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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

婚約破棄された「引き篭もり令嬢」の話し相手に雇われたんですけど、やっぱり無理でした。

作者: 大濠泉

◆1


 初冬の昼下がりーー。


 赤髪のアネット・ベルニー子爵令嬢は、ロールサラン公爵家の邸宅にお邪魔していた。

 ロールサラン公爵家は、サラバンド王国有数の名家ゆえ、お屋敷の規模は大きい。

 三階建ての白亜の豪邸で、大理石の巨大な円柱が林立する。


 だが、そうした巨大さが、アネットには、かえって空虚さを増幅させていると感じさせた。

 屋敷が広大な割に、執事や侍女といった使用人が少なすぎる。

 加えて、半年前に当主アドルフ・ロールサラン公爵がお亡くなりになったばかり。

 屋敷の中は、さすがに静かな雰囲気に包まれていた。


 だが、寒々しい空気に満ちていた理由は、他にもあることがわかっている。

 ロールサラン公爵家の一人娘シャルロット嬢が、自室に引き篭もっていたのだ。


 アネットは、白髪の老侍女マルゴンヌによって、応接間に案内された。

 応接間では、ロールサラン公爵家の奥方様ーーヴィラニアが、ソファに座って待ち構えていた。

 褐色の髪をした、痩せぎす体型をした、中年のご婦人だ。

 紫の扇子を手に、金銀の刺繍が施された淡い青色のドレスを身にまとう。

 さすがは名門公爵家の奥方様。

 ほっそりとした身体に似つかわしくないほどの豪華な装いだ。


 一方のアネット・ベルニー子爵令嬢は、深い藍色のドレスを身に付けている。

 エプロンでも腰に巻いたら、侍女に見紛う姿をしていた。

 それもそのはず。

 アネットはロールサラン公爵家に、お客として招かれたわけではない。

 働きに来たからだ。


 アネットはドレスの裾を摘み上げて、赤い頭を下げた。


「アング・トゥール伯爵の紹介で参りました。

 ベルニー子爵家のアネットでございます」


「あらあら。

 ちょうど良い年齢のお嬢さんが来てくださったようね。

 嬉しいわ」


 ヴィラニアの奥方様は気さくな性格のようで、席を立ち、手を差し伸べて、アネットに対面のソファに腰掛けるよう勧めてくださった。

 再び席に着いて話を続ける。


「貴女を勧めてくださったアング・トゥール伯爵は、亡くなった主人の右腕と呼ばれていた人なの。

 この屋敷にも頻繁に訪れてくれたものでしたわ。

 最近はめっきり来なくなりましたが」


「未亡人となられた奥方様に気を遣ってのことだと思いますわ。

 悪い噂がたちかねませんもの」


 普通、サラバンド王国では、家督を継ぐのは男性に限られている。

 だが、ロールサラン公爵家の未亡人ヴィラニアには例外が許されていた。

 彼女が臨時で公爵の爵位を亡夫から継承し、娘が婿を迎えるまで「ロールサラン公爵」と名乗ることを王家によって許されていた。

 亡きアドルフ・ロールサラン公爵がいかに権勢を誇っていたかを想起させる出来事である。


 ところが、肝心のロールサラン公爵家の一人娘シャルロットが、学園卒業後、三年も経つのに、舞踏会にも顔を出さず、部屋に引き篭もってしまい、婿を採るどころではなくなっていた。

 その理由は明白で、サラバンド王国の貴族ならば、誰でも知っていた。


 三年前、学園の卒業記念舞踏会において、同世代を代表するイケメン、キーツ・デルフォイ侯爵令息と婚約していたのに、シャルロット・ロールサラン公爵令嬢は、婚約破棄を宣言されてしまったのだ。


 シャルロット嬢は、それまで大勢の取り巻き令嬢に囲まれていたお嬢様だった。

 それなのに、衆人環視の中で、しかも爵位が下の令息から婚約破棄を宣言されて、恥を掻いたのがよほど応えたらしく、それ以来、自宅の個室に引き篭もってしまった。

 さらにシャルロットを溺愛していた父親アドルフまでが亡くなったものだから、彼女がさらに気落ちしていても不思議はない。


 婚約破棄されて、部屋に閉じ篭ってしまったシャルロット・ロールサラン公爵令嬢の話し相手としてやって来たのが、アネット・ベルニー子爵令嬢であった。


「話を聞いてやって欲しい。

 要するに、シャルロットお嬢様のお相手をすれば良いのだ」


 というアング・トゥール伯爵(「腹黒伯爵」との異名を持つ)からの依頼があって、あまりにも礼金が良かったために、アネットはロールサラン公爵家への短期奉公を引き受けたのだった。


 アネットは背筋を伸ばして問いかける。


「それで、最近のシャルロットお嬢様のご様子は?」


「娘と頻繁に接しているのは、このマルゴンヌだけですわ」


 そう言う奥方様の後ろに、白髪混じりの老侍女マルゴンヌが控えていて、白髪頭を下げる。


「ほんの三日ほど前、シャルロット様は癇癪をお起こしになって、侍女を三人ばかり追い出したところです。

 ますます(すさ)んでおられて、私どもにはもう手に負えません」


 道理で、使用人の姿がまばらなわけだ。


 ヴィラニアの奥方様は、褐色の瞳を細くする。


「ですから、アネットさん。

 貴女に来ていただいたのよ。

 貴女は娘のシャルロットより二つ年下なだけ。

 同世代同士、話も合うんじゃないかしらーー。

 あら、それ、可愛らしいブローチね」


 アネットは、薔薇の形にあしらわれた、赤いブローチを胸元に付けていた。

 婚約者がくれた、お気に入りだ。

 褒められて嬉しい。

 アネットは少しだけ照れて、伏目がちになる。


 そんな彼女の目の前、小さなソファテーブルの上に、ティーカップが置かれた。

 マルゴンヌが用意してくれたのだ。

 紅茶が湯気を立て、芳醇な香りを漂わせている。


 奥方様は香りを楽しみ、少し口を付けた後、


「アネットさん、貴女もどうぞ。

 ミルクも用意させてあるわ」


 と声をかけてくださった。

 が、アネット子爵令嬢は、首を横に振った。


「いえ、飲み物を持参してきました」


 水筒をバックから取り出す。


「悪く思わないでください。

 アレルギーなんです」


 ある特定の飲食物と体質が合わない人がいる。

 そういうことは、サラバンド王国でも広く認知されていた。

 紅茶やアルコールを受け付けないなど、症状は様々だ。


「では、その水筒にはお水が?」


 と奥方様が尋ねると、赤髪のアネットは大きく頷いた。


「はい。今日は白湯が入っております。

 あまり長く持ち運びますと、単なる冷めた真水になってしまいますが」


「まあ、それは難儀なことですわね。

 たしか、貴女のご実家ベルニー子爵家は、王宮の植物管理をなさっている家柄と伺っておりましたのに。

 なんとも皮肉な」


「ええ。それはまあ……」


 アネットは言葉を濁す。


(貴女の娘さんほど、難儀にはなってませんがね)


 といった言葉が口を突いて出てきそうだったが、なんとか飲み込んだ。


 ヴィラニアの奥方様は少し身を乗り出して、アネットの面前で、囁くように言った。


「そうそう。

 シャルロットの部屋へは、何も持たないで上がってちょうだい。

 娘は今、気が荒れているので。

 可哀想な娘なのよ」


 アネットは再び強く頷いた。


 実際に、シャルロット公爵令嬢は部屋に閉じ篭もり切りで、老侍女マルゴンヌが食事を持っていくだけ。

 婚約しているという立場でありながら、公衆の面前で破棄されたのは、どんなに辛いだろう。

 同情心もあって、アネットは、彼女の話し相手になるという短期雇用を引き受けたのだった。


◇◇◇


 アネット・ベルニー子爵令嬢は二階へとあがって廊下を進み、ノックして、引き篭もり令嬢シャルロットの部屋に入った。


 シャルロットからの返答はなかったものの、アネットは勝手に扉を開けて、足を踏み入れた。

 部屋の天井は高く、随分と広い間取りだったが、中は一段と暖かい。

 部屋の奥には、薪が()べられた暖炉があり、赤々と火が燃えていた。

 毎日、マルゴンヌが薪を運び入れているのだろう。

 じつに、良く出来た侍女である。


 が、そんな優秀な侍女がいても、部屋の主がダメ令嬢ならどうしようもないとみえる。


(うわあ……)


