県北へ
週末が近づくにつれ、知華と那津への毎日の質問攻撃は緩んだ。
そうは言っても、連日三日の奈海と守安の攻撃には二人とも勘弁してくれと泣きついた。
もう話せることはない、と言っても解放されず、しまいには休み時間の度に何処かの教室や音楽室、図工室、体育館、駐輪場と逃げ回る有様だった。
「次のデートの日にちを決めたら許してやろう」と言うので、半ば強制的にデートの日にちを決めた。
「これって普通?」と聞く知華に、那津は「絶対ちゃう」とだけ教えてくれた。
安と約束していた土曜日が来ると、二人とも安堵した。駅で待ち合わせ電車に乗りこむと、久々の静かな時間である気がして、すっかり肩の力が抜けてしまった。
「なんか、学校行かないって安心するね……」
遠くを見ながら言う知華に、那津も同意した。
暫く、電車のゴタンゴトンというリズミカルな音を聞いていた。
県北行きの電車は前回と同じく空いていて、席はガラガラだった。何とか天候にも恵まれ、雪で運休という事態にもならなかった。
(前乗った時は、安ちゃんも佐藤さんもおったな……)
流れていく車窓の景色を眺める。やはり、あれから三カ月しか経っていないというのが信じられなかった。
切れては走る景色は前と違いすっかり冬で、葉が落ち尽くした山が寒々しく見えた。
淡い水色の空が広く広がり、どこまでも透き通るようだった。空の色は安の霊力を思い起こさせた。
「知華、今日は上手く話せそうか?」
那津に言われ、うーんと思案声を漏らした。
「どうじゃろ。多分、平気」
「……襲われた時の事も、話さんといけんじゃろ?平気か?」
心配声で聞かれ、知華は頷いた。
「那津くんがおるから、平気」
答えると、少し驚いた顔をされた。
「手を、握っててくれれば」
それだけ言うと、那津は知華の手を取り、ギュッと握った。
「……分かった」
初めての那津と二人きりの電車旅は穏やかに過ぎた。
今度は春に来よう、他の県にも行ってみたい、その時は安におすすめを聞こうなどの話題から、那津の志望校の話、知華がこれから見学に行きたい大学、専門学校の話など、未来の話を沢山した。
また、先日知華がオマモリサマの気配に乗っ取られた話も聞きた。
知華からするとまるで覚えがなく、聞いていて不思議な感覚だった。
話題は尽きず、九十分の道中はあっという間で、気がつけば神社の最寄り駅だった。
ここからは前回同様、宇田が送迎してくれた。
宇田は神職の袴姿で、初めて見た二人には新鮮だった。
やはり下車すると知華達の街とは数段寒く、もう一枚着込んでくればよかったと思った。それもそのはずで、こちらは薄っすらと雪化粧がされていた。
これまで見ていた落ち葉が尽きた山とは違い、薄っすらとした白さが眩しかった。
「これくらいの雪だとノーマルタイヤで済むから助かるんよ。でもそろそろ交換しとかんと、いざという時困るからなぁ」
ぼやきながら運転をする宇田が教えくれた。
車は神社に向けて走り、駐車場に止まった。
雪化粧した神社は少し装いが違う気がして、知華は凛とした気分になった。
今回は社務所には寄らず、直接宇田が案内してくれた。
本堂にはすでに紅野と安が座っており、何やら仰々しい雰囲気だった。
以前と違い、壁に装飾がなされていている。
紫色の地に家紋のような紋様が入ってた幕が複数枚飾られ、要所要所に鈴がある。
安と紅野は宇田と同様、神職としての正装をしていた。
他に人はおらず、静かだった。
二人は静粛な空気に気圧されて足を止めた。入って良いのか迷っていると、
「よく来たね」
と、前回と変わらず柔和な顔で紅野が迎えてくれた。
その表情に少し安堵し、本堂に入った。
促されるまま二人の前に置かれた座布団に座る。
「早速で悪いんだが、オマモリサマに会った時の事を詳しくは教えてくれるかい?」
そう言われ、知華は頷いた。
オマモリサマと会ったのは偶然で、一人になったタイミングだった事。
最近感情の波が激しく、五月蝿いと言われた事。
