桔梗柄の本
那津は暗く静まった部屋の中で、一人興奮していた。
見つけた。
タイトルからしても間違いない。
そう思い、居間へと飛んでいった。先程まで感じていた寒さはつゆほども感じなかった。
居間で電気と暖房をつけると、机に向かった。
居住まいを正し、本を開く。ページをめくる手が緊張と興奮で震えた。
もう見慣れた宗原の文字が、長く書き連ねられていた。
『西田
彼女は非常に稀な能力を持っている。
彼女の目は人に憑依した者の姿を暴く《あばく》。
それは時に悪霊であり、時に動物霊であり、時に怪異であった。
お上の師匠陣からは重宝されていたが、本人にとっての本望であるかは分からない。
私は西田……久子から、彼女がこれまで見たものを聞いたことがあった。
最初はただの情報欲しさだった。
稀な彼女の力を残しておけば、後世に同様の力を持った者が現れた時、微力ながら力添えできると思い至ったからだ。
久子に「初めて自分の力に気がついたのはいつか」と問うた時、「十になる頃」と教えてくれた。
久子が十の時、近所の親子三人が同時に発狂したことがあったそうだ。
その有様は見ていられず、最終的に三人の自害で終わったと言っていた。
両親は幼く嫁入り前の久子に何かあってはと、あまり見せてくれなかったようだが、久子はそこに同じ”影“を見たと教えてくれた』
そこまで読んで、那津はハッと息を呑んだ。
以前ここに来た時発見した、オマモリサマの手掛かりだと確信した、あの事件だと分かった。
一気に心臓の鼓動が速くなった。
手記に目を落とし、続きを読み進める。
『久子は両親に庇われながらも、その合間から家族の姿を見たらしい。
親と子、それぞれが発狂していた。
夫は大声で喚き《わめき》散らして折角収穫した米をぶちまけた。
妻は柱に頭を強く打ち付けて、多量の出血をしていた。
娘は思いの丈を大声で叫びながら男の元へ走っていった。
親子それぞれの中には同じ“影”があった。
まるでとぐろを巻いたヘビのような“影”は、親子の中に住み着き、操っているようだったそうだ。
十の久子はそれを怖いと思わず、揺らめく“影”の動きに魅入ってしまったらしい。
“影”は家族が自害すると消えたそうだ。
「私は直感して、その“影”は同じ者が送り込んだと分かりました。これまで私が見てきた“人の中に入った者”は皆、別の姿でした。同じ“者”は一つもなかった。しかしその“影”は全く同じだったのです」
久子は淡々と話した。
私はこの話に強く興味を持った。
親子三人の中に入り、操っていた同じ影。
「他にその“影”を見たことはあるのか?」
と問うと、「あります」と返ってきた。
次に見たのは、町へ出た時らしい。
十八になった久子は買い物を頼まれ、町におりた。
その折、一人の青年を見た。
見た瞬間、気がついたらしい。
十の時見た、とぐろを巻いたヘビの“影”だと。
しかし一点違った事があった。
「それは、青年そのものが“影”の本体であることでした。以前見たヘビの様な“影”がより濃く、はっきりしていたので、そうと知れました」
それから時折、その青年を見かけたらしい。
ある時は市場に。
ある時は盗賊の中に。
ある時は山の中に。
何度見ても青年の容姿は変わらず、年月を経ても歳をとらなかった。
人ではないとすぐに察したらしい。
また、薄い“影”が入った者たちも見かけたようだった。
すれ違う町人であったり、商いをする者であったり、発狂している者であったり。
「それをお師匠連に伝えなかったのか?」
私は霊媒師の端くれとして、思わずそう述べた。やや非難じみた声になったが、久子は
「聞かれておりませんので」
と答えた。
「私は見えるだけです。祓えもしません。それに、女は男に言われた事をなし、余計な事は話さないのが良いのでしょう?なので、心に留めました」
表情変えず言う久子は、淡々と話した。
私はその裏表のない心に興味を持った。
「その本体と“薄い影”。関係をどう考える。お前としての見解はあるのか?」
久子が見てきた本体の“濃い影”と“薄い影”。
この二つをどう繋ぎ合わせるのか。
私はそれが知りたかった。
久子はまたも、淡々と述べた。
「あの“濃い影”の本体は自分を分身にして憑かせている。
並行して“影”を三つも見たのは、十の時の親子が最初で最後でした。“影”を飛ばす限界が三つだったのか、身を切りすぎると支障があるせいなのかは、分かりません」
私はいたく頭の回転が早く、優れた女かと感心した。
こうも的確に本性を暴くその能力と頭脳に感服していた』
そこまで読むと、那津は大きく嘆息を漏らした。
ついに見つけた。
間違いなくオマモリサマと分かった。
歳を取らない青年。
その青年の中にいる本体の“濃い影”。
“濃い影”は自分の分身を“薄い影”にして憑かせる。
憑かれた者は狂ったり、憑かれていると知らず生活している。
しかし、何かの拍子に目を独楽の様に回したりする。
同時に“薄い影”を憑かせたのは三回であったが、その一度きりしか見ていない。
那津はこの事実と興奮を早く伝えたくて、慌てて安に連絡した。
夜半だったが、那津は時計も見ていなかった。
呼び出し音はしばらく続き、やっと出ると、安は眠そうな声で
『……何?』
とぼんやり言った。
「安井!見つけた!宗原さんの手記!!」
寝起きいきなりの興奮声に、安は
『うぅ……』
と苦痛そうな声を漏らした。歪んだ顔が見えるようだった。
那津はそんな事構わず、内側で弾け続ける花火のような興奮をぶちまけた。
「オマモリサマの事が書かれている手記!ちゃんと残してくれとった!宗原さんはちゃんと!!オマモリサマの正体もかいてある!これでなんとかなる!!」
安は寝起きで意識と体が上手く繋がっていなかったが、それでも事の重大さはすぐに理解した。
『……那津、ほんまに……?見つけた……!?正体が分かる……!やっ……』
そこで一度声が途切れた。
同時に盛大に物音がしたので、ベッドから落ちた事が分かった。
しばらく痛そうに呻く声が聞こえた。
しかしそれよりも歓喜と興奮が混ざったようで、徐々に安の声が、大きくなった。
『やった!これで……これで……やっと動ける!有効策が立てられる!!お師匠!!』
どうやら同室で寝ているらしい紅野を起こしに行ったようだ。
『那津が!那津が見つけました!!』
ボソボソと男性の低い声がし、話しているのが伝わった。
「安井、あんまり起こしてやるなって。流石に気の毒やろ」
どうしても笑いが漏れる声で那津は窘めた。
興奮冷めやらぬ二人は、そのまま発見した内容について語り合った。
結局、深夜一時まで話が尽きなかった。
見かねた佐藤さんからいい加減に寝るよう止められた安は、
『明日、その手記見せて。お師匠と宇田さんにも知恵を借りんと』
と熱冷めやらぬ声で言った。
「分かっとる。明日、始発で戻るけ」
微笑む那津はそう約束し、電話を切った。
やっと知華を悩ます原因に辿り着いた。
安達の助力になれた。
知華のためになれた。
やっと動ける。
その興奮と達成感と高揚は、しばらく那津の中で激しく渦巻き、到底寝られそうにはなかった。




