Phase2-7:人殺し
Phase2-7:人殺し
ユージーンは、カフのホログラムを眼前に展開し、吟味していた。
チャットアプリ内に備え付けられたスタンプ機能。そのラインナップから、どういったものがあるのかを上から下まで確認しているのだ。
それもこれも、心配でメッセージを送ってきた友人たちを、安心させるためらしい。
だが、肉体を奪われたアングは不服であった。
スタンプなど、彼らとの交友で使ったことがない。幼稚でカッコ悪いという理由で遠ざけていたものを、いきなり今になって使うなど、より恥ずかしいことこの上ない。
しかも彼が眺めているのは、ベロを出してゲラゲラ笑う口や、毛を全て剃られたデフォルメ調の鳥、ケチャップを貪り吸う生首など。
下品で悪趣味なものばかりだ。こんなものを買った覚えはない。
いつの間にかこの男によって購入されていた。
そもそもここはバスの車内だ。後ろの席から覗き見られるのではと思うと余計に落ち着かなくなる。
アングの思考など、行動の基準に含まれていない。
ユージーンは決めた。スタンプを四連続でタップし、タロウ、マックスとのグループチャットに貼り付ける。
先の三種と、最後は、親指を下に向ける絵だった。
結局アングは、ユージーンから身体を取り戻すことはできず、家を出てから約十五分歩いた。そのタイミングで足を止め、バスに乗車。
まだ行き先は伝えられていないが、先ほど目にしたイレギュラー事案との関係は間違いなくある。
『おい、目的を教えたらどうだ!』
アングの呼びかけは無視された。彼は別のチャット欄に移動。
映った名を見て、アングは思わず息を引いた。
メーナ……。なぜだかアングに付きまとう、若手大物俳優。
アプリを介してのやり取りは一度もない。定期的に送られてくる彼女のメッセージにも、見て見ぬふりを貫いてきた。
後々面倒になりそうだという警戒心と、聖域に足を踏み入れるような自制心。両方が道を塞いでいた。
だというのにこんな奴に見られた。屈辱と言わずして何と言う。
ユージーンがまた指を動かす。
同じようにスタンプの一覧をスクロールし、ある絵柄を見つけた。
「ん~? ふっふー……」
アングが認識するよりも先に、ユージーンはそのスタンプを高速連打。同じ絵柄が三つも並ぶ。
考えうる中で最悪の選出だ。
添えられた一文も含めて、今すぐ取り消しボタンを押したいが、主導権はユージーンにある。
彼はケラケラと笑った。
『このクソ野郎……!!』
どうにかしてやりたいという感情が沸騰する。
その最中のことだ。
急ブレーキというほどではない。しかし踏みごたえを感じる減速が車内に重力を与えた。
バスが、何もないところで停車したのだ。
天井部のスピーカーから、運転手ロボットのアナウンスが流れる。
『えー現在、ここから北の二箇所にて、強化イレギュラーによる自爆があったとのことです』
歩いている途中で、遠くから聞こえた轟音。やはりあれはそういうことだった。
『なので、セーフティプロトコルが作動しました。交通管制システムがGOと言うまで、目的地へは進めません』
スタジアムでの騒動も相極まり、この時間帯でも乗客は多い。ざわめき声で満たされる。
ちょうど後ろの席に座っていた男二人組が、半笑いで話し始める。
「イレギュラーの野蛮さ極まれりだな」
「やめとけよ。ここにそのイレギュラーがいたら?」
「俺たちの首吊るされちゃうかもなー!」
その言葉が、アングの意識に重くのしかかる。
もうこの世界の人間ではなくなった。イレギュラー。潜在的処刑対象。
車内の自分たち以外が黒雲となり、圧迫してきているように思える。
主導権を握っていれば、今すぐにでもフードを被っていた。誰かに悟られれば全てが終わる。
これも、イレギュラーだからこそ認知できる未知の感情。
それをユージーンは、明確に嘲笑い、囁いた。