安や那津と一緒にいる事、中級悪霊と対峙したことを言い当てられた事。
知華を『見ている』こと。『見ている』のは監視とは違う事。
『見ている』のは知華の魂を他に取られないようにするため。
知華の魂はお気入りで、それを守るためなら助けてやる、呼べと言われた事。
金縛りにあい、魂を見られた事。
「その時聞いたんです。安ちゃんと那津くんの事も『見てる』のかって。そしたら間接的に分かるだけって言ってました。二人に興味はなくって、何をしようが、何を知ろうが、なんの興味もないと……」
紅野は口を挟まず黙って聞いた。
先を促されている気がして、知華は続けた。
「ここから先は、電話で安ちゃんにも伝えました。オマモリサマが興味があるのはあたしの魂で、基本的に干渉はしないけど、感情を大きく揺さぶられるのは気に食わないって言い出して、遊ぶ事になりました」
鬼ごっこと決めたのはオマモリサマである事。
つま先を打ち付けると寒気がきて、波の様に大学敷地内に広がった事。
鬼には知華が分かりやすいよう、印を付けた事。
印をつける人は知り合いがいいか、赤の他人がいいか選ばされた事。
知華一人では大変だから、安を頼っていいと言われた事。
「最後は体重感じさせない動きで高く飛んで、十階建ての壁を二回で登りきってました。あっという間に屋上に上がって、最後に『楽しめ』って言い残して消えました」
全て話終えると、知華は緊張と話し過ぎで喉が渇いた。
宇田がそっと横に水を置いてくれたので、知華は礼を言ってそれを飲んだ。熱くなった喉に冷たく浸透し、とても美味しかった。
その姿を見ながら、紅野は考えていた。
オマモリサマの行動の動力となるのは、常に知華だ。知華の魂が気に入った事が全ての始まり。他に取られたくないので見ているというもの、強い拘りと独占欲を感じた。
また他の霊に奪われないようにするため、守るとも言っている。
(守るために自分の穢をつけている、とも考えられるか……)
自分の所有物と示すため。
まるでお気に入りのおもちゃを取られたくない幼子の様だと思った。
紅野は熟考をやめると、知華を見た。
「ありがとう、知華さん。やはり、オマモリサマは君の魂にすこぶる強い執着心を持っとる。他の霊から取られないように守るとも言っとる。それに、人間離れした身体能力。腕を伸ばせるだけじゃ無さそうじゃな」
一度言葉を切ると、知華の顔色を伺った。不安そうに俯いている。
「沢山話させて悪いね。安と佐藤さんからも聞いてるが……鬼ごっこの詳細を話してもらえるか?」
知華はグッと顔をしかめた。
それを見た那津が知華の手を握る。
知華もそれに無言で応え、手のひらを合わせて指をしっかりと絡ませた。
そして顔を上げると、話し出した。
佐藤さんの協力で大学中を探し、教育学部の棟にたどり着いたこと。
目を凝らすと知華にもオマモリサマの穢の気配が分かったこと。
それを頼りに講義室を見つけ、男がいた事。
そこから先は言い淀んだ。少し過呼吸になっていたが、那津が強く手を握ると落ち着いた。
男に乱暴されそうになったので、知華は願った。
「とにかく助けて」と。すると内側から力が湧いてきて、男の力を押し返すことができ、反撃出来た事。
「……そこから先は、泣いていてよく分かりません……」
そう締めくくった。
涙は出なかったが、声が震えた。
那津は知華の背中を擦った。知華は那津にもたれかかり、体を預けた。
「ありがとう、知華さん。悪かったね。辛い事を思い出させて。しばらくここで休んでいなさい」
紅野、安、宇田の三人は本堂を出ていった。
二人きりになっても、知華は那津にもたれかかったままだった。ぬくもりが嬉しくて安心して、心が和んだ。
那津もずっと擦り続けてくれた。
本堂の端っこにはストーブが焚かれていたが、暖をとるには足りず、体は冷えたが心は温かかった。
五分もすると大分落ち着き、知華は那津から離れた。
「……もう大丈夫か?」
その言葉に静かに頷いた。
「うまく喋れたかは分からんけど。出来るだけ伝えられたと思う」
