変身する。
念には念を入れ、カザミは、音楽再生ソフトと複合されているであろうカーナビを銃で粉砕。ドアの隅に埋め込まれているスピーカーも同様に行う。
コンテナへと続く道だが、この運転席の背後にも存在する。
振り返れば、中腰で無ければ入れなさそうな小さい扉がある。
前のめりになったカザミはそのドアノブを握り、僅かにだけ開く。
視線によぎる、強烈な違和感。
確実なものとするために扉を全て開く。
……もぬけの殻だ。
クロエの読みが外れていたということだが、紙くず一つ入っていないどころか、汚れも見当たらない。作られたばかりの新品のよう。
何か手がかりがないか、ひとまず一歩踏み入れてみる。
その時だった。
コンテナの天井。
床。そして奥の壁。
それぞれの中央部が変形し、人一人分の空洞が生まれ、駆動音と共に何かがせり出してきた。
その山型の黒い物体にも穴が空いている。そう認識した直後。
ゴウッ――。
穴の奥で赤みが増し、ふわりと火花が舞う。
やがて一斉に灼熱が噴き出した。すなわち、三方向分の火炎放射……。
カザミには届かないが、このコンテナを焼き尽くすのと、車体への引火には申し分ない。
考えられるケースとしては、運転手にはコンテナ内を見ないよう口止めされており、開けば自爆するという仕掛けだ。
カザミは慌てて運転席の方へと戻り、開いたままのドアから脱出する。
走行で距離を取ってまもなくのこと。
神経をも揺さぶる轟音が辺りに炸裂した。
爆炎を巻き上げたトラックは上へと吹き飛び、焼け焦げた鉄塊へと変わり果ててから地面につく。
危うく同じようになるところだった。
その安堵も短く終える。急ぎ、先に降車させたホームレスの身柄を確保せねばと周囲を見回す。
ボロボロの身なりの男が、よろけながら交差点の方へ走り去っている。
「あいつ……!!」
やましいことがあるのか、単に命の危機から逃げているのかは知らないが、逃げられれば一つの手がかりを失う。カザミも、ワイヤーの射程範囲まで走ろうとする。
男は常にこちらを気にしながら、十字路を通過しようとしていた。
それが仇となった。
ドゴォゥッ――!!
横から押し寄せた重量のある衝撃により、その身が回転しながら吹き飛んだ。
輪郭すら追えない高速の鉄機が、彼を撥ねたのだ。
歩行者側の青信号だったはずだが、それを無視しての、狙い澄ましたかのような行いだった。
肉体はバレーボールのように弾み、既に絞った雑巾のように捻れていた。
カザミが駆け寄って状態を確認する。
予想通りの結末に、歯を強く食い縛った。
視線は、ひき逃げ犯となった車の方へ。
天井が高いあの姿は……ワゴン車。
しかし、それには似つかわしくない異常な速さで公道を駆け抜けている。
進行方向はトラックと同じ。
ただひたすらにまっすぐ、西である。
*
アングのクラスがエキストラとして参加するのは、五時限目の授業が終了してからとなる。
結局、本日の出席率は半分程度となったわけだが、真面目に登校してきた生徒たちにとっては、予想だにしない褒美となった。
アングを除いては。
メーナから真実を告げられたことで、常に口は半開き。視界の四隅が黒く濁るという深い憔悴に襲われていた。
次の授業の教師が来たが、俯き気味の体勢は終わらない。
扉を開ける音も大きかった男性教師は、バンッと勢いよく教卓に両手を付け、前のめりに話し出した。
「バーンズ先生がお休みだから、この時間は、理科のゲンタ・キタダが担当しよう!」
クラスの担任であるバーンズは、警察や旧軍隊のプラモデルをデスクに並べるなど、生粋のミリタリーオタクだった。
昨日の発表会にも間違いなく足を運んでいただろうが、何か怪我でもしたのか。確かに今日は顔が見えなかった。
ゲンタは明るく張り上げた声を出した。
「さあ、今日は宇宙のことについてみんなに知ってもらおう」
彼は、宇宙のことについてしか話さないとして有名である。
思えば、なぜ自分は馬鹿正直に授業を受けようとしているのか。
当初の目的は済んだ。メーナとの関係性もこれで区切り。
もちろん、撮影に参加する気もない。彼女の中の憧れとしてこれ以上住まわせるわけにはいかない。
すると、カフに通知が入った。
教師に見えないように、窓の方でホログラムを展開する。
『天駆けるワンダーフォックス』……。カザミからのメッセージだ。
短くまとめられた文章を読み……アングは目を細めた。
『そっちに届く!!!!!』
一見ふざけたユーザー名と、妙に主張した感嘆符。
先ほど、『憂さ晴らしには付き合ってあげる』と言っていた彼女にしては、不自然なメッセージだと思った。
あくまで濁してはいるが、実は何か重大な情報を伝えようとしているのか。
確証は持てないため、アングも短い言葉を飛ばす。
『合流したい』
四秒待つと、すぐに返事が来た。
『入口で待機!!!!!』
記号の主張はまたしても同じ。予想以上に切羽詰まっている可能性がある。
詳細は不明のままだが、今の自分にとって、何の実にもならない授業から逃げるための好都合だと捉えた。のろりと立ち上がる。