「そんなに不審がられたいなら、今すぐ身体を返してやる」
『喋るな……!!』
ユージーンは窓枠に肘を付け、街灯や、ビルのフレームを走る蛍光色を横目にする。
「にしても、明確な場所も分からないまま来ちゃったけど、絶対にここじゃないんだよな目的地は」
すると、運転席側と中央のドアが、ブザーと共に開いた。降りたい人はどうぞの合図だ。
待ってましたと言わんばかりにユージーンが立ち上がる。ポケットに手を突っ込み、あえて我が物顔で前の出口へ。
センサーがカフを感知し、自動で料金を支払ってくれる手筈……。
まだ歩道へ足を踏み出す前。
いきなり、運転手のロボットに手首を掴まれた。
ユージーンも目を見開く。わざわざロボットが、利用者の動きを妨害しに入った。
不審な動きを感知されたのか。このまま警察に突き出されるのか……。
だが最悪の事態は、軽快な、硬貨が擦れる電子音にかき消された。
連動して、ロボットの側頭部にあるランプが青く点滅する。
『詫び割引の適用をいま実行しました。二十パーセントオフです』
警告ではない。
それどころか、単なるお得情報。
ユージーンはホッとするどころか、噴き出してしまう。
「おいおい、アメリカ地域の首都は気前がいいなあ!」
ステップのノリでバスから飛び降りる。
そこからは徒歩で、車輪のない四角形のもとを離れた。
事情が事情だけに、全てが怪しく見えてしまう。乗り切れたことにアングは安堵の気持ちを抱く。
しかし、高速の移動手段は失った。ユージーンはおもむろにフードを被り、周囲を見回す。
「さて……」
不敵な笑みを浮かべながら見ている対象は、全てが人影だ。
徒歩で歩いている者に対してはすぐに興味を失くし、照準から外れる。
すると前方から、足踏みの激しいロードバイクが近づいてきた。
男性が背負っている四角のハードケースから、料理や雑貨などを運ぶ配達員だと判断できる。
付きすぎていない程度に筋肉はあり、そのうえ誰からもモテそうな顔立ちの良さ。まさに、『現代配達員』の典型である。
それを目撃したユージーンは、ニッと白い歯を見せた。
飛び出すようにして彼の進路へ踏み入れる。そして手を挙げる。
「ヘイ、ユー!! どこで働いてるんだい?」
唐突な質問。しかしその気さくさゆえか、配達員の男性は止まり、親指を立てて答えた。
「天文台前のスーパーイーツさ!」
「どけぇ!!」
右拳による横払いが、彼の右肩を抉った。
配達員は、情けない声を上げながら自転車ごと転倒。
そしてユージーンはというと、あろうことか、倒れた自転車を起き上がらせ、サドルに腰を下ろした。
あとはペダルを踏むだけである。
何か後ろから声が届くが、もう聞こえない。
理解しがたい暴力。さらには強奪である。
アングが血眼で警鐘を鳴らす。
『戻れ!! 窃盗は処刑案件だぞ!!』
「だから後で返そうと思って職場を聞いたんだろ!!」
アング自身、泥棒を正義の名のもとに殺したことがある。
だから分かる。冗談では済まされない。
この正気ではない感性が、日常を着々と壊していくのだ。
*
今日の撮影の最終ターンを迎えようというところだったが、メーナを含む全キャスト、全スタッフが、監督の声に耳を傾けていた。
「なんでも、ここ数時間での強化イレギュラー頻発が、このエリアでも起きるのではないかという見立てだ。実際既に二度も自爆し、被害を出している!」
特に二回目の自爆の振動は、この廃墟を模した殺風景の撮影スタジオ内にも伝わってきていた。黙っていた一同が小言を言い始める。
監督は、もみあげの辺りを掻きながら続けた。
「というわけで~、この北西スタジオは、今日から三日間使えない! 実に面倒だ! 解散!」
命じられはしたものの、あまりに急。まだ全員が事態をうまく呑み込めず、脚が止まっていた。
事前通告もない。突如決まったことだ。
