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激昂のイレギュラー  作者: 亜空獅堂
Phase3:命の授業
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Phase3-5:命の授業

 新たに設立された部署は、人数規模と不釣り合いに広い間取りだった。

 茶色の木造床と、事務的なグレーのデスクが並ぶ警察官用の大部屋、スクワッドルーム。

 ゼオンは、その奥に存在する一角、本部長室のデスクに座り、持参したパソコンでファイルを眺めていた。


 アーマードの正式導入により、多くの警察官が、特殊装甲部隊『SAU』の一員となる。

 しかし発表そのものが世界規模のサプライズであったため、表立っての訓練を行うわけにもいかず、長らく生殺し状態にあった。情報が解禁された今、ようやく本格的な訓練が可能となる。

 それに伴い、各地で大規模な人員移動が発生。ゼオンが配属されている警察署に関して言えば、彼の意向もあり、出ていく者のほうが多かった。


 ゆえに、外のフロアには三人分の空席がある。

 そしてゼオンが呼び込んだ人員は、後方支援に特化する者と、『特別枠』で構成されている。


 本部長室の扉が開いた。

 入ってきたのは、車椅子に座る大男と、それを押す神経質な男だ。


 ゼオンはファイルを閉じ、年長である彼を迎え入れた。

「休暇期間だったというのに」

「気にするなゼオン本部長。どのみち、あと一週間で終わってたんだ」

 全く不貞腐れず、正義の象徴であるダン・フルーレは、満面の笑みで現場へ帰還した。

 脚の負傷で以前のようには動けないこともあり、以降は毎年、ハロウィン前までの一ヶ月を長期休暇としている。


 ダンは顎髭を擦りながら、考え事をするように天井を見上げた。

「イレギュラー特殊……なんだっけ?」

 彼の背後で車椅子を押していたフランが、ため息混じりに訂正する。

「特別対策班です」

 ダンはパチンと指を鳴らして振り返る。

「そう、特別対策班!! 緊急で設立されたとあらば、俺の名前もあるし、来ないわけにはなぁ!」


 輸送車を使って家まで迎えに行き、運んできたのもフランだ。

 豪快な会話に付き合わされた弊害か。斜めに傾いた眼鏡が彼の疲労を物語る。

 ダンは、再びゼオンの方を見て問いかける。

「んで状況は?」

「強化イレギュラーが現れる予兆は無し。レッド・アーマードの手がかりも見つからず、という現状です」


 更にダンは、両手を組み、前のめりになった。

「少し気になってたんだが、レジスタンスの動向は?」

「そう思わしき組織の拠点は事前に特定済みですが、動きに変動は無いことから、無関係の線が濃厚かと」

 実際、彼らが強化イレギュラーを率いているのであれば、とっくに警察や政府への打撃は計り知れないものとなっただろう。


 ゼオンは、あえて挑発的に聞く。

「あなたが望むのであれば、即刻排除しに行くという方針も」

 ダンは顔の前で大きく腕を振った。

「いんやー! まだ泳がせておこう」


 するとフランが、親指で後方を示す。

「ところでゼオン。部外者が紛れ込んでいたぞ。追い出すか?」

 かすかに、気分が良さそうな女性の鼻歌が漂ってくる。


 それはゼオンも承知していた。

「ハル・フラットなら私が招いた」

 フランは目をかっ開いた。

「あの女を入れるのか!?」

「確か、発表会でヘマした子だろう?」

 このたった一日で、彼女は仲間内からも世間からも有名人となっていた。


 形式上、初めてガード・アーマードを着用した人物。警察肝いりの兵器の実力を、存分に見せつける役回りのはずだった。

 本来ならば、ワシントン南西部の警察署に出勤していたところだが、呼び寄せたのはゼオンだ。


 ダンの発言に対し、ゼオンが釘を刺す。

「ヘマではない。生還した」

「なにぃ?」

「死地の只中にありながら生き延びるというのは、一種の才能だと私は考えています。それにアーマードの使用も、不慮の事故があったとはいえ、そこまでは完璧にこなした」

 フランが鼻で笑う。

「仮面の目に留まったか。運の良い女だ」


 会話が一区切りすると、フランは、小音量で流していたテレビへ目を向けた。

 彼にとって気に入らない内容だったのか、それを指差す。

「我々があんな野蛮人と繋がっているとは、確証を得ての報道か?」

 ブルー・アーマードが警察に捕縛された、という報道を受け、なぜ警察のアーマードと酷似した兵器を別勢力が使用しているのか。自作自演ではないのか、という内容だ。


 プライドの高いフランを、ゼオンはいつもの調子で宥める。

「左派メディアは強い話題で興味を引くことしかできない。そっとしておいてやれ」

「だが、以前にも話した――」



 ここでフランは声を潜める。扉をわずかに開け、後方を確認した。

 大部屋のデスクにいるハルが気づき、こちらに対して見送りのように大きく手を振ってきた。

 フランは何の応対も返さず扉を閉めた。


 彼は憶測を話し直す。

「極秘裏に政府が採掘した鉱石について」

「私も一枚噛んでいると予測している」


 ゼオンが即答するなか、ダンだけが視線を右往左往させた。

「何だそれは。セルジウムじゃないのか?」

「その採掘現場で見つかったもので、同じように、形状や彩度は、最初から研磨されていたかのように整い、鮮やか。赤と青がそれぞれ存在しました」


 セルジウムは、ガード・アーマードの素材として使用されている鉱物。最初から鮮やか過ぎる黄色、という点で共通点がある。

「しかし、それらを運んでいた輸送船が、ギャングか何かによって襲撃された」

 フランが腕を組んで補足する。

「もしセルジウムと同じように伸縮性を発揮する鉱物なのであれば、その一味によって、レッドとブルーは開発されたと予測できます。この事実をマスコミに公表すれば、我々にかけられた疑いも晴らせるのでは――」