何も教師に伝えず、そのまま教室後方を歩き出す。
熱弁を振るっていたゲンタだったが、明らかにアングを見ながら、「えーっと……」と困り眉を浮かべた。
「何君だっけ? トイレならトイレと言いなさい」
ほぼ全員の視線が突き刺さる。マックスはニヤニヤと笑っていた。
別に彼の憶測に乗っかってもいいはずなのだが、アングの中に染み付いてきた感情が、反発心を呼び起こしていた。ただひたすらにゲンタを睨んだ。
そして当然、彼もこの行動の真意に気づきなどしない。極めて歪な時間だけが巡る。
断ち切ったのは、まるで外界から入り込むような、大きな耳鳴りだった。
「っ……!?」
思わず右耳に手を当てる。
耐性がついたのか、軽い頭痛程度には収まっているが、異常を知らせる合図であることに変わりはない。
『何だ……? 何かが来る!』
ユージーンが警戒の声を上げる。
直後、教室前方の扉が、二度三度と分かれて開いた。
背中を丸めた、ある黒衣の訪問者が姿を現す。
それは、顔だけ見ればバーンズ先生その人。
だが、他があまりにおかしかった。
着ているのは黒のゴシックドレス。ウエディングドレスと見間違えるほどに横幅があり、丈も床に接するまであるという様相。
彼にそういった趣味はなかったはずだ。
臨時で来ていたゲンタは、細目で彼の顔を覗き込んだ。
「来てくれたのなら、僕はこれで……」
首を傾げたり唸ったりと疑問げではあったが、最後は愛想笑いで去って行った。
教壇が空になった後も、バーンズはすぐには動かない。
ようやく前へと進み出してからも、スカートの裾が床を引き摺る様子にばかり目がいく。
十秒以上がかかった。ようやく生徒達の方へ、普段よりも高く見える身体を向ける。
沈黙。
メーナの美貌をお人形さんのようだと言う者はいたが、こちらの微動だにしない様子のほうが、悪い意味でそれに近い。
クラスメイト達も、隣の席の者と共に不審がる。
何より彼の、瞳の、焦点が。
上下になっている。
更なる異変が発生する。
天井に設置されているスピーカーから、突然、音が鳴った。
雄大なオーケストラ。高音女性歌手の舞い上がる美声……。
学校という場には壮大すぎる。ましてや今は授業時間。
あるいは、メーナが撮影に使用しているのかとも思ったが……そうではない。
この音は、スタジアムでも聞いた。
そして何が起こったか……。
バキ、ボキィッ!!
再認識するまでもなく、骨の弾ける音が重なった。
バーンズの首が、斜めに……上に下にと、ありえない落差で瞬発的に折れる。
『あいつだ……。まずいぞアング!!』
信じたくないことが起きようとしている。
アングは駆け足で教室から飛び出す。
変質は首だけではなく、大きすぎるスカートに隠されていた部分まで及ぶ。
だからこその服装だったのだ。彼の身体から蒸気が噴き上がり、ふわりとめくれる。
露出したのは、四本の足。
いや、前面の二本は、人間の腕だ。
そのどの関節も、逆向きに折れ曲がっている。
そして、影で隠れてよく見えないが、中央にぶら下がっているあれは……。
人の頭。まるで逆さ吊りの状態。
噛み締めた口元だけが日の光に照らされている。
四つん這いの男の背中と、バーンズの上半身が、乱暴に繋ぎ合わされた状態……。
「お、お、ヲ……」
ようやく発した低い単発の声。
それが始まりとなった。
白く浮かび上がっていた蒸気が渦を作り、バーンズの周囲で回転する。
煙のように白く、何も見えなくなったその直後。
レッドを装着したアングは前に出た。
気体の壁の向こうが白く光った次の瞬間。
凄まじい重圧がアングを襲った。
強化イレギュラーへの現体時に発せられる、高威力の衝撃波。
それをアングは両手で受け止め、後方のクラスメイト達が巻き込まれないように盾となる。
しかし、完全には吸収できない。
一本の赤黒い線が弾け飛び、アングの後ろにいたクラスメイトの腕に直撃。
彼は椅子から弾き飛ばされ、深い抉り傷を負った。
「痛ってぇ~……」
顔をしかめてはいるが、手で傷口を覆い、軽口を言う程度には余裕がある。
アングは、正体がバレないように、限界まで低い声を発する。
『早く逃げろ……ッ!!』
写真を撮っている者もいたが、この密室。長居はできまいとすぐに全員が走り去った。
霧が晴れる。
変質した彼の、全貌が見える。
上半身は軍服のような帽子、装甲と化し、残る下半身。
全てに茶色の毛が生え、どのように見ても馬の脚だ。
人のような風貌と同化しているその様は、まるでケンタウロスのよう。
右手には、二股に分かれたように重なる三角定規風の物体。その中央にナイフも仕込まれた、謎の武器を持つ。
大きく胸を反らし、怪物は、空気を激しく吸い込む。
この瞬間、彼は、生徒を導く誉れ高き人物ではなくなった。
「ウボォオオオオオオオオオオ!!」
実の生徒だろうと構わず殺す。
世界から切り捨てられるべき存在……。強化イレギュラーへと変わり果てた。




