Phase3-6:命の授業
インターネット上に蔓延るアカウントは、その管理者の重大な不注意でもない限り、他人に住所を特定されるものではない。
だが、警察がその気になれば話は別だ。
スタジアムのテロ事件に関する重要事項、統括官からの命令であるとして、ゼオンは、動画投稿サイトの運営会社およびプロバイダへ、緊急照会を行わせた。
浮上した人物の名は……タロウ・サキヤマ。
ゼオンは、彼の家のリビングにあるソファに腰掛け、対面の女性と話していた。
「つまり、息子さんは学校へ行ったわけではないと?」
「そうなのよー。またカメラ持って、街中ぶらぶらしてるんじゃない?」
タロウの母親、ヨシミ・サキヤマは、そう軽い口調で答えた。
テロ事件の生存者へ聞き込みをしている、という偽りの事情を話したところ、彼女はあまりにも簡単に入口の扉を通してくれた。
ヨシミは、人差し指を立てて閃く。
「警察に直接お話聞ける、って知ったら飛んでくるかも」
「いえ、結構です。他にも訪問先がありますので」
本人と話すことは叶わずということなので、ひとまず立ち上がる。
その挙動を見たヨシミが、目をつむり、「きゃー!」と黄色い声を上げた。
「スリムで長身。素敵! ウチの夫とは大違い!」
彼女のはしゃいだ声は無視する。ソファの後ろの小棚に写真立てが置かれているのを思い出し、手に取ってみた。
椅子に座った、上着のスーツがはち切れんほどに太った男だ。
「あらでも……。お顔には自信が無かったり? かわい~」
夫の写真については触れず、いまだにゼオンの外見を品定めしている。
訪問時に彼女はコーヒーを出してくれたが、ゼオンは一口もつけていない。
外見への自信などどうでもいい。
この仮面も、全身に貼り付けている黒のフィットスーツも、外界に溶け込むためには必須の装備だと判断した。
写真を見つめながらゼオンは問う。
「ご主人は?」
「日本に出稼ぎ。少子化対策ですよ。もう二年経つかしら。おかげで貯金が潤う潤う!」
いわゆる、『繁殖』のことだ。
一つの施設に男女を収容し、まぐわわせ、出生率を上昇させる。
この人口繁殖法は、日本だけではなく、他の少子化大国でもこぞって行われている。
なおこの政策は、生産性を極限まで重視する。
特に男性は種を出し続ける役割であるため、極めて少ない睡眠時間と限界活動を余儀なくされる。
おそらく、もう死んでいるだろう。
「そろそろ引っ越しも検討しようかしら」
ドナーの生死報告は契約終了後に行われるが、仮に死のうとも、五年の間は家庭・親族への支給が続くため、文句を言う者は少ない。彼女もその一人だ。
ゼオンはそっと写真立てを戻し、振り返る。
「発表会の配布物に、何か仕掛けられていないか検査も進めています。息子さんのお部屋を拝見しても?」
「どうぞどうぞ」
全く怪しむことなく、彼女は階段のある方へ掌を向けた。
二階に彼の部屋があると分かったため、ゼオンは遠慮せずに階段を上がる。
扉に鍵はかけられていなかった。それどころか、よほど急いでいたのか、開きっぱなしだ。
中の照明は消されている。カーテンが閉まっていることもあり、とにかく暗い。
ひとまず中へと踏み入る。
脱ぎ散らかされたパジャマ。大量のチラシが置かれたローテーブル。整理されているとは言い難い。
これだけならば思春期の男子という括りで平均的と言えるが、際立っていたのは壁だ。
隙間なく貼られた新聞、報道写真の数々。主に重大事件の記事、警察内でも有名とされる写真が多い。
入って真正面に位置するのが、勉強机に置かれたパソコンだ。
この端末を介して、彼は『TruthHunterX』を名乗り、スクープ動画を投稿している。
電源のスイッチを押す。シャットダウンだけはきちんと行われているようで、パスワード入力画面が表示された。
いま自力で中を見ることはできない。ならば持ち帰る。
ゼオンは、上着のポケットからUSBメモリを取り出す。
警察だけが使用を許されている、端末複製機。電源のついた端末のUSBポートに挿し込めば、現在の状態をそのまま吸い出し、警察のセキュリティ下で確認することができる。
