Phase1-2:幸せな世界
「聞いてるのかな?」
つい昨日のことを思い返していた。
職員室に呼び出され、立たされているという状況ながら、心はここにあらずだった。アングはだらりと背筋を正す。
「聞いてはいます」
取り繕っただけの態度に、担任のバーンズは首を横に振りながらため息をついた。
彼はまた、アングの進路について講釈を並べ始める。
おもしろくない内容。ゆえにどうしてもアングの視線は、彼が座るデスクの斜め後方に向かってしまう。
汚く積まれた紙類。その横に、唯一整えられた趣味用の聖域がある。
武装した警察官や、かつての軍用車両のフィギュア。
警察と軍隊が統合された今、行き場を失くした軍事オタク達は、こぞって『新たな勢力』へ流れ込んでいる。
バーンズが元はどちらだったのか、統合後のファンなのかは不明。だが、明日の警察による発表イベントにも参加するに違いない。
「ともかく僕はね、母親を失くした君の将来を案じているから、こうしてここに招いたわけだ」
今どきの教師にあるまじき、もっともらしいことを言っている。
自分に酔っているのか、バーンズの視線が宙を舞う。
その隙に、アングはパーカーのポケットに手を突っ込んだ。
ある人物から託されたリンカー・フォン……通称『カフ』の表面を指で二回叩く。
わざわざ呼び出しに応じたのも、全てこの作業を遂行するためだ。
バーンズは視線を戻し、大げさに両掌を上げた。
「決して自己保身というわけではないよ? 出来の悪い生徒を社会に出したら給料が下がるとか、そういうんじゃないからね?」
言わなければいいのに。思わず呆れ、今度はアングの方から視線を逸らした。
「……一応、引き取り手になってくれた養父はいますが」
「ああ、しかも極めて収入力のある、あのダン・フルーレさんがな」
やはり知っていた。
憧れからか、教師の声色がわずかに高揚する。
ダン・フルーレ。警察の中でも多くの人々から慕われ、英雄視されている人物。
ジョイの実父であり、今はアングの保護者でもある。
不意に、かかと付近にて軽い衝撃が走る。
『失礼シマシタ』
振り返ると、両腕が掃除機になった人型ロボットが、錆びついた関節を軋ませながら、アングの靴にノズルを押し当てていた。
安価な中古品しか導入できない。予算に乏しい学校の体現と言えよう。
通り過ぎるロボットの背を、バーンズは邪魔そうに手のひらで押し付ける。
そのまま、耳の側面に挟んでいた自分のカフをタップ。空中にホログラムウィンドウを展開した。
指先を這わせて操作すると、二人の傍にある机が淡く発光。バーンズのカフと同期したのだ。
机の面から粒子が巻き上がり、ある物体の輪郭を形成する。
街のいたるところで見かける汎用ロボットの、可愛らしくデフォルメされた3Dモデルだ。
「財源さえあるのなら簡単にロボットのオーナーになれる。彼らに働かせて自分は『配当』を得るというね。一番安定した職業だろう。逆に、ロボットに取って代わられるような職はおすすめしない」
バーンズが指を滑らせると、表示されていたモデルが変更される。
高慢な顔つきがよく似ている。彼を再現した教師のモデルだ。
「教師もいずれこうなる」
彼は何食わぬ顔で、自分の分身の首を人差し指で横に薙ぎ払った。
ザシュ、という電子音。デフォルメされた首が飛んでいく。胴体もノイズとなって霧散した。
「スポーツ選手とか株のトレーダーとかあるが、僕としては、やはりこの二つをおすすめしようと思う」
新たな二つのモデルが同時に表示される。
左側には、メガホンを持った監督と、演技をする俳優。
右側には、制服を着て敬礼する警察官。
どちらも、今の人類にとって特にホットだと言われる業界だ。
「時にAIをも上回る独創性が求められるエンターテインメント業界。暴走やハッキングのリスクゆえ、ロボットには任せられない警察組織。今でも人間が人間として輝ける場所だ」
それらを見下ろし、話を聞いている最中のこと。
アングの眉間の先で、黒いモヤが渦を巻き始める。
痛みとは違う。だが、脳に無理やり何かを植え込まれるような感覚。思わず眉間を押さえた。
昨夜に生じた『つっかえ』と同じだ。
それがいっぺんに二つも押し寄せてきた。
その様子を見ていたバーンズが、眉を狭めながら身を乗り出す。
