作戦会議
知華の搬送から六日目
那津は朝五時台の始発に乗って、病院を目指した。
鞄にしまった桔梗柄の本を取り出して、もう数十回は見た内容をまた見返した。
決定的な弱点や目的が書かれている訳ではなかったが、知華の中に何がいるのか、それが分かっただけでも大きく事態は動くだろう。安や紅野が知恵を貸してくれれば、有効策が見えるかもしれない。
那津は車窓の外の景色を見た。
数日前と何ら変わらないはずの冬山の景色。
色彩が薄れた灰色の世界は、今は色を持っているように那津の目に映った。
そして三日前と同じ様に、ひたすらに早く着けと考える。
朝十時。
那津はようやく病院に到着した。はやる気持ちから荷物も全て持ったまま、病院に走った。
事前に到着時間を安達に知らせていたので、特室の前に着くと安、紅野、宇田の三人が待っていた。
那津の姿を見つけると、安は破笑した。
「お疲れ、那津!」
大きく手を振って言う安に、宇田がしーっと人差し指を唇に当てた。安は苦笑いしながらも、その笑みを崩すことはしなかった。
那津は小走りで寄って行き
「待ったか?」
と尋ねた。安は首を振った。
「さっき一回目のお祓いが終わった所。奈海ちゃんもたった今帰った所なんよ」
那津は奈海とはすれ違わなかったので、入れ違いになったようだ。
「手記も早く見たいけど、まずは知華の顔を見に行ってよ。面会できるようになったから」
そう言われ、那津は病室を見た。
彼の記憶にあるよりも、点滴と機械の数が減っている。本当に良くなってきているんだな、と実感した。
扉の前にある消毒液を付けると引き戸に手を掛け、ゆっくりと開ける。
病院特有の臭いはなく、心電図のピッピッという規則正しい音が響いていた。
知華の傍に行くと、固く目を閉じた顔が見えた。まだ挿管されたままなので口から出る管が邪魔をしたが、少し痩せたことが分かる。
ベッド横の丸椅子に腰掛けると、那津はそっと手を握った。
冷たい。
両手で知華の手を包み込むと、那津は声をかけた。
「しばらく来れんで、ごめんな。ちょっと県北に行っとった。宗原さんの手記、見つけたで。俺一人でも何とか出来たわ。大変やったけどな、やっと見つけた」
ぐっと手に込める力を強くする。
知華が手を握り返すことはないが、それでも手を通して気持ちを届けたかった。
「これから安井達とそれを見る所。作戦立てるけ、もう少し待ってな。知華……もう少し、もう少しやから……」
那津は知華のおでこにコツンと、自分のおでこを付けた。
どうか、どうかー
知華が目覚めますようにー
しばらくそうすると「また来るわ」と言い、手を離した。
那津が病室を出ると、安は強い目で言った。
「じゃ、早速手記を見させてもらうで」
四人は滞在中のホテルに戻った。
ソファーに座り、小さなテーブルを四人で囲む。
那津が取り出した手記を前にして、宇田が尋ねた。
「どこで見つけたん?」
「宗原さんの部屋の、押し入れです。作り置きの棚、二段目」
それを聞き、安は目を見開いた。
「あそこ?あたしらも何回も見たんで?」
「昼間やろ、それ。あの棚の引き出しな、内側に貝細工が埋め込まれとるんよ。引き出しを開けただけじゃ分からんけど、懐中電灯で照らすと光ってな。指でなぞったら小さな突起があって、そこを開けたら隠し蓋が開く仕掛け」
説明すると、安と宇田はうーんと唸った。
「なんてややこしい……」
「ほんまに見られたくなかったんやな……」
弟子二人がかなり苦い顔をしたので、紅野は声を出して笑った。
「なんともお師匠らしい隠し場所じゃな」
隣にいた佐藤さんも口の端を吊り上げて苦そうに笑っている。
「確かに、あの宗原らしい陰気な場所じゃ……」
ひとしきり笑うと、紅野は桔梗柄の表紙をそっと触った。
ざらつく手触りを確かめるように「見つけられて良かった……」と呟いた。
そして顔を上げると三人を見て、強い光を目に宿して言った。
「早速、中身の見聞をしよう」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「西田久子さん。人に憑依した者の姿を暴く《あばく》力を持った人。オマモリサマは人間の体の中に入っとるから、霊感がない人にも姿が見えるんやな。それに
