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クリカゲ  作者: 栢瀬 柚花
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急転


 知華はひたすらに那津の到着を自室で待った。

 いつもはすぐに到着するのに、やたらと時間がかかっている気がして、時計を何度も見てしまった。

 しかし時計の方が正しくて、知華の体内時計が狂っているだけだった。

 

 知華の体感として三十分は経った頃、チャイムの音がした。

 ガバっと立ち上がると、ドスドスと階段を降りて玄関に走った。

 母はその様子を見ていたが、いつもと雰囲気が違う知華に声をかけそびれた。

 険しく光った目に、怒りや不安が混ざっているような気がした。

 

 知華が玄関を開けると、那津が神妙な面持ちで立っていた。

「上がって」

 那津は何も言わずに靴を脱ぎ、いつも言う「お邪魔します」もなく、知華の後ろをついていった。

 


 二人は無言で知華の部屋に移動した。

 ドアを閉めると知華はベットに、那津は床に座った。

 いつも通りの定位置だ。

 しかしいつもと違ったのは、話しが始まらない事だった。

 普段なら、どちらからともなく話を始めて会話に花が咲く。

 しかしこの日ばかりは空気が重苦し感じられた。

 知華は自分で呼び出し、話を聞きたいと言ったにも関わらず、那津の顔が見れなかった。

 

 先に沈黙を破ったのは那津だった。

「知華、どうしたん?何があった?」

 いつもの優しい声だったが、今の知華にはそれが苦痛だった。

「それを聞きたいのは、あたしの方なんよ」

 不安からどうしてもトゲのある声になった。

「那津くんは何を見たん?あのデートの時、何か気がついたんじゃろ?だから安ちゃんを呼んだんじゃろ?」

 一つ疑問を口にすると、止まらなくなった。 

「ずっと聞きたかったけど、出来んかった。怖かったから。那津くんはあたしを不安にさせんように、何も話さんかったんじゃろうけど。でも、今はそれが嫌。隠されるのが嫌。あたしは何をしとったん?おばあちゃんみたいに、無意識で何かしとるんじゃないん?さっき、男の子に急に『大丈夫ですか』って聞かれた。意味が分からんかった。でも、男の子はそんなあたしを怖そうに見て、怯えて走ってった。何かしとったんよ、あたし。でも分からん!全く自覚がない!那津くんが見たこと、感じた事、全部話して!正直に教えて!」 

 堰を切ったかのように言葉が洪水の如く溢れた。

 これまでにぶつけたこと無い感情が、心の中で泥のように広がっているのが分かった。知華は臭く、粘つきのあるその泥が、簡単に流れていかないと分かった。

 全てを教えてもらわないと、消えてなくならない。

 

 知華の声は部屋に響いた。

 痛みさえ感じる言葉に、那津は動じなかった。

 静かな、しかし痛々しさ感じる表情で、知華を見た。

「不安にさせて、ごめん」

 那津は謝罪から始めた。

「知華の言う通り、不安にさせたくなかったけ、話さんかった。いずれは教えんといけんとは思ったけど。オマモリサマに憑かれた時の知華の顔が忘れられんくて……あの辛い知華の顔をもう見たくなくて……言い出せんかった」

 

 那津は沈んだ顔で言葉を紡いだ。 

 那津が感じた事、見た事。


 知華が知華でない時がある。

 ふとした瞬間に、切り替わる。

 それがオマモリサマのせいなのか、穢のせいなのか、安にも分からない。

 デートの時は一日中、その知華だった。

 振る舞いがいつもと違った。

 人の魂を見ているような目つきをしていることもあった。

 しかしオマモリサマが憑いた時と違い、瞳は確かに知華のものだった。

 また影が知華本体とちぐはぐな動きをした。すぐに元に戻ったが、不安が募ったので安に連絡した。


「……それで、全部」

 那津が締めくくると、部屋に静寂がもどった。

 

 知華は心臓を鷲掴みにされたような気分になった。

 やはり、知華の予想は合っていた。

 祖母と同じ状況になっていた。

 無自覚に不自然な動きをしていた。

 そして、先程もそうなのだろう。男の子は何かを見た。だから逃げた。

 

 鷲掴みにされた心臓が、破裂しそうだった。

 痛いくらいに縮こまってしまった。

 知華は胸を掴んだ。そうしないと耐えられない痛みだった。

「――やっぱり、そうじゃったんじゃ……。あたしも、おばあちゃんと同じ……」


 知華の体は言いようのない痛みに襲われた。

 痛みで顔を歪め、眉間にシワを寄せる。

 内側の奥深くから来るその痛みはどんどん浮上し、胸を中心に身体の隅々まで広がった。

 

 あまりの激痛に、知華は呼吸がままならなくなった。

 短く早い呼吸しか出来ない。

 那津に助けを求めたかった。


 顔を上げると、那津と目があった。

 しかし、視界が急にグルグルした。

 自分の意志とは関係なく、勝手に眼球が回っている。そんな感覚だった。

 これがそうなのか。祖母が起こしていた目のおかしな動き。

 

 知華は目をぐっと閉じてなんとか視界を元に戻した。

 痛みは続いている。それどころか増している。

 これ以上の痛みには耐えられないと思った。気絶してしまう。

「うっ……!くうっ……!いた……い……!!」

 声にならない声で、何とか那津に手を伸ばした。

 助けて欲しかった。

 怖かった。

 この痛みを何とかして欲しかった。

 

 知華が必死に伸ばした手は、腕ごと異様に伸びた。

 始めてオマモリサマに会ったあの時の様に、那津に向かって長く、長く。

 

