Phase2-1:人殺し
ドキドキが止まらない。
今まで味わってきた緊張とは明らかに質が違う。心臓の鼓動が喉元までせり上がり、内側を叩く。圧迫感。
ユージーンは大道具に手をつき、胸をさすっていた。
無理もない。今日でこの命とはおさらばなのだから。
劇の一番盛り上がるクライマックス。そこで本当に鉛玉を食らい、絶命する。
この案を聞いた時、ユージーンは言葉を失うほどに驚いた。
未だかつてない大名案。ハリウッドですら、今後の利益を考えれば躊躇する大演出。
それを、まだ学生でしかない自分たちでやってしまおうというのだ。
なんという背徳的行為。圧倒的高揚感。
問題は、その『やられ役』を誰が担うのかということだったが――。
「やっぱりやめるか?」
ふぅ、と息をついたタイミングで、背後から声をかけられた。
演出の発案者にして、劇の最後で自分を射殺する友人。アングだ。
その軽い提案に、ユージーンは拳を腰に当てて振り返る。
「もう最後の打ち合わせは済ませちゃったろ。それともなに? クライマックスでいきなりボクが、『うわー、やめてくれー! 殺さないでー!』って命乞いするってわけ? 全員口あんぐりだろ!」
「ん……? いや、待て」
アングが人差し指を立て、真顔で二、三秒考え込む。
「案外アリかも?」
「冗談きついって! やーめーろー!」
ユージーンは笑いながら、アングの胸を拳で軽くどつく。
アングも控えめながら釣られて笑う。
この掛け合いも今日が最後だ。
同時に認識し合ったのか。ふと、二人の間にしっとりとした空気が降りた。
先に口を開いたのはアングからだ。
「何で立候補した?」
理由はまだ伝えていなかった。
ユージーンは視線を逸らし、言葉を探す。
今まで黙っていたのは、恥ずかしいからだ。
落ち気味の視線のまま話し始める。
「アングもジョイもさ。世界を良くしようって、今できることを頑張ってて……。けどボクには、そういうのねーなー、って思ってて」
「俺たちが異常なんだと思うが」
「異常なのがカッコいいんだろ」
自信の無さが溢れる。
人差し指同士を合わせる。ユージーンの癖だ。
「他の人にはできない。他の人ならやろうともしない。それができるのは、強くて、信念があって、カッコいいやつだけなんだよ」
「だから、誰もやりたがらないことをやるって?」
ユージーンは唇に力を入れ、顔を上げた。
この癖も今日で終わりだ。今なら胸を張って彼らと並べる。
わざとらしく腕を広げた。
「ジョイ的に言うとー。ボクもアングにラブ、ってやつ?」
抱擁の仕草。胸を貸そうとする。
アングは呆れて天井を仰ぎ、キャンセルした。
「おい……。自称愛人はこれ以上ごめんだ」
「ははは! 心配は無用!」
「アングー! ユージーン! 出番ー!」
ステージへと続く階段の方から呼び声がかかる。
「はーい!」
ユージーンは快活に対応すると、カウボーイ風のベストを整えた。
二人は階段の前で横並びになる。
ここを抜ければ劇がスタートする。
差し込むスポットライトの光は、まるで天国への階段を生み出しているようだ。
それを友も付き添いで上ってくれるのだから頼もしい。
ユージーンは横目で主演を見て、最後のお願いをした。
「なるべく一瞬で殺してよ」
「無茶言うな素人相手に」
アングは役に入り込み、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「行くぞ」
「おー!」
開演のブザーが鳴る。
二人はしっかりと段を踏みしめ、光の中へ。
演劇、『ウエスタン・ダブル』の始まりである。
*
脳内で、いつまでも銃声が鳴り響いていた。
即死ではなかった。心臓からわずかに逸れた。
だが着弾点は、人を殺すには十分過ぎる位置だった。
意識が急速に混濁し、具体的な言葉や名称が浮かばなくなっていく。
「うっ……。ぐ、ふ……」
血の泡が漏れた。
加速する窒息。まるで誰かに口を塞がれ、首を絞められているかのような錯覚。苦しさ。
だから、嫌だったのだ。
死に迫られる感覚。なってみなければ分からない混沌の渦に、まんまと呑まれかけている。
考える余裕など欲しくなかった。だからすぐに殺して欲しかった。
酸素の代わりに何かが脳で詰まる。
ここから死へ向かうのかと思った。
そうではなかった。
身体が痙攣した。近くで見なければ分からないほどの微弱な痙攣。
しかし、襲ってきた意識はあまりにも強烈だった。
叫びなのか嗚咽なのか咆哮なのか。
白目のない顔面が三つ首の如く押し寄せ、虚空を喰らい尽くす。
死にゆく意識とは、こんなにも醜いものなのか。
全部……そうだ。
全部アングのせいだ。
痛いのも。苦しいのも。死にそうなのも。
もっと上手く殺してくれればよかった。何でこんなことした。
この、裏切り者……!!