当然、自身の都合から不満を漏らす者も出てくる。オレンジ色の髪の青年が手を挙げる。
「あのー、別作品の撮影があるので、明後日までに学校のシーンを終わらせないと……」
彼はサムといい、現在撮影している映画だと、キャスト一覧の上から四番目に位置する。
最近は知名度を上げており、他の映画では準主役級の登場人物の座を掴み取っている。メーナと同年代にして期待の新人。
サムの要望に、監督は空中でタイピングするようなジェスチャーをしてみせる。
「そんなの、代役置いて、AI編集でちょちょいとね!」
「僕にとって初めての、全編リアル・アクト作品になる予定だったんです! そのシーンだけ後ろに回せませんか?」
監督はサングラスを光らせ、手をひらひらと振った。
「あー、ムリムリ。実績を稼ぎたい気持ちは分かるけどねぇ、人と合わせるってことも覚えないといけないよっ」
エンターテインメント業界はまだロボットに支配されていないが、その波は確実に迫っている。
クリエイティブの精神が尊重されるとはいえ、何より作品を量産することが優先されるため、キャストの都合が合わなければ、スケジュール合わせよりもAIでの補填を優先する。
それでも、事前に契約で勝ち取った給料は支払われる。多くのキャストは妥協する。むしろ喜ぶ者のほうが多い。
ただメーナのように、ほぼ乱数で生成された仮初を嫌う者もいた。
サムのことも、これまでは只の凡才だと思っていたが、少し興味を示した。顎に人差し指を添え、口を開く。
「二日後でしたら、代用が効く撮影場所を用意できると思います。手間はかかりますが、そこで撮影するのはどうでしょうか」
監督は、完全にお休みモードだったのか、メーナを二度見した。
「う、うーん、しかし……強化イレギュラーの被害が拡大した場合は、ワシントン全土で中止になる」
「ですから、あくまで予定ということで」
彼は他のスタッフを見回しつつ、重く頷いた。
「まぁ……分かった。この件はメーナちゃん主導だからね? あとで連絡よろしく」
ようやく他の者たちの足取りが軽くなった。みな一様に去っていく。
去り際のサムがこちらを向いた。申し訳なさそうな笑みと共に、軽く頭を下げる。
メーナも対応のために会釈する。
この返しだけで終わるつもりだったが、彼の表情がふらりとニヤケ面に変わった。
掌に自らの唇を付着させると、溜めに溜め、こちらへ向けて解き放つ。いわゆる投げキッスだ。
少し助け舟を出してやっただけで舞い上がる。凡人にありがちなふざけた思考である。
メーナの興味は沈静化した。わざと彼とは真逆の方向に身体を向ける。
背後で、どこか萎縮した足音が離れていくのが聞こえた。
すぐに空間は一人になった。放置された照明が、死体役を寝かせる予定だった床を照らし続けている。
この世界の人々は、仕事と生活を即座に切り離すことができる。ゆえに、スタッフがセットの後始末を放棄することも多々ある。
自分にはそれが出来ない。何か自分の演技に取り込めないと探してしまう。
そもそもこの作品に携わることを決めた要因の一つが、隙間時間でマイライズ・ハイスクールに通えるという利点があったからだ。
ワシントンでの撮影が敢行されるというのが最大のポイント。事前に用意された車に乗りさえすれば、現場と学校をそう長くない時間で往復もできる。
シナリオ自体は俗っぽいと感じていたが、かといって演技の幅を抑制されることもない。いい職場だ。
ただ……。
所詮はテンプレートをなぞっているだけ。それは変わらない。
メーナからしてみれば、魂を揺さぶるものとは程遠い。
この空虚さを紛らわせるように、脳内で通知音が鳴った。
カフを起動し、網膜にホログラムを投影。送信者が誰なのか確認する。
胸が静かに疼いた。
……アング・リー。
チャットアプリの通知には、確かにその名が記されている。
