予兆
翌日の朝。
目覚めた知華は、いつもより体が軽い事に気がついた。スッキリとした頭で、夢も見ずに寝たのは久々な気がした。
(これも安ちゃんの影響なんかな……)
不思議そうにぼーっとしていると、窓の外から佐藤さんが手を振っているのが見えた。
昨晩は女子二人の寝室に滞在する事を遠慮して、外で見回りをしてくれたのだ。
「おはよ、知華ちゃん。少しスッキリしたみたいやな」
知華は頷くと
「やっぱり、安ちゃんとずっと一緒やから?」
と聞いてみた。
佐藤さんは頷きながら教えてくれた。
「それもある。安ちゃんの霊力で一晩中、浄化されたからな。体が軽いやろ?」
そう確認され、知華はまた頷いた。
「あとは昨日のお祓い」
佐藤さんは部屋を見渡すようにぐるりと首を一周させた。
「知華ちゃんには見えんやろうけど、昨日安ちゃんがしたお祓いな、あれは『真綿の守り』っちゅー術なんよ」
「真綿の守り?なに、それ?」
「お祓いと結界のダブル技、みたいなもんでな。この部屋におれば、余程のことがない限り怪異や悪霊は入ってこれん。無意識に発動させとった。圭ちゃんの時と同じやな。よっぽど知華ちゃんの事、助けたかったんやろ。変わりに霊力をようけ使っとったけどな」
だから、昨日はあんなにも疲れていたのか、と知華は思い起こす。
布団の中で寝息を立てている安を見る。
随分と心配と苦労をかけているんだな、と思った。
今日は祝日で、知華も休みだ。
このまま暫く寝かせておこうと、知華はそっと自室を出て洗面に向かった。
知華は静かに宿題をしながら、安が起床するのを待った。
時折、県北への電車の運行状況をチェックした。どうやら午後には復旧しそうだった。
安は八時過ぎに目を覚ました。
最初はここがどこが分からずぼーっとしていたが、やがて知華の部屋ということを思い出し、
「ごめん!めっちゃ寝てた!」
と焦っていた。
「それでいいんよ。ゆっくり出来てよかった」
知華は笑いながら伝えた。
少しバツが悪そうだったが、安も笑い「おはよ」と言ってくれた。
二人だけで朝食を済ませると、二階へ上がり宗原の手記について教えてもらった。
あれから調べているものの、那津が見つけた以降、新しい発見はなかったらしい。
また、宗原の部屋の捜索もしたが、書き留めや本は見つからなかったとも教えてくれた。
「大分探したんじゃけど。棚も押し入れも、畳まで剥がしたんよ?」
知華は目を丸くした。
「そこまでしたん?」
「自分の意見を書いた書物なら、見つからん場所に隠すかと思って……。年末、大掃除出来てなかったから、ついでになって良かったけど」
事のついでにしては大掛かりな気がして、知華は苦笑いした。
「あんなに探したのに、見つからんかった。じゃけど、紅野は『絶対にある』言うとるしな」
佐藤さんが思案顔で言うので、安が説明した。
「お師匠は勘が鋭くてな。よく当たるんよ。ほぼ百発百中。そんなお師匠が『手掛かりがあの家にある』ってずっと言ってて。あたしと宇田さんの二人がかりで探しとるんじゃけど……」
未だに成果がないらしい。
ずっと県北にいる二人が見つけられないのなら、他の人の目も必要な気がした。
「今度、あたしも那津くんも行って探そうか?違う人の目から見れば、何か発見があるかもしれんし」
知華の提案に、佐藤さんが賛同した。
「そうやな。人は多いほうがええ。雪が心配やけど、うだっちゃんの車で何とかなるやろ」
「また宇田さんと相談してみるわ」
知華が那津にも知らせておく、という事になり、この話は終わった。
安は昼過ぎまで羽原家に滞在した。
電車が再開した事を確認すると、
「急に泊まってごめんな。お世話になりました」
と荷物をまとめた。
玄関まで見送りに行っていると、和輝がリビングから顔を覗かせた。
「安井さん、ちょっとええ?」
二人が足を止めると、和輝は以外な事を言い出した。
「安井さんの連絡先知りたいんじゃけど、ええかな?」
