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クリカゲ  作者: 栢瀬 柚花
94/106

那津、動く


  翌日、那津は登校した。

 きっと酷い顔をしているだろうと思ったが、どうしても奈海に知華の事を伝えなくてはいけなかった。

 

 放課後、奈海を連れて病院に行った。

 奈海は特室の中には入れないので、大きな窓越しに知華を見た。

 想像以上の事態に、奈海は泣き崩れた。なかなか知華を直視出来ず、ずっと床に崩折れて泣いていた。

 那津もそこからしか、知華を見られない。触れたくても出来ない。傍にも寄れない。

 どうしても隔てる薄いガラスが、悲しい那津の顔を映すだけだった。

 奈海はひたすらに泣いたあと、目を真っ赤にして立ち上がった。

 腫れた目で痛々しく眉間にシワを寄せ、

「――知華……戻ってくるよな……?」

 と独り言のような、那津に同意してほしそうな声で呟いた。

 那津は「ああ、戻ってくる」と力を込めて答えた。

 

 しばらく廊下で知華を見ていたが、帰路に着くことにした。ここにいても何も出来ない。

「……明日も来てええかな?」

 ボソッと言う奈海に、那津は言った。

「俺も毎日来るで。何にもできんけどな。ボッーと見とくだけじゃけど……それでも傍におりたい」

 奈海は静かに頷いた。

「じゃ、しばらく一緒に通おう…」

 

 病室から出口に向かって歩いていると、人影が見えた。

 安と紅野とだった。正装の袴姿をしている。

 安と奈海が会うのは二回目だ。連絡先を交換してはいたが、まだ頻回にやり取りする仲にはなっていなかった。

 

 奈海はこんな所で会うとは思っていなかったし、何より安の格好に目が釘付けになった。

 

 安も出会うかもしれない、とは思っていた。

 知華の親友だ。必ず面会に来るだろうと。

 出来ればこんな状況でなく、順を追って説明し、打ち明けたいと考えていた。

(やっぱり、出会ってしもうたな……)

 安は困ったように笑いかけた。しかし奈海は目を点にしたままだった。

「久しぶり、猪俣さん」

 話しかけられさ、奈海はぎこちなく答えた。

「……お久しぶり……」

 全身の神職衣装と、隣に立つ紅野をもう一度見て

「神社の人だったん?」

 と尋ねた。

 安は静かに頷いた。

 紅野は状況を察し、

「安、先に行っているよ」

 と言い残し、那津と奈海とすれ違うと病室に入っていった。

 神職が家族しか入れない知華の病室へ入っていったので、奈海は驚いた。

 安はそんな奈海に

「これがあたしの仕事」

 と、両腕を上げて袴を改めて見せた。

「あたし神社に勤めてるんよ」

 その言葉に

「……巫女さんってこと?」

 と返した。

 安は首を振って、

「……違う。霊媒師」

 と教えた。 

 その回答に奈海は目だけを大きく見開いた。そしてそのまま無言になった。

 那津は心配そうに二人をチラチラと見た。那津としてもこんな形での再会は避けたかった。

 奈海は肩書や噂で人を判断しない。那津の時もそうだった。しかし霊媒師という職業はあまりにも一般的ではない。

 どうこの場をまとめようかと頭を働かせていると、安が口を開いた。

「驚いたやろ?あたし十七歳で霊媒師をしとる。修行始めたのは十五の時。毎日修行じゃから通信高校しか行けない。今日は、知華のために来た」

 奈海は耳にした言葉が頭を通過するのに、至極時間がかかった。まるで電波を探すスマホの様に、思考が途切れては繋がってを繰り返した。

 安にはそれが見えるようだった。

「急にこんな事言われても、困るよな?出来ればちゃんと順を追って説明したかったんじゃけど……。こんな状況やから、仕方ない」

 肩を竦めると、安は説明した。

「知華は今、ただの病気でここにおる訳じゃないんよ。医学だけでは回復出来ん状態じゃから、あたしが来た。昨日から毎日二回、ここに来てる」

「ただの病気じゃない……?」

 奈海はその言葉が引っかかった。

「そう。……詳しくは話せんけど、あたしは知華を助けたくてここにおる。それだけは信じて欲しい」

 