 アネットは思わず鼻を摘んで、眉を顰めた。


 部屋の中は、とにかくとっ散らかっていた。

 赤や緑のドレスだけでなく、手袋からコルセット、そして絹製の下着までが床の上に散乱していた。

 が、それだけではない。

 パンやケーキ、その他、豚や牛、鶏の肉片や骨などといった食い残しが、方々に打ち捨てられていたのだ。

 オレンジやマンゴーといった果物の皮も落ちている。

 さらに、床や壁のあちこちに、物騒な言葉が殴り書きされていた。


『呪ってやる』


『殺してやる』


『許せない』


 ーーなどとといった言葉が、黒い文字で方々に落書きされていた。


 老侍女から指摘されてはいたが、思っていた以上に部屋が荒れ果てていて、異臭が漂っていた。

 加えて、気に入らない使用人を打ち据えるためであろう、革鞭や棍棒などが壁に立てかけられていた。

 人はここまで心を病むことができるのか、と思うほどだった。


 そのくせ、「引き篭もり令嬢」の割に、シャルロットにナイーブさは感じられなかった。

 それまで床にしゃがみ込んで筆を取り、『死ねよ』と大書していたが、アネットが入室してきたことに勘付き、彼女は顔をあげた。


「引き篭もり令嬢」こと、シャルロット・ロールサラン公爵令嬢は、引き篭もった間中、ヤケ喰いでもしていたのだろう。

 かつては美貌を謳われていたその顔も、今ではみっともなく不機嫌そうに頬を膨らませている。

 天女のように美しいと評された金髪もボサボサに乱れ、翡翠のような輝きを放った碧色の瞳もどんよりと濁っていた。

 シャルロットはアネットより二歳年上なだけ、二十一歳の若い盛りのはずだが、すっかり年老いて見えた。

 そのくせ、素っ裸に白いブラウス一枚だけを被った姿で、身体からは不気味なほど色気が感じられた。

 冬に入った今の季節には薄着に過ぎるが、赤々と暖炉が燃えているので、平気なのだろう。


 だが、窓を閉め切っていて、換気がなされていない。

 これでは不健康だと思い、


「シャルロットお嬢様。

 私はアネット・ベルニーと申します。

 ヴィラニアの奥方様の勧めにより、お嬢様とお話をしに伺いました。

 何度か、舞踏会で顔をあわせたことはありますが、お宅へ伺ったのは初めてです。

 が、今はとりあえず、失礼して……」


 と口にしながら、アネットはズンズンと部屋の奥へと足を踏み入れ、窓を開けようとした。


 ところが、床にしゃがみ込んだシャルロットの傍らを通り過ぎたときーー。


「それ、寄越しなさいよ!」


 という甲高い声とともに、白い腕が伸びてきた。

 そして、アネットの胸元を飾っていた薔薇のブローチを引きちぎられ、「引き篭もり令嬢」によって、持っていかれてしまった。


 突然のことに、アネットは呆気に取られた。


「返してください!

 それはいただき物です」


 と手を伸ばしたら、ギロッと睨みつけられ、


「誰から!?」


 とシャルロットから、大声で問われた。

 言いにくいが、仕方ない。

 アネットは居住まいを正しながらも、床に座るシャルロットの顔を青い瞳で見下ろす。


「私の婚約者、シュライク伯爵家のアウター様からいただいたものです」


 シャルロット嬢はやおら立ち上がり、アネットのブローチを勝手に自分のブラウスのポッケに仕舞い込んで、アネットを高みから見下ろす。

 シャルロットが立ち上がったら、頭ひとつ分、アネットよりも背が高かった。


「アネット。

 貴女は幸せでいいわね。

 婚約中って、ほんとに天にも登る幸せな気分でしょう?

 私もそうだった。

 貴女が羨ましい……」


 アネットはなんて声をかけて良いのかわからず、ただ黙ってうつむくしかなかった。

 だが、そうして慎ましくしていることに腹を立てたのか、


「貴女みたいな凡庸な娘ばっかりが、幸福になるなんて!」


 と叫んで、シャルロットは再びアネットに向けて手を伸ばしてきた。

 今度は、アネットが持って来ていた水筒を取られた。

 勝手に水筒の蓋をあけられ、ガブガブと中身を飲み干す。


「なに、これ。

 単なる白湯じゃないの!」


 シャルロットは水筒を放り投げてた。

 その水筒を拾い、アネットは大声をあげた。


「失礼します!」


 窓を開けることもなく、アネットは踵を返し、部屋を出た。


 そして階下に立って、こちらの様子を窺っていた奥方様に詫びた。


「シャルロットお嬢様が取り乱してしまいました。

 私の接しようが良くなかったようで、薔薇のブローチを奪われてしまいました」


 するとヴィラニアの奥方様から、思いの外、冷たい反応をされた。


「だから、『何も持たないで』って言ったでしょ!?

 シャルロットちゃんは、心が傷付いているのよ。

 もっと優しくしなきゃ!」


 そして、再度、彼女と仲良くなるようチャレンジしなさい、とアネットは促されてしまった。


「あの子は、幸せな婚約をしている女性を見ると興奮してしまうの。

 でも、可哀想な子だから、お相手をお願い!」


 すでに寄親貴族家のアング・トゥール伯爵を介して、アネットは大金を手に握らされてしまっている。

 断るわけにはいかなくなっていた。


 奥方様から言い付けられて用意したのだろう。

 老侍女マルゴンヌがティーセットとお菓子を載せたトレイを持っていた。

 そのトレイを譲り受けて、アネットは再びシャルロット嬢の部屋を訪れた。


 酷い罰ゲームだと思ったが、扉の前まで同行してくれたマルゴンヌからは、


「お手数をおかけして、すみません。

 奥方様もお嬢様も、共に言い出したら聞かないお方なので。

 このお茶もお菓子も、お嬢様のお気に入りでしたので、少しはマシな応対をなさるかもしれません。

 ブローチについては、折を見て……」


 と申し訳なさそうに囁かれた。

 こんな家に仕えるのは苦労が絶えないな、とアネットは同情した。


 だが、老侍女の気遣いも無駄に終わった。

 部屋に入るなり、「引き篭もり令嬢」から体当たりを喰らって、アネットは廊下へと追い出されてしまったのだ。

 ティーセットも丸ごとガシャン! と大きな音を立てて割れてしまい、クッキーなどのお菓子も廊下に散らばってしまった。


 シャルロット嬢は、金髪を振り乱して、金切り声をあげた。


「アネット!

 貴女の代わりに、私が貴女の婚約者と結婚することにするわ。

 だから、黙って私にアウターとかいう伯爵家の婚約者を譲りなさい!

 私と結婚して婿入りすれば、名門ロールサラン公爵家の当主になれるのよ。

 アウターとやらも、喜んで貴女との婚約を破棄するでしょう。

 貴女なんか、いなくなればいいのよ!」


 そう言って、バタン! と、扉を閉じてしまった。


 アネットが廊下にへたり込みながら呆然としていると、今度は横から怒鳴られた。

 ヴィラニアの奥方様が、アネットを睨み付けていた。


「なんてこと!

 高価なティーセットなのに、無駄にして。

 破片が散らばって危ないでしょ!?

 シャルロットちゃんが怪我したら、どうするのよ!