本体とは別に、自分を分身にして人間に憑かせることが出来る……。なる程……。辻褄が合うな」
安は手記の内容を端的にまとめ、紙に書き起こした。
「影を飛ばせるのは三人まで。それは確認済みやけど、西田さんが見た限り、それは一回しかなかった……。知華の中にオマモリサマの影がある。取り憑かれとるのと同じ状況やから、穢も寄ってきやすい……」
『穢』の文字にグルグルも丸をする。
「異様に穢を引きつける原因も、分かったって事やな」
那津が言葉を挟む。
「問題はこっから」
宇田が腕組みをして難しい顔で紙を見つめた。
「分身した影をどうやって身体からは引き離すのか……。西田さんの見えとった様子じゃと、死亡と同時に消えとる。お祓いで強制的に引き剥がすことも出来るじゃろうけど、影を使って知華さんの体を操られたら厄介じゃな……」
宇田の言葉を受け、安も眉間にシワを寄せた。
「もし、影の影響で前みたいに知華の体を使って暴れたりされたら、どうにも難しいもんな……」
ましてや、今は危篤中。
目覚めたとしても体力が落ちている。そんな身体で暴れたり抵抗されれば、最悪、容体は逆戻りだ。
「知華の体力回復を待つのも一つじゃけど……時間がかかるやろうし……。完全に知華を人質に取られとるな……」
那津としても、知華の中からオマモリサマを早く追い出したい。そうしなければ穢はまた寄ってくる。きっと知華の回復にも影響を及ぼすだろう。
三人は頭を抱えた。
手記には宗原なりの対策も書かれていたが、途中で終っている。情報が少なく、対策の立てようがなかったのかもしれない。
西田が見たオマモリサマ関連の事案は、一家三人の事件と薄い影を入れた人達の事しか載っていない。
オマモリサマ本体についても、町で見かけた以外は書かれていなかった。
オマモリサマが宗原や西田の近くから移動し離れてしまったのかもしれない。だとすれば、情報が途切れのも仕方がなかった。
「宗原さんはこの事を、他の霊媒師仲間に伝えんかったんかな?」
那津が素朴な疑問として口にした。
それには紅野が答えた。
「お師匠は人付き合いがないからな……。それに手記にも『自身の勝手な見解のため、書物は別にして記す』と書いとる。気になる事もあったんじゃろうが、目を閉じる事にしたんやろうな」
宗原の性格を考えると、十分にあり得る判断だった。
「安、以前に話したな。『似たような怪異を知っているか』と問われた時、一人だけ心当たりがある、と……」
安はその言葉に、去年の事だったと思い出し、頷いた。
「あれはな、私がまだ修行時代だった頃の話じゃ。私は街で不自然な青年を見た。異様な雰囲気を持つ青年で、おおよそ人間とは思えんかった。じゃけど霊感がない者にも見えとって、買い物をし、会話もしとった。じゃけどどうにも気にって、宗原お師匠に情報を持っていないかと尋ねた。そしたら師は『あれに関わるな。飛ばされるぞ』と言った。あの時も、口ぶりから考えて何か知っとるんだろうとは思ったが……。遂に何も聞けずじまいじゃった。他の兄弟子たちとも話の話題に上ったことがあったけどな。ただの噂話のような形で終わった」
「つまり、お師匠が宗原お師匠に尋ねた時には、オマモリサマが影を飛ばす存在と知っていた……?」
宇田の言葉に、紅野は頷いた。
「あれはお師匠が亡くなる十五年ほど前じゃったからな。おそらく、知っとったんじゃろう」
「じゃあ、お師匠はこの西田さんもご存じなんですか?」
安に尋ねられ、紅野は少し悩んで答えた。
「……知っとる、とは言えんな。私が修行を始めて頃にはすでに居なかった。噂で聞いたことはあったけど、ほとんど家事手伝いをしとったらしゅうてな。活躍ぶりや人柄も知らん」
紅野の言葉に、安は佐藤さんを見る。
「佐藤さんも?その頃は居なかった?」
「流石にそんなに長くはおらん。面識はないな」
そう言われ、肩を落とした。
オマモリサマの事も、知華の中に影がある事も分かったが、対策の案は浮かばない。
知華の体力を考えれば逆に下手に手を出さないほうが良い、という事が分かった。
「これじゃあんまり動けん……。お師匠、知華から穢をだいぶ落とせば、オマモリサマにも影響があると思いますか?」
聞かれて考えるが、その可能性は低い様に思われた。
