Phase2-9:人殺し
凶暴な行動とは裏腹に、アングは、スタジアムでの戦闘との決定的な違いに気づいていた。
レッドの攻撃に、火炎性が伴っていない。
あの時は、爪の軌道に合わせて炎が追随し、接触点で爆発も発生していた。
それが今はどうだ。装着時にわずかに小火が散ったくらいで、ただの物理攻撃のみ。
本来の性能を発揮するための、何かが足りていない。
ゴプ、ゴプ、プ……。
前方から、不気味な膨張音。
合わせて、怪人の左肩が脈を打つ。内部で何かが生成されているのか。
寄り道をしていなければとっくに処理できていたはずだ。
焦るアングの意識が言葉をぶつける。
『何してる、燃やせ!!』
「知るかよそんなの!!」
ユージーンは引っ掻きを止めず、アングの不信感を増幅させる。
「この辺りにばら撒かれるだけなら、家族みんなでお引越しを楽しめばいい!!」
周囲を顧みないスタンスは変わっていない。
だが、本気でそう思っているのか?
彼の言葉は言い訳でしかない。
『鬱憤はさっきので出し尽くしたか!!』
強い声量で言い放つと、彼は、こちらを見据えるように目を剥いてきた。
ようやく話を聞く気になったらしい。
『おかしいとは思ってたぞ……。これが怒りとかいう感情で動く兵器なのは分かった。俺がイレギュラーになるのを待っていたのもだ!!』
彼は復讐を強調し、楽しんで戦っているように見えた。
それではダメなのだ。
『だが今はどうした。自分のやりたいこともろくにできない。自分でも何でか分かってない。ただ闇雲になぶって、叫んでるだけだ!!』
自分のほうが詳しいという面をしていた。それは事実だ。
だが、慣れているわけではない。
このような振る舞いをする理由も、一つしかない。
アングは、喉から絞り出すように指摘する。
『無理に狂人を装うのはやめろ……!!』
ユージーンの顔から冷静さが消えた。
思えば、生じた違和感は、フルーレ邸の時点であった。
『お前は、ジョイの恋愛観を小馬鹿にするような奴じゃなかった』
アングの意識が人差し指を突きつける。
『むしろ応援までしてたはずだ、俺は迷惑だったが!!』
「価値観が変わったんだ……!! アングもそのうち同感するよ!!」
『あの獣みたいな食べ方も見習えっていうのか!』
目覚めてからの彼は、全てがおかしかった。
『お前のその怒りには迷いが混ざってる!! 機能していない!! だから意図的に俺を怒らせ続けて、永遠に身体を頂戴する魂胆だな!?』
図星。
だからこそ彼は目を見開き、歯ぎしりをする。
「分かったところで関係ないね!! オマエはこうして今も、怒りの感情を引き出し続けてる!! それってすごく都合のいいことなんだよオレにとってはッ!!」
吐き捨て、強化イレギュラーの方に向き直ろうとする。
続けさせるわけにはいかない。
そう思った直後、黒の空間が揺らいだ。
アングの肉体として見えていたユージーンの姿が、何重にもブレて重なる。
空間の異常……。彼の鼓動と同期しているように思える揺らぎに合わせ、両手を伸ばす。
今まで立ちはだかっていた障壁を、軽々と通り抜けた。
背後から、彼の両脇に腕を差し込む。
「なに……!?」
ユージーンが急速に振り返る。
羽交い締めの体勢。同じ身体を持つ、二つの魂がせめぎ合う。
「何のつもりだアングゥゥゥ!! オレが代わりにやってやってるんだぞ!!」
睨んだ視線が衝突する。
黙り込むアングに対し、続ける。
