Phase3-2:命の授業
暗視モードの緑が、段ボールで作られた床敷きの上で寝転がる、中年のホームレスを捉えていた。
荒れた肌に裂けたコート……。彼こそ、カザミが目撃した、逃げるように歩道を駆けていた人物である。
「帰ってきてからすぐにお仲間とハイタッチで、楽しそうだったよ」
隣で双眼鏡を構えたままそう言ったのは、ワシントン地域におけるレジスタンスのリーダー、クロエ・モースだ。
彼女も暗視対応の道具を使い、柵の縁に肘を乗せ、眼下のホームレス達を監視していた。
カザミは狐面を外す。直の目で区域を見下ろす。
廃ビルの屋上からは、ロスト・ヤードと呼ばれるようになった駅、及び地下空間がよく見えていた。
かつては列車の駅として運用していたが、ワシントン北東部の再開発で線路が分断。摩天楼に上書きされることとなった。
現存する線路を辿れば、突如として、コンクリートの壁が立ちはだかることだろう。
駅が取り壊されなかった理由は、コストの節約と、意図的なホームレスの誘導だとされている。
ロボットに職を奪われた人々が住宅街で犯罪を起こさぬよう、政府は、彼らに広い空間さえ与えれば抑止力となると考えた。つまり、暗黙の了解で生まれた空間なのだ。
再開発自体がロボット関連企業による推進だとされており、何かと都合が良い処理だった。
「今回のことといい、フェニックスのテロといい……何がどうなってやがる?」
クロエの声には、苛立ちと困惑が混ざり合っている。
強化イレギュラーを運搬したホームレスが、ここから複数人派遣されたと彼女たちは推測していた。
ただ事の発端を辿れば、全ての始まりはあの乱入者だ。
「本当にあの青いのについて知らないのか?」
クロエが問う。警察の発表会に乱入した、青いアーマード……。
「あたしはあくまでレッドを狙ってたの。あたしが聞きたいくらい」
「そのレッドは、一夜にして有名人になっちまったな」
クロエは双眼鏡を下ろすと、ホログラムを展開し、SNSで入手した写真を浮かび上がらせた。
植物型を撃破した直後のレッド・アーマードが多くの一般人に撮影されたようで、もはや政府や警察が隠蔽することも難しい事態だ。
するとクロエは、細い目でカザミの顔を見た。
「お前は大丈夫だよな?」
救出した野次馬の家族に撮影はされていた。そのことについて回答する。
「クラウドデータごと消してもらったし、大体あっちの話題で埋もれちゃうよ」
そう結論づけると、クロエはまたホログラムの方に向き直り、別の写真をスライドさせた。
「こっちの映像も見たが、とんでもない火力だ。一体どんな奴が使ってるんだ?」
「……別に話してはないから」
つい目を逸らしながら、少しの関係を持ったことを伏せる。
レジスタンスにいいように使われかねないと判断した。
「ともかく、こいつの登場で事態が好転すりゃいいが……。ここ最近、加速度的に事態が大きく進んでいる」
ホログラムが閉じられる。彼女はカザミの方へ二歩近づく。
身を寄せ、耳打ちと小声で告げられた。
「メキシコは、『国』ごとレジスタンスの拠点になるらしい」
思わず、驚きの息が漏れる。
「カルテルと結託した……?」
「というよりかは、国を上手く丸め込んだんだ。公式には発表しないだろうがな。俺たちイレギュラーはカルテルの比じゃないくらい凶暴だ、って見せて、従わせた」
この世界に、『国』という単位は存在しない。彼女はあえてその言葉を使っている。
「北部の工場も制圧済みだって話だし……羨ましいよ」
少し距離を取ったクロエは、顎を上向かせ、白い息を散らした。
「ウチらにも戦力がありゃ、大掛かりな作戦を決行できたのかもだが……」
「カルテルの仲間入りでもしたいわけ?」
クロエとの関係は深いが、意見の相違から、行動を共にしているわけではない。
「それにクロエ、問題の根本が分かってないよ」
声に鋭さを込めて指摘する。
「敵が誰かも分からないのに政府を攻撃。後の展開は神様頼み? そんなの雑すぎる」
「警察に仲間たちが殺されたのを仕方ないで済ませるのか?」
眉を寄せた彼女は、明らかに低い声を出した。離れた分の距離をすぐに詰める。
「世話になった人もいたはずだ! あいつらを従える本丸を叩いて、何がいけないッ!!」
唾が飛ぶほどの勢い。
だがどんなに荒らげた声で言われようが、叩かれようが、カザミは視線を外すつもりなどなかった。
言わばこの世界の警察は、作られた構図に踊らされている可能性がまだ高い。
