那津、動く
翌日、那津は登校した。
きっと酷い顔をしているだろうと思ったが、どうしても奈海に知華の事を伝えなくてはいけなかった。
放課後、奈海を連れて病院に行った。
奈海は特室の中には入れないので、大きな窓越しに知華を見た。
想像以上の事態に、奈海は泣き崩れた。なかなか知華を直視出来ず、ずっと床に崩折れて泣いていた。
那津もそこからしか、知華を見られない。触れたくても出来ない。傍にも寄れない。
どうしても隔てる薄いガラスが、悲しい那津の顔を映すだけだった。
奈海はひたすらに泣いたあと、目を真っ赤にして立ち上がった。
腫れた目で痛々しく眉間にシワを寄せ、
「――知華……戻ってくるよな……?」
と独り言のような、那津に同意してほしそうな声で呟いた。
那津は「ああ、戻ってくる」と力を込めて答えた。
しばらく廊下で知華を見ていたが、帰路に着くことにした。ここにいても何も出来ない。
「……明日も来てええかな?」
ボソッと言う奈海に、那津は言った。
「俺も毎日来るで。何にもできんけどな。ボッーと見とくだけじゃけど……それでも傍におりたい」
奈海は静かに頷いた。
「じゃ、しばらく一緒に通おう…」
病室から出口に向かって歩いていると、人影が見えた。
安と紅野とだった。正装の袴姿をしている。
安と奈海が会うのは二回目だ。連絡先を交換してはいたが、まだ頻回にやり取りする仲にはなっていなかった。
奈海はこんな所で会うとは思っていなかったし、何より安の格好に目が釘付けになった。
安も出会うかもしれない、とは思っていた。
知華の親友だ。必ず面会に来るだろうと。
出来ればこんな状況でなく、順を追って説明し、打ち明けたいと考えていた。
(やっぱり、出会ってしもうたな……)
安は困ったように笑いかけた。しかし奈海は目を点にしたままだった。
「久しぶり、猪俣さん」
話しかけられさ、奈海はぎこちなく答えた。
「……お久しぶり……」
全身の神職衣装と、隣に立つ紅野をもう一度見て
「神社の人だったん?」
と尋ねた。
安は静かに頷いた。
紅野は状況を察し、
「安、先に行っているよ」
と言い残し、那津と奈海とすれ違うと病室に入っていった。
神職が家族しか入れない知華の病室へ入っていったので、奈海は驚いた。
安はそんな奈海に
「これがあたしの仕事」
と、両腕を上げて袴を改めて見せた。
「あたし神社に勤めてるんよ」
その言葉に
「……巫女さんってこと?」
と返した。
安は首を振って、
「……違う。霊媒師」
と教えた。
その回答に奈海は目だけを大きく見開いた。そしてそのまま無言になった。
那津は心配そうに二人をチラチラと見た。那津としてもこんな形での再会は避けたかった。
奈海は肩書や噂で人を判断しない。那津の時もそうだった。しかし霊媒師という職業はあまりにも一般的ではない。
どうこの場をまとめようかと頭を働かせていると、安が口を開いた。
「驚いたやろ?あたし十七歳で霊媒師をしとる。修行始めたのは十五の時。毎日修行じゃから通信高校しか行けない。今日は、知華のために来た」
奈海は耳にした言葉が頭を通過するのに、至極時間がかかった。まるで電波を探すスマホの様に、思考が途切れては繋がってを繰り返した。
安にはそれが見えるようだった。
「急にこんな事言われても、困るよな?出来ればちゃんと順を追って説明したかったんじゃけど……。こんな状況やから、仕方ない」
肩を竦めると、安は説明した。
「知華は今、ただの病気でここにおる訳じゃないんよ。医学だけでは回復出来ん状態じゃから、あたしが来た。昨日から毎日二回、ここに来てる」
「ただの病気じゃない……?」
奈海はその言葉が引っかかった。
「そう。……詳しくは話せんけど、あたしは知華を助けたくてここにおる。それだけは信じて欲しい」
奈海は言葉が出てこなかった。
ただ安を見つめて瞬きを繰り返し、完全に呆けてしまっていた。
安にとっては、慣れた反応だった。
まだ怯えられたり、頭がおかしいなどと言われないだけマシだった。