 さっさと片付けなさい!」


 そう叫びながらも、奥方様は閉じた扇子で、老侍女マルゴンヌの頬を、バシン! と打つ。

 老侍女は、落ちたティーセットの破片を拾い集めて片付けていたというのに、じつに理不尽な仕打ちだ。

 それから、いそいそと扉に近付き、ヴィラニアは扉越しに甘やかな声をあげる。


「シャルロットちゃん、機嫌を直して。

 このアネットっていう娘は気が利かないけど、最近の社交界の話題を聞くことができるはずよ。

 そうしたら、シャルロットちゃんが居なくて寂しいって、皆が思っていることがわかるわ。

 ね、だから、明日こそは、部屋に入れてあげて。ね?」


 次いでヴィラニアの奥方様はアネットに視線を戻して、顎を突き立て、手でシッシッ! と追い立てるかのような仕草をする。

 今日のところは、帰れと言うのだろう。

 アネットは唇を噛み締めつつも、立ち上がってお辞儀をし、お(いとま)を告げた。


(ちょっと、おかしくない?

 ブローチを奪い取られて、蹴り出されたのは私の方だ。

 被害者は私なのに……)


 アネットはモヤモヤとした気持ちを胸中に抱え込む。

 そうした気配を察したのだろう。

 玄関まで同行してくれた老侍女マルゴンヌから、白髪頭を下げられた。


「失礼いたしました、アネット様。

 奥方様は、最近、何事も思い通りにならなくて、心を痛めておられるのです。

 シャルロットお嬢様が婚約破棄をされるとは夢にも思わなかったうえに、昨年にはアドルフの旦那様がお亡くなりになって。

 かといって、頼れる者もおりません。

 貴女様を紹介なさったアング伯爵様もめっきり顔を出さなくなられましたし、執事も侍女も次々と辞めていく始末。

 いまさら他家で採用されるはずもない、私のような老いた者しか残っておりません……」


 老侍女マルゴンヌは、女性の割には筋肉質な身体付きをしている。

 長年、力仕事もこなして来た証だろう。

 だが、心なしか頬がやつれていた。

 眉間の縦皺も深く刻まれており、始終、何事かを耐えているような顔をしている。

 注意深く見れば、袖口から覗く手首には、赤く腫れた傷跡がみられた。


 私は窺うような眼差しを向けて、マルゴンヌに質問した。


「あなた、奥方様やシャルロット嬢から、日常的に暴力を?」


 老侍女は慌てて傷付いた左手首を、右手で覆いながら、恥ずかしそうにする。


「これは鞭によるものです。

 ほかにも、背中やお尻には、棒によって打たれた傷跡もありますよ。

 でも、私は老女なので、まだ遠慮されていたようで。

 若い使用人は、男女の別なく、もっと酷い目に遭っていました。

 なんとか逃した子もいましたが、たいがいはーー」


 アネットは深い溜息をついた。

 ほんの数年前まで権勢を誇った名門貴族家の落日を、垣間見たような気がした。



 そして、意外というか、案の定、というべきか。

 シャルロット・ロールサラン公爵令嬢について、衝撃の真実をアネットが聞かされたのは、三日後のことであった。


◆2


 ロールサラン公爵家への最初の訪問から、三日後ーー。


 アネット・ベルニー子爵令嬢は、再びロールサラン公爵邸へと馬車を走らせていた。

 礼金は弾まれた(しかも前払い)手前、アネットも後には退けない。

 加えて、アネットなりに、シャルロット公爵令嬢の心根がどんなものかを確認したいという個人的な思いもあったので、再び彼女の許へと訪問しようとしていた。


 が、当然ながら、気が重い。

 あれ(すさ)んだ「引き篭もり令嬢」と接するのに躊躇してしまう。


 そんなアネットの心に同調したのか、馬車がいきなり動きを止めた。

 前方、進行方向に、横向きになって立ちはだかる馬車があった。


 アネットのベルニー子爵家の馬車より巨大で豪華な馬車だ。

 柱と光の紋章を見ればわかった。

 名門デルフォイ侯爵家の馬車だ。


 美男子が銀髪を掻き上げつつ、悠然と馬車から降りてきた。

 舞踏会で何度か顔を合わせたことがある。

 私の婚約者アウター・シュライク伯爵令息から「俺の親友なんだ」と紹介された、私より三歳年上の二十二歳、イケメンの貴公子、キーツ・デルフォイ侯爵令息だ。

 シャルロット公爵令嬢に、婚約破棄を言い渡したお方である。


 アネットも慌てて馬車から降りて、ドレスの裾を摘み上げ、頭を下げる。

 彼女が何かを口にする前に、美男子から問いかけられた。


「アネット・ベルニー子爵令嬢。

 不躾な振る舞いで申し訳ない。

 君は、この先にあるロールサラン公爵邸に向かおうとしている、とお見受けするが」


「ご推察の通りです。

 通せんぼなさった理由を伺えますか?」


「あの家へ奉公に出る娘が再び現れたというので、心配になって来たのだ。

 まさか、アウター・シュライク伯爵令息の婚約者だとは。

 娘を奉公に出さねばならぬほど、ベルニー子爵家は経済的に逼迫なさっておられたのか?」


 失礼な。

 たしかにベルニー子爵家(ウチ)は裕福とはいえないが、並の子爵家程度の収入はあると思う。

 ただ、学園を卒業してから結婚まで間があるので、小遣い稼ぎに(いそ)しもうとしただけだ。

 もっとも、いざロールサラン公爵邸に出向いて、奥方様、そして「引き篭もり令嬢」と遭遇してからは、単なる小遣い稼ぎにしては割に合わないな、と思い直してはいたが。


 アネットは改めて片膝を曲げ、美男の貴公子に向けて、礼を尽くした。


「来春、私はアウター・シュライク様と正式に婚姻を結ぶ予定です。

 が、それまでの短い間、自由気儘に奉公しようかと思いまして」


 イケメン侯爵令息がツカツカと歩み寄ってきて、ガシッとアネットの両肩を掴んだ。


「自由気儘?

