Phase2-4:人殺し
地上に降り立った時にはもう、このマンションがどういった状態かを把握できていた。
人の気配は、カザミがいたあの一室だけ。壁の白ペンキは途中で塗装が放棄され、コンクリートの素肌を剥き出しとしていた。
一階フロアには、建設業者が剥がし忘れたのだろう。砂埃で汚れた建設説明の紙が貼られたままだった。
外に出たアングは、足を止めて見上げる。
カザミが居を構えていた四階部分。既に辺りは暗く、見える灯りはあの一室だけ。
それもカーテンによる遮蔽か、灯り自体が控えめなのかで、かすかにしか見えない。
ここは本来、再開発によって、世界各国の富豪たちが集う高級住宅街になる予定だった。
かつてのワシントンは景観を重んじ、建物に高さ制限を設けていた。それが取り払われ、繁華街には高層ビルが乱立するようになった。
だが、古い主義を守ろうとしたイレギュラーによる破壊工作が起き、このエリアでの開発は中止となった。
今は開けた土壌に、ポツンと高いマンションが一つあるだけだ。
寂れた空間を一人で歩く。どちらが西か分からない。
カフを起動すると、ホログラムの端に様々な人物からの着信、チャット履歴が表示された。
いちいち相手にする気力もない。
マップアプリを起動し、最短距離での帰宅を目指す。
一時間半もの時間を歩いた。日は完全に沈み、ようやく、見慣れたレンガ造りの歩道に辿り着いた。
疲労はそこまで感じなかった。大前提があまりにも大きすぎたのだ。
移動の間に待ち受ける、通り過ぎる人々、車のライト、どこかからか聞こえる談笑。
全てが違った含みを持ち、アングを監視しているように思えた。
古い家電ショップのディスプレイに並ぶテレビが、ニュース番組を映し出している。
足を止める。どの局も、フェニックス・フィールドの話題で持ち切り。
しかしアングは、すぐに妙な点に気がついた。
場内での戦闘映像が流れている。発砲する強化イレギュラーと、オブジェを闇雲に斬り刻む青いアーマードの姿。
自分はいない。
爆散する強化イレギュラーは映っていたが、警察の果敢な応戦により、初めてまともに強化イレギュラーを撃退した。
そういった筋書きにすり替えられている。
果てしない闇を感じた。
青いアーマードに関しては、どんな人物かは不明だが、装着者を取り押さえたと報じている。
目撃者が多すぎたために隠しきれなかったのだとしたら、突如現れた赤いアーマードに関しても、警察が黙っていないのでは。
寒気がした。
早くシャワーで温まりたい。アングは視線を切り、家への歩みを再開する。
ふと左腕に、異物感を覚えた。
ようやく気づく。自分の左腕に、包帯が巻かれている。
中を捲って覗いてみると、いつからだろうか。
爪で引っ搔かれたかのような、三本の裂傷を負っていた。
既に血は乾き、白地に赤がこびり付いている。
誰が巻いてくれたのか、という疑問で、去り際のロボットの言葉を思い出した。
いったい何を言っているのかと思ったが、遅れて理解できた。
あの場所から運んでくれたのも、手当をしてくれたのもきっと彼女だ。
その細い布を元の位置に戻すついでに、そっと指で撫でる。
礼の一つでも言うべきだった。
もう遅すぎた。
歯ぎしりをする。
この情けなさをどこにぶつければいい。
一向に現れない、だんまりを決め込んでいる『ヤツ』だ。
「ユージーン、出てこい……!」
袋の中の物体に向かって吐き捨てた。
動くわけがない。
情けないのはお前も同じだ。
心の中で中傷せずにはいられなかった。
*
その後、何事もなく家まで辿り着いた。
扉越しに、賑やかな声が漏れ聞こえてくる。特にジョイの声は分かりやすい。ハツラツとした色がある。
無事生還できたのは良いことだ。
必死に脳へ叩き込む。
扉に近づくと、カフの電子キーが反応した。自動で解錠音が鳴る。
取っ手を押し、暖かみのある照明を浴びる。
室内の会話がより鮮明となった。
「悪人を一瞬で粉砕! 僕が思い描いてた理想のヒーローって感じ!!」
「戦い方を教えろ」