「オマエはただ、オレのやることを見ていればいいんだァッ!!」
彼の言動、全てを一身に受け止めた。
心が傷つくことはなかった。
もはや強がりにしか見えない。
拘束したまま、自ら後ろに倒れ込んだ。
「なっ……!?」
引っ張り出した。
四年前の、胸を赤く染めた彼の姿だ。
アングの背中が、目視できない床と衝突する。
衝撃で彼を放した。ユージーンも腹を打ち付けられ、身を震わせた。
現実のレッドは、抜け殻のように背を丸め、止まってしまった。
少年はそれを良しとしない。
『離せ……。オレが……!!』
差し込む、邪な光へ手を伸ばす。
『オレがやらなくちゃいけないんだ……!!』
取り返しのつかない一線を越えようとしている。
アングは、遮るように彼の手首を掴んだ。
ハッとなったユージーンが、尖りの消えた目をこちらに向ける。
『お前の感情は紛い物だ、ユージーン……』
彼の手をそっと、虚空の床へ置かせる。
代わりに自分が立ち上がった。
『アング……。や、やめろ!!』
その制止を受け入れはしない。
開けた前方……。丸まった背で、目を覆いたくなる光景へ歩き始める。
しばらくは、一切の妨害がなかった。
だが長くは続かない。
震えた息から始まり、爆発する。
『知ったばかりのガキが……!!』
起き上がる気配がアングの耳に入る。
『待ってた未来はどうだった? 最悪だったよなあ!? それをオマエは繰り返そうとしてるってことに、まだ気づかないのか!!』
振り返らずに進む。
しかし、駆け足のユージーンが横切り、立ち塞がるように両腕を広げた。
『これからやろうとしてることは、善いことでもなんでもない!! 偽善だ!! 間違ってた自分を正当化させようっていう手段でしかない!!』
分かっていたことだ。
アングは通り過ぎようとする。
ユージーンは位置を変え、今度は、光すら遮ってみせた。
『そんな自己弁護は時間の無駄だ!! アング。オマエの身体は、オレが全部燃やし尽くすための土台でしかない! 生贄だ!! それ以外に価値なんてないんだ!!』
言葉だけは受け止める。
それだけだ。
案の定、彼は痺れを切らす。
『分かったんなら、そのふざけた考えをとっとと放棄しろクソ野郎ッ!!』
地の底から這い上がってきたようだった。
か細さから一転し、空気を震わせるような大声。
その熱だけが空回りしている。
アングは、問い詰めるように言う。
『それがお前の精一杯だ』
震える瞳と、噛み締める唇。
何かを堪えているようにしか見えない表情が、アングの脳裏に焼き付く。
目を閉じ、彼を置いていく。
――理不尽な話だ。
みんなで相談して決めた。
お前も笑って受け入れた。
お前が死んで、みんなが、最高の瞬間を味わうことができた。
……光が近づく。
あの日の栄光に似ている。
スタジアムにて、言われた言葉を思い出す。
『言ったな? 人の為になるのなら、人を殺してもいいって』
『じゃあオレは?』
『オレは死んでもよかったってか!? アングゥッ!!』
――そんなわけない。
お前は死んじゃいけなかった。
生きて、自分にしかできないことを見つけるべきだった。
それを止めなかった。殺したのは誰だ。
あいつの人生を滅茶苦茶にしたのは誰だ。
ここにいる。
自分の考えが大好きでたまらなかった。
最低最悪のクソ野郎。
……光に溶け込む。
そんな奴はいなくなればいい。
一生分の呪いを、報いを受けてしまえばいい。
だから誰にも譲らない。
この役目だけは……ッ!!