やがてクロエは、押し返されたように息を呑み、視線を逸らした。再び柵に両腕を預け、前のめりになる。
「別に……虐殺する気はねぇって。それじゃあ、強化イレギュラーを作ってる黒幕連中と同じだからな」
そのまま、つまらなさそうに続ける。
「だが頭をつつけば、怪しい膿がドバドバ出てきやがるのも事実だ。今晩の件で分かっただろ? あいつら、明らかに焦ってやがる」
「仮にレッドを盗れてたとしても、あたしは自分のためだけに使う予定だった」
言い切る。
あくまでクロエの目的は、レジスタンスを率いての世直し。
カザミは違う。
その後の余白と、クロエの強い視線が重なる。
「カザミ。ウチらに丸投げしろ」
そうして言われたのは、到底許容できない提案であった。
「はあ? だから勝手に……!」
「一人で背負い込むには大きすぎだ! 自分で果たせなきゃ納得できないってーのも分かる! けど……!!」
そこまで言い終えて、彼女は、苦虫を噛み潰すように歯を食いしばった。
「リリアンさんは、それで……ッ!」
胸の奥が強くざわめく。
その名は、二人を繋ぐ、唯一の拠り所だ。
「ウチらに任せてくれれば、お前が探している奴を必ずぶちのめせる! そもそもお前は正式にレジスタンスじゃないし、何より……」
クロエの視線が落ちる。
カザミの足首。特殊なブーツが覆う、その箇所へ。
「ッ……」
だから嫌だった。
必ず気にかけてくる。カザミは反射的に足を引いた。
あの人の名前まで出して、本当に卑怯だ。
「クロエ。今のあたしには、これしか残ってないんだよ。なのに止めようっていうの?」
彼女の提案を暗に拒否した。
受け入れるということは、今の自分の存在否定でしかない。
*
「えー!? 学校ォ!?」
着替えを済ませたアングの、階段を下りかけた足が止まる。
朝日をも呑み込みかねない上ずり声が、リビングから聞こえてきたのだ。
覗いてみると、椅子に座ったジョイが明後日の方向を見て喋っていた。カフによる通話だとすぐに認識できる。
「はい……。いや、そうですけど……。……はあ。分かりました。はーい」
一転して無気力な定型句であった。
通話を切ったジョイは目を閉じ、腕を組んで下唇を突き上げた。
タオルで手を拭きながら、バレリーが息子のもとに近づく。
「緊急出動? それとも配属先の話?」
「今日は学校での警備だって」
両手を首の後ろに回し、だらりと椅子にもたれかかった。
「それって授業聞いてたほうがマシじゃない? 暇すぎ」
しかし彼は昨日、次の出勤時には、自分がどこの署で働くことになるか分かると言っていたばかりだ。
当然、母親はジト目で探りを入れる。
「ジョイ……。まさか何かしたの?」
聞かれたジョイは、急に背筋をピンと立てた。
「ええ、いや……!? 全然、目立って、ないよ、うん」
両手をアワアワと泳がせる。彼の心境が浮き彫り過ぎている。
しかも彼は、警察の制服を着てはいるが、所々にトレードカラーである蛍光イエローを織り交ぜるという、果たして許されるのか分からない着こなしだ。
スタートダッシュの雲行きは怪しいうえに、外見の綱渡り。アングは彼の将来を思い、冷や汗をかく。
話の流れが止まったところで、ようやくアングはリビングへと下りた。
「あらアング君! モーニング!」
一足先に気づいたバレリーの明るい挨拶に、アングは軽い会釈で返す。
「ダンさんは……?」
「輸送車が出迎えに来てたから、署に行ったんじゃないかしら」
ダンは長期休暇中のはずだったが、彼の正義感の強さならば、今の状況を受けての出勤は必然だったと言える。
実のところ、下りてくる前にアングは、彼の寝室を軽く漁っていた。
せめて職員番号でも知れないかと思ってのことだが、見つからなかった。記されている物が出勤のために持ち出されたのだとしたら合点がいく。
今度はジョイが振り返る。
「アング、僕これから学校で勤務なんだよ」
「聞いてた」
「一緒に行こうよ~」
二つの意味でのむず痒さが身体を駆け巡る。
男二人で家から登校など、どうにも小っ恥ずかしく、普段からなるべく先に家を出るようにしていた。
だが今日だけはなんとしても回避したい。そうしなければならない理由がある。
思考を張り巡らせようとしたところで、視界の端にあったテレビが目に入った。
音量は極限まで下げられているため、聞き取れはしないが、その映像……。
SNSに投稿された、レッド・アーマードの姿が映っている。
アングは、不思議と焦りはしなかった。