パスワードも独自のクラック技術を用い、強制解除が可能だ。
複製が完了するまでは約五分かかる。その間に、室内に目ぼしい情報がないか視線を動かす。
マウスの隣には、開かれたスナック菓子の袋。中身は半分ほど残っている。
一方で、少し離れたベッドの上にも同様の袋がある。こちらは欠片が毛布の上に散らばっており、意地汚さが目立つ。
それぞれは別の人間が食したと推理するのが自然だ。
あの映像に関与、もしくは単に同席していただけの人物が、タロウ・サキヤマ以外にもう一人いることを意味する。
次に、勉強机の方に視線を戻すと、ある物を見つけた。
薄く印刷されたワシントンの地図。その上に、マジックペンで描いたと思われる線や丸が足されている。
昨日の事件と照らし合わせる。赤の丸はレッドの出現地点。茶色の丸が、強化イレギュラーの出現地点だ。
そしてそれとは別に、オレンジの迷いのない線が、ある生き物の輪郭を形作っている。
机の端には、もう一枚の印刷物があった。
これは、フェニックス・フィールドの正面ゲートや、場内の至る場所に掲示されているエンブレムだ。炎を纏った不死鳥が、今まさに天へ羽ばたこうとする姿が描かれている。
二つの用紙を重ねてみる。
やはりだ。地図上のオレンジの線と、エンブレムのちょうど羽にあたる紋様が、一致してはいる。
おそらくタロウ・サキヤマは、事の始まりがフェニックス・フィールドであることから、この線上に何かが起きると考えたのだ。確かに四つの現場とちょうど重なっている。
だが、わざわざこの線上に事件を起こす、あるいはレッドが介入するというのは、何か理由でもなければ、動きを悟られるという点でリスクしかない。
とはいえ、彼の動きを絞れたという意味では、収穫である。
ゼオンはこめかみに指を当て、発信をかける。
「私だ。少し調べて欲しいことがある」
*
滑稽な挙動だとジョリンとは思っていた。
ビデオ通話として表示したホログラムの奥向こうで、一人の初老が、まるで薄い頭頂部を見せつけるように屈んでいる。
警察署の洗面所で息を整えているだけに過ぎない。
やがて、通話相手であるゴードンはようやく顔を上げる。
汗をハンカチで拭き、こちらに対してニッと白い歯を見せた。
実際は鏡に対して行っている。自身の『人間らしい』表情を確認し、次の時間も乗り切ろうとしている。
いわゆる自己暗示。これが彼の日課となっていた。
「もう後には引き返せません。本日中にケリをつける必要があります」
ジョリントは、改めて彼にそう言い聞かせた。
文句を言うでもなく、彼は目を瞑ると共に唾を飲み込む。
『装着者が誰かは分かっていると言ったな? ならばなぜ直接殺しに行かない』
「それは機会損失です。騒動を起こせば、本人だけではない。彼の協力者も同時に炙り出すことができる」
『いるのか。そんな奴が……』
「フェニックス・フィールドから抜け出せたのは、その存在の功績が大きいと私は見ています」
普段の彼ならば、既に声を荒らげ、責任を押し付けていたところだ。
説明を受けたゴードンは、納得というよりかは、諦めにも近い息を吐いた。
同情はしたジョリントだが、彼にはもう一つ、不利な事実を伝えなければならない。
「それと、レイシキは出撃できません」
『なに!?』
一瞬固まった後、驚愕の声を上げた。
レイシキ。組織の精鋭の一人であり、気配を完全に殺すことができる唯一の人物。
ゆえに潜入や奇襲の切り札ではあるが、彼の特異な体質により、連続稼働の限界を迎えた。
「メンテナンスには一週間を要します。彼も曲がりなりに、人間なのです」
ゴードンは、一転して目つきを鋭くした。
何か心当たりがあるようだ。
『それで行うメンテナンスとは、人間まがいだからできることだろう!?』
「無用な心配は控えてください。あなたは事を起こす側です」
今さら人道ぶろうと、所詮は共犯関係。立場が変わることはない。それを思い出させるための確認作業だ。
「では、私はこれで」
これ以上無駄話を繋げられれば、作戦の開始に支障をきたす。
ジョリントは、返事も待たずに通話を切った。
「今回も、へへ……。運ぶだけでいいんだよな?」
