悲しい着信
安は日課になった下宿所での手記あさりをしていた。
宗原の部屋の捜索は、今日は宇田が担当している。時間や日にちで分けて交互にやらないと、どうしても気持ちがだらけてしまった。
知華へ報告したことに嘘はなく、那津が一家三人の狂気事件を見つけて以降、進展は何もなかった。
こっそりと調べていた穢の事も同様で、知華と同じ様な事例は皆無だった。昨日も紅野に聞きに行ったが、首を横に振られてしまった。
紅野を伝とした他の霊媒師への聞き込みでも、情報は無し。
こうなっては、なかなかに首が回らなかった。
安は深くため息をこぼすと、壁にもたれかかった。
冷え切った指は、もうかじかむ事もやめてしまっていた。
あまり感覚がない手を動かしながら、少しでも暖を取ろうとポケットに入れたカイロで両手を暖める。
「安ちゃん、また休憩しようや。うだっちゃんも呼んで、暖房の中で少しは暖をとろうで」
連日言われる佐藤さんの言葉。
安は「分かっとるよ」と言いながらも、手記をめくる動きを止めなかった。
佐藤さんは困り顔で安を見た。
「焦るのは分かるけどな。知華ちゃんには真綿の守りを張ったし、そうそうな奴は寄ってこれんで?それに、また風邪でも引いたら友達二人からお説教食らうで」
知華と那津を持ち出されると、安は少し反応した。
「……分かっとるよ。でも、知華のあんな不安そうな声聞いてしもうたら……」
お泊りの時、知華がこぼした声。
――お祓いして、少しはよくなった?
か細く震えていた。
不安しかないはずだ。
それに、知華はきっと那津や安の行動の意味を考え、結論に至るだろう。
自分に何か起きていると。無自覚で何かしていると。
その時の心情を思うと、居ても立ってもいられなかった。
時計を見ると、もう夕方だった。無駄に時間だけが過ぎていく。
「あと十分したら、休憩する」
そう宣言して手記をめくった。
佐藤さんはため息をつくと「約束やで」と言ってくれた。
その時、安のスマホが鳴った。
画面を見ると、那津からだった。
数日前に会ったばかりなのに、どうしたのかと訝しみながら電話を取る。
「もしもし?どしたん。またなんかあった?」
『…………』
聞いたが、何の言葉もない。
「那津?」
暫く耳を当てていたが、言葉は返ってこなかった。
切れてしまったのかと、画面を確認したが通話のままだった。
異様に思うと同時に、不安が心に広がる。
嫌な予感がした。
「那津!どしたん?!」
と声を張った。
佐藤さんも訝しんで安の傍に寄ってきた。
「知華になんかあった?!那津?!」
張った声に何とか反応があった。
微かに息遣いが聞こえる。
声でないその音に、安は耳を傾けた。
途切れ途切れに聞こえるそれは、泣き声だった。
那津が泣いている。
安の中で急激に焦燥感と不安と恐怖がごちゃ混ぜになって膨らんだ。
安は手記を無意識に取り落とすと、電話の向こうにいる那津に問いかけた。
見えない姿に触れようと、手を伸ばしては引っ込める。
「――那津、知華は?」
聞こえ続ける泣き声に、安は尋ね続けた。
「那津、なぁ!知華は!?那津!!」
佐藤さんは眉間にシワを寄せると、すぐに宇田を呼びに飛んでいった。
『――知華……は……おらん』
泣き声の中に言葉が聞こえた。
か細い声を何とか捉えようと、安は呼吸を押し殺した。
『……知華は……病院……行った――』
「――病院……。なんで……?おらんって……どういう事……?」
泣き声が嗚咽に変わり、さらに言葉は聞き取りるにくくなった。
「……さっき……知華の呼吸が……止まって――」
その一言で、安の心が凍りついた。
ちょうど、佐藤さんが宇田を連れて書庫にやってきた所だった。
「……呼吸が止まった……?知華の……?なん…で……」
信じられず、安は那津の言葉をただ繰り返した。
呆然として動けない安に代わり、宇田がスマホをとった。
「僕だよ、香西くん。宇田だ。何があった?知華さんの呼吸が止まったって、なんで!?」
静かな部屋に那津のスマホ越しの声が聞こえた。
聞き取りづらくも、なんとか伝えようとするたどたどしい声に、全員が必死に耳を傾ける。
『分かりま…せん……知華に聞かれ…て…。無自覚に…おかしな事をしと…るんじゃな…いかって……。俺、説明して…。そしたら急に……くるし……みだして……。倒れて……』
過呼吸を起こした那津は、苦しそうに荒い息をしていた。
「香西くん、ゆっくり息をして。過呼吸で君まで倒れてしまうよ!とにかく、これからそっちに向かうから!」
宇田はそう言うと、急いで下宿所を出ていった。
通話状態のままのスマホは、床に置き去りにされた。
安は宇田の行動を見るともなく見ていた。
『……俺が知華を……追い詰めた……』
その言葉に、安はゆっくりと視線をスマホに下げる。
「――どういう事?」
整わない呼吸と共に、那津から残酷な言葉が伝えられる。
『知華は目が……独楽みたいに回っとっ…た……。痛みに叫んで……苦しそうで……。俺を……見た……。助けてって顔で……手を伸ばした……でも…掴んでやれんか…た……』
そう言うと、那津は再び嗚咽した。
それでも話続けた。
『…知華は絶望しとった……俺が…知華を……恐怖の目で…見たから……!知華が手を伸ばし……たら…腕が伸びて……。俺…それに驚いて……怖くなっ…てしも……うて……!泣いとった……知華の…目に涙が…溜まっとった……!俺が……そんな目で…見たから…!』
悲痛な那津の声は静かな部屋に悲しく響いた。
夕暮れで気温が下がってきた事とは違う理由で、安は全身が冷えた。
那津の泣き声は安の心をも泣かせた。
しかし現実の安の目に、涙はなかった。実感がなかった。頭では那津の言っていることは真実だと認めていたが、心が強く否定していた。
那津の話も、知華の事も。
「安ちゃん!!しっかりし!!!」
佐藤さんの叱咤の声に、我に返った。
「呆けとる場合と違うやろ!今すべきはすぐにでも知華ちゃん所に行くことや!!」
強く語気を荒げて言う佐藤さんに、安は泣き顔のようなくしゃくしゃな顔を向けた。
「知華……知華……!」
やっと心が追いついて涙を見せた安に、佐藤さんはさらに言葉を続けた。
「泣いとる場合でもない!!早う準備し!!知華ちゃん所に行くで!」
安は涙を拭って、震える声で那津に言った。
「あたしもそっちに行く……!那津、頼むからしっかりして――!一人やないから!あたしも行くから……!待ってて!!」
そう言うと、電話を切った。
すくっと立ち上がると自室に戻り、荷物をまとめた。
宇田が帰ってきて
「すぐに出るよ!病院は河田先生の所!」
と叫んだ。
安は頬を叩くと、顔に力を込めて宇田の元へ走った。