むしろ、ようやくこちらでも報じられるようになったか、という心境だ。
青いアーマードとも並べられ、テロップ文から、『イレギュラーの親玉。悪である』という印象操作が始まっていた。
アングが見ていたのに釣られ、ジョイとバレリーも報道を覗き込む。
「ネットと一転してひどい評価だね~」
「そうなの?」
彼はカフを操作し、バレリーに、例の映像を見せた。
「僕が直接見た光景そのものさ。ほら、強化イレギュラーに対して立ち向かっていってるだろ?」
銃型に爪で斬りかかる瞬間を見た後、ジョイは恍惚と頬を赤らめ、身震いした。
「孤高のヒーロー。うーん、かっこいい!」
「そんな単純な話じゃ……」
つい、言ってしまった。
二人に凝視されるも、そこから言葉を繋げられず、また視線でテレビへ逃げる。
「朝食の準備してくるわね?」
しかしそこまで重く受け止める様子もなく、バレリーはキッチンへと戻っていった。
一方のジョイは、やましい理由も含まれていそうだが、アングを見つめたままだ。
弁明しなければ。アングは彼の対面に座り、言葉を選びながら喋り始める。
「警察の……アーマードと、あまりに似た装着兵器だから、実は自作自演じゃないかって報道も……」
「化石メディアの話を信じるわけ?」
「そういうわけじゃない」
「所詮は憶測。その点で言うと、タロウの報道姿勢はしっかりしてるね! 余計な注釈なし! 事実しか伝えてない!」
ジョイはレッドだけでなく、タロウまで評価しているようだ。
認識の軽さに危機感を覚えたため、アングは提案する。
「警察の力で配信停止にしろ」
「何で。タロウが恋い焦がれた状況に突入してるんだよ?」
「もしアレが世間にバレちゃいけない代物だったら、とか考えないのか!」
「だからすっごい再生数稼げてるんでしょ?」
アングは、俯き気味に首を横に振った。体力だけで警察になっただけのことはあると呆れた。
その時、ジリジリと家のベルが鳴った。両者とも反応する。
先に立ったのはジョイだったが……。
「僕トイレ行きたいからさ。アングが出てよ」
有無を言わさず、彼はトイレへと駆け出していった。
仕方なくアングは重い腰を上げる。モニター付きのドアホンへ向かった。
こんな朝早くからいったい誰か。
備え付けのカメラ映像を表示。
……誰も映っていない。
左右の庭へと続く緑に、中央の石造りの道。奥の小さな門は開いたまま。
アングの視界が一転して強張る。
すぐに二人を連れ出さなければ。訪れる最悪の状況を想像し、身体を反転させ……。
「やっほー」
飄々とした、こもった声。
緊張が一瞬で四散した。
庭の方を向くと、掃き出し窓越しに、両手をジーンズのポケットへ突っ込んだ少女、カザミがいた。
アングがガラス戸を開けると、彼女は微笑混じりに小首を傾けた。
「今日はちゃんと入口から来てあげたよー?」
こちらを焦らせることに何の躊躇いもない仕草だ。アングのこめかみがピキピキと鳴る。
その声に誘われるように、バレリーが顔を出してきた。
「あら、アング君。この子は?」
するとカザミは、カッコつけたポーズを崩し、緩い気を付けの体勢に。
ハツラツとした笑顔を浮かべた。
「はじめまして! あたし、エリカ・エンブレムと言いまして」
「は?」
明らかな偽名。それともこちらが本名か。
いずれにせよ、彼女はエリカとして親しげに振る舞い始めた。
「昨日の発表会の後、あたしの家で、アング君と色々やってました」
戦慄。
間違ってはいないが、あまりに語弊がある。
「あら……」
そしてそれを聞いた横の女性は、顎に掌をあてがい、口角を上げた。
バレリーはこういった話を聞くのも趣味だ。
「あらあらまあまあ! 何も起きないわけがなく?」
「それはもー、色々と」
「言い方を改めろ!!」
怒鳴りつけるも、カザミの涼しい顔は変わらなかった。
「その時に彼が忘れ物を……」
カザミの指には、何かが入ったビニール袋がかかっていた。それを持ち上げて主張する。
バレリーは、音が聞こえない程度にアングへ拍手を送った。
「大胆ねえアング君。わざと?」
確実に忘れ物はなかった。あの時の所有物は、レッドも含めて全て持ち帰った。
このままでは、存在しない傷口を広げられる。ジョイを置いていくことになるが、仕方がない。
「来い!!」
アングは庭へと下り、カザミの手首を掴んだ。
「すみませんバレリーさん、外で食べるんで!!」
そのまま強引に引き寄せ、早足で家の外へ連れ出した。