横から、粘液混じりの滑舌が聞こえてきた。
肌に浮いた赤い斑点まで見えるほどに破れたズボン。煤のような頬。
仲介人として雇ったホームレスの一人だ。
今回もどうかと打診してみたところ、やはり報酬の良さから、見事に釣り針へ引っかかった。
彼が寝床として住まうロスト・ヤード。そこから少し離れた、地下駐車場にジョリント達はいる。
傍らには、巨大コンテナを積んだトラックが駐車中だ。
なおこのホームレスは、次なる報酬で貰える額を想像してか、既に顔をニヤつかせていた。
ジョリントは確認する。
「これがサイラックさんからの要望だということは、誰にも伝えていませんね?」
「ああ。ところでよぉ……」
彼は、この駐車場内をぐるりと見回した。
「昨日ォからおんなじ依頼を受けてる二人がぁ……見えねーんだけど。便所か?」
事実ジョリントは、その二人にも全く同じ依頼を与えた。
合流することはもうない。
「報酬は全てサイラックさんからの支払いです。あの日々へ感謝を込めてと」
「質問に答えてないぞ」
ジョリントは視線を落とし、腕時計を見る。
短針が頂点を指した。
「時間です。始めてください」
*
フォークで突き刺した柔らかなパンケーキを、カザミは一口で半分まで頬張った。
アングと別れた後、所属しているデリバリーサービスで、徒歩圏の依頼だけを引き受けようと思っていたが、マイライズ・ハイスクール周辺に次々と車が集結してきたため、警戒態勢に入った。
それが、昨晩カザミが潜入した撮影スタジオと同じ面々だと気づいたため、しばしの観察を終えてからはここを離れた。学校付近のカフェでランチをしている。
落ち着きを取り戻したところで、先ほどの、アングとの会話を思い出していた。
イレギュラーになったばかりだから仕方ないと思っていた節はあるが、すぐに照れながらも謝罪してきたのだ。かわいいやつだと評価を改めた。
ただ、それゆえに頭を悩ませている。
噛み砕いたパンケーキを飲み込んだ後、激しく首を横に振る。
「……あー、だめだめ」
『カザミ様。人には見セラレナイ、ヒドイ顔をシテイルノデハ?』
カフから鳴り響くのは、相棒のお手伝いロボット、パッチの声だ。
事実、まぶたは低く落ち、イレギュラーと疑われてもおかしくない様相ではあった。
「パッチ、分かるかい。機械の君にこの気持ちが」
『いま呟イテイタことカラ察スルのは困難デスガ、アング・リーのことデスカ?』
というよりも、彼の反応を受けての、自身のあり方に関することだ。
カザミは、胸を反らしながら頭を抱えた。
「頼れるお姉ちゃんだとは思われたいけど、クロエみたいなお節介焼きと思われるのは嫌だ……」
『何なんですかソレは?』
アングの危うい挙動を見ていると、どうにも放っておけない。
と同時に、まさかクロエの視点からは、自分もそのように見られているのではと気づいてしまった。冷や汗ものの感覚だ。
このままでは、あのクロエの気持ちが分かりかけてしまう。
『アナタがおとなしく、クロエ様に影響を受ケテイルと認メレバ済ム話ナノデハ?』
その提案をどうすべきか、カザミは腕を組み、うーんと首を傾げる。
最終的に、両手で顔を覆った。
「そんな恥ずかしいことできるわけない……っ!」
オーバーに肩も震わせる。
『ヤレヤレ。クロエ様モ苦労するワケです』
ピロロロロ……。
この気の抜けたムードに水を差したのは、気の抜けた笛の音の着信音だった。
名前をホログラム上で確認する。
「うげぇっ!?」
まさにいま話していたその人からだった。
一旦パッチとの通話は切り、意味もなく咳払いしてから臨む。
「ハ、ハロー?」
『状況が動いた!』
息継ぎ混じりの強い発声。
他愛な話ではないと一瞬で理解した。
『昨日と同じホームレスが、やたらとデカいトラックに乗って移動してる!』
ということは、また強化イレギュラー絡みの可能性がある。
「どこへ」
『分かんねえが、ロスト・ヤードから西だ!』
「西……?」
カザミも訪れたあのホームレスの溜まり場は、ワシントン中央よりやや東の位置。
そこからまっすぐ西へ向かえば、何にぶつかるか……。
予測を立てて、心臓がざわめく。
「まさか……」