 あのシャルロット公爵令嬢相手に、そんな振る舞いはできないぞ。

 彼女はハッキリ言って、異常だ。

 彼女が引き篭もりになったので、被害者のように思っているのかもしれないが、それは誤解だ。

 彼女はむしろ加害者なのだ。

 引き篭もったのも、体裁の悪さを誤魔化すための芝居に過ぎない」


 アネットは目を白黒させながらも、思った。

 あれは芝居といったレベルではない。

 彼女はたしかに病んでいる、と。


 だが、シャルロットが純然たる被害者に収まるような性格をしていないのは、あの腐り切った態度だけでも推察できる。

 目の前のキーツ・デルフォイ侯爵令息はイケメンなだけでなく、好人物としても知られていた。

 そんな彼が、実家や公爵家に多大な迷惑をかけると承知していながら、シャルロット嬢との婚約破棄に踏み切ったのには、それなりの理由があるに違いない。


 キーツ侯爵令息は、青い瞳を細くし、遠い昔に想いを馳せるような表情で、語った。


「僕は、シャルロット嬢の我儘な性格は知っていた。

 幼い頃からの婚約者同士だからね。

 最近、お亡くなりになったお父上のアドルフ公爵閣下は人格者だったが、ただひとつ、娘を甘やかしすぎたのが欠点だった。

 シャルロット公爵令嬢の性格は酷くイビツなものに育っていた。

 学園時代にも、取り巻きに命じて下級生をいじめたり、被害者ぶって、気に食わない男性を陥れたりと、とにかく素行が悪かった。

 いくら僕が婚約者として苦言を呈しても、僕が慌てふためくさまが面白いと見えて、かえっていじめや陰謀をエスカレートさせていった。

 僕の手に負える女性ではなかったんだ。

 僕は何度も父上やアドルフ・ロールサラン公爵に婚約の解消を申し入れた。

 だが、なかなか聞き入れてくださらなかった。

 だけど、さすがにこれ以上は無理だ、絶対に婚約を破棄してやる、と決心する事態が起こった。

 僕が舞踏会で、呼びかけに応じてくれた、さる貴族令嬢とダンスを踊ったら、それだけで、僕はシャルロット嬢によって、脇腹を短刀で刺されたんだ。

 ほら、これだ」


 上着をあげて、生々しい傷跡を見せる。

 アネットが思わず青い瞳を背けると、上着を下ろして、彼は話を続けた。

 キーツ・デルフォイ侯爵令息は、拳を振りながら訴える。


「別に、普通に一曲の間、舞踏会で踊っただけなんだ。

 婚約者のシャルロット嬢とファーストダンスを踊った後、二、三人と踊ったんだが、そのときは何もされなかった。

 それなのに、なぜだか、あの亜麻色髪のご令嬢ーーフレラ・レナワイン伯爵令嬢と踊った直後に、刺された。

『なに鼻の下を伸ばしてるのよ!?』と言われて。

 まさに鬼の形相だった。

 誓って言うが、別に彼女ーーフレラ伯爵令嬢のことを、それまで僕は特別に意識したことはなかった。

 ダンスがそれまでの娘よりダントツに上手かったのが、シャルロット嬢の気に障ったのだろう。

 可哀想に。

 そのダンス相手の女性、フレラ嬢は、刺された僕よりも、もっと酷い目に遭った。

 シャルロットが命令して複数の男性に襲わせて、フレラ伯爵令嬢に半身不随の重傷を負わせたんだ。

 フレラ嬢は今でも、自らの足で立って、歩くこともできない。

 彼女にも婚約者がいたんだが、ソイツは彼女との婚約を解消させて逃げてしまった。

 酷すぎると思わないか?」


 ああ、やはり、とアネットは思った。

 その事件については、良く知っている。

 フレラ・レナワイン伯爵令嬢が暴漢に襲われて、負傷したことは知っていた。

 その事件にシャルロット・ロールサラン公爵令嬢が一枚噛んでいるという噂も耳にした。

 だが、事件が(おおやけ)にされることはなかった。

 犯人が裁かれることもなく、有耶無耶にされてしまった。

 被害者フレラ嬢の実家レナワイン伯爵家が、ロールサラン公爵家の寄子貴族家だったことが災いした。

 シャルロットの父親アドルフ・ロールサラン公爵が当時、権勢を振るっていたから、娘の事件関与を揉み消したといわれている。


 伊達に婚約破棄をされたわけではない。

 このイケメンがシャルロット嬢と切実に「結婚したくない!」と思わされるほどの事実があったのだ。

 引き篭もったシャルロット嬢の側の素行が酷くて、婚約破棄に至ったのだ。


 イケメン貴公子は往時を生々しく想起したようで、怒りに拳を震わせる。


「なのに、世間は一方的に、

『結婚間近に婚約破棄をするのは、男性側が悪い』

 と決めつける。

 被害者のフレラ伯爵令嬢は、身障者となって家から出なくなった。

 それを好都合とばかりに、ロールサラン公爵家によって手回しされた者どもが、好き勝手に舞踏会などに顔を出しては、

『フレラ伯爵令嬢が、キーツを唆して、シャルロット嬢との婚約破棄を宣言させた』

 などといったデマを吹聴した。

 その一方で、シャルロット公爵令嬢までが引き篭もって被害者を気取るものだから、僕は我慢がならなかった。

 これまでの三年間、王宮に出仕したり、舞踏会に参加する際にも、機会あるごとに、僕は真実を訴え続けた。

 最近になって、ようやく僕の訴えに耳を傾ける人も増えてきて、シャルロット・ロールサラン公爵令嬢を孤立させることに成功した。

 そう思っていた。

 だが、まだ力が及んでいなかったようだ。

 君がロールサラン公爵邸に奉公に出向くだなんてーー。

 ほんとうに危ないんだよ、シャルロット嬢は!

 ヒステリックになった彼女は手のつけようがない。

『あのオンナに色目を使った』とか、

『誰それに心を寄せた』とか、

『貴方の目付きが怪しい』だとか。

 猜疑心で見るのは、僕相手だけじゃない。

 僕と軽く接した、ほんの挨拶を交わしただけの女性相手であっても、

『あのオンナが色目を使った』とか、

『貴方を奪おうとしている』

 などと喚き散らす。

 彼女の精神状態は、すこぶる不安定なんだ。

 挙句、無関係な、ダンス相手のフレラ嬢を、下賤の者を使って、傷つけた。

 フレラ嬢が若くて愛らしい娘だったから嫉妬されて、髪の毛も切られて、殴られて、半身に麻痺が残るほどの重傷を負わされた。

 愛らしい顔に傷も負っちゃって。

 婚約者に逃げられ、今ではその娘ーーフレラ伯爵令嬢も自宅に閉じ篭ってしまった。

 ちなみに、被害者はフレラ嬢の他にもいるんだ。

 知ってるかい?

 フレラ嬢を襲った三人の暴漢も、事件から三日後、タリク川に死体になって浮かんでいたってことを。

 おそらくロールサラン公爵家の者が、口封じをしたんだと思う。

 さらに、君がロールサラン公爵家に奉公に出るのを止めるのには、理由がある。

 ある平民の老夫婦が、僕に訴え出てきたんだ。

 僕がシャルロット・ロールサラン公爵令嬢の性格の悪さを喧伝しているのを、どこかで耳にしたからだろう。

 彼らが涙ながらに訴えてきたんだ。

『娘がロールサラン公爵家に奉公にあがったまま、帰って来ない』と。

 彼らによれば、他の家でも同じことがあったという。

 たまたま、その家の娘は口減しで捨てられたも同然だったから、失踪しても親は騒がなかったそうだがーー。

 それから僕は人を使ってロールサラン公爵家を調べさせたら、怪しい事件が次から次へと発覚した。

 もう三年も前から、ロールサラン公爵家を訪れた若い女性が、次々と失踪しているんだ。

 その失踪に深く関与していると思しき、ロールサラン公爵家の執事どもを追跡していたら、今度はソイツらまでもが失踪してしまって……。

 とにかく、婚約中で、結婚を間近に控えた女性ほど、変な事件に巻き込まれているようなんだ。

 あのロールサラン公爵家の母娘が共謀して、そういった女性を招き入れては、殺してるんじゃないか? と、僕は疑っている」


 アネットはキーツ侯爵令息から物騒な話を聞いて、げんなりした。

 そりゃあ、ロールサラン公爵家から、使用人がいなくなるわけだ。

 イケメンの侯爵令息は力説する。


「アネット・ベルニー子爵令嬢。

 君は今すぐ自宅に帰るべきだ。

 君の婚約者であるアウター・シュライク伯爵令息のためにも!」


 だが、アネットはかえって落ち着き払った態度になった。


「キーツ・デルフォイ様。

 心配してくださり、ありがとうございます。

 ですが、説明を受け、ますます行かねばならない、と思いました」


 イケメン侯爵令息は、脱力気味の声をあげる。


「そこまで博愛精神を発揮しなくとも。

 アウターから、君の噂は聞いている。

 教会主催の奉仕活動に熱心で、道端の孤児にまで、食べ物を分け与えているとか」


 アネットは手を左右に振る。


「いえいえ。

 キーツ様がお思いになるほど、そんな綺麗な心の持ち主ではありませんよ、私は。

 このたびの奉公も、報酬の良さを気に入って始めたものですから。

 でも、私なんかを気遣っていただき、感謝いたします。

 私は大丈夫ですから。

 用が済み次第、ロールサラン公爵邸からは出て行きますから」


「本当ですね?

 君に何かあったら、アウターに顔向けできない」


「ご安心を。

 これでも結婚を間近に控えた娘であることを自覚しております。

 これからは、特別に、細心の注意を払いましょう。

 とりあえず、貴方様が、私とこうして出会って会話をしたこと、口外しないでくださる?」


「もちろんだ。

 君には僕の友人アウター・シュライクという婚約者がいるのだ。

 あらぬ噂を立てられて、不幸になる女性がこれ以上、増えるのは本意じゃない。

 ただ、僕の忠告を心に留めていただければ嬉しい」


「ええ、貴方様からお話を伺って、ほんとうに嬉しく思っております」


 アネットはお辞儀をして、颯爽と踵を返す。

 そのまま馬車に乗って、ロールサラン公爵邸へと向かった。

 心配そうな顔で立ち尽くすイケメン侯爵令息をあとに残してーー。


◇◇◇


 そして、アネットは、巨大な白亜の豪邸ロールサラン公爵邸に、再びお邪魔した。


 老侍女マルゴンヌの出迎えを受け、アネットは彼女といろいろと話をしながら廊下を歩き、応接間へと通された。


 奥方様ーーヴィラニア・ロールサラン公爵と真向かいに座り、アネット・ベルニー子爵令嬢はテーブルを共にする。

 奥方様は赤髪のアネットの顔を見るや否や、咎めるように口を(すぼ)めた。


「遅かったじゃない?

