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クリカゲ  作者: 栢瀬 柚花
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お祓い開始


 話に区切りがつき、一度休息することにした。

 これから知華を移動してもらい、病室の準備が整ったらお祓いの準備だ。

 事は一刻を争う。少しでも早く、知華のお祓いを始めなくてはならない。

 那津は宇田が送って行った。本人は残りたがったが、今日一日の出来事を考えると、これ以上は負担だと紅野は判断した。安から必ず報告を入れると約束し、帰路につかせた。

 宇田には平安の呪い《まじない》を施すように指示した。そうでもしなければ、きっと寝付けないだろう。

 

 紅野は自動販売機の前に来ていた。河田を探さなくてはいけなかったが、少し休む時間が欲しかった。

 長く話すと息が切れる。老体には少々過酷だと、自販機横のソファーに深く腰掛けた。

 

 長かった一日を振り返る。まだお祓いが残っているが、とりあえず知華を助ける準備が整ったことは大きな成果だった。

 

 紅野は先程の安を思い出す。

 両親の説得だけでなく、兄の和輝にも話をしたと宇田から聞いていた。

 その成長には思わず笑みがこぼれた。手塩にかけた最期の弟子は、立派に育った。

 あとどれくらい、その活躍ぶりを目にし続けられるだろうか――

 

 考えていると静かな暗がりから足音がした。

 そちらに顔を向けると、河田が立っていた。

「隣に座っても?」

 白衣姿のまであるところを見ると、紅野が説得するのを待っていてくれたらしい。

 紅野は無言でソファーの端に寄った。

「どうも」と河田が礼を言い腰をかけると、

「上手くいったよ。これから毎日、二回だ」

とだけ伝えた。

「なら、病室を変えるよう指示しときます。一階の特室なら、声も音も響かない」

「そうか」

「その部屋に出入りする看護師も、そういった事に寛容な者です。無闇矢鱈に言いふらしたりはしないので、ご心配なく」

 細やかな気づかいに紅野は深く感謝した。病院内にこういった理解者がいてくれるのは、本当にありがたい事だった。

「これで、救命センターの急変も減りますか?」

 そう聞かれ、紅野は頷いた。

 長年、紅野と付き合っていらるだけあって、あの異常な急変の同時発生は何かあると分かったのだろう。

「なら良かった。救命センター部長から小言を言われなくて済みます」

 笑って言う河田だったが、院内で色々と噂されている事を紅野は知っていた。

 不可思議で得体のわからない病態の者を好んで診る変人。

 棺桶に片足ツッコんだ患者がいると、河田が来る。

 そんな噂と言うには酷い内容で揶揄されている。

「君の立場に傷がつかんか?」

 紅野は心配して言った。河田がいなければ自分の仕事に支障が出るからではない。純粋に友人としての危惧だった。

 河田は心配声で言われ、

「正直に言うと、影響無いとは言いません」

と認めた。

「でも、これが俺の医者としての仕事と思ってます。だから、気にせんで下さい」

 笑って言う貴重な一般人の友に、紅野は呟いた。

「――すまんな。……ありがとう」

 

 

 夜九時を回った頃、知華は一階の特別室に移された。

 異例の夜間の部屋移動は、長田の逆鱗に触れた。その場に居なかったスタッフでさえ、後日話を耳にするほどの剣幕だったらしい。

 ただでさ、厳重な管理が必要な知華を人目が少ない特室へ移動させる。救命センター部長として容認出来るものではなかった。

 しかし河田は全く聞く耳を持たなかった。

「若い彼女が一番の重症では、患者の士気に関わる」

 表立ってはそう説明したが、長田にはこっそりと

「ここにいる他の患者を助けたいならそうした方がいい」

と耳打ちした。

 長田は少し動揺した。この手の内容は苦手だったが、何よりも恐ろしかったのは、河田が言うと本当にその通りになるからだった。

 事実、知華が異動してから急変がなくなった。

 知華を移動した後の救命センター内で、長田は一人思う。

(今回の少女も、あいつの領分か……)

 あいつには何かある。目に見えない何かがついてる。

 同期として長年同じ病院で働いてきたのだ。河田の回りで不可思議な事が多いのは知っている。

 そして、数多くの命を救ってきたことも。

(全く、難儀な奴だ……)

 そう思うと、頭を豪快にガシガシとかいた。


  