 奈海は言葉が出てこなかった。

 ただ安を見つめて瞬きを繰り返し、完全に呆けてしまっていた。

 安にとっては、慣れた反応だった。

 まだ怯えられたり、頭がおかしいなどと言われないだけマシだった。

「びっくりしたやろ?猪俣さん……。――奈海ちゃんは知華の親友じゃから、出来ればあたしも仲良くなりたかった。……もしまた見かけたら……良かったら声かけて」

 いつもの安のセリフだった。そう言って、話しかけられたことはなかったが。 

 安は言葉は返ってこないと思い、知華の病室に行こうと歩き出した。すると、

「なんで?」

と尋ねられた。

「なんで『なりたかった』って過去形なん?」

 安はその言葉に足を止め、目を瞬かせた。

「あたしはまだ何にも言ってないよ。勝手に過去形にせんで」

 怒った口調で言われ、安は「ごめん……」と視線を落とした。

 

 奈海はきっと、こんなやり取りを何度もしてきたのだろうと思った。

 安は最初から諦めている。声をかけられることも、友人になれるかもと、期待を持つことも。

 自分を受け入れてくれる人が、これまでほとんどいなかったのだろうと分かった。

「安ちゃんはただ霊媒師として、仕事をするためにここに来たん?」

 勿論、それもある。しかしそれだけではない。友人として知華が心配だったからだ。

「仕事もあるけど、知華が心配だったけ、ここに来た。知華のためになる事がしたいから」

 奈海はうんと頷いた。

「安ちゃんは霊媒師の前に、知華の友達なんやろ?あたしと同じやん」

 奈海はそう言ってほほ笑んだ。 

「暫くはここに毎日来るんね?あたしのお姉ちゃん、パティシエなんよ。家にいっつもお菓子あるから、明日持ってくるわ。良かったら食べて。……それと、知華と三人で、いつかお茶しような?」

 安は言葉がつかえ、何も言えなかった。

 知華と出会って以来の、体が震えるほどの喜び。

 恍惚として立ち尽くし、眩しい光を見るように目を細めて奈海を見つめた。

「――うん……。三人で集まろうな……」

 そう答えるのが精一杯だった。

「あたしは差し入れしか出来んけど……知華のこと、よろしくな。あたしも毎日来るけん、また話そうな」

 奈海はそう言うと、出口に向かって歩き出した。

 那津は安を見た。激しい喜びで顔を歪めている姿を見て、とても話せそうにないと思ったので、

「安井、今日もよろしくな」

 と声だけかけた。頷く気配を感じると、奈海の後を追った。

 安は一人廊下に残ったが、そんな事が気にならないくらい暖かい。

 喜びと暖かさは暫く、安の中に消えない音楽の様に残り続けた。



  

 知華の搬送から二日目。

 放課後、お見舞いを終えると那津は奈海と共に、羽原家へ来ていた。知華のブレスレットの天然石を回収するためだった。

 チャイムを押すと、和輝が出てきた。

 両親は仕事をずっと休んでいたが、今は知華の洗濯物の交換や買い物などに出ており留守だった。

 和輝は那津を見るとあまりいい顔をしなかったが、何も言わず通してくれた。

 二階へ上がり、知華の部屋のドアを開ける。

 

 あの時と何ら変わらない光景がそこにあった。全てが搬送時のままで、ストレッチャーが入らず邪魔になって移動させた椅子は定位置からずれたまま。救急隊員が狭い室内で足場に使い、皺まみれになったベット。那津が使ったAEDのパットの粘着シールも、床に投げらたままだった。

 あの時の事を思い出し、しんみりと家主のいない部屋を見ていると、

「石を探すんやろ?」

 と和輝が二人の入室を促した。

 三人が部屋に入ると、六畳程の部屋は手狭になった。

 あの時知華が倒れた辺りを中心に、三人で這いつくばって探した。

「石ってどんな色や?」

 和輝に聞かれ、

「黒とか茶色とか、白いのもありました」

 と那津が答えた。

 玉は飛び散ったのであちこちの隙間に入り込んでいた。机、本棚、ベットの下、クローゼットの隙間。家具を移動させなければ手が届かない物もあったので、男二人で協力することもあった。

 飛散した石を探すのは思ったより難儀した。全てを回収する頃には六時を回っていた。

「明日、安井に渡しとくわ。手伝ってくれてありがとな」

 玄関先で回収を手伝ってくれた奈海にそう言うと「よろしく」とだけ返された。

 那津はそんな奈海をじっと見た。

 無言で見つめられ、奈海が

「何?」

 と聞くと那津は「猪俣っていい奴よな」と話した。

「何、急に?」

 話が見えずそう尋ねると、那津は言葉を続けた。

「昨日の安井の時もそうやけど、何も聞かんよな、猪俣。なんで霊媒師が必要な状態なんか、なんでこんな石を集めたんかも聞いてこん。そもそも、なんで知華があんな状態になったのか、一度も尋ねてこんしな」