息子の興奮とは対照的に、ダンの声はいつになく低い。
ジョイが「うーん」と唸る。
「なんか獣みたいでぇー……炎がブワーって! 警察側のシークレットゲスト?」
「いいやぁ? そんな話は一度も……」
リビングを覗くと、三人ともそこにいた。
非現実という夢から急に覚めたような感覚。
ようやくバレリーがこちらに気づく。花畑のような笑顔で両手を合わせた。
「アング君ー! 心配したのよ良かったわぁ~」
遅れて、ダンとジョイも振り向く。
「おお、意外とピンピンしてるな!」
「だから言っただろー? アングはあんなんで死ぬほどヤワじゃない!」
「捜索依頼を出してしまったぞ。後で取り消してもらう」
数千人が死んだ惨事に鉢合わせた相手にかける言葉だろうか。
あまりに軽い。違和感しかない。
だがつい数時間前までは、これが何気ない会話だった。表情筋がじわりと凍りつく。
こちらのほうが悪夢なのではと思えてしまう。
「ん……? アング、怪我してるじゃないか!」
ジョイが、左腕の包帯に気づく。
アングは反射的に、血の滲んだ部分をもう片方の手で隠した。
「い……いや、これは」
「隠すことないだろー? 生存の勲章でしょ!」
価値観がひっくり返る。
かつてなら、その言葉に釣られて賛同していたかもしれない。
今はその神経が分からない。
ジョイはもう興味を失くし、不貞腐れた表情で父親への方へ顔を向ける。
「けど知ってたんだね父さんは。アーマード・スーツが新武装だなんて」
「サプライズ発表だからなガハハ! 教えるわけがない! アレはセルジウムという新金属が素材で、伸縮性があり……」
「知らねぇよそんなの言われても!!」
また二人で会話を始めた。
今のうちに一人になりたい。アングは逃げるように階段の方へ進もうとする。
「ところで、アング君は見ていないのか?」
不意に、ダンの声に呼び止められた。
足を止める。ゆっくりと振り返る。
「え……何を」
「赤いアーマードだ」
戦慄と共に目を見開く。
脈打つ鼓動を止めることができない。先程までの親子の会話と完全に噛み合う。
「実際、同僚からもその話は届いているんだが、報道規制が敷かれているようでなぁ」
彼は上を見上げながら顎を掻いている。
その仕草すら、演技の一部に見える。
ダンは英雄と称される警察官だ。入りたての新人はともかく、彼にレッドの正体が自分だと悟られるのは致命的。
――いや、もう勘付かれているのか?
言いようのない緊張がアングの喉を締め付ける。
必死に言い訳を絞り出した。
「す……すぐに、逃げ出したので、分からないです」
「ふむ。そうかぁ……」
ダンは口元に手を当て、視線を落とした。
それ以上の追求はない。
助かった。アングは急ぎ、階段を上がる。
少しでも不審がられるわけにはいかない。赤いアーマードとしても、イレギュラーとしても……。
「アング!!」
だが今度は、息子の声だ。
駆け寄ってくる足音が階段の真下で止まる。
眉間の奥に、針のような鋭さがこもるのを感じる。
アングは振り返り、壇上から彼を見下ろす。
「何だ!!」
思わず声を張り上げていた。
ジョイはわざとらしくビクリと飛び退く。
「いや、宣誓式……ちゃんと見てくれたんだよね?」
タロウがサボったせいで記録には残っていないが、確かに見守った。それは事実だ。
アングは安堵の息を吐く。
「……ああ」
「ああって……。ちぇー。せっかく僕の晴れ姿で元気になってもらおうと思ったのに」
晴れ姿。発表。
血まみれ。
いくつもの共通点が早鐘を打つ。
身震いを食い止めるために前のめりになる。
ジョイが「んん?」と不思議そうに顔を覗き込んでくる。
この異変を隠し通せるのか。
あの少女のように慣れることができるのか。全く活路が見出だせない。
ユージーン……。
特にまとわりつくのは、彼の存在だ。どこまでも脳の線にこびり付いてくる。
ならばと逆に使おうとした。
「あぁでもさ、これを聞いたら驚くんじゃない? 父さんにはまだ言ってないんだけど、実は強化イレギュラーが出現した時に――」
