Phase2-3:人殺し
脳の不愉快な音が途切れた。
遅れて再生される耳鳴りのほうがマシに思える。それは覚醒の合図だった。
アングは唸りと共に、まぶたを半分開く。
最初に見えたのは、距離も形も判別できない、橙色のぼやけた世界。
まばたきを二度、三度。
視界の中央に『人の形』が浮かび上がる。
強く皮膚の中を絞めてから目を見開いた。
前方にいたのは、脚を組んで丸い椅子に座り、スプーンでシリアルと牛乳を口に運ぶ少女。一切の緊張もなく順調に軽食を進めている。
軽い態度と奇抜な服装から、例の泥棒少女だとすぐに理解した。
焦点が定まるにつれ、視界に入り込む情報も認識できるようになる。
小さなテレビ。キッチンとカウンター。出入り口の扉が見える短い廊下。
どこかのマンション、あるいはアパートの一室だろう。夕焼けが差し込んでいなければ、コンクリートの壁はより殺風景に見えたはずだ。
自分の身体を確認する。
拘束という手段など一切なく、ただソファに無造作に座らされているだけだ。
抵抗しても軽くねじ伏せられる、という自信を感じる。
「食べたいならお好きにどうぞ。あんまり甘くないやつだけど」
彼女は顎で机の上を指し示す。
開封済みのシリアルの袋と、丸めの皿。その中にスプーンも一本。
肝心の牛乳パックは提供されていない。
親切なのか不親切なのか分からないが、食欲など微塵もない。
「おい……」
枯れた声が出た。
聞きたいことは山ほどある。あれからどうなったのか。異常な現象の正体は。とにかく本題に入りたかった。
代わりに吐き気が押し寄せた。
「ぅぶ……!?」
錯覚ではない。溜まっていたモノがせり上がる。
脳裏に蘇る。人のはち切れた腕を、内臓を、消し炭と化した遺体を。
全ての残虐を思い出した。
ちょうど目の前に受け皿がある。
反射的に口を突っ込み、胃から出てきたモノをぶちまけた。
「うわぁ、やった……」
カザミは顔を引きつらせながら上を向く。食べていた自分の皿を後ろのカウンターに置いた。
アングは悶絶しながら、残っていたモノを吐き切る。
だが終わらない。
喉が焦げたように渇いている。胃液で潤うどころか変にこびり付き、発言を妨害する。
その部分を押さえ、必死に咳払いを繰り返す。
前方からため息が聞こえた。
しばらくして視界に入ったのは、透明な液体が入ったペットボトルだ。
顔を上げると、天井を見たままの泥棒少女がそれを差し出していた。
迷いは浮かばなかった。
アングはすがるように手を伸ばし、キャップを取って喉へ流し込む。
無味。ただの水。
だが今はそれ以外にいらない。水分が喉に吸収されていく感覚だけが大事だった。
普段ならば決してやらない、喉越しの音も立てる。
「落ち着いた? まあ、無理もないよね。いきなりあんな経験して……」
少女はもはや、アングに背を向けている状態であった。それでいて右手を軽く上げる。
「とりあえず自己紹介するね? あたしの名前はカザミ・シルヴァ。カザちゃんでもザミちゃんでも好きに呼んだらいいよ」
そのまま振り返りもせず、アングから見て右側の空間を指差す。
「そんで、そこにいるのがあたしの相棒」
指差された方向を見ようと、アングは首を動かす。
一瞬仰け反る羽目になった。
眼前ミリ単位。今どきのロボットには珍しい、人の頭ほどもある単眼レンズが迫っていたからだ。
『ハジメマシテ。ワタシの名前はパッチ』
前のめりで覗き込んでいたロボットは、体勢を直立に戻すと、胸に手を当てて一礼した。