アングがフェニックス・フィールドへ向かったことは知っていた。ゆえに、強化イレギュラーの出現という混乱に巻き込まれたことも予想はしていた。
もともとこの連絡先は、無理を言って強引に交換したものだ。これまで一方的にメッセージを送っていたが、いつもスルーされていた。
――初めて、彼から返信が来た。
安堵と喜びを同時に感じながら、メーナはアプリを開いた。
『死んでないよー!』
……気の抜けた言葉。
そこから下へ続くのは、デフォルメされたキャラがガラスに口づけをし、赤いキスマークを付ける、というスタンプの三連投。
思わず固まる。
そしてすぐに理解し、アプリを閉じた。
これはあくまで、自分の活動以外に関することだ。
あの人に調べてもらうか……。
そう考えながら、照明の電気を消しに行こうとする。
コン、コン。
セットの壁から、ノックのような音が鳴った。
足を止める。その方向を向くが、誰かが見えているわけではない。
しかし今の音は、自然発生のものにしては綺麗すぎた。
「関係者以外立ち入り禁止だというのはご存知?」
壁の奥にいる『何者か』へ声をかける。
「申し訳ないけど、正々堂々としないパパラッチは嫌いなの」
*
一瞬、カザミは焦りかけた。
ピックで開けた穴から様子を覗いていたが、侵入者の存在に、メーナ・シンフォニーは、戸惑う気配すら見せなかったからだ。
小さな穴であるため、向こうからこちらを視認することはできない。仮に見えたとしても、カザミは狐面を被っているため、白地が映る程度だろう。
余裕を持ってカザミは声をかける。
「スキャンダルを狙ってるわけじゃない」
「ではお帰りください」
「あなたが大切に想ってる人の身の安全を保障するための脅迫ではある」
そう言われたメーナは、下唇をムッと上げた。
すぐに視線を逸らし、スタジオの待機エリアへ移動。置いてある縦長の鏡の前で、不自然にも髪を直し始めた。
もはや、聞く耳持たずといった様相だ。
「アング・リー」
なので、その名を出した。
メーナの指先が止まる。
鏡に映る彼女の硬さが、心境をそのまま体現している。
「図星……ってところ?」
あえて挑発混じりに言ってみる。
二秒ほどの沈黙。
メーナは上げていた手を下ろし、そのまま両手を背中へ回した。優雅に顔を向ける。
その微笑みには、どこか挑発の色が滲んでいるように見えた。
「スタジアムでの一件以降、連絡が取れないの。もしかしてあなたが?」
「無事だし、あたしが拘束してるとかじゃないから。ただ、これからはどうするか分からない」
メーナは身体もこちらへ向ける。
「アング君が無事だっていう証拠は?」
「ねぇ、シンプルな質問に答えてくれるだけでいいの」
彼女は首を傾げてきた。
この様子だとあまり期待できないが、せめてもの試しにと聞いてみる。
「ジュニアハイスクール時代のアング・リーがやったことについて、彼自身はなんて言ってるか」
「演劇のこと? 質問したことはあるけど、あまり好き好んで話してくれないの」
「その時の反応だけでいい」
メーナは無機質な天井を見上げ、「うーん……」とわざとらしく唸る。
その動作を解除した後、また微笑を浮かべた。
「忘れちゃった」
「聞いてた? あたしはその気になれば――」
「好いている人の秘密を安々と話すと思う?」
前方の空気が、重たく濁るような錯覚を覚えた。
壁越しだろうと関係がない。俳優という立場でありながら放った言葉からか。
だがそれだけでは、単なる詭弁と捉えられかねない。
彼女の言葉の節々から見え隠れする、何か片鱗がそうさせているのだ。
「私のバックについても詳しいのかしら? あまり使いたくはないのだけど、最悪の場合……」
もはや最後の脅しが可愛く思えた。
カザミは、大スターが話している最中にもかかわらず、逃げるようにして非常口のドアから退避した。