「いや、あまり関係ないじゃろうな。穢は飽くまでオマモリサマの影がついとる事による副産物。無くなった所で影の存在に大きな影響はないじゃろう」
安は暗い顔をした。そうなると、知華の中の影を祓う方法は考えない方がよさそうだ。
那津が難しい顔で言った。
「つまり、オマモリサマ本体をなんとかせんと、知華の影は消せない……」
「結局は直接本体を叩くしか術がないか……」
宇田のセリフに、安は心配顔で言った。
「それじゃあ知華を人質にとられる!知華を盾にされたら何もできん!」
最もな意見だった。
安も宇田も悔しそうに顔を歪めた。
「知華の中に影がある限り、オマモリサマはいつでも知華を盾に出来る。かと言って、知華の中の影だけを祓う方法は分からん。確実に分かっとるのは、取り憑いとる人間が死ぬと影は消えるって事。八方塞りやな……」
那津が判明した事をまとめた。これではさらに自分達の首を絞めたようなものだと、安と宇田の心はさらに落ちた。
しかし暗い二人を除き、那津だけは少し違った。
佐藤さんはその顔を見て、何か考えがありそうだと思った。
「香西兄ちゃん、何か考えがありそうやで」
俯く二人に佐藤さんは伝えた。
その言葉を聞くのと同時、那津が口を開いた。
「紅野さん、一ついいですか?」
名を呼ばれ、紅野は那津を見る。
「オマモリサマはずっと一人の人間の体に入っとるんでしょうか?例えば、時々体を変えてるって事はあると思います?」
紅野は軽く眉間にシワを寄せた。
「器を変えるように、人間の体を移動しているか、という意味か?」
那津は頷いた。
「……それは、分からん。じゃけど私が見た時の背格好と、安達の話を聞いた姿は類似点がある。少なくとも六十年は姿を変えとらん」
話の先が見えない安は、「それが何?」と尋ねた。
「人間がそんなに長く体を保つのって、難しいんじゃないかと思って。オマモリサマが入っとるなら、尚更じゃないん?」
そう言われ、安はハッとした。
宇田も思案声の後、「確かに……」と呟いた。
「怪異が一人の人間に半世紀以上憑くって、前例があるんでしょうか、お師匠?」
弟子の言葉に紅野も考える。
「……いや、聞かんな。その前に祓われるじゃろうから」
「確かに、ワシも聞いたことがないわ」
佐藤さんも答えた。
「だったら、それが弱点になりませんか?」
那津が続ける。
「オマモリサマの体は確かに腕が伸びたり驚異的にジャンプしたりします。じゃけどどれも全部、普通の人間にはできん事や。全く負担がないはずはない。ましてや、オマモリサマが憑依しとる体は半世紀以上前のもの。どこかにガタがきとる可能性はありますよ」
那津の見解に、安は僅かなからに光が見え、表情を明るくした。
「だったら、知華を結界の中に入れて守りを厳重にして、オマモリサマの本体を叩くのが一番ええ方法かもしれん」
「かなり細い綻びにすがりついとる気はするけど……それしかないかも知れんな。お師匠、どう思われます?」
弟子2人の熱い視線を向けられた紅野は、腕組みをして考えた。
確かに、那津の考えは一理ある。
人間の体は脆い。怪異からすれば想像以上に。
異様な身体能力は、それ程オマモリサマが体に馴染んでいる証。そうなれば、肉体への影響も大きだろう。
まだまだ十分な情報を得たとは言えない。しかし、これ以上待っても情報が集まるとは思えない。
となれば……その策で行くしかないかー
数分の熟考の末、紅野はやっと口を開いた。
「知華さんが倒れてもうすぐ一週間になる。オマモリサマが知華さんを『見てる』のなら、弱っとることにも気がついてるじゃろうな……。今なら簡単に魂を引き抜けるじゃろう。このタイミングで出てくる可能性は高い」
安と宇田は二人揃って頷いた。
「そこを狙って叩くのがいいじゃろうな。安の言うとおり、知華さんの守りを固めて、万全にして迎え撃とう」
「はい」
弟子二人が力強く返事をした。やっと方向性が決まった。
しかしそんな二人の隣で那津は一人、疑問が浮かんでいた。
少し恐ろしい疑問だ。
人間の魂の抜き方について。
以前安が倒れた時、光の玉が無数に空に飛ぶのを見た。後に、あれが人の魂だと安から聞いた。
死んでいるのなら魂は外に出てくるのだろうが、生きている人間の場合は?