「びっくりしたやろ?猪俣さん……。――奈海ちゃんは知華の親友じゃから、出来ればあたしも仲良くなりたかった。……もしまた見かけたら……良かったら声かけて」
いつもの安のセリフだった。そう言って、話しかけられたことはなかったが。
安は言葉は返ってこないと思い、知華の病室に行こうと歩き出した。すると、
「なんで?」
と尋ねられた。
「なんで『なりたかった』って過去形なん?」
安はその言葉に足を止め、目を瞬かせた。
「あたしはまだ何にも言ってないよ。勝手に過去形にせんで」
怒った口調で言われ、安は「ごめん……」と視線を落とした。
奈海はきっと、こんなやり取りを何度もしてきたのだろうと思った。
安は最初から諦めている。声をかけられることも、友人になれるかもと、期待を持つことも。
自分を受け入れてくれる人が、これまでほとんどいなかったのだろうと分かった。
「安ちゃんはただ霊媒師として、仕事をするためにここに来たん?」
勿論、それもある。しかしそれだけではない。友人として知華が心配だったからだ。
「仕事もあるけど、知華が心配だったけ、ここに来た。知華のためになる事がしたいから」
奈海はうんと頷いた。
「安ちゃんは霊媒師の前に、知華の友達なんやろ?あたしと同じやん」
奈海はそう言ってほほ笑んだ。
「暫くはここに毎日来るんね?あたしのお姉ちゃん、パティシエなんよ。家にいっつもお菓子あるから、明日持ってくるわ。良かったら食べて。……それと、知華と三人で、いつかお茶しような?」
安は言葉がつかえ、何も言えなかった。
知華と出会って以来の、体が震えるほどの喜び。
恍惚として立ち尽くし、眩しい光を見るように目を細めて奈海を見つめた。
「――うん……。三人で集まろうな……」
そう答えるのが精一杯だった。
「あたしは差し入れしか出来んけど……知華のこと、よろしくな。あたしも毎日来るけん、また話そうな」
奈海はそう言うと、出口に向かって歩き出した。
那津は安を見た。激しい喜びで顔を歪めている姿を見て、とても話せそうにないと思ったので、
「安井、今日もよろしくな」
と声だけかけた。頷く気配を感じると、奈海の後を追った。
安は一人廊下に残ったが、そんな事が気にならないくらい暖かい。
喜びと暖かさは暫く、安の中に消えない音楽の様に残り続けた。
知華の搬送から二日目。
放課後、お見舞いを終えると那津は奈海と共に、羽原家へ来ていた。知華のブレスレットの天然石を回収するためだった。
チャイムを押すと、和輝が出てきた。
両親は仕事をずっと休んでいたが、今は知華の洗濯物の交換や買い物などに出ており留守だった。
和輝は那津を見るとあまりいい顔をしなかったが、何も言わず通してくれた。
二階へ上がり、知華の部屋のドアを開ける。
あの時と何ら変わらない光景がそこにあった。全てが搬送時のままで、ストレッチャーが入らず邪魔になって移動させた椅子は定位置からずれたまま。救急隊員が狭い室内で足場に使い、皺まみれになったベット。那津が使ったAEDのパットの粘着シールも、床に投げらたままだった。
あの時の事を思い出し、しんみりと家主のいない部屋を見ていると、
「石を探すんやろ?」
と和輝が二人の入室を促した。
三人が部屋に入ると、六畳程の部屋は手狭になった。
あの時知華が倒れた辺りを中心に、三人で這いつくばって探した。
「石ってどんな色や?」
和輝に聞かれ、
「黒とか茶色とか、白いのもありました」
と那津が答えた。
玉は飛び散ったのであちこちの隙間に入り込んでいた。机、本棚、ベットの下、クローゼットの隙間。家具を移動させなければ手が届かない物もあったので、男二人で協力することもあった。
飛散した石を探すのは思ったより難儀した。全てを回収する頃には六時を回っていた。
「明日、安井に渡しとくわ。手伝ってくれてありがとな」
玄関先で回収を手伝ってくれた奈海にそう言うと「よろしく」とだけ返された。
那津はそんな奈海をじっと見た。
無言で見つめられ、奈海が
「何?」
と聞くと那津は「猪俣っていい奴よな」と話した。
「何、急に?」