「ジョイ」
彼の話題を冷徹に遮る。
そして言い放つ。
「ユージーンが死んで、良かったと思うか?」
「ええ? 何で今ユージーン――」
誤魔化すな、笑い飛ばすな。
その念を込めて彼を睨みつける。
驚いたのか、ジョイは上体をやや反らす。
彼は頬を掻き、小さな声量から始めた。
「ん……。でもさ、カッコよかったじゃん」
分かっていた答えだ。
しかしアングの脳内に重く響いた。
「どちらかというと目立たないキャラだったけどさ、ユージーンは。最期に一花咲かせた、っていうかー……」
両腕を広げ、オーバーな身振りで語る。
「一つの生き方として、人間として、心の底から尊敬してるよ!」
痛感した。
「……もういい」
全ては共通していた。それが分かった。
過去の劇も、今日のテロも、今の日常も。
ふらつく足取りで階段を上がる。
疑問の声が下から聞こえてくるが、もうどうでもいい。
すっかり陽は落ちた。闇の室内に入る。
机に袋を置く。
未知の疲労が一斉に押し寄せてきた。
両手を机につく。嫌な汗がいたる毛穴から噴き出す。
覚醒の際に覚えた感情は、衝動的なものばかりだと思っていた。
だが、そうではなかった。
混乱のままにレッドを装着し、世間からはなかったことにされた。
ユージーンに取り憑かれるがまま強化イレギュラーを殺し、ジョイはそれをカッコいいと言った。
演劇の殺人に対しても同じ評価を下した。
今の自分がどんな気持ちでいるのか。誰も知る由もない。
アングが見た地獄は、誰にも届かない。届くはずがない。
これは、そういう世界だ。
見渡す限りの孤独。イレギュラーに共感してくれる者など、この狂った世界には存在しない。
机に爪を擦り付ける。
静かな怒りというものを実感し、内側から何かが湧き上がる。
『ようやく分かってくれたんだな、被害者面だったアング・リーく~~ん!!』
潜伏していた呪いは心底上機嫌だった。
袋のカサつく音が色めき立つ。中に生き物でもいるかのようにだ。
アングは息を呑み、中を覗く。
レッド・キューブが勝手に動いている。
回転と一致の連鎖。
パズルが完成へと近づいていく。
スタジアムで見た光景が脳をよぎる。
あの獄炎を、ここで再現するつもりか。
「よ……よせ!!」
咄嗟に袋の中へ手を突っ込む。
「何する気だ!!」
回転するパネルを指で押さえ込もうとするが、勢いに競り負ける。
とにかく袋から引きずり出す。
立方体の形からはみ出る、パネルが半分飛び出した中途半端な状態で動きは止まった。
『触れたな? 触れてくれちゃったなぁ!? このバカが!!』
脳に響く声は、アングの行動を嘲笑っていた。
直後、脳が重量に襲われる。
痛みというよりは圧迫。思考が内側から両断されるような感覚。
「ぐっ……ユ……ユージー、ン……!!」
視界が遠のく。スタジアムでの現象と同じ。
――やられた。
ユージーンは、出てこなかったのではない。
この状況を狙っていたのだ。
*
バガキィィィッ!!
アングの大声が聞こえたかと思えば、何かを叩きつけたかのような騒音が鳴り響いた。
ジョイは、今日のアングについて、様子がおかしいと思いつつも好きにさせておくつもりだった。本当に色々とあった日だからだ。
だが流石におかしい。見ずにはいられなくなった。
階段を上がり、アングの部屋の前まで来た。
部屋の電気はまだ点いていない。その時点で不自然だが、昨日も似た状況ではあった。
「アングー?」
ドアの縁を掴み、中を覗いてみる。
アングは、暗闇の中で立っていた。
だが、机の前に置かれているはずの椅子は……。
窓際の壁に打ち付けられたのか。
粉微塵になっていた。
「え……。どーいうこと?」
ただただ疑問であった。意味不明な行動だ。
この声に反応したアングは、ゆっくりとこちらを向く。
廊下の明かりが彼の顔を照らす。
「あー、悪い悪い」
なかなか見慣れない。
限界まで口角を釣り上げ、白目も今までより目立っている。
そんな不自然な笑みを彼は見せていた。
「耳障りなムシを追い払ってたところだ」




