異様な病態
知華は河田の勤める病院の救急救命センターに運ばれた。
救急車の到着に合わせて、大勢のドクターとナースに囲まれ、治療室に搬送される。
心臓マッサージを受けながら心肺蘇生が行われ、なんとか心音は復活した。
バタバタと挿管され人工呼吸器に繋がられると、点滴の針を刺され、次々と検査もされた。
その頃になると、搬送から小一時間は経過していた。
救命センターの医療者用の入り口が開き、紅野から連絡を受けた河田が姿を見せた。
「ちょっと失礼」
そう言うと、近くにいた研修医に状況を開いた。
内科部長である河田になんの疑いもなく詳細を伝えていると、ナースから声を掛けられた。
「あの、河田先生…この患者さん、担当されますか?そうなら、検査室から至急でデータを確認してほしいって連絡が来てます」
そう言われ、電子カルテをのぞいた。
「……なる程」
(あの紅野さんがもってくる話だけあって、一筋縄ではいかんな……)
採血データを確認すると、河田は内心でそうぼやいた。
これまで何人もの患者を、紅野から頼まれて担当してきた。が、こんな症例は始めてだった。
じっとデータを見ていると、集中治療室の奥からドタドタと一人の男が河田に向かって歩いてきた。
「河田!またお前か!!」
剣幕凄く現れたのは、救命センター部長の長田だった。
「毎度毎度!なんで内科部長のお前がここに来る!」
確かに、救急搬送された患者を内科部長である河田が診るのは不自然なことだった。
しかしここの救急救命センターのスタッフはすでに慣れており、騒ぐのはこの長田だけであった。
同期でもある長田を、河田は軽く受け流した。
「待た血圧が上がるぞ、長田」
「余計な世話だ!」
今にも血管切れそうな赤い顔で言う長田は、さらに言い募った。
「お前が来るとろくな事にならんじゃろ。いつもいつも、厄介な患者の時だけ顔を見せて!」
「厄介なのを診るんだから、怒ることないだろう?」
「そう言う問題じゃない!さっさと自分の病棟に帰れ!」
そんなやり取りをしていると、背後が騒がしくなってきた。
「早く!こっちにも!」
「先生呼んで!急変!」
「誰か!シリンジポンプ持ってきて!」
「心マ板!早く!」
あちこちのベットで急変が起こり、研修医もナースもベテランドクターも慌ただしく動き始めた。
救命センターなので日常的な事ではあったが、同時に複数の患者が急変する事などそうそうにない。
「長田先生!!こっちに!手が足りません!」
呼ばれた長田は、苦々しい顔をして河田を見ると、走って行ってしまった。
嘆息を漏らすと、河田は周りを見渡した。
同時に四人の患者が急変。
そして、今搬送されてきた十代の少女のこの採血データ。
いい予感はしなかった。
「野田くん」
近くの担当研修医を呼ぶと、河田は指示を出した。
「CTとレントゲンの手配はすんどる?」
「はい。直に呼ばれます」
「必要ならエコーもね。肝と腎機能が低いから、通常の十代と同量で投与指示出しちゃダメよ。小児か高齢者と思って計算して」
「小児か高齢者……?」
訝しんで言う野田に
「投与量間違ったら命がないよ」
そう警告した。
緊張感ある声で「はい」と返すと、知華の方へと行ってしまう。
河田は
(さて、どうするか……)
と身の振り方を考えていると、救命センターの遠くの入口がふと目に入った。
そこに見知った姿を見つけ、口を固く結ぶと歩み寄っていった。
急変患者を対応する慌ただしい人々の横を通り過ぎ、救命センターの自動ドアを開け、受付まで出ていく。
中の騒々しい音が遠ざかり、静かな待合室に出た。
そこのソファーに一人の老人が座っていた。
「こんばんは、紅野さん」
名前を呼ばれ、紅野は顔を上げた。
「また世話になる、河田くん」
その顔はいつもと違い、やつれ、疲れていた。
暗い院内の照明のせいではないと見た河田は、紅野の横に腰を下ろした。
「今回は随分とお疲れのようで」
その言葉に紅野は珍しく深いため息を漏らした。
河田はこれにも驚いた。
いつも余裕すら感じる顔をしているのに、今日に限っては全てが違っている。
「本当にどうしたんです?いつもと様子が違いますよ」
少し心配になった河田は紅野の顔を覗き込んだ。
頭を抱えた紅野は、目をしばしばさせている。