しばらくしてからようやく気づいた。
感覚そのものが、変わってしまっている。
植え付けられる感情。他者の意識との呼応。
導かれるように、震える瞳が、ある物体を捉えた。
赤い、ルービックキューブ。
誰かの膝下に置かれている。送り込まれる他者の意識も、そこから発せられている気がする。
この時は、所有者が誰なのかも分からなかった。頭部がちょうど闇に覆われ、見えなかったからだ。
ただ、『あそこ』に行けば、この苦しみから解放される。
その一心だった。他に考えられなかった。
それは間違いだった。
死を諦めなければよかったと後悔した。
四年。
四年もの年月を、あの四角い牢獄の中で過ごすことになるのだから。
* * *
現在。
同じ現象が、今度は『殺した人物』の身に起きている。
しかも、ここで生まれたばかりの新鮮な怨念だ。
本来の人間として覚醒したばかりの精神では、まともに受け止められず、再び意識を失うだろう。
――いい気味。
あの苦しみは、味わったものにしか分からない。むしろ死なないだけマシである。
だから、悪く思わないでくれ、アング。
オレはオマエを助けない。
そのほうが、お互いの身の為だ。
*
危機を救った……と言っていいのだろうか。
ジョイは、目まぐるしい状況に戸惑いつつも、圧倒的な力を見せつけた赤い救世主を見つめていた。
その彼が、突如頭を抱え、両膝をついた。
うめき声を上げながら倒れたのもすぐのことだ。
このままでは、燃え移る火の波に呑み込まれてしまう。
助けなければ。
そう思い、ジョイが踏み出した……その時のことだ。
横から、重量のある青が追突してきた。
振動で視界がブレる。
「こいつ……!?」
襲撃犯のアーマードが、いつの間にやら接近してきていた。
肩を、腕を掴まれ、強引に動きを止めてくる。
ジョイはじたばたと身体を動かすも、拘束は解けない。
このままでは、赤い英雄が丸焼きになってしまう。焦って視線を戻す。
思わず目を見開いた。
――いない。
炎の向こうに、あの赤く刺々しいシルエットが、見当たらないのだ。
まさか本当に消し炭に、という考えもよぎったが、彼がいた場所に炎が行き届いていないのも事実。
こちらが足止めされている間に起き上がり、逃げおおせたのか。そう思えば少しの安堵が生まれた。
だが、危機を一身に受ける羽目になったのはこちらだ。
青いアーマードに強く揺すられた後、ジョイは前方へ放り飛ばされた。地面に尻もちをつく。
スペック差では遥かに向こうに分がある。それは逃れようのない事実。
果たしてツキと見るべきか、無謀と見るべきか。
手元に、強化イレギュラーに吹き飛ばされた際に落とした、折れた警棒が転がっていた。
いま出せる力では、おそらくこれが最後の抵抗となるだろう。
目の前のことから逃げてはならない。
アングから教わった。彼に思い出させてあげたいことでもある。
誓ったからには決断は早い。ジョイは警棒を掴み、もう片方の手でバネをかける。
疾風の起き上がり。先端を突き立てる。
狙うのは、なるべく柔らかそうな部分。どこだ。
やはり首元しかない。
あとは振り下ろすだけ。
「たああああああああ!!」
声も勢いに乗せる。
どうか貫いてくれ――。
万感の想いは、あっけなく跳ね飛ばされた。
青いアーマードが両手を上げたからだ。
「なっ……!?」
どうにか足の爪先を立て、攻撃を止める。
あと数ミリ。もし貫通していれば相手を殺害できた。
感情を立て直すのが難しい。必死だったゆえに恥ずかしさすら覚えてしまう。
油断した隙を突いてくる気配もない。この襲撃者は、明確に降伏の意志を見せている。
遅れて、スタンド席側から、増援のガード・アーマード三人が到着した。電流の走る警棒を構えて包囲する。
この程度の人数なら、相手に本気を出されれば、簡単に突破されかねない。
しかし襲撃者は動かず、見計らったかのようにだ。
カッ――!