 ゼオンは、右手を前に出して制止する。



 誰かが来た。

 扉に備え付けられた型番ガラス。その凹凸の半透明に、黒い影が浮かび上がっている。

 いま話していた件は、警察の中でも上層に位置するものだけが知る事実である。

 中にいる三人は一度全員口を閉ざし、見合う。

「どうぞ」

 ゼオンが招き入れる。フランが、ダンの車椅子と共に扉から遠ざかる。



 開かれた扉から現れたのは、大きく出た腹を揺らす、低身長の男。

「やあやあ、特別対策班、略して特対諸君! 頑張って働いているかね?」

 しかし立場だけはゼオンよりも遥かに高い、ゴードン統括官だ。

 その登場を見たフランは、顔を手で覆い、ため息をついた。

 そしてすぐ後ろには、秘書を名乗る人物、ジョリントの姿もある。


 ろくでもない要件だというのはすぐに察せれるが、ダンは豪快に笑って受け入れてしまう。

「統括官様が直々に来てくれるとは、珍しいなあ!」

「ああ、たまにはなと思って」

 歓迎され、ご満悦な顔色だ。



 ゼオンは立ち上がらない。

「お天道様てんとさま、と揶揄されたからですか?」

 目上の者に対し、冷水ひやみずを浴びせる一言をかけた。

 ゴードンは頬を引きつらせたのち、ゼオンを睨んだ。


 これは実際に言われていることだ。ゴードン・ルッツは、何らかの行事でもなければ、宙に浮かぶホワイトハウスから滅多に降りることはない。

 このアメリカという地域における実質的なトップだが、具体的に何をしているのかは、世間から見れば不透明が過ぎる。

 ゴードンは、開き直ったように腹を突き出す。

「まあ、そんなところ――」

「あるいは、レッドやブルーに関する疑惑の目を、今回の査察で、完全に我々へ押し付けようとしているか」


 露骨な反応。

 ゼオンの被せる指摘に、今度は、「うぐっ」と焦りだした。

「普段は空に居座るお方が降りてきたともなれば、本腰を入れているというアピールになる」


 油汗が彩り始めたところで、統括官は苦しく笑う。

「ふ、ふふ……。その仮面と似て、面白いことを言う」

 続けて、全員に言い聞かせるように突然声を張り上げた。

「ブルーはまだ開けられないのか!!」

 フランが目を細めて報告する。

「レーザー加工機を使用しましたが、傷一つ付きません」

 ダンは腕を組んで天井を仰いだ。

「ガード・アーマードより硬いとはな……」

 それほどの装甲を持っているのならば、堂々とステージへ上がってきたのも頷けるだろう。


 だがここでゴードンが、思わぬ方向へと話題を変える。

「レッド・アーマードの映像を撮影した人物については!」

 ゼオンが即座に問い返す。

「はい?」

「まさか、調べていないのではあるまいな? 今の時代、いち投稿者の所在など簡単に特定できるだろう!」

 その事実は正しいが、要望を押し通そうとする姿勢については必死過ぎる。全員が怪訝の目で見る。


 ゼオンは、憐れみの目を彼に向ける。

「失礼ですが、あの映像投稿が、何の罪に問われるのですか?」

「殺せと言っているのではない。映像は、この世界において最も強力な情報! あれ以上に何か持っていたら、後々厄介だということだ!」

 ゼオンは、フランと視線を交わす。

 彼は首を横に振った。関わりたくないという意味合いだ。

 かといって、統括官の命令を無視するわけにもいかないため、ゼオンは、汚れ仕事を引き受けることとした。


「調べてみますが……統括官」

 ここでゼオンも、話題の切り替えを実行する。

「エヴォル細胞の実装前テストが昨日未明に終了し、オールクリアでした」


 誰よりも大きく反応したのは、この件に関わり合いが強いダンだった。

「本当か!!」

「ええ。アーマードの実戦配備と合わせての予定でしたから」


 ダンに頷いてみせた後、再びゴードンの方を見る。

「あとは、あなたからの使用認可が下りれば、即時、ダン捜査官への投与が可能となる」