「……あの、怖い事聞いてもええですか?」
遠慮がちに言う那津に、霊媒師三人の視線が集まる。「生きとる人間から、どうやって魂を抜くんです?」
その質問に、三人とも口を噤んだ。一様に暗い顔で俯いてしまった。相当言いにくそうだ。
「ちゃんと教えてやってもええんと違う?言いにくやろうけど」
佐藤さんが口を出した。
「香西兄ちゃんかて、聞きたくないやろうけどな。でも、知っといた方がええ。もし知華ちゃんがそういうピンチに陥った時、予兆を知っとれば安ちゃん達に知らせることも出来る」
その言葉に、安はチラッと紅野を見た。
小さく頷くのを見て、安は嘆息した。
「那津、分かっとると思うけど、ええ気分にはならんよ?」
「当たり前じゃろう。その覚悟で聞いとるんじゃ」
そう言われ、安も覚悟を決めた。
「生きとる人間から魂を抜く方法は一つ。直接怪異が人間に触れて、胸に手を突っ込む。そんで強制的に引き抜く」
聞いただけでも恐ろしく、痛そうだと思い、那津は思わずしかめっ面をした。
「相当な激痛。魂と肉体の繋がりは相当強い。ちょっとやそっとの事じゃ、引き離すなんてことは出来ん。生きとるままよりも、死後を狙ったほうが魂の形が崩れんから、そっちを選ぶ怪異が多い。魂を食べる怪異ならそいう所には拘る《こだわる》やろうから、オマモリサマも強引には引き抜かんと思う」
安が静かに教えた。
那津はその言葉を頭に刻んだ。
「つまり、オマモリサマが知華の魂を取りに来るとしたら、死後の可能性が高い。じゃけど、場合によっては強硬手段に出るかもしれん、って事じゃな?」
安は静かに頷いた。
那津は考えた。なら、オマモリサマは知華の魂を食べる時、必ず姿を現す。死後にしろ生前にしろ、魂は知華の体の近くにあるからだ。
「分かった。なら、もし知華がピンチになった時は、俺が盾になるわ」
那津の言葉に、三人とも驚いて顔を上げた。
「那津?何言い出すん?」
焦りすら感じる安の表情を見て、那津は冷静に言った。
「みんなが教えてくれたやん。俺は他の人にはない強い精神力があるんやろ?安井達が持つ霊力とは別の物で、それがあれば霊は寄りつけんし、攻撃も出来んって」
紅野と宇田は言葉をなくした。
確かに教えた。稀にみる才能の一つだと。
しかし、こんな事をして欲しかったからではない。
こんな事を考えて欲しかった訳では無い。
「香西くん!それは駄目や!」
宇田は慌てた。なんとか止めなくてはと思い、必死に言った。
「そんな事の為に教えたんじゃない!君が犠牲になったら知華さんは……!」
那津は至極に冷静に宇田を見返した。
「俺は唯一、オマモリサマを追っ払った経験がある。違いますか?」
その言葉に宇田は一瞬、沈黙した。
「じゃけど、それとこれとは……」
「関係あります」
宇田の言葉に被せるように、那津は食って掛かった。
「俺に出来ることをする。俺が知華のそばに居れば、少しでも時間かせぎになる。もしオマモリサマ本体が攻撃しても多少は何とかなるでしょう?ならんかったら……そん時です」
それを聞いて、安は堪えきれず那津に言った。
「那津が言ったんやで!自分を労れ、犠牲にするなって!!あんなに怒っとったやん!あたしと知華に説教したやん!それなのに……なんでそんな事言い出すんよ!!」
怒鳴る勢いで安は声を大きくした。しかし本気で怒っている安を見ても、那津は表情を変えなかった。
「そうや。俺が言った。犠牲になるつもりは勿論ないで。自分を労っては……おらんけどな」
そう言われ、安はさらに言い募ろうとした。しかし、ここでも那津は言葉を被せてきた。
「じゃからな、安井。頼む。俺と知華を守ってな」
「……っ!」
そう言われ、安は言葉を呑み込んだ。
那津は笑っていた。
安を信じているからこその笑顔と言葉だと分かった。
「俺も知華も死にたくない。これからも一緒におって、沢山色んなところに行きたい。前、知華とそんな約束したんよ。それに、俺らには夢がある。猪俣とも四人でお茶する約束したしな」
そこまで言うと、那津はさらにほほ笑んだ。
「やから、俺と知華を守ってほしい。お前なら出来るやろ?」
その言葉には安への深い信頼と、揺るぎない信用があった。
紅野も宇田も佐藤さんも、これには何も言えなかった。
安も言葉よりも先に涙が出た。
那津の思いに感謝した。
そして何よりも嬉しかった。心の底から嬉しかった。
ここまで信用してくれているのだ。
何としても助けたい。期待に応えたい。
安は唇を硬く結び、涙を拭う。
その目には揺るぎない強い意志が宿った。
「分かった。二人の命、預かる。必ず、那津の信用に応えてみせる……!任せて」