 那津は急な事にビックリして飛び退いた。

 知華が急に苦しみだし、目がグルグルと回ったかと思うと、次は腕が伸びた。

 その異様さに思わず恐怖を感じた。

 知華の表情から、自分に助けを求めている事は分かったが、恐怖の気持ちが勝って動けなかった。

 那津の瞳に恐れと怯えが広がった。

 

 それが知華には分かった。

 後ずさり、体が固まり、自分を恐ろしい者の様に見ている那津の瞳。 

 那津のその眼差しは知華の中で何かを壊し、粉々に砕いた。

 その時、手首に付けていたブレスレットが二本とも弾け飛んだ。二人の目には映らなかったが、真綿の守りも打ち砕かれた。


 その瞬間、知華は絶叫した。

 痛みが全身を貫くのが分かった。

 引き裂かれ、体がバラバラになったと思った。

 

 那津を見ていたのに、見えない…。

 視界が涙でぼやけ、ぼんやりとする…。

 

 やがて薄暗くなり、眼前に黒い幕が下りるように、那津の姿は見えなくなった。


 

 きっと一生忘れることが出来ないような、悲痛な叫び声だった。

 最後、那津を見た知華の目は、苦痛と絶望に染まっていた。

 壮絶な叫び声の後、知華は倒れた。

 糸を切られた人形の様にばったりと倒れ込むと、動かなくなった。

 

 那津はあまりの事に数秒動けなかった。驚愕と衝撃に同時に襲われ、思考が止まっていた。


 倒れた知華を見た。指の一本も動かさない。

 那津は何とか恐怖と驚愕に固まった体を動かした。

 体はギシギシと音を立るように、思うように動かなかった。

 それでも何とか這って知華の傍に寄った。

「知華……知華……」

 声をかけ、揺さぶるが、知華は動かない。

 那津の揺さぶる動き合わせて、少し揺れるだけだった。

 知華は横向きに倒れていた。

 乱れた髪の間から顔が見えて、開いたままの目尻から一筋の涙が流れていた。

 知華の目は何も映していなかった。

 那津が覗き込んでも、那津を見返すことは無かった。

 知華の呼吸は止まっていた。

 

 那津はパニックにも似た焦燥感に襲われた。

 信じられなかった。信じたくなかった。

「知華……!知華!知華!!」

 何度名前を呼んでも揺さぶっても、知華は反応しなかった。

 そこへ、何事かと部屋に様子を見に来た母が遠慮がちにドアを開けた。

「ごめんね……すごい声がしたから……」

 そう言って娘の部屋を覗くと、血相を変えて知華の名前を呼ぶ那津を見た。

 されるがままの人形の様にぐったりとして動かない娘。母は言葉をなくした。

 那津は呼びかけをやめると、震える手で脈を確認した。

 手首……首……両方とも脈がない。

 知華の鼻のあたりに顔を近づけた。

 呼吸がない。

 少しためらった後、知華の左胸に耳を押し当てた。

 何も聞こえなかった。


 那津は激しく乱れる自分の息の音だけを聞いた。

「――き、救急車……救急車呼ばんと――!」

 慌てて荷物の中からスマホを取り出した。

 震えて上手く操作出来なかった。

 苛立ちを覚えながら、何とか百十九番を押すと、すぐに繋がった。

『百十九番、消防署です。火事ですか?救急ですか?』

「救急です!」

『あなたのお名前と住所を教えてください』

「香西那津、住所は……友達の家なんで、分かりません」

『近くに何か目標がありますか?』

「住宅街です。小学校が近くにあります」

 その後小学校の名前と那津の電話番号を聞かれた。

「意識も脈もないんです!お願いします!」

『すぐに向かいます。一緒に応急処置をお願います』

 言われて、スマホをスピーカーにした。

 その時、始めて知華の母がいることに気がついた。

「知華……?脈がない……?」

 混乱して呆然としている母に、那津は鋭く言った。

「おばさん!小学校に行ってAEDもらって来て下さい!早う!!」

 母はビクッとしたが、すぐに駆けていった。

 

 那津は電話向こうの指示に従い、心臓マッサージを始めた。

 講習会でやった通りの手順とリズムで、ひたすらに押し続けた。

 知華の目は相変わらずどこも映してはいない。

 空虚なガラス玉のように、光も反射せずただ目を開けているだけだった。


 母が戻ってくると、那津は大急ぎでAEDを開けた。電源を付け、音声メッセージに従って電極パットを付けた。知華の服を脱がせたが、躊躇する心の暇は無かった。

「知華!知華!!」

 娘の名前を必死で呼ぶ声を聞きながら、那津は手を動かし続けた。

 AEDは電気ショックが必要と判断し、

『離れてください』

 と声が流れた。

 知華の体がビクンと跳ねた。

 那津はすぐに心臓マッサージを再開した。


 その流れを二回繰り返すと、救急車の音が近づいてきたきた。

「おばさん!救急車の誘導を!ここの場所って示して下さい!」

 言われると、母は脱兎のごとく一階に降りていった。

 救急車が到着し、家の前でサイレンが止まる。

 隊員がバタバタと入ってきた。

 那津は二回AEDでショックを与えたことを伝えた。

 救急隊員は那津と心臓マッサージを変わると、素早くストレッチャーに知華を乗せて降りていった。

 

 母と知華が救急車に乗り込むのを見ていると、隊員の一人が近づいてきた。

 青井だった。

 肩を強く叩くと

「よくやった。後は任せろ」

 と言い、救急車は出発した。


 那津は救急車が見えなくなるまで立ち尽くしていた。

 安が搬送された時と同じ様に。

 しかし、今回は一人だった。


 あの時隣にいた知華は、もういない。


 

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