 疑問がないはずがない。

 倒れた当日、奈海は知華と学校でいつも通り過ごしたのだ。それが翌日になってみれば、危篤になって病院にいる。交通事故に遭ったわけでも、持病があるわけでもないのに。

 親友なら知華と付き合っている那津に聞いて当然だ。

 それなのに、何も聞かれない。

 心配なはずなのに。知りたいはずなのに。

 察して何も聞いてこない。

「あたしが白状ってこと?」

 那津のニュアンスから非難されていると思ったのか、奈海はそう尋ねた。

「いや!ちゃうで!気を遣わせて悪いなと思ったんよ!」

 誤解させたかと慌てた那津を見て、奈海は笑った。

「冗談だって。そんな風に思っとらんよ。香西くんをからかっただけ」

 那津は渋い顔をして奈海を見た。その顔に満足したのか、奈海は少し意地悪な笑みを浮かべる。

 しかし、すぐに沈んだ顔になった。

「知華のことは勿論心配よ。だから面会できんけど、毎日顔を見に行くって決めた。……何も知らんのは、正直言うとしんどい」

 暗い顔で言う奈海をじっと見た。

「香西くんも知華の家族も、みんな知っとるんじゃろ?知華が倒れた理由も、霊媒師が必要な理由も。さっき集めた石だってそう」

 那津が握っている袋をチラッ見る。

「あたしだけが何も知らん。……でも、今はそれでいい。我慢する」

 堪えるように言う奈海を、那津はじっと見た。

「……なんで?聞かれたら答えるで、俺」

 その言葉に一瞬心が揺れたのか、ハッと那津を見た。

 しかしまた視線を落とし、首を振った。

「きっと簡単な話じゃないんやろ?長い話で、いろんなかことがあったんやろ?香西くんと知華を見とったら分かる。安ちゃんを見とっても分かる。三人にしかない絆があるのが分かる」

 那津を眩しそうに見る目は、羨ましいと言っていた。

「あたしもそこに入りたいけどな……でも、それは今じゃない。知華が元気になって、退院して、みんなでお菓子囲んでお茶飲んでる時でいい」

 奈海の目には希望が込められていた。きっと訪れると信じている、四人の未来の姿。

「……その時、沢山教えて。今までの三人の事。知華が倒れた理由も、安ちゃんの霊媒師としての活躍のことも」 

 那津は静かに頷いた。

「知華が退院したら、皆で集まろうな。……ありがとうな、猪俣。そんで、ごめんな……」


 

 知華の搬送から三日間、一日二回のお祓いは続けられた。

 だんだんとその効果が目に見てきて、お祓いの度に交換していた黒水晶が割れなくなったていた。御札と塩はまだ滲んだり変色していたが、あと数回でそれも無くなりそうだった。

 知華は変わらず人工呼吸器に繋がれていたが、血圧が安定し始めていた。

 心臓をサポートする薬が徐々に減っていると河田から説明を受け、両親と和輝は僅かの希望を見出せるようになっていた。

 その頃になると面会時間は三十分まで延びていた。まだ那津や奈海が入室を許可されることはなかったが、毎日来る二人に家族は感謝を伝え続けた。

 安と奈海はお菓子の受け渡しをするのが日課になり、緊迫の中ではあったが、細やかな楽しみが出来ていた。

 

 四日目の夕方。

 お祓いを終えた安と紅野を、那津はホテルのロビーで待っていた。明日から週末に入るというタイミングだった。

 連日のお祓いで疲労感があるものの、それを感じさせないよう二人はずっと気を張っていた。

 ホテル生活でだんだんと食生活も乱れているようだったので、この日は二人を香西家へ呼ぶ予定になっていた。

 服を着替えた二人は、那津の案内のもと香西家へ赴いた。

 徒歩では二十分ほどだったが、流石に紅野はしんどいかとタクシーを呼ぼうとしたのだが、断られた。気分転換になるから歩きたいと言われた。

「お師匠、大丈夫ですか?膝痛めません?」

 安が心配そうに言ったが、

「大丈夫、たまには歩かんと余計悪くなる」

 と返していた。

 