心臓が一段高く鳴る。
赤の鎧と共鳴。爪先に炎が宿るのを確認し、顔を上げた。
本来の視界の広さに戻っている。
ボロボロながら、死の連鎖を巻き起こそうとする異形が目の前にいる。
肩……。子房と化した部分が蠢いている。
中身が空気に流れ出るのを止めなければならない。焼けば毒性ごと消せる。
ならば斬り裂くよりも、子房を掴み、即座に炙ってみせれば……。
そう思考した瞬間のことだ。
蘇生していた指のツタが、レッドの上半身に巻き付く。
両腕が窮屈なかたちで押さえ込まれた。
身を捩る。いざ捕まると、アーマードを纏っている状態なのに解けない。
生身なら一瞬でへし折られる。それほどに強い締め付けだ。
そしてこのまま、彼は、花と化した頭部を近づけてくる。
これまでは折り畳まっていた花弁が、一片一片、生き物が口を開くように広がる。
……見えてしまった。
不揃いなまつ毛、歯並び。食虫植物のように口を開け、舌をだらりと垂らす姿。
彼は息を吐いている。
緑の飛沫を混じっているように見える。
あれを間近で吸い込めば、装甲を纏っているとはいえ、どうなるか分からない。
だが今の時点で、死は免れている。
彼は、こちらが動けていない隙に、致命傷を狙うべきだった。
レッドの身体の節々から、炎が噴射される。
それは、ツタにとっては最悪の相性。瞬く間に燃え広がり、アングの拘束が解けた。
炎の制御に一抹の不安はあったが、簡単に成し遂げた。
アング・リーという男を消し炭にしたい。
その心ひとつで、全てが叶ってしまう。
目の前の異形を見据える。
彼もまた、元は何の罪もない人間だ。
せめて一撃で。
握った右拳を炎が包む。
そのまま、彼の腹部を狙う。
ズゴォッ――!!
何の障害もなく肉体を貫通した。
一突きで、二つの感触があった。
中で硬い何かが弾け、もう一つは、心臓と思われる弾力のある物体が裂けたこと。
引き抜く時に緑の血はなかった。高熱で蒸発したのだろう。
頭部である花が、だらりと斜めに傾く。
命は途絶えた。
だが……。
子房の中で生成されていた物質は違う。反比例し、今にも皮を食い破るまで活性化し始めた。
急ぎ、膨らむ肩を両手で掴む。
今度は掌から炎を放つ。植物性の身体は簡単に引火。
だがこの区域を汚染させないためには、毒を生成する根本……つまり、骨まで焼き切らなければならない。
そう決めた矢先だった。
フラッシュバック……。
知らない女性の記憶が、脳裏になだれ込む。
デモのプラカード。
拉致。
薄暗闇の手術室。
傷口。
コンテナの闇……。
これは、銃型を葬った際と同じ現象。
人の魂を吸うレッドが、特に強烈な光景を見せつけてくる。
この記憶の奔流に呼応するかのようだった。
枯れ果てるよりも前に、子房の皮に亀裂が生まれた。
……プシュッ。
緑の、空気が見えた。
慌ててアングは左手で塞ぐが、視覚化された毒が、漂っているのが見える。
右手の爪で薙ぎ払い、どうにか引火させた。拡散を防ぐ。
彼女の気高き想いが、何者かに歪められ、世界に放たれようとしている。
かつて見た、ユージーンの笑顔が脳裏をよぎる。
人とイレギュラーは違うと思っていた。
同じだ。
いかに逞しく生きようが、この世界の闇が、それを良しとしない。
理不尽にも人を殺す。そんなことがあっていいわけがない。許されるべきではない。
自分への憎しみ。
世界への怒り。
全てを重ねる。
装甲の、閉じていた口が開く。
「がぁあああああああああああッ!!」
牙が見えたのを境に、全ての火力が増大した。
業火が、怪人の全身を焼却する。表面は焦げとなって砕け落ち始める。
そこから毒はもう発生しない。
押さえるのは左手で任せ、右手を振り上げる。
最後の押し潰しも、力を緩められなかった。
ドグォォォンッ――!!