話が見えずそう尋ねると、那津は言葉を続けた。
「昨日の安井の時もそうやけど、何も聞かんよな、猪俣。なんで霊媒師が必要な状態なんか、なんでこんな石を集めたんかも聞いてこん。そもそも、なんで知華があんな状態になったのか、一度も尋ねてこんしな」
疑問がないはずがない。
倒れた当日、奈海は知華と学校でいつも通り過ごしたのだ。それが翌日になってみれば、危篤になって病院にいる。交通事故に遭ったわけでも、持病があるわけでもないのに。
親友なら知華と付き合っている那津に聞いて当然だ。
それなのに、何も聞かれない。
心配なはずなのに。知りたいはずなのに。
察して何も聞いてこない。
「あたしが白状ってこと?」
那津のニュアンスから非難されていると思ったのか、奈海はそう尋ねた。
「いや!ちゃうで!気を遣わせて悪いなと思ったんよ!」
誤解させたかと慌てた那津を見て、奈海は笑った。
「冗談だって。そんな風に思っとらんよ。香西くんをからかっただけ」
那津は渋い顔をして奈海を見た。その顔に満足したのか、奈海は少し意地悪な笑みを浮かべる。
しかし、すぐに沈んだ顔になった。
「知華のことは勿論心配よ。だから面会できんけど、毎日顔を見に行くって決めた。……何も知らんのは、正直言うとしんどい」
暗い顔で言う奈海をじっと見た。
「香西くんも知華の家族も、みんな知っとるんじゃろ?知華が倒れた理由も、霊媒師が必要な理由も。さっき集めた石だってそう」
那津が握っている袋をチラッ見る。
「あたしだけが何も知らん。……でも、今はそれでいい。我慢する」
堪えるように言う奈海を、那津はじっと見た。
「……なんで?聞かれたら答えるで、俺」
その言葉に一瞬心が揺れたのか、ハッと那津を見た。
しかしまた視線を落とし、首を振った。
「きっと簡単な話じゃないんやろ?長い話で、いろんなかことがあったんやろ?香西くんと知華を見とったら分かる。安ちゃんを見とっても分かる。三人にしかない絆があるのが分かる」
那津を眩しそうに見る目は、羨ましいと言っていた。
「あたしもそこに入りたいけどな……でも、それは今じゃない。知華が元気になって、退院して、みんなでお菓子囲んでお茶飲んでる時でいい」
奈海の目には希望が込められていた。きっと訪れると信じている、四人の未来の姿。
「……その時、沢山教えて。今までの三人の事。知華が倒れた理由も、安ちゃんの霊媒師としての活躍のことも」
那津は静かに頷いた。
「知華が退院したら、皆で集まろうな。……ありがとうな、猪俣。そんで、ごめんな……」
知華の搬送から三日間、一日二回のお祓いは続けられた。
だんだんとその効果が目に見てきて、お祓いの度に交換していた黒水晶が割れなくなったていた。御札と塩はまだ滲んだり変色していたが、あと数回でそれも無くなりそうだった。
知華は変わらず人工呼吸器に繋がれていたが、血圧が安定し始めていた。
心臓をサポートする薬が徐々に減っていると河田から説明を受け、両親と和輝は僅かの希望を見出せるようになっていた。
その頃になると面会時間は三十分まで延びていた。まだ那津や奈海が入室を許可されることはなかったが、毎日来る二人に家族は感謝を伝え続けた。
安と奈海はお菓子の受け渡しをするのが日課になり、緊迫の中ではあったが、細やかな楽しみが出来ていた。
四日目の夕方。
お祓いを終えた安と紅野を、那津はホテルのロビーで待っていた。明日から週末に入るというタイミングだった。
連日のお祓いで疲労感があるものの、それを感じさせないよう二人はずっと気を張っていた。
ホテル生活でだんだんと食生活も乱れているようだったので、この日は二人を香西家へ呼ぶ予定になっていた。
服を着替えた二人は、那津の案内のもと香西家へ赴いた。
徒歩では二十分ほどだったが、流石に紅野はしんどいかとタクシーを呼ぼうとしたのだが、断られた。気分転換になるから歩きたいと言われた。
「お師匠、大丈夫ですか?膝痛めません?」
安が心配そうに言ったが、
「大丈夫、たまには歩かんと余計悪くなる」
と返していた。