レンズのスクリーンに、黄色い線で、括弧などの記号で作られた笑顔の顔文字が表示される。なんとも時代遅れな文化だ。
『ハッキングも破壊工作モ取リ扱ウお手伝いロボットです。以後、お見知リ置キヲ』
人間型ではあるが、昨今の白に曲面といったデザインではなく、角ばったフォルム。錆びた銀と白の配色。
所々で中の部品が剥き出しにもなっており、如何にも倉庫の奥で眠っていた旧式。そう形容できる。
パッチは腰を下ろすと、シリアルの入れ物ではなくなった皿を回収。キッチンへと向かった。
そのタイミングで、天井を見続けていたカザミの視線が元に戻った。
何を避けていたのかは明白である。
「なんでも言うこと聞くイエスマンってわけじゃないから注意してね~。あとこれ」
いきなり何かを投げてきた。放物線状を描いて飛来する。
その物体を、アングは慌てて両手で受け止める。
僅かに手首が曲げられる質量。傷つくほどではないが角ばった形状。
確認するまでもない。再びまばらな配列に戻った、赤いキューブだ。危うく身体のどこかに直撃していた。
腹を蹴られたことも思い出し、極めて乱暴な女だと再認識する。
「いらなくなったらちゃんと持ち主に返してあげる主義なの。あたしは正義の泥棒だからねー」
その飄々とした態度に何か言い返そうと身を乗り出す。
別の念によって押し返される。
直接触れたせいか。アングの脳内に、あの邪念が再び這い上がってきた。
死体同士を繋ぐ炎。
悲鳴。
誰かも分からない苦悶の顔たち。
キューブをガラスのテーブルへ叩きつける。
手から離れたためか、脳への侵食は一度途切れた気がした。
だが、周りの者たちからの視線は強まる。
テーブルにヒビは入っていない。
謝る気もない。
「ふざけるな……」
元はといえば、家への不法侵入を実行したのは彼女だ。
「正義の泥棒だと? だったら持ってけよッ! お前が使えばいいだろ!!」
アングは置いたキューブを掌で押し、カザミの方へ滑らせた。
「ああ、そうか。俺がスタジアムで大暴れしたせいで、これを持ってたら狙われるって、そう思ったんだろ!!」
ガラスに自分の顔が映る。
知らない人間に見えた。
眉間も、目元もシワが寄り、歯茎は剥き出しの状態。
まるで自分を睨みつけているかのような錯覚に陥る。
言葉を止めるわけにはいかなかった。
「俺こそ巻き込まれるのはごめんだ。欲しかったんなら勝手に使え!!」
「じゃあどうやったの?」
熱を冷ますような、極めて冷静な指摘だった。
アングの瞳が細まる。
「君が気絶してた時の状況を教えてあげる。あたしはキューブを起動させようとしたけどできなかった。そしたらこのパズルが勝手に動き出して、バラバラだった色を揃えて起動した。あたしじゃなくて、君に装甲が付いた」
記憶はない。
しかし言われて、そうだったかもと言える不思議な納得感がある。
カザミは二歩近づき、その場にペタリと座り込む。
テーブルに両腕を載せ、上目遣いで覗き込み、言い聞かせるような体勢となった。
「少しでも手がかりを見つけないと、また二の舞になるだけだと思うけどなー?」
原因。
なぜ、赤いアーマードを装着する羽目になったのか。
見当は、あった。
だが口にするのはやめた。
再現することは可能だが、彼女にやらせるわけにはいかないと思ったからだ。
「し……知らない」
この話題には、急ぎ蓋をするべきだ。
「ふーん」
カザミは、見透かしたように顎を上げた。
「まあ、人には誰しも言いたくないことの一つや二つあるよねぇ」
彼女は目を細め、視線を逸らす。