 これはアーマードと同じく、警察と政府の間で取り決めていた案件である。


 だというのにゴードンは、首を傾げ、唸り始める。

「う、うーむ。だがあれは、少し配分を……」



「まだガード・アーマード装着者の訓練が不十分な今」

 初めてこの場で口を開いた。

 付き人としての立場を崩した男、ジョリントは、主の意向を無視して語りだした。

「強化イレギュラーに対抗するすべは、多いほうが良いと私は考えます」

 それは、誰も否定しようがない正論。ダンが激しく拍手をする。


 明らかに難色を示していたゴードンも、何か言いたげに口から息を漏らしたが、場の空気が許さない。その意見に乗るしかなかった。

「強化イレギュラーが……現れれば、即時解禁する」

「おおっ!!」

 興奮で、ダンは拳をぐっと握りしめた。



 対してゼオンは、この流れを作った秘書の方を見た。

 彼は統括官に耳打ち。

 言葉を受けた上司は、しばし口元を歪ませた後、払うように手を振った。

 ジョリントは完璧な角度で一礼し、先にこの場を後にした。


 言葉がもつれていた統括官の代わりに舵を取り、警察側に有利な道筋を立ててみせた。

 抜け目がないと改めて思った。





 ランチタイムの時間だが、今のアングに、食事をしている余裕は無かった。

 まず一階へと下り立つ。出入り口やオープンスペースは、機材を抱えたり設置したりする、多くの撮影スタッフらしき者たちが屯する事態となっていた。


 この状況は、言ってしまえば、部外者を多く招き入れたということでもある。

 アングは、内なる心に答えを求める。

「おかしな奴は?」

『アング、先に言っておくけど、オレはイレギュラー探知機じゃないからな? 仮にイレギュラー歴の長いヤツが潜んでるとかなら、まんまとオレの目を掻い潜ってくる』

「お前の経験則でいい」


 彼のやれやれといったため息が聞こえてくる。

『見たところ、一人もいない』

「よし……」

 すぐ背後にあった階段から二階へと上がる。

 時間まであと三分……。メーナに提示された場所へと足早に向かう。


『結局、あの大女優様を疑ってるんだ』

 嘲笑混じりの指摘が歩幅を鈍らせる。

「違う。いや、念には念をという意味では、違くはないが……」

『なに動揺してるんだよ。だいたい、セレブが暇つぶしにたぶらかしてるだけだろ。ホントはアングのことなんかなんとも思ってない!』


 分かっている。

 レッドという力は得たが、世間一般から見れば、まだアングはただの学生。

 そんな人物に、格の違う彼女から近づいてくる正当な理由など、見当たらない。


 彼女が今より忙しくなれば、いずれこの関係も終わるだろう。

 だから、意識すべきではないのだが……。

 どうしても、自分の頭の中にまとわりつく。


 アングは、東棟の奥にある扉の前で足を止めた。

『あ、ここか』

 空き教室だ。軽く握った手を前に出し、叩こうと――。


 したが、止めた。

 急ぎ、左右を確認する。

 自ら女優へ密会しに行くというシチュエーションが、アングの心境を不必要に慌ただしくする。

『誰も見てないって!!』

 それはアング自身も確認した。奥に生徒たちは見えるが、誰もこちらを凝視していない。

 ひとまず呼吸を整えてから、扉を二度叩いた。


「はーい!」

 声を張り上げる様子は先ほどの説明時に聞いた。間違いなく彼女の声だ。

「お……俺だ」

「どうぞー!」

 扉の窪みを横に引き、中へ入る。

「失礼しま……」

 何故だか畏まりながら、前方を見た。



 息が止まりかける。

 部屋の奥中央。何かを囲むように吊り下げられた、白いカーテンの即席スペース。


 その向こう側には、影が見えた。

 普段の、輪郭を想起させないシースルーも、広がるスカートも、何も纏っていない。

 細い胴。滑らかな曲線。膨らみまでハッキリと分かる。

 素肌だけのシルエットが。



 ――バンッ!!

