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激昂のイレギュラー  作者: 亜空獅堂
Phase1:幸せな世界
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Phase1-1:幸せな世界

 火の粉が夕日に溶け込むのと同じだ。

 この研究所が何の為に建てられたのか、何を失おうとしているのか。そんな背景は、今そこに存在する『画』の前では無に等しい。

 押し寄せた人々は、如何にしてこの燃え盛る姿をフレームに収めるかだけを気にしていた。


 やがて、純白だった壁は、音を立てて崩れ去る。

 その様子がよく見える、封鎖線の内側に警察車両が停まっている。

 消防車のサイレンが背後を通り過ぎていったが、運転席の男は何一つ目で追わない。ただ呼び出し音だけを脳内で鳴らし続ける。


「……私だ」

 あくまで業務連絡として短い言葉で紡ぐ。

「区域の封鎖は完了している。イレギュラー事案? さあ、どうだろうな。もっとも、わざわざ焼かれに行く愚か者など、そうはいない」


 助手席に置かれた仮面は、炎の照り返しを受け、楽しげな笑みを浮かべている。

 通信の向こうからの問いに、彼は手慣れた口調で事実に蓋をした。

「いいや。生存者は、誰一人として報告されていない」





 既に現場からは遠く離れた。

 靴の爪先が地面にどんな線を描こうとも、もうどうでもいいことだったのだ。


 首都の中心部。鬱蒼とした並木の隙間から、火の粉のように眩しい赤が覗く。

 逆光が作るシルエットはよろめきを続けており、ただそれだけで疲労を物語っていた。


 ぶら下げた右手でまた感触を確かめる。

 手のひらにちょうど収まりきるかどうかというサイズ感。

 自分のために存在する『力』だとすら思えた。


 ようやく手に入れた。

 その実感が、吸い込まれるように視線を空へと引き上げる。

 乾ききった唇が、初めて不敵に吊り上がったのだ。



 そこから四年。

 あの日の焼煙など、もはや誰の記憶にも残ってはいない。



*    *    *



「アング・リー君。十七歳」


 若い女性の声が、意識の外から飛んできた。

 部屋の主の手が止まる。

 そこは二階の廊下の突き当たりにある、本来ならば屋根裏部屋へと続く収納スペースとなっていた場所だ。屋根の勾配に合わせて斜めに圧迫された天井。低い位置の窓。


 当然、閉めていたはずだった。

 しかし今は堂々と開き、風を招き、カーテンをなびかせている。


「近くのマイライズ・ハイスクールに通っていて、友達からは白髪頭ってバカにされてる」


 窓枠に腰掛けていたのは、明らかに異質な風貌をした、同年代と思わしき少女。灰寄りの白ジーパンのポケットに両手を突っ込んでいる。

 こちらを直視するのは瞳ではない。白い表面と橙色の縁で彩られた、狐の面。無機質にも、嘲笑っているようにも見える。

 薄茶色の髪は、右側だけが鋭く肩付近まで落ちているのに対し、左側は結い上げられている。ちょこんと横へ跳ねる短いテールも存在する。

 首から僧帽筋を覆う、白色の襟巻き。白地にオレンジと茶色のラインが走るライダースジャケット。あえて肩を剥き出しにした着こなし。

 黒のスポーツブラのインナーと、無防備に晒されたヘソも非常に目立つ。


 少女は首を傾げ、挑発的に聞く。

「……ここまでの情報は正しい?」


 前髪の白い一房が、粗野な風によって揺らされる。

 呆気に取られていたアングを我に返らせたのは、その僅かな感覚だった。

 本来の赤みがかった茶髪の中で、そこだけが遥かに存在感がある。確かに悪友たちに格好のネタとされる対象。


 だが、重大なのはそこではない。

 学校での成績。友人たちの言動。それらはよく調べたで終わる。

 しかし彼女は、家に侵入までしている。


 アングは単に、部屋に置き忘れていたリンカー・フォンを取りに来ただけだ。通常の人間ならば所持している、イヤーカフ型の携帯デバイス。

 耳に付けてホログラムを呼び出し、ディナーの準備が整うまで動画でも見ようとしていた。

 だというのに彼女は、まるで待ち構えていたかのようにここにいた。


「二階を入口だと思ってるのか?」

 アングは極めて冷静に、人差し指を真下の床へ向ける。

「今は見逃してやるから、下りてドアベルを鳴らして――」

「レッド・キューブを頂きに来た」



 聞き覚えがない。

「レッド・キューブ……?」

 だが、何を指し示しているのかには身に覚えがあった。

 アングはパーカーのポケットへ手を伸ばす。

 常日頃から触れている硬い感触。それを確かめるようにゆっくりと取り出し、掌に載せた。


 継ぎ目のある正六面体。

 それは誰が見てもルービックキューブだと分かる。

 しかしその配色は変わっていた。ごく僅かに明度や彩度が異なる赤色だけで構成されたパネル。楽しませる気があるのかと感じるほどの代物だ。


 現にアングはこのパズルを解いておらず、未だ異なる赤がモザイクのように散りばめられている。

 アングは、手の上にある馴染み深い物体を凝視した。

「これ目当て……なのか?」


 少女は何も答えない。