 前回の訪問から、三日も経ってしまったわ」


「申し訳ございません。

 いろいろと私用がありまして。

 あ、そうそう。

 この度は、奥方様とお飲み物をご一緒しようかと」


「あら、アレルギーは?」


「これにはアレルギーが出ないんですよ。

 家から持参した飲み物です。

 南の国から取り寄せたものです」


 老侍女マルゴンヌが用意してくれた。

 応接間へ通される際、あらかじめ、淹れ方を指示しておいたのだ。


「あら、黒いのね?

 なんだか不気味」


「茶葉ではなく、生豆を焙煎(ロースト)してから砕いて淹れた飲み物です。

 珈琲(コーヒー)というのですよ。

 苦い味ですので、お砂糖を入れて飲んでいただければ。

 最高級のお砂糖も持参して参りました」


「まあまあ!」


 奥方様は喜色満面となった。

 砂糖は高級品だからだ。

 アネットが持参した小壺を渡すと、ヴィラニアの奥方様は自らスプーンを手にして、何杯もの砂糖をカップの珈琲に注ぎ込んだ。

 そして香りを楽しんでから、ゴクゴクと飲み干す。


「美味しかったわ。

 もっとも、お砂糖の甘さが、ですけどね」


「あら、奥方様。

 正直ですね。ふふふ。

 ーーそれでは、今すぐ、お嬢さんと面会いたしますわね」


「先日みたいに、粗相のないよう、お願いね。

 シャルロットちゃんは可哀想な身の上なの。

 大勢の人たちの前で、婚約破棄を言い渡されたんだから。

 女性として、これ以上の屈辱はないわ。

 貴女も一応、貴族家の令嬢なんだから、わかるわよね?」


「はい。一応は」


 アネットは年配の貴族婦人に、ニッコリと微笑み返した。


◇◇◇


 アネット・ベルニー子爵令嬢はロールサラン公爵邸の二階に昇り、シャルロット嬢が引き篭もっている部屋の扉を叩く。


「失礼します。

 アネットです。

 奥方様に請われて、再び、伺わせていただきました」


 部屋の中に入るや否や、アネット子爵令嬢は足を止めて、立ち尽くした。

 今日は、シャルロット公爵令嬢の方が、アネットを待ち構えていた。

 いくら引き篭もり令嬢とはいえ、人恋しいとみえる。


 シャルロットは椅子の上に腰掛け、アネットの薔薇のブローチを手でいじり回し、ニヤニヤしている。

 明らかに挑発的行為を仕掛けていた。


(ああ、そう来るわけね?

 だったらーー)


 アネット・ベルニー子爵令嬢は胸を張り、毅然として言った。


「ひとつ、伺わせていただきます。

 シャルロット様は、フレラ・レナワイン伯爵令嬢という方をご存知ですか?」


 アネットの問いかけを耳にした途端、シャルロットは弾かれたように立ち上がる。


「もちろんよ!

 私がキーツ・デルフォイ様から婚約破棄されて、引き篭もるようになったのは、あの横取り女ーーフレラのせいなのよ!

 婚約者(フィアンセ)だけじゃなく、私から何から何まで奪っていて、私をこんな状態にした。

 私はもう外にも出られない。

 良い恥さらしよ。

 許せない、許せない。

 アイツーーフレラ・レナワインが、私の人生をめちゃくちゃにした。

 あの女ーー!」


 シャルロット嬢は怒りを、手当たり次第の物にぶつけた。

 薔薇のブローチはポッケに仕舞い込むくせに、その他のもの、周囲に散らばっている羽ペンやハサミ、果ては化粧道具や宝石箱といった、ありとあらゆる物を、アネットに向けて投げつけてきた。


 アネットは貴族令嬢らしく、扇子を広げ、鷹揚な態度を取る。


「あらあら、シャルロット様。

 今日は一段と駄々っ子のような振る舞いをなさいますのね。

 そんなゴミ、いくら投げつけてきたって、痛くも痒くもございませんよ。

 ーーもっとも、ハサミが飛んできたときは、ちょっと怖かったですが」


 カチンときたのか、シャルロット嬢は血走った碧色の瞳を見開いて、アネットに向かって飛びかかってきた。


「そいつを寄越しな!」


 今日は、アネットはブローチを付けていない。

 だから、手にしていた水筒が奪われた。

 そして、シャルロットは勝手に口を付けては、ベッ! と吐き出す。


「なに、これ!?

 不思議な味ね?

 この甘さーー砂糖が入ってるの?」


「はい。

 奥方様に似て、シャルロット様も甘いのがお好きなようですね」


「もちろんよ。

 女性なら誰だってーーでも、これ、苦くない?

 せっかくの甘さが、台無しになるんじゃ?」


「私は砂糖を入れない方が、むしろ好きなんですがね」


 さらに、シャルロット嬢は、水筒の珈琲をゴクゴクと飲む。

 自分の肘で、無造作に口の端を拭う。

 そして、ポッケからアネットの薔薇のブローチを取り出して、力強く握り締めた。


「アネット!

 私は貴女が憎い。大嫌い。

 貴女も、あの女ーーフレラとおんなじだ。

 つぶらな、大きな瞳をして、肌は色白で、その愛くるしい顔で、オトコを誘惑するんでしょ!?

 許せない。

 アイツは私の婚約者を奪った。

 許せない。

 お前なんか、幸せになるべきじゃない。

 今度は私が奪ってやるんだから!

 私がお前の婚約者を奪って、結婚してやる。

 邪魔立てするなら、お前を殺す!

 貴女も、もう知ってるんでしょ!?

 私のーーシャルロット・ロールサランの怖さを!」


 アネットは扇子の裏でせせら笑う。


「さあ?

 下衆な令嬢や下男どもを使役して得意がっているほかは、これといって聞き及んでいませんがーー。

 そうですか、シャルロット様は、私の婚約者を奪いたいんですか。

 さすがは婚約破棄された『引き篭もり令嬢』は、言うことが違いますね。

 男性からの愛ではなく、他の女性への辱めを真っ先に欲するとは。

 そんなことだから、キーツ・デルフォイ様から疎まれるんですよ?

 それに、残念ですね。

 私の婚約者であるアウター・シュライク様は、きっとシャルロット様のような厚かましい女性はお嫌いになるかと。

 だって、さして面識もないアウター様を私から奪うって、要するにシャルロット様は、男性なら誰でも良いってことですよね?

 ああ、違うか。

 ある程度は高位貴族家のオトコじゃないと、見向きもしないか。

 でも、貴女がどう思おうと、アウター様は、私を愛してくださってるようですよ?」


 アネットはバックから新しいブローチを取り出す。

 青い薔薇があしらわれていた。

 それを扇子に持ち替えて、シャルロットに見せつける。


「私、昨日までの二日間、連続して、婚約者のアウター様にお逢いして、話したのです。

『ごめんなさい。

 以前、貴方からいただいた赤い薔薇のブローチを、変な女性に奪い取られてしまいました。

 盗んだ女性は、浅ましく飢えていたようで、私に返そうとしないのです』と。

 すると、アウター様は優しく、私の赤髪を撫でてくださって、

『君も人を憐れむのは大概にしなさい。

 何より貴女自身を大切にしないと』

 とおっしゃって、昨日、新たなブローチをくださったのです。

 この青い薔薇のブローチです。

 どうやら彼、赤い薔薇のブローチを、飢えた物乞い女にでも取られたと勘違いなさっているようでしたわ。

 ほほほほ!」


 シャルロット嬢がカッとなって、アネットに襲いかかってくる。


 新たなブローチを奪い取ろうと、シャルロット嬢は手を伸ばした。

 が、その手はブローチまで届かなかった。

 シャルロット嬢の白い腕を、アネットがガッチリと掴んだ。

 それだけでシャルロット嬢は身動きできなくなった。


 シャルロット嬢は両目を見開いて、うわずった声をあげる。


「な、何なの?

