真綿の守り
知華を家まで送り届け、その姿が家の中に消えるのを見届けると、すぐに那津は電話を掛けた。
安は数回の呼出音ですぐに出た。
最近は色々とあったので、お互いにすぐに連絡がつくようになっていた。
『どした?』
声が聞こえるや否や、那津は固い声で言った。
「知華のお祓い、いつ来れそうや?」
それだけで察した安は何も聞かず、
『明日でも大丈夫やで』
と即答した。
電話越しだが頷くと
「出来るだけ早うに頼む」と伝えた。
那津の声色から切羽詰まったものを感じたのだろう、安は『今、知華はそこにおる?』と尋ねた。
「いや、おらん。俺一人や」
返事を聞くと数秒の固い沈黙の後、
『なにがあったん』
と静かに聞かれた。
どこからどう説明したらいいか、那津は悩んだ。
しかし、今は順序だって整理整頓した言葉よりも、那津が感じたありのままを話した方が良い気がした。
「説明としては分かりにくいと思うけど……俺が思った事を率直に言うから、聞いて欲しい」
那津はそう切り出した。
「俺は時々、知華の感情とか表情が急に乏しくなる瞬間があるって思っとった。さっきまで普通に話とったのに、不自然さを感じるくらい、急に変わる。今までもたまにあっけど付き合うようになって、一緒に過ごす時間が増えてから、より一層そう感じる事が増えた」
そこで一度深呼吸をした。
今日一日で感じたことを話さなくては。
「……言葉にするのが難しいんじゃけど……小っさな違和感がある。例えば言葉の選び方とか、微妙な表情の変化とか指の動かし方とか、目の動かし方ーー。そういうのが、知華じゃない」
電話の向こうで、安が眉間にシワを寄せたのが分かった。
『どういう事?』
緊張した固い声だった。
「そんなん気のせいやろ、って言われればそうなんやけど……。どうにも俺は無視できん。トゲが刺さったみたいで、ずっと気になる。今日一日、ずっと違和感を抱えたまんま知華と一緒におった。一番気になったんが知り合いに会った時で、知華が言ったんよ。その人の胸元見て一言『綺麗ですね』って」
その時の表情を思い出し、那津は少し震えた。
「その人は階級章のピンだと思ったみたいやけど、違う。あの言い方は――違う物を見とった……」
恐恐言う雰囲気を察して、安が那津の変わりに答える。
『……魂?』
那津は頷いた。
「そう、そうや。そんな気がした――。知華の顔は笑っとったけど、目が笑ってのうて……。乗っ取られた知華の事を思い出してしもうた。じゃけど、あの時みたいに瞳に違和感はなかった」
那津の中で、疑惑が渦になって湧き上がった。話せば話すほどそれは頭を大きくし、ヘビのように心の中に立ち上がった。
「さっき別れ際、知華に『今日の知華は何かおかしい』って思い切って言ってみたけど、弁明するみたいに多弁になって……『二人きりで緊張して疲れた』とか『母親と料理してしんどかった』とか言っとった。けど、それが逆に不自然で……。――あと、極めつけがある」
さらにそう言われ、安は苦しそうに唸った。どんどんと暗雲が垂れ込んでいくようで、聞きたくなかったのかもしれない。
しかし『何?』と先を促した。
「……知華の影が――本人の動きと合わん」
小さく息を飲む声がした。
「本人は気づいとらん。知華のおばあさんと同じで……」
安は無言だった。
きっと自分と同じ思いなのだろうと、十分に分かった。苦しくて、息が出来ない。心臓が喉までせり上がり、塞いているようだった。
しかし一度言葉として吐き出してしまうと、止まらなかった。
「これって、やっぱりオマモリサマの影響なんか?それとも穢か?知華もおんなじようになってしまうんか?魂を取られる前に、知華が知華でなくなってしまうんか?」
まくしたてられ、安は心が痛いくらい縮こまった。
友人の悲痛な声が耳に刺さった。
「安井、知華を助けてくれ……!」
それきり声が出なくなった那津は、強くスマホを握ることしか出来なかった。
下宿所の居間にいた安は、電話の向こうで悲鳴を上げる友人の声に、顔を歪ませていた。