知華は驚いた。兄が進んで誰かと連絡を取ろうとした所を見たことが無かった。
「……どしたん、お兄ちゃん。なんか変なもの食べた?」
妹の言葉に「失礼な奴じゃな」と眉を顰めた。
「俺だってコミュニケーションぐらいとるわ!」
「嫌味言うためじゃなくて?」
あまりの言葉に、和輝は無言になった。
「……お前は俺をなんだと思っとん?人でなしか?」
「うーん、会話で人の揚げ足とる人」
遠慮のない妹に、和輝は渋面を作った。
まさか妹からそんな風に思われていたとは、考えていなかったのだろう。和輝は少し反省した。
「……これからは気をつけるわ」
知華は安を振り替えり、尋ねた。
「安ちゃん、どうする?嫌ならあたしが断っとくよ?」
そんな事を言うので、和輝は思わずツッコんだ。
「目の前におるんやから、断れるやろ」
兄妹のやり取りに吹き出した安は、お腹を抱えて笑った。
その後、「いいですよ?」と答えた。
「あたしも知華の事で聞きたい事が出来るかもしれんし。交換しましょ」
二人がやり取りしている間、知華と佐藤さんはコソコソと廊下の隅っこで会話した。
「なんか、凄く意外なんやけど。あの二人って気が合うんかな?」
「さー、喧嘩したら長引きそうな組み合わせに思えるわ」
知華は内心、確かにと同意した。しかし、口が回る安が結局勝ちそうだと思った。
「学校以外は出来るだけ家の中におってな。なんかあったら、すぐに連絡して。あと、次のお祓いの日もまた連絡するけ」
安はそう言い残すと、佐藤さんと帰っていった。
リビングに戻ると、和輝が知華を持っていた。
「安井さん、帰ったか?」
知華が頷くと、「じゃ、俺もそろそろ戻るわ」と立ち上がった。
「夜バイトあるし。次は週末帰るから」
その言葉に、知華はやや眉をひそめた。
「帰って来すぎじゃない?」
「お生憎様。大学はそろそろ春休みなんでね。今週末帰ったら暫くはバイト入れるけ、兄は帰ってきませんよ」
どうやら機嫌を損ねたらしい兄を見て、流石に良心が痛んだ知華は「帰ってくる時はメッセージ頂戴な」と言った。
今の関係性なら、オマモリサマの事を相談してもいいかもしれないと思った。
「お兄ちゃんともゆっくり話がしたいし」
妹からそう言われ、和輝も言葉を返した。
「俺も知華とゆっくり話したい事がある。週末、ファミレスでも行こう」
初めてそんな事を言われ、知華は目を見開いた。しかしすぐに笑い「分かった」と答えた。
「あと、香西をあんまり家に呼ぶなよ?あいつの家にもあんまり行くな」
口うるさい兄が復活し、知華の気持ちが少し萎んだ。
「別にいいじゃん。お兄ちゃんも彼女つくれば?」
「余計なお世話じゃ」
連休が終わり、学校が始まった。
知華は那津と毎日登下校した。
安が宿泊して以降、体は軽く目覚めもいい状態が続いてた。
奈海や守安からはデートの詳細を聞かれる毎日で、おうちデートの一日を何度も反芻して聞かれた。
二人ともうんざりしたが、付き合い始めの頃のような弾丸質問は少なかったので、少しはマシだった。
しかし、あの一日を話し思い出すたび、知華の中に膨らむ不安があった。
那津は何を思って安を呼んだのか。
デート翌日に急にお祓いに来た安。
穢の件かと聞いた時、安は否定しなかった。
きっと、あのデート中に那津が何かに気がついてい、お祓いが必要な事態だと思ったのだろう。
その『何か』が知りたい。
あの日、知華はいつも通り過ごしているつもりだった。
知華には分からない。心当たりがない。気づいていない。
それが怖かった。
本人の自覚なくやっているおかしな行動。
それは否応なく祖母を思い起こさせた。
その瞬間から、知華の心の中に拭いきれない水滴のように、不安が点在した。
拭っても拭っても自然と湧いてくる水滴は、やがて水溜りのように大きくなった。
それを取り去ってしまいたくて、毎日那津と顔を合わせるたび、聞こうとした。
しかし、聞けなかった。
胸底にありながら、口にできない不安。