「なぜ気乗りしない? ジュニアハイスクール時代の演劇での活躍は、今でも語り草だぞ」
「あれは……お遊びですし……」
「やっていた慈善活動もそうだ。普通に考えたら、そのどちらかの道を進もうと思うが」
何故だか、彼の言葉が耳鳴りとして反響する。
アングは薄々感づいていた。自分の身に生じる正体不明の違和感には、この二つが関連している。
あの演劇。
正義を行うこと。
何故この二つなのかは検討もつかない。
ともかくアングは言い訳を述べる。
「警察に関しては……ジョイがきっと頑張るでしょう」
「肩を並べたいと思わないのか? ん?」
良かれと思っての問いかけなのだろう。
だが、アングの視線は自然と床に落ちた。
生徒の心境にも気づかず、愚かな教師は気持ちよさそうに言葉を並べる。
「これでも僕は、教師という仕事を誇りに思っているよ。人の才能っていうのは人が見つけ出してこそだ」
もう自分のカフで、ネットサーフィンでもしながら時間を潰そう。
そう逃げかけていた、その時。
「きっと君に大きな期待を持っていたからこそ、あんな危ないことを容認したんだろう? 亡くなったお母さんも」
胸の奥から、叫ぶようなざわめきがせり上がってくる。
エンタメや警察への違和感など比ではない。
『母の死』。そして『過去の自分』。
その二つが結びつくたび、内側にある『開けてはいけないもの』が、軋みを上げて勝手に開きそうになる。
それが何なのかは分からない。
だがひとたびこの衝動が起きると、身体の奥から熱が暴発する。
アングは、眉間に当てていた手を慌てて、口元に移す。
「おお、大丈夫かい?」
軽い反応のバーンズが手を伸ばしてくる。
馴れ馴れしい。うるさい。
アングは無意識のうちに、その手を荒々しく振り払っていた。
これは純粋な吐き気とは異なる。
あらゆる思考が、感情が、ごちゃ混ぜになり、冷静ではいられなくなる。何が正しいのか分からなくなる。
過去の熱。
現在の静寂。
相反する二つの衝突。
脳も、心臓も、全てが熱に侵されていくような、ドス黒い感覚。
その混沌の中、ポケットの中で微弱の振動が走った。
本来の目的――とある人物のカフが、データの収集を終えた合図だ。
その無機質な振動が救い火となる。アングは一度のタッチで振動を止め、熱を冷ますように首を横に振った。
睨みつけるような視線になりながらも、身体全体は出口へ向ける。
「……具合が悪くなりました。失礼します」
そのまま頭だけを下げ、アングは職員室を後にした。
*
取り出し口に缶が落ちる。
一つの成果を遂げた自分への、ささやかな報酬である。
「んじゃあ結局、今回も進路保留で逃げたってわけかァ?」
校舎裏。
雑草が生い茂り、自販機くらいしかないその一角は、もはや三人専用のたまり場と化していた。
地べたにヤンキー座りをし、問いかけを行ったのは悪友の一人、マックス・バリストだ。
デニムジャケットの下には、筋肉を見せつける気満々なピチピチのポロシャツ。無駄に長い後ろ髪。
常時かけたサングラスと、サロンで焼いた肌。今風というより、『古代』のチャラさを醸し出している。
アングはあえて指摘しない。そのほうが面白いからだ。
拾い上げた唐辛子味炭酸ジュースを開ける。
「本当に体調が悪くなったんだ」
釈明の言葉ごと、先の熱を一口で洗い流した。
「いちいちカッコつけるからねェ~、アンちゃんは。ま、いっか。その特性、オレっちに分けて欲しいくらいだぜ」
「んで? オイラからの依頼は?」
マックスの隣。
壁に寄りかかり、携帯ゲーム機に熱中していたもう一人の悪友……タロウ・サキヤマが口を開いた。
こちらは小柄な体型で、マッシュルームカットと黒フレーム眼鏡、そして首から下げた一眼レフカメラがトレードマークだ。
アングは無言でタロウに近づいていき、リンカー・フォンを渡す。
職員室で密かに起動していたカフ。タロウの私物であり、改造品でもある。
「あんがと~。どれどれ~……?」
タロウはゲーム機をリュックにしまい、受け取ったカフを自分の耳に付ける。
空中にホログラムを展開した。
表示されたのは二枚の画像だ。テスト用タブレットへの投影を想定したサイズ感、レイアウト。
等間隔に並ぶ設問と、作成者にしか見えないはずの赤字……。