今聞いた症状は、間違いなくオマモリサマの影響だと思った。あるいは付けられた穢と相まった症状。
もう、目に見えた変化が始まっている。
それは酷く安の心を揺さぶり、焦らせた。
ここでじっとしていることが苦痛だった。見えない槍で刺されているかのように、気持ちがそわそわして落ち着かない。
しかしその気持ちに無理やり蓋をした。焦っても仕方ない。今出来る事は全てやっている。
でも、この思いだけは届けたかった。
「あたしも助けたい。知華の事も、那津の事も。……今のあたしにはお祓いしか出来ん。とにかく明日、出来るだけ早く知華の家に行く。知華には上手く言っておくから。……那津もおいで。一緒に傍で座っとったらええよ。少しは気持ちが軽くなるから。そういう思いで読むから……」
話していて声が震えそうだったが、グッと力を入れて我慢した。
「明日、会おうな」
翌日、県北は雪だった。
今シーズンに入って初の大雪で、電車は運休した。
朝、下宿所の窓から外を眺めた安は、またもや妨害にあったと強く憤った。
しかし行かない訳にはいかない。どうしても行かなければ。
宇田に事情を説明して頼み込み、車を出してもらった。帰りの事を考える余裕はなかった。
とにかく、知華の元へ行かないと。
切羽詰まった安の様子に、佐藤さんも黙り込んだ。先に知華の元へ行こうか、とも声かけたが、穢が強すぎては佐藤さんの幽体に響くと断られた。
一本しかない県道は渋滞で、なかなか前に進まなかった。高速は通行止め、電車は運休となれば、下道が混むことは予想に難くなかったが、安の気持ちを焦らせるには十分だった。
早朝に出発したにも関わらず、羽原家に到着したのは午後二時だった。
那津は羽原家の前で待っていた。宇田に礼を言って車を降り、那津の元へ行くと、無言で頷いた。
珍しく、その顔に疲労が見て取れた。きっと昨晩、よく寝付けなかったのだろう。
那津の思いも晴らさなくては。
そう思い肩に手をかけると、
「行こう」
とだけ言った。
チャイムを押すと、すぐに知華は出てきた。
「凄い時間掛かったね。大丈夫やった?」
そう言う知華の様子はいつも通りだった。
しかし纏う穢はまた増えていた。
紅野がお祓いをして少し知華の姿が見ていたのに、元に戻っている。
(まだ二週間しか経ってないのに……。こんなにも急速に穢が進むのはなんで?)
全く前例が無かった。
宗原の手記とは別件で調べていたが、それらしい記述や話は皆無と言ってよかった。
安の心配など露知らず、知華は嬉しそうに話をしている。
「北は雪が凄いんじゃろ?沢山積もった?」
楽しげに聞かれ、安は出来るだけいつもの調子で振る舞った。
「そこまでじゃないよ。まだ三十センチくらい。本格的に降ればもっと積もるから」
「スキーとかしたいなぁ。滑れんけど。やってみたい」
顔を綻ばせる姿に、変わりはない。
チラチラと視界の隅で家の様子も伺うが、急速に穢の影響が進んだようには見えなかった。
(知華だけに変化がある。家の中にまで穢が溜まってる訳じゃないないんやな……)
もし知華の穢が他の家族にも影響を及ぼし、空気が悪いようなら、そちらの対処も必要だった。が、その心配は無さそうだった。
三人は早速二階に上がると、知華の部屋に入った。
お祓いの準備を始めた安に、知華は
「何か手伝おうか?」
と声を掛けた。
「じゃ、那津と一緒に鞄のもの全部出して」
と頼んだ。
「体調は?変わりない?」
「うん。特には」
「ぼーっとしたり、食欲なくなったり、やたら夜に目が覚めるとかは?」
「ないよ」
「気がついたら別の場所におるとか、自分とは違う感情が流れてくるとかは?」
「ないよ」
手を動かしかながら質問をするが、やはりなんの自覚も無さそうだった。
「どしたん、安ちゃん。今日は色々聞いてくるな?」
その言葉を受け、佐藤さんが助け舟を出した。
「安ちゃんは今、宗原の手記以外も知華ちゃんの穢の事も色々調べとるから。オマモリサマだけの影響やないかも知れんからな。少しでも情報が欲しいんよ」
