Phase3-3:命の授業
「ごめん、ごめんってば!!」
本気で謝っていなさそうな声が、アングの背後から弾んでくる。
突如として訪問してきた泥棒娘の手首を掴んだまま、通学路である大橋を渡っていた。
「別に冷やかしに来ただけじゃないから! ちゃんと目的もあってのことだってば!!」
アングの眉間にシワが寄る。道行く人々の怪訝な目を一身に受けている。
「ねえ弟くーん!」
今の一言で限界が来た。
手を弾くように離し、勢いよく振り返る。
「誰が弟だ!」
彼女はわざとらしく両手を上げた。
「わあ怖い。あっ、怖いって言っても分かんないか、ふふ」
すぐにジーンズのポケットへ手を突っ込む、いつも通りの振る舞いとなった。
実際のところ、彼女の行動はとても褒められたものではない。
アングは、橋の下を流れるポトマック川を見下ろしながら、低く警告する。
「俺の家族には、警察関係者が二人もいるんだぞ」
「別に? 同じくらいのハンデは請け負うつもりで来たんだけど」
彼女は笑顔で、左右へゆらりゆらりと上体を揺らし始めた。
「今日は部活動? それとも単なるウォーキングかな?」
アングは、横目でじっとその様子を見る。どの部にも所属していないということくらいは、彼女ならば知っているはずだ。
まだ話した機会は少ないが、基本的に飄々とした人物だ。自分で切り出さなければ話が進まない気がした。
「要件は?」
彼女はピタッと動きを止め、指から下げていた袋の中を確認。
それをアングの方へ突き出した。
「はい」
いいから受け取れと言わんばかりに、同じ動きを二度行う。
中身が気になってはいたが、こうも強引だと釈然としない。
なので半ば奪うように受け取り、すぐさま袋の中を覗き込んだ。それだけでは判別ができず、取り出す。
円筒状に穴が開いた、黒い布だった。
伸縮性があり、それでていて光沢を放ち、肌触りも良い。
「アームカバー。今のままじゃ見すぼらしいと思ってさ。本当は、次会った時にでも渡そうと思ってたんだけど」
しかもビニール袋の中には、このアームカバーが元々入っていたと思われる包装紙が、グチャグチャに丸め捨てられていた。
わざわざこれを……と驚きつつ、どう彼女に言えばいいか悩む。つい足踏みが慌ただしくなる。
先に口を開いたのは彼女のほうだった。
「君さぁ、ウチの従業員を殴り飛ばしたでしょ」
何の指摘か分からず、思わず二度見する。
「従……。なに?」
「スーパーイーツの配達員」
その名詞を言われた途端、脳裏に過ぎる、昨晩の理不尽な暴力。
アングは歯で息を鳴らしながら、誰もいない方を向いた。
「君が置いてった自転車はあたしが回収しておいたから。大事にならなかっただけ感謝してよね」
スーパーイーツと言えば、従業員のルックスを何より重視している会社だ。
「……意外と俗っぽい仕事してるんだな」
「顔は良い方ですから?」
ふふん、と口ずさみながら自分の髪を撫でる。
いちいち鼻につく。
だが、こちらの失態を拭ってくれたうえに、贈り物までされたのだ。
厚意として受け取り、黒い布を、肌寒さを感じつつある素肌の右腕に通した。
「えっ」
彼女は呆然と目を丸くした。
「何だ」
問い返すと、彼女は唇に人差し指の関節をあてがい、アングの左右の腕を交互に凝視。
「いや……。ファッションセンスという点で見れば、アシンメトリーな色合いで正しい。ただ……」
しばらくアングも考え、察した。
見すぼらしいというのは、血が浮き上がった包帯のことだ。
彼女の想定を超越する行動を取ってしまった。耳がじわりと熱くなる。
ただ、この傷は一種の呪いだ。
蓋をすることはできないとも思った。
そして今日までの流れから、少しは彼女のことを信用してもいいと感じた。
目を逸らしつつ質問する。
「一つ聞きたいんだが……警察のネットワークを頂戴する手段、とかないのか」
「警察の? 何で」
「できるかできないかだけで答えろ」
「警察署を襲撃して無理矢理使う、とかだったら今すぐ止めるからね?」
そこまで強引な手段を取ると思われているらしい。
誤解を晴らすため、渋々と状況を述べる。