三月に入ろうとした冬の夜は、すこぶる身に沁みる寒さだった。しっかりとダウンコートに包まり、首も耳も覆って歩いた。本当は道中も話したかったが、声が聞こえないほどの強風だった。
全員が縮こまって歩き、香西家に到着するころにはすっかり体は冷えていた。
那津はすぐに暖房を入れ、コタツを付けた。
「ここで暖まってて下さい」
そう言うと、お茶を出した。
この日は央は飲み会で不在で、三人だけだった。
那津は「忘れんうちに」と、お茶を出したタイミングで天然石を紅野に渡した。
「知華の部屋で拾ってきました。ヒビは入ってなかったです」
袋に納められた石たちを確認すると、
「ありがとう。これでもう一度設えよう」
と大事そうに鞄にしまった。
これがあれば、また知華の守りを固められる。
那津が食事を準備し温めている間、安は居間にある仏壇に目が止まった。
那津の母がこちらに向かって微笑んでいる。
仏壇は日頃から手入れされてホコリ一つなく、生花も瑞々しいしい。毎日水が交換されているのが分かった。
安は仏前に移動すると線香を上げた。以前、結婚指輪を借りたお礼も言い、感謝を伝えた。
紅野は真剣に拝む案を見て、その背中に話しかけた。
「呪物として使った結婚指輪の持ち主かい?」
安は頷いた。
「那津のお母さんです」
紅野は目を細めて仏壇を見た。
「よく拝まれているな。温かで、いい気が回っている。……指輪も清められてそこにあるな」
紅野の目に映るものが安には分からなかったが、はいと返事をした。
食事を運んできた那津は、安が何をしているのか見ると「ありがとうな」と声を掛けた。
「お袋も喜ぶわ。最近、俺やオヤジだけじゃのうて、色んな人が拝みに来てくれるから。こうやって少しは賑やかにしとけば、淋しくないやろ」
テーブルに料理を並べながら那津は少し嬉しそうに言った。
確かに、家族だけでない気配も感じられたので、紅野は見えたものをそのまま那津に伝えた。
「毎日よく拝んどるんじゃな。家族だけじゃないいい気が回っとるよ。とても温かで、見ていて気持ちいい。……お母さんはとても喜んどるよ。君の傍でずっと見ていてくれてる。知華さんの事も、きっと大丈夫だからと君に伝えて欲しいそうだ」
那津は息を呑んだ。紅野と目が合うと、静かに微笑まれた。
そして母の写真へと視線を移す。
じんわりと胸のうちに広がるものがあった。
「知華さんはこっちに来ないから、自分に出来ることをして、力になってあげなさい、だそうだ」
そのセリフに、那津は目が潤むのを感じた。
紅野の言葉が嘘でないと分かるのは勿論だったが、母が自分に話しかけていてくれたことが、この上なく嬉しかった。声を直接聞けないのが残念だったが、それでも那津の原動力としては充分だった。
彼は唇をぐっと結ぶと紅野を振り返る。
「実は、お願いしたいことがあって」
改まって正座をして話し出した那津を、二人は見た。
「明日から四連休になるんです。学校が一日休みで、三連休にくっつくんで時間ができました。その間、神社の下宿所に泊まらせてもらえませんか?手記を調べたいんです」
那津はずっと考えていた。知華のために自分が出来る事は何かを。
今、一番優先されるのは知華のお祓いだ。
そしてそれが終わり知華が目覚めた後。
次はオマモリサマが知華にした『何か』の特定が必要だ。根本であるその部分を解明しないと、知華は解放されない。
「俺が知華のために唯一出来るのは、そこなんです。絶対に手掛かりを見つけてみせます。許可を下さい」
那津の決意と覚悟は、紅野もずっと見てきた。
知華への一途な想いも。
紅野は、手掛かりを見つけるなら彼だろうと思った。
これも直感だ。
「分かった。親子さんの承諾はあるかい?」
那津は頷いた。
「今朝もらいました」
「下宿所は好きに使うとええ。食料も全てな。困ったことがあったたら、宇田くんか安に連絡を」
二人のやり取りを見ていた安は、那津に言った。言わずにはいられなかった。
「那津。頼んだで。今度こそ知華を助けよう」
那津と目が合うと、二人で力強く頷いた。