 アングは慌てて廊下に出て、扉を閉じた。

 背中を扉に押し付けた状態で、心臓の鼓動をどうにか鎮めようとする。


「ふふ。驚いたー?」

 なんとも楽しげな彼女の声が、壁越しに届いてくる。

「気にすることないのに。透視能力でも持ってるのー?」

 確かに見えたのは影のみ。だがそういう問題ではないと、無意識にズボンの縁を摘んでしまう。


 このアングの挙動を面白がる存在は、一人ではなかった。

『見られたがりな女だ、ヤッちまえよ!』

「黙れ!!」

「え?」

 咄嗟に出たユージーンへの反発が、メーナの下にも届いてしまう。

「い、いや。腹の虫が……」

「よく聞こえない、入ってきて!」


 辛うじて、意味不明な言い訳は不発に終わった。

 しかし、おとなしく彼女に従うだけならば、また気が動転しかねない。目を固く閉じてから中へ入る。


 扉を閉めた後は、探り足でなるべく部屋の中央まで向かう。

 メーナに近づきすぎない位置で待機する。

「アング君の姿が見られて本当によかった。私、心配してたのよ?」

「まあ……死んだと思うかもな。あの事件じゃ」


 布の擦れる音。

 ファスナーが上がる音。

 何かの金具を留める音。

 視界を遮ってしまったがために、全ての音が生々しく聞こえる。


「夜にメッセージを送ったら、ちゃんとすぐ読んでくれてたし」

「それは、まあ、気にさせ過ぎたら、撮影に支障が……」

 彼女の声色に笑みが混ざる。

「なに、私のため? あの時はもう家だったんだけど」


 シャッと、カーテンが開けられる高い音が鳴り響いた。

「もういいわよ」

 アングは恐る恐ると右目だけ半開きにする。


 華やかな……何かを想定していたため、飛び込んできた姿に、すぐ両目共に開いた。

「何だ、その格好」

 見えたのは、腰まで届くロングヘアをポニーにまとめ、グレーのビジネススーツに身を包んだ姿だ。

 いつもの優雅な格好とは違い、肩口から脚線まで、スタイルの良さは引き立てられている。


 彼女は、何度かこちらに見せつけるように身を捩る。

「教えてなかったかしら。キャンパスで普通に過ごしていた女の子が、ある殺人事件をきっかけに諜報員になって、ハイスクールに潜入するお話よ」

「滅茶苦茶だな……」

「その度合いで言えば、あなたのお友達のジョイ君のほうが凄いと思うけど」


 確かに、十七歳で警察となったジョイは、ある意味おとぎ話よりもフィクションじみている。

 ただ、アングが引っかかったのはその点ではない。

「知ってるのか?」

 彼女が、アング以外の生徒に関心を示す様子など、今まで見られなかった。


「私のことを、部活動の入り方も知らない世間知らずだと思ってる? 一応この学校の生徒……」

 言いかけて、メーナはくすっと笑った。

「とは言っても、アング君の知り合いじゃなかったら、興味も示さなかったかな」


 今の発言に、アングは唇を結んだ。

 執着しているのは、どちらかといえば向こうのほうだ。

 彼女は最初から、アングが一人でいる瞬間を狙って接触しに来た。

「何でそんなに――」

「ところで、アング君に聞きたいことがあったの」


 疑問の感情も乗ったせいで、声量の面で彼女に押された。

 彼女は、壁際に退かされていた机へと歩き、ポーチから小型プロジェクターを取り出す。それを掌に載せたまま、こちらへ歩み寄ってくる。

 脳内に埋め込まれたカフと同期リンクし、ホログラムが縦に伸びた。

「これ」


 間近で見たアングは、思わず心臓が跳ねた。

 これは、昨晩のチャット履歴。メーナが今日来るように告げたメッセージの上には、例の醜悪なスタンプが三つ並んでいる。

 アングの身体を乗っ取ったユージーンが連投した。


 アングは、首も両手も左右に振る。

「お……俺じゃない!!」

「でしょうね。あなたにしては品が無さすぎると思った。乗っ取り?」