 力が入らない。

 身体が痺れてーー」


 アネットは、力なくへたり込むシャルロット嬢に身を寄せ、彼女の耳元で囁いた。


「先程、シャルロット様が飲んだ珈琲(コーヒー)、毒入りなの。

 貴女なら、きっと私から水筒ごと奪って飲んでくれると思ったわ。

 浅ましいオンナだから」


「な……な……!?」


 アネットの目の前で、シャルロット嬢は顔を顰めつつ、床に崩れ落ちていく。

 その前に、シャルロットのブラウスのポッケに手を突っ込み、アネットの赤い薔薇のブローチを取り返す。

 そして、アネットは自分の紺色のドレスに、赤と青の薔薇のブローチを取り付ける。

 足下でうずくまるシャルロット嬢の身体を、グリグリとハイヒールで踏み躙りながら語った。


「我がベルニー子爵家は、王宮の植物管理を任されております。

 ですが、植物知識の副産物として、植物性の毒物についても詳しくなっているんです。

 ちなみに、このキノコ由来の毒は、面白い効き方をするんですのよ。

 初めは痺れて、次第に痙攣して、やがて呼吸が苦しくなるの。

 致死率は半々ってとこかしら。

 あら、失禁するだなんて、知りませんでしたわ。

 これも毒の効用かしら?

 それとも、単にシャルロット様がビビリだから?

 興味深いわ。

 ほほほほ」


 そうした説明をしているうちにも、シャルロット嬢の全身が小刻みに痙攣し、尿で下半身を濡らせていた。

 シャルロットは喘ぎつつ、なんとか言葉を発する。


「ど、どうして、ここまで……。

 私、貴女には、それほど酷いことはーー」


 アネットは、苦痛に顔を歪めるシャルロット嬢を下に見据えて、ズンッ! と彼女の腹を踏み付けにした。


「ええ。私にはね。

 でも、因果は巡るものよ」


 そのとき、アネットの背後へと迫る人物がいた。

 老侍女マルゴンヌが扉を開けて、部屋へと入ってきたのだ。

 あらかじめアネットが持参してきた籠を持って、シャルロットの部屋に入ってくるよう、言い置いていたのだ。


 アネットは、足下のシャルロット嬢に目を据えたまま、振り向きもせず、老侍女に言い渡す。


「この籠にあるのは毒キノコです。

 これを乾燥させて粉末にしたのを、砂糖に混ぜて使用しました。

 私が飲んだのはブラック珈琲(コーヒー)ーー砂糖なしですが、奥方様は砂糖入りを飲んだはずです。

 奥方様は今、どのようなご様子でしょうか?」


 マルゴンヌは、あたかも長らくアネットにお仕えする侍女のごとく、灰色の瞳を細めて頷く。


「はい、奥方様は、すでに口から泡を吹いて昏倒しておられます」


 一階、応接間のソファの上で座ったまま、ヴィラニア・ロールサラン公爵はテーブルに突っ伏しているという。

 アネットは満足げに扇子で膝を打つ。


「そうですか。

 奥方様と珈琲をご一緒したあと、毒入り砂糖を、水筒の珈琲に注ぎ込んだのです。

 うまいことシャルロット嬢が水筒を奪い取って、珈琲を飲んでくれました。

 ーーで、話を戻しますと、この籠にある毒キノコを、こちら、ロールサラン公爵邸に置いておきます。

 ですから、貴女は、事件捜査の方々が調査に来たら、

『奥方様がこれを使って調理するよう命じたので、仕方なく食事に出した』

 とでも言いなさい。

 このロールサラン公爵家に問題があるのは周知の事実ですから、貴女が、これまでロールサランの母娘が行ってきた数多くの犯罪行為について暴露さえすれば、重く罰せられることはないと思います」


「私のような年寄りにまでお気遣いいただき、ありがとうございます」


 白髪頭を下げるマルゴンヌに対し、アネットはねぎらいの言葉をかける。


「貴女も今まで大変でしたね。

 ほとぼりが冷めたら、私の嫁ぎ先の屋敷に来なさい。

 夫のアウターに良く言い含めておきます。

 歓迎するわ」


 老侍女マルゴンヌは、頭をあげ、珍しく微笑む。


「重ね重ね、感謝いたします。

 ですが、私の罰は、これからすることで確実に重くなるので、ご好意に応えられるかどうかはわかりません。

 ですが、せっかく得た機会です。

 これを逃すことはできません」


 老侍女は、壁に立てかけられていた革鞭を手に、床にうずくまるシャルロット公爵令嬢の許に、ツカツカと歩み寄る。

 その鞭を掲げ、主人であるシャルロット嬢に向けて、思い切り振り下ろした。


 バシッ!


 バシッ!


 一発目はシャルロット嬢の胸部を、二発目は腹を直撃した。


 それからマルゴンヌは革鞭を放り捨て、床にうずくまる嬢に馬乗りになって、拳を握り締める。

 そして、シャルロットの顔をめがけて、思い切り殴りかかった。


 バキッ!


 ボコッ!


 ゴツッ!


 鈍い音が響き渡ると同時に、老侍女マルゴンヌの甲高い声が、部屋中にこだました。


「いつもいつも母娘揃って、面倒ばかりかけやがって!

 旦那様が温厚なお方だから、長年仕えてきたけど、もう限界だわ。

 アンタたちみたいな甘ったれ寄生虫の世話で、一生を終えるだなんて、我慢できない。

 男爵家の三女に生まれたってだけで、どうして私はこんな人生に!?

 許せない、許せない!

 アンタを鞭打って、棒で殴ってやる。

 気が済むまで殴ってから、母親も殴ってやる。

 母娘揃って、青く腫れた顔で、あの世の旦那様に謝りに行くが良いわ!」


 シャルロット公爵令嬢は息も絶え絶えになって、朦朧となりながら、


「やめて……ごめん……ばあや、怒らないで……」


 と呟いていた。

 が、老侍女は、空耳とばかりに聞き流すだけだった。

 幼少時以来、シャルロット嬢が自分に謝るのを聞いたことがなかったからだ。


 やがて四肢の痙攣が激しくなり、シュー、シューと掠れるような呼吸音すら聞かれなくなって、シャルロット嬢は白眼を剥いて失神した。

 血だらけになった口から、血濡れた歯が何本も床に転がっていた。


 老侍女マルゴンヌは満足そうな笑みを浮かべて一息つくと、ゆっくりと立ち上がり、傍らに立つ立つアネットには目もくれず、


「あとは奥方様を……毒がどれほど回っていようと、抵抗できなくなった今こそ、私の手でしっかりと終わらせないとーー」


 と呟きながら、幽鬼の如き形相で部屋を出て行った。


 そのさまを、アネット・ベルニー子爵令嬢は戦慄を感じながらも、静かに見送るだけだった。


◆3


 そして、半月後ーー。


 アネット・ベルニー子爵令嬢は、いつも通りの日常生活に戻っていた。

 植物に囲まれた自宅の庭で、お茶を楽しんでいた。


 ただいつもと違うのは、家族相手のお茶ではなく、今日は友達を客として招いていた。

 白いドレスを身にまとった、亜麻色髪の美女、フレラ・レナワイン伯爵令嬢だ。


 シャルロットによって車椅子生活を余儀なくされたフレラ嬢は、じつはアネットの幼馴染の親友だった。

 アネットとフレラとは、家も隣同士だ。

 フレラがようやく車椅子で外出することができるようになったので、いつもはこちらから彼女の実家レナワイン伯爵邸へ訪問するばかりだったから、今日は逆に、ベルニー子爵邸でのお茶にフレラを招いていた。