掌ごと地面へ叩きつけ、円周の衝撃が辺りに飛ぶ。標識や窓ガラスが一斉に割れ落ちる。
残ったのは、微かに伝った小火と、骨も見えない灰のみ。
同時に、かつてここに、人だった者がいたという実感が胃を蝕む。
焼き払ったのは自分だ。自分が請け負わねばならなかった。
やがて、強化イレギュラーの自爆範囲外へ逃れていた人々が、戻って来る。
赤の装甲を見ては、指を差したり、カフで撮影したりする。
今まで自分も味わってきた。
人を殺し、喝采を浴びる世界なのだ。
正義の味方気取りになるつもりはない。
少し、目眩も走った。
息を整えながら、逃げ込むように路地裏へ消えた。
*
闇夜の一角が歪んでいることを、誰も認識できない。
それは、逃亡者を追跡し、宙を漂っていた。組織が導き出した予測を確定事項とするためだ。
存在しないものとされた男、レイシキ。
彼のHUDによる目線が、ある光景を捉える。
逃亡者は、誰も追ってきていないことを確認すると、赤の装甲を解除した。
傍らの壁に身を預け、手を付く。
そこまでを認識し、レイシキは、脳内演算を実行する。
無数のネットワークと数字が、彼の視界を覆い尽くす。
強化イレギュラーの指定座標。
ワシントン内の決済記録。
レッド・アーマードの装着者適正リスト上位。
トラッキングデータを基に算出した不自然な移動経路。
――特定。
レッド・アーマードの装着者、アング・リー。
*
乾く息に、ようやく生気が灯る。
外気に触れることの重みをアングは痛感していた。
「ぐっ……!?」
不意に、左腕に染みる痛みが走る。
包帯を見ると、白地に、再び血の色が侵食していた。
傷が開いたのか。それとも、レッドの力を使った副作用か。
或いは、人として生きている、証明。
外傷はさほど重要ではない。
右手を開閉させ、今の調子を確かめる。
スタジアムでの戦闘後とは違う。この精神は、自分の身体とよく馴染んでいる。
「なんだ……。自分でやったほうがある程度マシか」
『アング』
ユージーンの声は、変わらず奥で鳴り響いている。
『オレにやらせろ。後悔することになるぞ』
ただ、耳障りさは明らかに消え失せていた。
あの日、ユージーンの意志を尊重した。
その栄光は偽りだった。
「何でかは話してくれないんだろう?」
彼の肩がビクッと跳ねる。
そこから彼は黙秘を貫く。
肉体の馴染みとは別に、レッドを装着しての疲労感はまだ残っている。
壁に手をつきながら、どうにか、誰にも見られない闇へ入ろうとする。
――いいさ。
黙ったままでいればいい。
俺が全て見つけ出してやる――。
*
自宅内の薄暗い手術室。
大好きなバラード曲を最大音量で流し、血でゴム手袋を濡らす。
これが、六時間半の激務を終えてもなお鼻歌を口ずさむ、サイラック・スティッチャーの退勤後の姿だ。
スタジアムでの壮絶な事案により、良質な重症患者が続々と転がり込んできた。
本来であれば、その患者たちへの応急処置を終えてから退勤するべきである。
だが。
気分転換という名の依頼遂行は何よりも優先される。他の者に任せた。
また、重症患者の中から、サイラックは特に活きの良い一人を選び、ここへ運び込んだ。
手術台に寝かせ、血を肌を入れ替え、腹を開き、各部位に必須物質を入れ……。
あとは、部分的な調整を施せば、完成する。
天井の角に取り付けられたスピーカーから、祝福するように歌詞が流れ込んでくる。
いずれの曲も、友情を称え、友へ依存し、絶対的な絆を述べるもの。
そう。彼らは友なのだ。
自分に体内を弄られた。これは、サイラック・スティッチャーという男の生き様を受け入れてくれたのと同義である。
作品が完成するたびに、サイラックは感謝する。
身を捧げてくれた友。そして、自分に生を授けてくれた神へ。
自分は、このために生きているのだ。
次の段階へ移る前に、サイラックは、壁際のモニターを確認した。
「廊下での戦闘を想定……。んー? どこでしょー……?」
どこだろうと構わないが、依頼主が最も満足できる結果を生み出さなければならない。
自分の脳に叩き込むため、表示した依頼文を読み上げた。
『発生予定地』の欄。
「ワシントン西部、マイライズ・ハイスクール……」
(つづく)