「まあ、そんなところ……」

 その主犯である品のない亡霊は、脳の奥でケケケと笑っていた。


 メーナは両手で挟むようにしてホログラムを閉じ、プロジェクターをポーチの中へしまった。

「もし電話番号を変えるのなら最初に教えてね?」

「まずは家族に教える」

 彼女は朗らかに笑った。

「じゃあ、その次でいいから」

 枯れた自分の態度にも、彼女はいつも、花を咲かせて返してくれる。


 しかしアングには、今回の件を全体で見て、腑に落ちない点が存在する。

「撮影のこと、チャットで教えてくれればよかっただろ」

 仮にも、多くの言葉を交わした仲ではあるという、子供じみた自負があった。


 メーナは、ポーチの口を閉じた後、アングを見上げる。

「こっちの事情を漏らすわけにはいかないし、そもそも、あなたに乗っかったやり口だったのだけど」

「は?」

「エキストラは出演者とはいえ、関わる時間で言えば、お客さんとさほど変わらない……。そういう人たちには、なるべく素の感情で、目の前の光景を受け入れて欲しい」



 引き金は突然訪れた。

 不意に、脳裏に蘇る。


 無自覚な殺人の記憶。

 ネオンのように毒々しく塗られた、壇上の銃撃。



 気づけば、メーナが目の前にいた。

 大きく、確かめるような呼吸ののち、こちらを一心に見つめてくる。

「アング君」



 ――――やめろ。

 焦点が震えて定まらない。

 喉が凍りつく。

 拒絶の言葉を出すことができない。


 そして彼女も、こちらの戦慄に気づいてくれなかった。

 自身の胸元に手を添え、告白する。

「あなたの『演出』に感銘を受けた。あなたを追いかけてここまで来たの」



 ただ、呆然と立ち尽くす。

 好きか嫌いかでいえば、嫌いではなかった。

 会えるか会えないか、どこかで楽しみにしていた自分もいた。


 半歩分、メーナが前のめりになる。

「仮にああいった表現技法を思いついたとしても、その後のことを考えれば、なかなか実行しようとはしない」


 今日まで共に過ごした日々は、透き通るような青だった。

 この世界で生きてきた証として、唯一の救いであって欲しかった。

「一発撮りだから難易度も高い。けどあなたは、完璧にやってのけたの」



 なのに、彼女は。

 こんなにも落ち着きなく、頬を赤らめて、語っている。

「あれこそが本物だわ……。普段の舞台では決して見られない、魂が震えるような『生命の躍動』……」


 崩れる。

 全てが。音を立てて。


 数日前の、感情を取り戻す前の自分ならば、高揚感に包まれていたのだろうか。

 隠されていた真実同士が、最悪の噛み合い方をした。


「メ……メー、ナ。あれは――」

 なんとか声を絞り出せたところで、外から扉が開かれた。

「メイク担当さん到着でーす」

「はーい!」

 即座に元の落ち着いた顔に戻り、明るい声で返事をする。

 それを受けて、女性スタッフは立ち去っていった。


 振り返り、メーナは、両手を後ろで組む。

 ポーチが揺れると共に、柔らかな微笑を浮かべた。

「まだささやかでしかないけど、あなたと共演したいっていう夢が、今日叶うかもしれない」

 彼女は小さく手を振った後、開かれた扉から、スタッフが去った方へと向かっていった。



 空き教室に、元の静寂が蘇る。

 残ったのは、吊り下げられたカーテンと、折り畳まれた彼女の私服。

 そして、現実を受け入れられない、愚かな男。

『マジ……か……。あの女……』

 衝撃を受けたという点で、珍しくユージーンと同調した。



 何故こうなった。

 分かりきった疑問だ。いつまでも呪いとして纏わりついてくる。

 あの日の自分が、メーナのような存在を生み出してしまったのだ。

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