 三月に入ろうとした冬の夜は、すこぶる身に沁みる寒さだった。しっかりとダウンコートに包まり、首も耳も覆って歩いた。本当は道中も話したかったが、声が聞こえないほどの強風だった。

 全員が縮こまって歩き、香西家に到着するころにはすっかり体は冷えていた。

 那津はすぐに暖房を入れ、コタツを付けた。

「ここで暖まってて下さい」

 そう言うと、お茶を出した。

 この日は央は飲み会で不在で、三人だけだった。

 

 那津は「忘れんうちに」と、お茶を出したタイミングで天然石を紅野に渡した。

「知華の部屋で拾ってきました。ヒビは入ってなかったです」

 袋に納められた石たちを確認すると、

「ありがとう。これでもう一度設えよう」

 と大事そうに鞄にしまった。

 これがあれば、また知華の守りを固められる。

 

 那津が食事を準備し温めている間、安は居間にある仏壇に目が止まった。

 那津の母がこちらに向かって微笑んでいる。

 仏壇は日頃から手入れされてホコリ一つなく、生花も瑞々しいしい。毎日水が交換されているのが分かった。

 安は仏前に移動すると線香を上げた。以前、結婚指輪を借りたお礼も言い、感謝を伝えた。

 紅野は真剣に拝む案を見て、その背中に話しかけた。

「呪物として使った結婚指輪の持ち主かい?」

 安は頷いた。

「那津のお母さんです」

 紅野は目を細めて仏壇を見た。

「よく拝まれているな。温かで、いい気が回っている。……指輪も清められてそこにあるな」

 紅野の目に映るものが安には分からなかったが、はいと返事をした。

 食事を運んできた那津は、安が何をしているのか見ると「ありがとうな」と声を掛けた。

「お袋も喜ぶわ。最近、俺やオヤジだけじゃのうて、色んな人が拝みに来てくれるから。こうやって少しは賑やかにしとけば、淋しくないやろ」

 テーブルに料理を並べながら那津は少し嬉しそうに言った。

 確かに、家族だけでない気配も感じられたので、紅野は見えたものをそのまま那津に伝えた。

「毎日よく拝んどるんじゃな。家族だけじゃないいい気が回っとるよ。とても温かで、見ていて気持ちいい。……お母さんはとても喜んどるよ。君の傍でずっと見ていてくれてる。知華さんの事も、きっと大丈夫だからと君に伝えて欲しいそうだ」

 那津は息を呑んだ。紅野と目が合うと、静かに微笑まれた。

 そして母の写真へと視線を移す。

 じんわりと胸のうちに広がるものがあった。

「知華さんはこっちに来ないから、自分に出来ることをして、力になってあげなさい、だそうだ」

 そのセリフに、那津は目が潤むのを感じた。

 紅野の言葉が嘘でないと分かるのは勿論だったが、母が自分に話しかけていてくれたことが、この上なく嬉しかった。声を直接聞けないのが残念だったが、それでも那津の原動力としては充分だった。

 

 彼は唇をぐっと結ぶと紅野を振り返る。

「実は、お願いしたいことがあって」

 改まって正座をして話し出した那津を、二人は見た。

「明日から四連休になるんです。学校が一日休みで、三連休にくっつくんで時間ができました。その間、神社の下宿所に泊まらせてもらえませんか?手記を調べたいんです」

 

 那津はずっと考えていた。知華のために自分が出来る事は何かを。

 今、一番優先されるのは知華のお祓いだ。

 そしてそれが終わり知華が目覚めた後。

 次はオマモリサマが知華にした『何か』の特定が必要だ。根本であるその部分を解明しないと、知華は解放されない。

「俺が知華のために唯一出来るのは、そこなんです。絶対に手掛かりを見つけてみせます。許可を下さい」

 

 那津の決意と覚悟は、紅野もずっと見てきた。

 知華への一途な想いも。

 紅野は、手掛かりを見つけるなら彼だろうと思った。

 これも直感だ。

「分かった。親子さんの承諾はあるかい?」

 那津は頷いた。

「今朝もらいました」

「下宿所は好きに使うとええ。食料も全てな。困ったことがあったたら、宇田くんか安に連絡を」

 二人のやり取りを見ていた安は、那津に言った。言わずにはいられなかった。

「那津。頼んだで。今度こそ知華を助けよう」

 那津と目が合うと、二人で力強く頷いた。

 

 

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