 一階の特室。

 そこは部屋が広く、隣の患者とも距離があり、声が通りにくい造りとなっていた。これなら穢の影響を他に及ばなくて済むし、お祓いの声も届きにくい。

 本来は救命センターにいる程ではないが、一般病棟の移るには早いすぎる患者が収容される場所だった。

 そのためいつも空室が何部屋かある。


 その一室に入った知華は、家族に見守られつつ眠っていた。

 羽原家三人は知華のお祓い中も傍にいることを希望した。紅野はそれを了承したが、代わりにブレスレットをつけるよう言った。

 それは知華が付けていた物に似ていて、この部屋にいる間は決して外さないようにと固く誓わされた。

 和輝は慣れない装飾品に違和感を感じながらも、準備を進める安を見た。

 先程の泣き顔から一転し、今は霊媒師としての引き締まった顔をしている。

 今し方の安の言葉は、和輝の心にも真っ直ぐに届いた。言霊というものは聞いたことがあっが、ここまでそれを実感した事は無かった。

 霊媒師だからと言うよりも、安個人の思いの強さによる所が大きいのだと、和輝にも分かった。

(知華にはええ友達がおる……)

 

 安と紅野は疲労を感じさせない動きで、せっせとお祓いの準備を病室内でしていく。 

 病室の四隅に和紙を敷き、その上に塩と、水晶の中でも最も強力な魔除け、厄除け効果をもつ黒水晶を置いた。

 四方の壁には御札が張られる。

 知華が横たわるベットの周囲にお神酒を巻き、二人はそれぞれにおりんを持った。 

 これで準備が整った。

 部屋の隅で羽原家の三人が見守る中、柏手が響く。

 お祓いが始まった。

 二人が御経を読み、おりんを鳴らす。

 声は狭い部屋にも関わらず、ほとんど反響しなかった。まるで飛びたいのに飛べない鳥のように、床にべしゃっと落ちていく。 

 一階の窓が少ない部屋のせいか、室内はどんよりとして空気が重かった。和輝は何とも言えない息苦しさを感じていた。まるで出口のない密室に閉じ込められた様に落ち着かず、そわそわと辺りを見回した。なぜか、体が外に出たがっている。そう思った。

 それは両親も同じであるようで、不安そうな顔で目を泳がせていた。

 三人は会話してはいけない気がして、黙って二人の御経を聞いていた。

 

 お祓いが始まって数十分経った頃、変化があった。

 何やら部屋がざわざわする。

 和輝は最初、気のせいかと思った。他の部屋で何か処置をしているのかとも思ったが、どうやら気配は室内からで、部屋のどこともつかない場所から感じられた。

 そしてふと見た壁の御札を見て、ギョッとした。

 御札の文字が滲んでいる。

 見間違いかと思ったが、和輝が見ている目の前でじわじわと墨で書かれた文字が滲み、崩れていく。

 辺りに水気はなく、部屋の湿度も高くない。

 それにも関わらず文字は滲み続け、十分もしないうちに全てが滲んだ。もう文字が書かれていたことも、分からないほどだった。

 御札が滲んだ次に、四隅の塩が変色した。白かった清め塩はだんだんと茶色くなる。

 そして、極めつけは黒水晶だ。時折ピキッピキッと音を立てている。どうやらヒビが入っているらしい。

 両親もそれに気が付き、三人は顔を見合わせた。

 それぞれが困惑していた。

 お祓い開始から約一時間後。

 おりんと柏手の音と共に、作業は終了した。

 改めて部屋を見てみると、先ほどよりも何やら室内が明るい。照明を変えたのかというほどだった。

「終わりました」

 静かに言う紅野の声に、三人は呆然とした。

 二人は大量の汗をかき、顔面は紅潮している。

 まるで全力疾走してきたかのようだった。

 二人はそんな事を気にすることなく、四隅の札を確認する。

「かなり濁ったな。塩はどうだい?」

 安が確認し、「変色して、水晶は濁って欠けてます」と伝えた。

 紅野は頷くと「頼むよ」とだけ声をかけた。

 安は塩と黒水晶の前に正座し、印を切ってお神酒をかける。そして布で包むと袋に回収した。

 その作業を横目で見ていると、紅野が羽原家に説明を始めた。

「この部屋には知華さんの内側から溢れた穢か蔓延しています。それを少しずつ祓わなくてはいけない。毎日午前と午後、この作業を行います」

 毎日、二回も。

 目が点になっている両親に変わり、和輝が疑問をぶつけた。

「御札の文字が滲んで、塩が変色して、水晶が欠けたのも穢、とかいうもののせいなんか?」

 紅野は頷く。

「変わりに吸収してくれたので、変わりました。あれらは処分します」

 三人は紅野の言葉を咀嚼しようと、何とか頑張った。

「今の作業を繰り返せば、知華は変わるんか?」

 紅野は頷く。

「毎日毎日、少しずつ穢を抜いていけば、体が薬を受け付ける状態になるでしょう」

 片付けが終わると、明日の来院時間を告げて二人は病院を後にした。どうやら近くのホテルに滞在するらしい。

 羽原家の三人もそこで帰宅することになった。本来の面会時間はとうに過ぎている。

 知華に変わりがあればすぐに連絡すると、当直ナースから言われた。


 長い一日だった。

 到底、一日とは思えない日だった。

 三人は病院を出た後もブレスレットを付けたままだった。知華とお揃いのそれは、家族を繋げる絆の象徴であるかのようだったからだ。

 

 

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