「そもそも、君の証言が正しいのかどうか判別のつけようがないけど。本当の持ち主はもう死んでるんだから」
それは、彼女が泥棒として現れた時から気がかりだったことだ。
「本当の持ち主……?」
「あ」
しまった、という顔をする。
アングの横に戻ってきていた機械も、呆れたように首を横に振っていた。
あくまで、盗む、という名目で彼女は現れた。
このキューブは母の形見だ。彼女はこの物体を知っている。
ということは。
「お前、俺の母親について何か知って――」
「名前だけなら!」
あまりにも食い気味に言った。
「その人が何をしようとしてたのか、何でこんな物を持ってたのかまでは知らない!」
「そんな言い訳が通じるわけ……!」
「じゃあ逆に聞くけど!」
勢いで押し通そうとしている。
カザミは身を乗り出してきた。一気に顔が近くなる。
「君のお母さん、何か怪しい動きとかしてなかった?」
愚問だと思った。
彼女は正義を体現するような人だった。誰にでも親しく接し、曲がったことには口を出す。
アングの自警団活動にも寛容で…………。
――静まり返った光景を思い出す。
夜。
自分以外に誰もいない。
ある年からそんな日が増えた。家政婦と過ごす時間のほうが多かった。
深夜に帰ってきたことがあった。
たまたまトイレで起きた自分と鉢合わせた。
目元から何かが垂れていた。
そのまま抱きしめられた。
声も身体も、震えていた。
――話したくない。
自然とそう思った。アングは情報を絞り、一部分だけを与える。
「ず、ずっと、ボランティアを……」
「うわぁ、そんな露骨だったんだ……」
イヤそうな声とは裏腹に、カザミは感心したように口を半開きにしている。
「良いことしてますよアピールは、秘密を抱えてる人の常套文句だからね」
「悪人だとでも言いたいのか!?」
「そうは言ってないでしょ」
カザミは立ち上がり、澄ました顔で見下ろしてくる。
「まあ落ち着いて。そろそろお腹が空いてきた頃合いじゃない?」
テーブルに置かれていたシリアルの袋を掴むと、彼女はキッチンへと向かった。棚から先ほどと同じ形状の皿を取り出し、ザラザラと中へ注ぐ。
まだおどけた態度を見せる彼女とは対照的に、横にいる機械は厳格なことを言い出す。
『アング・リーさん。カザミ様ヲ責メルのは筋違イ。そう判断スルことはデキナイノデスカ?』
聞く気にもならない。
感情の変動から、鼻の奥が歪む。逃げるように視線を逸らし、室内を見渡す。
天井まで届く飾り棚は置かれているが、紙や袋が積まれていたりと無造作だ。
その流れで、ふと、窓枠付近に伏せられた物体が目に入った。
写真立てだ。倒れ、表が下になっている。
こんな状態で放置することに何の意味があるのか。気になったアングは、遠慮なくその写真立てを起こした。
「……っ」
家族写真だ。
カザミと同じ、薄茶色の髪色を持つ四人家族。
両親と、カザミと思わしきショートヘアの少女と、もう一人。
カザミより幼く見える、ロングヘアの女の子。
何年か前に撮影されたものだろう。カザミも今より幼く見える。
四人とも身体を寄せ合い、はち切れんばかりの笑顔を浮かべている。
今の冷めた彼女からは想像もできない表情だった。
そして気づく。
この室内に、カザミ以外の三人はいない。他の部屋から物音もしない。
アングと同年代であることを考えれば、寮生活でもないのなら、家族と暮らしているのが普通。
『あっ、ソレは……』
熱弁を振るっていたパッチが、ようやく写真の存在に気づいた。
直後だ。
パタンッ!!