「君の前でくらい、こんな顔をさせてくれ……」
弱々しく言う紅野に、河田は言葉をなくした。
長く付き合ってきたが、こんな事をいう紅野を始めて見た。ただ事ではないと思い、河田は近くの面談室へ紅野を誘った。
「ここなら誰も入ってきません」
そう言って扉を閉めた。
二人きりになると、紅野は目頭を押さえた。
力なく項垂れた姿に、河田は気遣わしげな視線を送った。
こちらから何か言うのが憚られ、静かに紅野が話し出すのを待った。
「……知華さんの容体は?」
疲労声で聞かれ、河田は医師らしく返事を返した。
「まだ患者家族への説明もしてません」
暗に、詳細は言えないと告げた。
いつもの様に紅野の弟子であれば、保護者として病状説明をしたが、今回は違う。
長年の付き合いでその事を知っているはずなのに、尋ねられた事を訝しんだ。
「なぜ彼女に拘りを?」
紅野は疲れた目を開けると、視線を机に向けたまま答えた。
「彼女は弟子の友人だ。どうしても解決出来ない件があって、今回こんな事になった。――医学的に診て、何がおかしいだろう?」
そう言われ、納得した。
あの異常な採血データ。それはそういった原因か。
「そういうことなら、あなた方の力が必要ですね。……確かに、異常な状態です。研修医には荷が重いでしょう。私が担当します」
「――頼む」
顔を上げない紅野の表情はうかがい知ることは出来ない。
しかし力ない言葉や態度から、相当に厄介な事案にぶつかっているのだなと察した。
河田は椅子にもたれかか掛かった。
ギシッと音が響く。
(さて、どう動くか…)
担当する事に決まったが、こう言った症例の場合、家族への説明が難しい。医学的にも原因がはっきりと言えないからだ。霊や悪霊の仕業です、などと医師の口から言える訳がない。
思案していると、紅野が口を開いた。
少し気持ちが持ち直したのか顔を上げ、河田の方を見ていた。
「これから彼女の家族に伝えるのか?」
そう問われ、「ええ、そうですね」と答えた。
紅野はなら、と続けた。
「彼女のは両親は、そういった事に耐性がある。話しても受け入れて貰えるだろう。出来れば、その部分は私と弟子が説明したい。河田くんが病状説明した後でいい。家族の同意がないと、何もできん」
変わらずの疲れ声だったが、微かにいつもの調子を感じさせるものがあった。眼差しが強く光っている。
「…そこはご家族次第です。紅野さんの方からタイミングを見て、お話になって下さい」
「分かった」
長く嘆息すると、紅野は急に「私も歳だな…」と呟いた。
力ない言葉に、河田は思わず尋ねた。
「どうしたんです?突然」
紅野は口の端を吊り上げ、自傷気味に言った。
「最後の弟子が奮闘している。友人を助けるために……。年寄りらしく助力してやりたいが、いかせん今回は惑わされることが多い。経験を積んだと高をくくっていた自分が恥ずかしくなった……」
紅野にここまで言わせる相手なのかと、河田は内心で驚いた。
実のところ、河田は紅野の具体的な功績は知らない。ただ付き合っているうちに、目撃してきた行動や弟子達の様子から、経験豊富な術者であると踏んでいた。
これまでも幾度となく、紅野の助言で回復した患者を見てきた。
医学的に説明がつかなくとも、紅野が動けば薬が効果を出し始め、患者は回復する。それを何百回と目にしてきた。
だから、河田は紅野を信用している。他の医者が声を聞かなくても、河田だけは紅野の声を信じてきた。
「紅野さんにとって、ベストな環境は?」
河田はいつもこれを聞く。
紅野にとっての必要ものは、医者である河田にしか準備できない事もあるからだ。
「個室の環境。声を聞かれず、我々が出入りをしてもバレない位置の病室。他の病室とは出来るだけ離れていたほうが良い」
紅野はスラスラと伝えた。患者を見ていないのに、迷いなく言えるのは流石だと河田は思った。
「分かりました」
すんなりと返事を返された。次に驚くのは紅野の方だった。
「出来るのか?結構な難題を言ったが……」
河田は口元を緩ませて笑った。
「私も、もう部長ですから」
その言葉に、紅野も笑った。
「……そうか。もうそんなに経つか――」
ここに来て始めて見せるいつもの紅野の笑みだった。
「お互い、年をとったものだ……」