青いアーマードが発光を始めた。
その眩さから全員が顔を背ける。もはや青よりも白に塗りつぶされて見える。
なるべく多くの警察を集め、一斉制圧するつもりか。
だが、このジョイの読みも外れた。
攻撃ではない。青き装甲は外れ、キューブとなり、地面へと転がる。
身長差の分だけ、一秒ほどの着地時間があった。
その人物は、青いアーマードと同じ体勢……両手を上げたポーズのままそこに現れた。
「待て! 武器を下ろせ!」
先程、ジョイに注意を呼びかけていた眼鏡の警察官がやってきた。警棒を構えている部隊へ手で制する。
そして、現れた少女を見た。
「子供……だと!?」
今にも消え入りそうに淡い水色の長髪。巨体とは裏腹の小柄。
そして、状況とはあまりにも不釣り合いな、微笑み。
彼女は表情を微動だにさせず、ただ俯き気味な視線を見せ続けていた。
*
普段の跳躍とは明らかに勝手が違う。
下半身にかかる重みが強く、着地のたびに踵の軋む音が聞こえる。
おそらくあと少しでも重量が増えれば、ブーツに搭載された人工筋肉が砕け、機能しなくなる。
赤い装甲そのものを抱え続けなければいけない……。そう考えた時には肝を冷やした。
幸い、カザミが彼を抱え上げて間もなくして、装着は解除された。とはいえ、ほぼ成人男性に近しい体重だ。
カザミはスタジアムから距離を取るべく、高い建物から高い建物へと屋上を跳び続けていた。
ある程度は遠くまで来た。
普段よりも激しい疲労を消すため、一旦立ち止まる。
脛の辺りが震えている。後でケアしなければならない。
屋上の縁から道路を見下ろす。
三種のサイレン。赤く回転するランプの列。
一般車両も大量に行き交う混沌と化していた。
フェニックス・フィールドでの惨劇は、間違いなく歴史の教科書データに載る規模のものとなるだろう。
カザミは、ポケットの中に入れておいた物体を見下ろした。
レッド・キューブ。
一応、回収することはできた。だが自分では扱えない。
キューブの勝手に動き出す姿、そしてキューブ自身がアングを選んだという事実。
獣のように獰猛で、残虐な姿――。
本能的に理解できた。これは、自分が持つべき物ではない。
今度は、脇に抱えている人物を見る。
アング・リー。
意識はまだ戻らない。開いたままの口が乾き始めている。
目が覚めたら問い詰めることは必然。だが、あまり多くの情報は期待できない。
あの慌てふためきようを見ていれば分かる。かつての自分を思い出させる。
イレギュラー。
正常なはずの不条理。この世界の癌。悪と見なされた異端者。
果たして彼は、耐えられるのだろうか。