 じつはアネット・ベルニー子爵令嬢は、お茶だって飲めるのだ。

 アレルギーというのはロールサラン公爵家の母娘に対してだけの嘘だった。


 通常の茶葉を使ったティーでは、キノコ毒を混入しても、味によって異変に気づきやすい。

 だから、「お茶が飲めない体質だ」と偽り、ロールサラン公爵家の奥方様に珈琲(コーヒー)を飲んでもらうよう誘導した。

 持参した珈琲と一緒に、砂糖に混ぜた毒を、公爵家の母娘に飲ませるためだった。

 砂糖の甘さと珈琲の苦さ、そして何よりも馴染みのない味によって、キノコ毒の混入に気付かせないためだった。


 アネットは、親友とお茶席を共にしながら、これまでの三年間に想いを馳せた。



 親友フレラ・レナワイン伯爵令嬢が、危うく死にかけた。

 それも、暴漢に襲われて。

 それなのに、親友フレラをこんな酷い目に遭わせておきながら、陰謀の黒幕であるシャルロット嬢が、いくら有力公爵家の娘だからって、何の処罰も受けないだなんて、アネットには納得できなかった。

 隣のレナワイン伯爵家に駆け込んで、アネットは見てしまった。

 重傷を負い、寝た切りとなって、いまだ意識を取り戻さない、親友フレラの姿を。

 アネットは赤髪を震わせ、涙を流し、歯軋りをする。

 そして、親友の仇を討つことを、心の内に誓った。


 だがしかし、この仇討ちについては、親に頼れなかった。

 アネットのお父様はヘタレだった。


「ロールサラン公爵家は、我がベルニー子爵家の寄親なんだから、我慢しろ」


 と言うのだ。

 それどころか、「これ以上、レナワイン伯爵家に訪問するのを控えなさい」と言う始末。

 権益上の問題が色々とあって、アネットとフレラの実家は両方とも、寄親であるロールサラン公爵家の不興を買うのはマズイらしい。

 でも、アネットは、親友の仇討ちを諦めるつもりはなかった。


 実際、シャルロットの父親アドルフ・ロールサラン公爵が存命のうちは、手を出せなかった。

 が、昨年、彼が事故で亡くなったから、ようやく復讐に動き出すことができた。


 でも、ロールサラン公爵家を恐れる必要が少なくなったとはいえ、親友の仇を討つには、まず、親友を襲った暴行事件の黒幕に復讐の刃を届かせねばならない。

 なのに、アネットには、シャルロットに近づく方法がなかった。

 寄親貴族家の令嬢とはいえ、学年が離れていたうえに、取り巻き令嬢たちから締め出されるような形で、今までもシャルロットのお近づきになることはできなかったからだ(別に、取り巻きになりたくもなかったから、一向に構わなかったが)。

 

 どうしたものかと思っていたら、好機がいきなり訪れた。

 寄親貴族家のアング・トゥール伯爵から、「ロールサラン公爵家での短期奉公」の依頼が舞い込んで来たのだ。

 シャルロットの話し相手になってくれ、と言われたのである。

 アネットにとって、まさに、渡りに船だった。

「腹黒伯爵」ことアング伯爵から大金をせしめたうえに、親友の仇に近づくことができる。

 これこそ、神様のお導きだ、とすら思えた。


 ところが、ここでアネットに、少し心境の変化が訪れる。

 それまでの三年間、どうやって、親友の仇を討ってやろうかと、いろいろ考えてきた。

 だが、いざ、仇討ちが実行可能となると、ためらいも出てきたのである。


 訊けば、この三年もの間、シャルロット嬢も自室に引き篭もっていたらしい。

 考えてみれば、彼女も厳しい状況下にある、と理解できた。

 衆人環視の中で、イケメンから婚約破棄されるのは、さすがにショックだっただろうし、頼みの綱である父親アドルフ公爵も失っているのだ。

 それまで偉そうにしてきた分だけ、なおさら苦しい立場に追い込まれているのかもしれない、と憐憫の情も少しは湧き起こった。

 だから、もしシャルロットが、心底、恥入って、自殺未遂でもしているようだったら、懲らしめる程度に、復讐を抑えるつもりになっていた。

 その頃には、親友フレラの体調が順調に回復していて、おまけにイケメン侯爵令息とラブラブになっていたから、当初の怒りが幾分か和らいだこともあった。


 ところが、実際にシャルロットに接してみたら、反省なんかまるでしていない、心底、クズ人間だと確信することができた。

 なので、親友の仇を討つのに、ためらいはなくなった。


 とはいえ、老侍女マルゴンヌが、あれほど主家の奥方様とお嬢様とを恨んでいたとは、思わなかった。

 せいぜい毒キノコに当たって苦しめる程度(それでも、ヘタしたら後遺症が残り、半身不随になりかねないのだが)を狙っていたのに、まさかロールサラン公爵家の母娘もろとも、虐殺することになるとは。

 改めて、自分も使用人には優しくしよう、と肝に銘じたアネットであった。



 ティーカップを片手に、アネットはぼんやりと思案に耽っている。

 そんな彼女を目にして、フレラ・レナワイン伯爵令嬢は車椅子から少し身を乗り出し、紅茶を口にした後、カップを皿に置く。

 そして居住まいを正し、金色の瞳を閉じつつ、亜麻色髪の頭をペコリと下げた。


「アネット。

 今日は、貴女にお礼を言わせて。

 シャルロット公爵令嬢のこと、いろいろとありがとう」


 いきなり、親友が自分に感謝の意を示したのだ。

 それを見て、アネットは思った。


 どれだけのことを私がしたと、フレラが思っているのか、わからない。

 ただ、私がロールサラン公爵邸に出向いた直後に、公爵家の母娘が毒で死んだので、私が何かした、と思うのが自然ろうな、と。


 実際、「キノコ毒によって、あの憎いシャルロット・ロールサラン公爵令嬢が死んだ」と聞いただけで、フレラ伯爵令嬢には察するところがあった。

 祖父から仕込まれた様々な植物の知識を蓄えたアネットによって、子供の頃から何度も、変な飲み物をフレラは飲まされてきたのだ。


 その度に、苦そうに舌を出して、「もう、またイタズラして!」と怒るフレラ・レナワイン伯爵令嬢の顔を、アネットも懐かしく想い出す。



 アネットは殊更、明るい調子で手を振った。


「いやぁね、フレラ。

 私たちはお隣さん、子供の頃からの親友じゃないの。

 それに、私はロールサラン公爵家に、短期奉公に出向いただけよ。

 報酬が前金でいただけたから。

 そして、奥方様に珈琲(コーヒー)をお勧めしたの。

 娘のシャルロットには、水筒に入った珈琲ごと奪われてしまったけど……。

 それにしても、まさか、母娘揃って毒キノコにやられてしまうなんてねえ。

 あの家には優秀な侍女がいたんだけど、彼女が奮闘努力したのに、こんな悲劇に終わるなんて。

 ほんとうに、恐ろしいことだわ」


「ふふふ」


 とフレラは目を細めて、笑みをこぼす。


「わかったわ、アネット。

 そういうことにしておく。

 でも、ほんとに、ありがとうね。

『罪を憎んで、人を憎まず』

 っていうけど、被害者にしてみれば、そんなこと、出来ないから。

 ほんとうに感謝してる」


 ちなみに、すでにロールサラン公爵家は廃絶することが決定していた。

 ヴィラニアとシャルロットの母娘が死亡した後、人格者と謳われていた亡きアドルフ・ロールサラン公爵が相当、方々で恨まれていたことが明らかとなったのだ。

 サラバンド王家の推測に反して、名門公爵家ロールサランの廃絶を望む貴族家が多く、一族の親類縁者や派閥の幹部などが後継候補にあがったものの、結局、ロールサラン公爵家の家名を存続させることはできず、莫大な資産と領地は、複数の貴族家によって分割されることとなったのだ。


 ロールサラン公爵家の廃絶を受けて、老侍女マルゴンヌも寛大な裁きに処され、情状酌量によって軽い労務刑を課せられただけで済んだ。

 ヴィラニアとシャルロットの母娘には、マルゴンヌによって殴られて、頬が腫れ上がり、首にも締め付けられた跡があった。

 だが、それらもすべて、

「毒で昏倒した主人たちを慮って、息を吹き返させようと、老侍女が苦闘したからだ」

 ということになった。

 かなり強引な解釈で驚かされるが、裁判官がそれだけマルゴンヌを憐れに思ったのだろう。

 彼女はそれまでの侍女失踪事件についても知っている限りは詳細に供述し、マルゴンヌ自身が殺人に関与したかどうかは不明ながら(本人の告発のみで、命令をしたロールサラン公爵家の母娘や、犯行の実行犯も死亡したり、行方不明ばかりなので、傍証を得ることができない)、おおよその事件概要を掴むことに協力したとして、罪が減ぜられたことが大きかった。

 老侍女マルゴンヌは、晴れて来年には、アネットの嫁ぎ先であるシュライク伯爵邸で勤めることとなるだろう。


 今度は、アネットが、フレラ・レナワイン伯爵令嬢にお礼を返した。


「それにしても、キーツ・デルフォイ様から詳しい情報をいただけて助かったわ。

 彼に、私がロールサラン公爵家に臨時雇いされてるのを伝えたの、貴女なんでしょ?