那津に肯定されてしまえば、さらに不安が募る気がした。
(だから、那津くんは教えてくれんのんじゃろうな……)
知華を案じて、不安にさせたくなくて。
今の知華に出来ることは殆ど無い。
ブレスレットを外さず定期的に浄化をして、安の張った結界のある部屋にいる。
それだけだった。
勿論、安の実力を疑ったことはない。しかし、ただ守られているだけの自分が嫌だった。
自分でも動きたい。問題解決のために出来ることがしたかった。
一番思いつくのは下宿所に行くことだったが、春休みに入っていない知華達には難しい。特にこの季節は雪の影響があり困難だ。
(週末だけでも行こうかな……)
那津と別れた下校の道すがら、知華はそんな事を考えながら歩いていた。
和輝と話す約束もあったが、それが終わったらせめて、毎週でも県北に行こうかと真剣に思案していた。
すると、
「あの、大丈夫ですか?」
急に声を掛けられた。
声からして子供だと思い後ろを見ると、男の子が立っていた。見知った子だった。
少し怯えたような顔をしている。
その子は陽咲とたまに遊んでいる男の子だった。
言葉を交わしたことも何度かある。
しかし「大丈夫ですか」の意味が分からなかった。
だから
「何が?」
と聞き返した。
すると男の子は何やら驚き恐怖した顔を見せ、慌てて走り去ってしまった。
知華は不安が急激に内側から噴水のように湧き上がってくるのを感じた。
押し潰されそうな程の恐怖と動悸、息苦しさを感じ、体が冷えた。
一瞬、男の子を追いかけて詰問したい衝動に駆られたが、足は動かなかった。
代わりに家に向かって走った。
早く結界の中に戻りたかった。
走りる足を前に出す度、内側の不安を蹴り飛ばしてしまいたかった。
勢いよく玄関の戸を開け、逃げ込むように家に入った。
休日だった母が、
「知華?どしたん?」
と居間から声をかけたが、無視した。
階段を駆け上がり部屋に戻る。
限界だった。
もう自分の心に嘘はつけない。
これ以上、何も気づいていないふりは出来ない。
知華は息を整える事もせず、スマホを取り出した。
手が震えた。これまでで一番の震えだった。
指が全く思うように動かず、何度も電話を掛けるとこに失敗する。
やっとの思いで那津の番号にたどり着き、通話開始ボタンを押す。
呼出音が響いた。
知華は待った。
早く出て欲しかった。
これ以上、不安定な思いを抱え込みたく無かった。
プツと音がして、那津が出た。
彼が言葉を発する前に、知華は言った。
「教えて!あたしに今、何が起きてるん?」
自分でも分かるほどの怯え声だった。
那津は切羽詰まった声に
『どしたん?』
と緊張感ある声音で尋ねた。
「あたしに何か起こっとるんじゃろ?それに気がついたから、那津くんは安ちゃんにお祓いを頼んだんじゃろ?教えて!あたし、自覚ないまま何をしてるん?那津くんは見たんじゃろ?知ってることを話して!」
こんなにも思いを丸裸にして表に出したのは初めてだった。
強く詰問する知華に、電話向こうの那津は言葉をなくした。
固い沈黙が耳に痛いくらいだった。
『……分かった。今からそっちに行くわ。待っといて』
那津はそう言うと電話を切った。
知華はスマホを握りしめたまま、その場に座り込んだ。
やっと言えた。
やっと聞ける。
その安堵が一瞬よぎったが、すぐに緊張してきた。
どんな事を言われるのだろう。
自覚ないまま学校に行ってもいいのだろうか。
周りの人達から奇異の目で見られないだろうか。
オマモリサマの件が片付くまで、学校には行かないほうがいいのだろうか。
いっそのこと、県北に移った方がいいのだろうか。
考えれば考えれる程、まとまらなかった。
あちこちに散らばった疑問をかき集めるとこは、一人では出来ない。
でも那津がいれば。
少なくとも、無自覚に何をしてあるのかはっきりと教えてくれれば、対処方法も分かる。
一緒に考えてくれる。
だから。
「早く来て……」