 もう一つ、彼女には明らかに異質な部分があった。


 純銀で作られた、脛の丈まであるブーツだ。

 その両底が床を踏みしめ、遂に彼女は、平然とした足取りで間合いを詰めてきた。


「冗談じゃない。母親の形見なんだぞこれは!」

 アングは目を細める。少女を視界の中央に置いたまま、壁際へ右手を伸ばす。

 求めたのは、壁に立てかけられた、赤黒い染みが付いた金属バットだ。

 冷たい感触が指先に伝わった、刹那――。


「アング、伏せろ!!」


 鋭い警告と共に、廊下の方から眩しい原色が飛び込んできた。

 金髪と、蛍光イエローのダウンベスト。

 ジョイ・フルーレは、既に拳銃の銃口を狐面へ向けている。


 だが、彼の声と同時に少女も動く。

 ポケットから両手を抜き、だらしなく落としていたライダースジャケットの肩を軽く揺すり上げる。


 カチリ、という接続音。

 ジャケットの襟元が、僧帽筋を覆う白いプロテクターへ磁力で付着した。

 無防備だった肩が隙間なく隠される。


 ジョイが安全装置を弾く。

 躊躇いはない。引き金を引いた。


 未熟ゆえに照準は下にズレた。

 だが弾は、あつらえたように少女の胸へ――。



 散ったのは鮮血ではない。

 青白い閃光だった。

 青年二人の口から驚きの声が漏れる。弾丸は少女の身体を貫かず、摩擦と共に虚空で静止。

 彼女の周囲に展開されたのは、電磁バリアだ。それが凶器の直撃を退けたのだ。

 勢いを殺された鉛玉は、無惨なかたちにすぼみ、床へと転がった。


 少女は舌打ちを残すと、踵を返し、窓枠に足をかける。

 夜闇に背を向け、自ら身を投げ出した。


「待て!」

 ジョイが窓際へ駆け寄り、外の地面を覗き込む。

「ダメだ、逃げられたか」

 しかし闇がかかった庭しか見えなかったらしい。彼は短い息を吐くと、すぐさま窓枠のクレセント錠を確認する。


「危なかったぞジョイ!」

 アングは早足で彼に近づいていく。

 感謝の言葉よりも、目の前での発砲という急展開への文句が先だった。


 ジョイの格好自体はいつもどおり派手だ。金髪に蛍光イエローのダウンベスト。

 額にはスポーツゴーグルを装着。首にはオレンジ色のバンダナを巻き、さらに上からヘッドフォンをかけるという何でも付ければいいと思っていそうなごちゃ混ぜスタイル。


 ただ一つ、黒光りしたその凶器だけは、服装のポップさと比較して異彩を放っていた。

 いまだ彼の手の中にあるそれをアングは直視する。

「それ……いつから持ってた?」

 ジョイはもはや手慣れた仕草で安全装置をもとに戻す。トリガーガードに沿うように指先で銃を回してみせた。

「もうすぐ初着任の日なんだし、イメージから掴んでおこうと思ってね~」


 結局どこから入手したのかまでは教えてくれない。

 将来を見据えてと参加した実力テストに合格。その流れで、学生でありながら「組織」に配属されると決まったのは事実だ。


 しかしまだ正式着任もしていないのに、組織が本物の銃を支給するとは考えにくい。

 2225年の現行法では十五歳から銃は購入可能。ただ彼の貯金が空になる。

 ということは。アングは呆れながら目を細めた。

「ダンさんのだな? お前それ本人に言って――」

「何があったのー!?」


 リビングから、ジョイの母親であるバレリーの声が響いた。

 あの銃声を聞けば無論気にするだろう。ジョイは銃を懐にしまうと、そのままの軽い調子で廊下へ振り返る。

「大丈夫ー! もう追い払ったー!」

 陽気な足取りで部屋を出て行った。


 部屋に取り残されたアングは、ジョイの背を見送った後、窓のクレセント錠を見つめる。

 彼は身体能力こそ高いが、まだこういった分析に関しては自信が無いのだろう。何の言及もしなかった。


 素人目から見ても分かる事実が一つ。

 鍵の接続部分が、明確に何かによって切断されている。

 アングが窓を閉め忘れたわけではない。彼女は意図的にこの部屋を狙っていた。


 次に、床に転がる、縮んだ銃弾に視線を向ける。

 平凡なまま終わると思っていた日常に、一瞬ではあるが戦闘行為が繰り広げられた証拠だ。


 最後に、自分の手の中にある四角の物体を見下ろした。

 母の形見である珍妙なパズル。

「レッド・キューブ……」

 母が持っていたからという、それだけの理由で肌身離さず持ち歩いていた。

 それを何故、あの女は奪いに来たのか。パズルの配色と同じように不可解でならない。


 だがアングの胸中は、それとは別の、もっと根源的な違和感が占有していた。

 部屋に侵入され、銃が放たれ、場が血に染まるかもしれなかった状況。


 なのにこの場は静かすぎないか。

 その疑問すらおかしいことなのに、アングの中では『つっかえ』として残る。


 三年半という時の間、毎日のように世界とのズレを感じている。

 いま起きたこともそうだ。あくまで違和感の一要素に過ぎない。


 ……少し目眩がした。

 答えの見つからない疑問を今日も遮断する。アングは机の上のリンカー・フォンを手に取り、ディナーの到来に思考を移行させた。

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