無理やり手を引かれ、写真立てが勢いよく叩きつけられた。
カザミによってだ。
夕日の逆光で、彼女の目元は黒く塗りつぶされて見える。
唇は、強く噛み締められていた。
写真立てをこちらに見えないように抱え直し、パッチのいる方へ突き出す。
「隣の部屋に置いといて」
『タダデサエ物の山状態ナノニ……』
有無を言わさず、彼の胸元へ押し付けられた。
命令を受けたロボットは、ぎこちなく頷き、隣の部屋へと消えた。
張り詰めた空気が漂う。
見られたくなかった物だ。それを見てしまった。
謝るべきか。自分から切り出せばいいのか。それすら分からずしどろもどろになってしまう。
「その……」
「そろそろ門限の時間かー」
「は?」
ハッキリと言葉を紡いだのはカザミのほうだった。彼女は窓の向こうを眺めている。
確かに陽が落ちる時間帯ではある。夕焼けに黒が溶け込んでいるように見えた。
彼女はキューブを手に取ると、それをビニール袋に入れ、アングに渡す。
「家までの道わかる? 送ってあげよっか?」
親切心というよりは突き放しているように聞こえた。
アングは、袋の中にある赤い立方体を見下ろす。
強力な兵器にして、かつての友が宿っているかもしれない謎の物体……。正直、こんな物をいつまでも持ち歩きたくはない。
ただ、全てを知っているであろうユージーンとは、話をつける必要があった。
今はどこにも見えない。聞こえない。胎動の気配すらない。
現れる条件も確定していない今、最後に聞けるのは、彼から与えられた反復情報だけだ。
「……『負の感情』と、『罪の意識』が存在しない世界」
「えっ……」
そのワードを出しただけで、カザミは目を丸くした。
彼の言葉が嘘ではない。その証明となった。
アングは続ける。
「本当にそうなんだな?」
「そんな具体名、誰から……」
彼女の言いかけを、アングが荒く覆い尽くす。
「冗談じゃないぞ……。世界的人類規模で、みんなおかしくなったとでも言いたいのか!?」
「その原因が分からないからあたし達は困ってるの!」
カザミは、少し乱れた自分の髪を直す。
「ともかく、今の君はその二つを取り戻した。だからイレギュラーになった。逆に言うと、本当の人間として目覚めたってわけ」
「本当の人間……だと……ッ!?」
腸が煮えくり返る。頭の血管が熱くなる。
ユージーンが定めた、『怒り』という感情に呑み込まれそうになる。
そして彼女が言う人間の定義は、今までの人生を全て否定されたも同義だ。
脳で考えるより早く動く。立ち上がり、カザミに詰め寄る。
「あいつは自分から殺してくれって頼んだんだ。だから殺してやった!」
「ちょっと、冷静に……」
「正しいことをしてやったんだ!! それを今更おかしかっただと!? ふざけるなよ!!」
理解してほしかった。否定されたくなかった。
その一心で、彼女の手首を力任せに掴んだ。
「だったらあいつも同罪だ!! どっちが本当か嘘かなんて関係ない!! 俺を人殺しに仕立て上げたッ!!」
冷たい触感が首筋に押し当てられた。
横目で見る。パッチの肩から伸びた銃口が、ゼロ距離で突きつけられている。
確かに普通のロボットとは違うらしい。人間様に銃を向けた。
こうでもされなければ正気は取り戻せなかった。
無抵抗の少女を掴み、強引に詰め寄っていたのだ。
自己嫌悪。自身の行動が信じられない。
ゆえに離れるのも乱暴だった。振り払うように彼女への拘束を解いてしまった。
彼女なら、持ち前の俊敏さで簡単に回避できたはずだ。
だが呆気に取られたように口を開いていた。
一連の行動も、未知の感情のせいだというのか。
だとしたら、とんだ化け物になってしまった。
人と接するべきではない。この場から去りたい。
アングは早足で、出入り口の扉へ向かう。
『カザミ様に救ワレタノデショウ? 感謝ノ言葉は?』
機械の声が呼び止めてくる。
うるさい。
差し込む夕日が届かない影まで進む。
『ソノ腕もカザミ様ガ――』
あまりにも耳障りだ。
限界だった。
扉を開けかけていたが、睨むために振り返る。
「誰が助けてくれって頼んだ? お前らが勝手にやったことだ!!」
スタジアムで、アングは死んだほうが楽だと思った。
その読みに間違いはなかった。
もう構ってほしくない。目から何かが溢れかねない。見せたくない。
噛み締めた歯が震える。
「人の気も……知らないで……!!」
「分かるよ」
極めて対照的な、凛とした声が衝動を断ち切る。
正面に立つカザミは、まっすぐこちらを見据えている。
逆光の暗がりの中、緑の瞳だけが輝いて見えた。
「昔のあたしとおんなじなんだから」