大方を確認した後、タロウはニヒヒと笑った。
「さっすがアングー。今回もお手柄だね~」
アングは喉を潤しながら小さく移動し、タロウの隣で同じように背中を壁に預け、腕を組んだ。
マックスがサングラスをずらし、ホログラムを覗き込む。
「分けてくれるんだよな?」
タロウは意地悪く笑み、ホログラムの上辺に掌を当てる。
はたき落とすようにスワイプすると、宙に浮いていた画面は一瞬で収束した。
「君はここにいただけだよねマックスく~ん。無償で明け渡せって?」
「頼むぜ~。今回の範囲、マジで何もしてねーんだよォー……!」
アングが職員室で収集していたものとは、次回のテストの答案データだ。
定期的にタロウから頼まれては実行している『依頼』だが、今回は進路相談という名目であった分、いつもより工夫の必要がなかった。
一旦アングは目を閉じる。
「こっちはいつバレるかヒヤヒヤものなんだぞ」
肝心のことを無かったことにされそうで、思い出させるための発言だった。
タロウは一瞬気の抜けた表情をしていたが、すぐに口角を上げ、大きく頷く。
「あー、ハイハイ。報酬ねぇ。まあ入学試験でもないんだし、この程度で犯罪扱いされないでしょ」
タロウが再びホログラムを表示し、操作する。
アングのカフが短く震えた。ウォレット画面を確認する。
残高に、十ドル分の加算。
増えた残高をマジマジと見つめながら、アングは口を開く。
「タロウ」
「ん?」
「こうまでして、テストで良い点取りたいのか?」
タロウが首を横に振りながら身を乗り出す。
「分かってないな~アングは。良い点とるのなんておまけ。オイラ達は、教師が作ったくせに生徒には見せない、意地汚く隠されたものを暴くという偉業を成し遂げているんだ! これってすごいジャーナリズムだろう!?」
熱弁を振るう彼とは対照的に、マックスが鼻をほじっている。
「何言ってんだコイツ」
「てかさぁ、どうせバーンズ先生も行くんでしょ? 明日の警察主催の発表会」
タロウが空を見上げ、だるそうに目を閉じる。
「出くわしたら気まずいなぁー。まあ流石に学校の話とかはしてこないか」
「かと言ってジョイの晴れ舞台なんだし、行かない選択肢は無ぇ」
「行かないとは言ってないだろー?」
そう。明日は大親友が、一足先に大人の階段を上る日である。
自分は何をやっているんだという虚しさもある。かつて誓い合った者の片割れは、今ここで小泥棒まがいのことをしているというのに……。
――パンッ!
学校の敷地外で、甲高い破裂音が鳴った。
三人は一斉にそちらを向く。普段は強気なマックスも僅かに固まる。
「おぉ……。何の音だ?」
「……銃声」
アングは迷わず言った。
つい最近も自分の部屋で聞いた音だ。なぜ馴染み深い存在になっているのか。
二人とは打って代わり、タロウの目は輝く。
「スクープ……!!」
首から下げていた一眼レフを両手で握り、口元を緩ませ、高揚の涎を流していた。
それを見たマックスが呆れ笑いを浮かべる。
「女好きのオレっちはだいぶ健全なほうだな」
彼はアングの方を見ると、サングラスの位置を正し、レンズを光らせた。
「アンちゃんはどうする? 久しぶりに正義のための活動するかァ?」
……また耳の奥で不協和音が木霊する。
まるでマックスの提案をかき消すようなタイミング。偶然にしては回数が多い。
普段の日常であれば付き合っていたかもしれない。
今日は一向に気乗りしなかった。
「……相手が『強化イレギュラー』だったらどうする」
そう言い残し、アングは背を向け、校舎入口のある方へと歩き出す。
向かう先は、学校で一人になりたい時に使う、いつもの場所だ。
背後から、二人の会話がかすかに聞こえてくる。
「すっかり落ちぶれちゃってまぁ」
「そう考えたら、オレらの出会いって奇跡に近かったんだな」
二人との出会い……。あの日がアングにとって、最後の『正義を持った活動』の日だったのかもしれない。
感慨にふけるというよりは虚しさが加速しただけだ。早く気を紛らわせようと歩みが加速する。
遠くで、再び音が弾けた。
先程のような銃声だけではない。重く、激しい、地を揺らすほどの爆音も重なる。
もはや平和とは言い難い騒音。
それをアングは、思考を遮断するためのBGM代わりに利用した。