「……義理の父親のPCで、ログインさえできれば、警察のデータベースを見ることができる」
「いくら危機感が薄い世界とはいえ、家で……?」
彼女は困惑の色で眉を曲げていたが、すぐにポンッと拳を掌に載せた。
「あっ、そっか。ダン・フルーレさんが一時期リモート勤務だった名残か」
実際、彼が車椅子生活になってから、そういった時期はあった。
「……俺の身辺について随分調べてるんだな」
彼女は否定せぬまま、顎に指の付け根を添え、思考する。
「手がかりの入口があるのは良いことだけど、あんまり使用はおすすめしないよ?」
「何でだ」
「場所が特定されちゃうでしょ! いくらダン・フルーレさんのパソコンからとは言っても、もう使ってないなら怪しまれる」
「特定されないように見たい」
彼女は呆れたように目を細めた。
「無茶言うねぇ……。パッチが君の家に入ればなんとかできるかもだけど」
「家には……バレリーさんがずっといる」
「良い言い訳思いつく?」
仮にパソコンの修理屋だと偽ったとしても、夫婦の両方が納得する状況を作らねば、すぐにバレてしまうだろう。
上向きの視線を見て、カザミは憐れみの笑みを浮かべた。
「ほらね。諦めよ? 少なくとも、あたしならそんな危ない橋渡らない」
まんまと納得させられてしまう。
ただこのままでは、何の活路もなく、兆しが訪れるのを待つだけという虚無が訪れる。
それだけは避けたいという一心で、彼女の方に身体ごと向き直る。
「世界をおかしくした黒幕について、今のところの心当たりは?」
「まさか、諦める代わりの交換条件ってわけ?」
無言で直視を貫き通す。
睨み合いのような時間が数秒続く。
カザミも怪しんだ目を崩さなかったが、やがて観念したように息を吐いた。
「あたしは別に、世界がどうなろうと知ったこっちゃないから、情報としては薄いんだけど」
彼女は一歩距離を詰め、アングから見やすいように、左右反転したホログラムを浮かび上がらせた。
映し出されたのは一枚の写真。
どこかの倉庫の脇に、軽車両とトラックが並んで駐車されている。
二つの車両の側面には、デフォルメされた巨大なネズミが掃除機をかけているという、なんともユニークな企業ロゴが描かれていた。
「ほら、写真撮って!」
言われるがまま、アングはカフ本体をタップし、シャッターを切る。
「これは……?」
「一見何の変哲もない清掃業者。けど、このロゴの奴らが、レジスタンスにマークされてた施設を片付けてたって報告を何度か見たことがある」
写っている光景自体は、複数の従業員が洗濯機や冷蔵庫を運んでいる様子だ。
ただ、今の話を聞いた後だと、全てが胡散臭く思えた。
「つまりこいつらを追い詰めれば……」
「どこを拠点にしてるかも分からないから、すぐ突撃するなんてバカはできないよ。力を手に入れたからって無茶な真似はしないこと」
彼女はホログラムを自分向きに戻し、無駄のない指さばきでチャットアプリを開いた。
「あと一応、あたしの連絡先も送っておく」
アングのカフに通知。すぐに確認する。
ユーザー名は、『天駆けるワンダーフォックス』……。
身元がバレないようにという狙いは伺えるが、なんとも派手なネーミングだ。
「寂しくなった時の憂さ晴らしには付き合ってあげる」
あくまで自分が優位であるという態度を崩そうとしない。
アングはジト目で見る。要件は終わったようなので、彼女に背を向けて歩き出した。
人本来の感情を取り戻し、半日以上が経過したからか。
ようやく、自分の振る舞いがガキ臭いと自覚した。
足を止め、振り返る。
「……すまなかった。今日のこと」
これでも彼なりの感謝。
それを受けたカザミは、目を見開いて固まった。
すぐにデレェとニヤケ面になり、側頭部を撫でた。
「いや~、べっつにそんなぁ……」
「それだけじゃない」
続きがあることに気づき、カザミは小さく唇を離し、また真剣な目で受け止める。
アングは、消え入りそうな低い声で続ける。
「昨日……手当してくれたことも。すぐに戦えなかったことも。……色々と」
今度は鼻先まで猛烈に赤くなるのを感じた。
見られまいと、逃げ出すように走り去った。