 キーツ様ったら、あの綺麗な顔で心配してくれるものだから、危うく公爵家への再訪を止めるところだったわ。

 でも、私も今回の訪問については、満足してるのよ。

 あのシャルロット公爵令嬢とその取り巻きどもは、貴女の事件がなくても、大嫌いだったんだから。

 学園での悪い噂は耳にしてたし、舞踏会でも横柄な態度で、皆に嫌味ばっか言って。

 そのくせ、ダンスが下手なんだから」


 アネットは実際、お山の大将を気取っていたシャルロット嬢よりも、その取り巻き令嬢たちの方を、より嫌悪していた。

 同学年の令嬢もいたし、彼女たち取り巻きが、もっとちゃんとしていれば、シャルロットもあれほど横暴な性格にはならなかったのではないか、と思えたのだ。


 事実、フレラが暴行を受けたことで、アネットがシャルロットとその取り巻き令嬢たちを恨み、仇討ちをする機会を窺っている、という噂が、同世代の貴族令嬢の間で流れていた。

 おかげで、「アネットが何か仕掛けた結果、ロールサラン公爵家の母娘が死亡した」ということは、学園時代の旧友たちの間では共通認識となっていた。

 おかげで、シャルロットにお追唱ばかりして、いじめの共犯をしていた取り巻き令嬢たちも、アネットを恐れて引き篭もり始めた。

 さらに、当時、いじめられたり、貶められた被害者たちが、自分が被害を受けたという証言を書き連ねた文書や、証拠などを、アネットの実家ベルニー子爵家に寄越してきて、「復讐してくれ!」と訴える事案が相次いでいた。

 アネットにしてみれば、別に復讐請負業を始めたつもりもなかったから、とりあえず、寄越された証拠を、取り巻き令嬢たちの婚約者の実家に送付することにした。

 中には結婚している者もいたから、その場合は、旦那様のお母様宛に、証拠や証言を記載した文書を送っておいた。

 どうなるかは知らないが、それなりの成果はあったようだ。

 事実、取り巻き令嬢たちの大半が引き篭もったそうだから、それもこうした過去のいじめや謀略に加担したことが暴露された結果かもしれない。


(やることはやった。

 うん、私にやれることは、こんなものよ)


 アネットは、親友の笑顔を眺めつつ、満足することにした。

 とはいえ、それでも、不公平感は残った。


「平民の方々の仇も討てたから、嬉しいんだけど……。

 それでも、平民女性たちの被害も明らかなのに、捜査も行われないだなんて理不尽なことね」


 アネットが一気に紅茶を口の中に流し込んで、頬を膨らます。

 そのさまを見て、フレラは口に手を当てた。


「仕方ないわよ。

 王家や政府のお偉方としては、平民の間にまで、これ以上、高位貴族家の醜聞を広めたくはないのでしょう。

 あくまで表向きは、毒キノコによる中毒死という形で、ロールサラン公爵家にまつわる事件を終わらせたいのよ。

 それだけでも、『天罰が下った!』と平民たちは喜んでくれるはずよ」


 随分と分別くさい見解に思えたが、そうやって現実を飲み込むところがフレラにはあって、そういう現実的なところも、嫌いではないアネットは、肩を竦めて、話題を変えることにした。


 アネットは目を輝かせて、テーブルに身を乗り出す。


「で? 私の結婚は来春のことですけど、貴女は?

 良い方がいらっしゃると、貴女付きの侍女から伺ったんですけど?」


「嫌だわ。口が軽いったらないわ」


「やっぱり、お相手は?」


「ええ。キーツ・デルフォイ様よ。

 プロポーズしてくれたわ。

 でも、正直、素直に喜べないの。

 元婚約者の謀略のせいで、私が身障者になった。

 その罪悪感から、キーツ様が私と結婚するとしたら、それは間違った決断だわ。

 彼に申し訳ない。

 だって、シャルロット公爵令嬢が悪いだけで、キーツ様も被害者だったのですから。

 それに、私の意識がなかったときのことで事実はわからないけど、下衆なオトコどもに貞操を奪われたと、皆が信じてるはず。

 だったら、キーツ様のご実家や、一族の方々にも気を遣わせることになるわ。

 結婚を祝福したくない人も、きっと現れるはずーー」


 フレラ・レナワイン伯爵令嬢が暴漢どもに襲撃された際、頭や腹を殴打されて昏倒し、意識が戻ったときには病院で寝かせられており、四肢に麻痺が残るほどの重傷を負わせられていた。

 上半身も下半身も傷付いて血塗れだった。

 内臓や子宮が無事だっただけでも信じられないほどの、惨憺たる有様だったという。


 それを承知していながら、アネットは親友フレラを励ますように、事件以前の学園時代の頃のような口調で話を続けた。


「あら。

 それでも、キーツ様は、

『構わない。全部、僕が背負うから』

 って言ってくれたんでしょ?

 貴方自身がそう打ち明けてくれたじゃない。

 だったら、あれこれ考えるのも、キーツ様に失礼よ。

 もっとも、そういった、相手を気遣う、フレラの優しいところが気に入られたのよ、きっと。

 良いじゃない?

 下衆なオトコどもに襲われて、貴女が大怪我をしたってだけで、見捨てて逃げた元婚約者のジョンより、キーツ様の方がよほど善人だわ。

 幸い、爵位も上だし、顔の造りもずっと良いんだから。

 申し分ないじゃない?」


 長年の親友ならではの語り口に、フレラ伯爵令嬢は苦笑する。


「もう、アネットったら。

 そんな言い方、よしてくださる?

 でも、こんな身体になった私を、キーツ様は愛してくれて嬉しいの。

 一緒にまたダンスが出来るようになるまで、リハビリにも付き合ってくれるって言うのよ」


「あら、惚気(ノロケ)ちゃって。

 でも、こうなると、キーツ様と結ばれるきっかけを作ってくれたことだけは、シャルロット嬢に感謝、かもね」


「それは、ないわ。

 この身体が完全に元通りにならない限り、絶対にね!

 後遺症だって心配なのに。

 アネットは痛みがないから、そんなことをーー」


 頬を膨らませながら、フレラ伯爵令嬢は怒る。

 アネットは苦笑混じりに手を合わせて謝る。


「ごめんごめん、ほんと、失言、撤回。

 私もアイツは大っ嫌いだから。

 実際に、アイツを退治するに至る働きをしたってことで、許してください」


「わかったわ。

 私、貴女の結婚式に出席するから、私にブーケを投げ渡してくれたら、許してあげる」


「承知仕りました、お嬢様」


 アネットとフレラは二人して扇子を広げて、ほほほほ、と笑い合う。

 軽やかな歓談が続く。


 普段の穏やかな日々が始まろうとしていた。


(了)

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それにしても、父公爵のことも、やべー母娘も、以前から国の上層部は事実を把握してたんだろうに(把握してなかったらそっちの方が問題だ)、もうちょっとどうにかならなかったのか。身分制度がある社会なら、高位の…
やべーシャルロッテを甘やかしてた父公爵が人格者?って思ったら、実は周囲に嫌われてたのに納得。 娘と違って上層部への外面だけ異常に良くて下の者には横暴だったのかな。明らかに娘の犯罪を家の力で揉み消して…
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