その説明で納得した知華は、
「心配してくれるのは嬉しけど、無理だけはせんでな?約束してよ?」
と念を押された。
それはいつもの知華で、安は少しだけ安堵する。
「大丈夫、分かっとるから」
せっせと準備をし、ものの十五分ほどで完成した。
部屋の壁には神社から持ってきた小さめの神前幕を張り付けた。少しでも力を借りたかった。
知華と安が向き合う。那津は部屋の端に正座した。
お香の匂いが部屋に満ちると、安の御経が始まった。
いつもより澄んだ、綺麗な声だと知華は思った。何度も聞いていると、安のその時の気持ちが流れ込んでくるようだった。
(どうか、どうか知華を助けて)
安は読経しながら、ひたすらに願い祈った。
自分に出来ることは全てやる。
捧げられるものがあるのならば、なんでも捧げる。
恋人思いの友人の気持ちも慰め、晴らしてあげたい。
神がいて仏がいて、私を見ているなら、どうか――
知華の部屋に木霊す安の声は、温かな風のようだった。
安の強い思いを乗せた風は優しくぬくもりを運び、やがて柔らかな渦となって、真綿のように部屋を包み囲う守りとなった。
佐藤さんの目に映るその光景はとても美しく、春の暖かさを思い起こさせた。
(お祓いと浄化だけやない。強い守りも含まれとる。無意識なんじゃろうけど、いつもより何倍も霊力を使こうとるの)
安が初めて使った真綿の守りは、知華を守る強い願いが込められていた。
これまでそんな芸当は出来なかったはずなのに、無意識に行使するほどの願いと想い。
(やっぱり安ちゃんは変わった。いずれ、紅野みたいな万能型の霊媒師になれるかもな……)
佐藤さんは胸が膨れるような満足感を感じた。
どうにか、安の成長を見届けてやりたい。
その想いは紅野と同様であり、親心に近かった。
一時間ほど掛かったお祓いは、その長さを感じさせないほどに心地よかった。
安の終わったよの声がすると、知華は清々しい笑顔を見せた。
「今日の安ちゃん、ちょっと違ったな。何か凄く綺麗な声だった」
安はほほ笑んだ。
知華の姿が見えるまで、穢は薄れていた。
「家の方はどうする?水晶とか御札変えたりする?」
安は首を振った。
「そっちはまだ平気そうじゃわ」
安は那津を見た。先ほどよりは顔色が良くなっている。
目が合うと、小さく頷いた。
『大分良くなった。ありがとな』
そう言われた気がした。
「安ちゃん、今日はこれからどうするん?」
そう聞かれ、意味を図りあぐねた安は首を傾けた。
「どうって?」
「だって、電車は一日運休なんじゃろ?お昼のニュースでやっとったよ。宇田さんは帰っちゃったし、バイクはないし。移動手段がなくなったよ?」
そう言われ、安は初めて帰りの事を考えた。
「……何にも考えてなかった」
ただひたすらに羽原家を目指していたので、そこから先は完全に思考に無かった。
「安井がそんな事言うの、珍しな」
少し面白がっている那津に、安は苦い顔をした。
「仕方ないやん。知華のお祓いの事しか考えてなかったんやもん」
完全に自分のミスだったが、どうにもバツが悪かった。
しかないので、どこかで宿を取ろうかと考えていると、知華が提案した。
「じゃ、今日は泊まっていってよ」
その言葉に安は少し放心した。
「うん、それがいい!そうしよ!」
テンションが上がった知華は一人ニコニコと笑った。
「あたし、友達とお泊り初めて!やった!」
「いや、でもそんな急には……」
焦る安に、那津も言った。
「帰る手段ないんやろ?なら泊まるしかないやん」
さらに佐藤さんからも「いつもより霊力使ったやろ?下手に動きすぎんほうがええで。また動けんくなるで?」
安の霊力は大分回復していたが、まだ無理は出来ない状態だった。一度空っぽになった霊力を回復させるには、それ相応の時間がかかるのだ。
佐藤さんの言う通り、いつもより霊力を消耗した自覚があった安は、申し訳なさを感じながらも、「じゃ、お言葉に甘えて……」と承諾した。