そう言うと、那津は「やっぱりオマモリサマは強そうやな」とこぼした。
「身体能力だけでも、普通の人間は敵いそうにない。他にも出来ることがあるかもしれんし。見られとるのも正直言うと厄介よな。対策立ててもバレるって事やろ?手の内を隠すこともできん」
知華も思った事だった。
そもそも、対抗出来るのかも分からない。そこは霊媒師に任せるしか無さそうだ。
「でも、一つ希望があるとすれば知華にしか興味がないことじゃな」
その言葉の意味を図りあぐねて、知華は首を傾げた。
「どういう事?」
「さっき知華が言っとったやん。俺らに興味はなくって、何をしようが、何を知ろうが、なんの興味もない」
知華に顔を向けた那津の目は真剣だった。
「これって、作戦立てようが対抗策を練ろうが、興味無いって事やろ?自分に敵うはずないって高をくくっとる。そこをなんとか逆手に取れんかな?」
その考えに知華も思案した。
確かに、傲慢な態度はオマモリサマの余裕を感じさせた。
また、以前対峙した悪霊を「中級」と言い、「危なそうなら出ていこうかと思った」とも言っていた。
つまり、助けられる力量があると自負しているという事だ。
そこに自身の力への過信を感じた。
「俺らがどんな作戦を立てようが、オマモリサマにとっては子供の遊び位にしか思わんやろ。ほら、保育園児が子供同士で遊びを考えとっても、『何かしとるな』位にしか思わんやろ?それと同じなんよ」
知華はなる程、と思い那津を見た。
それならば可能性はあるかもしれない。突拍子もない動きをすれば、多少の隙が出来るかもしれない。
しかし問題はやり方だ。それに知華達が解決したい根本、知華の穢の原因がまだ不明だ。
「あたしの穢は、やっぱりオマモリサマに見られとる事だと思う?それとも、魂を狙われとるから何か印をつけられとる、とか?」
「印……。鬼ごっこの時みたいな?」
頷いくと、那津が続けた。
「それなら、安井達が気がつくんじゃないん?それとも、『あちら』の奴らにしか見えん様な印なんかな?」
「さっきの話で、紅野さん達が何か気づいてくれればええんじゃけど……」
考えても分からなかった。
それに、つい先日の知華の中にオマモリサマの気配がした件。
こちらも理由は分かっていなかった。
直接接触したせいなのか、触れずに何か仕掛けられたのか。
この見解も聞きたいと思っていた。
「この前、あたしの中にオマモリサマの気配があった理由も、何か教えてくれるかな……。那津くんが追い払ってくれたのも、なんで?いつの間にそんなこと出来るようになったん?」
知華から問われても、当の那津にもさっぱり分からなかった。
「正直言うと、さっぱり分からん。あの時は知華の目が気になって……見とったら、瞳の中に何か見えた。ベヒみたいな、煙みたいなもん。それが悪さしとるって思って、『出てけ』って思ったら、出来た」
何とも抽象的だったが、その言い方が逆に信憑性を持たせた。無意識に出来たことで、那津自身にも理由は分からないようだ。
しかし、知華には一つ思い当たる事があった。
「その瞳の中にいたベヒか煙みたいな奴。それ、あたしが見たオマモリサマの気配と同じ」
「そうなん?」
目をしばたたかせた那津は、知華を見る。
「佐藤さんに言われてオマモリサマの気配を辿った時、煙みたいに見えた。時間が立つと薄くなるんじゃけど、新しいうちは煙みたいにゆらゆら揺れとった。足で蹴ったりしても、全然消えんのよ。干渉出来んかった。今、那津くんから聞いたのが、それとよく似てるなって思った」
那津は腕組みして考えた。
「じゃ、やっぱり俺が知華の中から追い出したは、オマモリサマの気配…?あれが消えたけ、知華は正気に戻った?」
確かに、あの時安が「でかした!」と叫んだ。安にも何か見えていたのだろう。
「やっぱり、那津くんに助けられたんやね、あたし。ありがとな」
笑って言う知華に、那津の心臓が跳ねた。
こういう場所でそんな顔をしてくれるな、と内心で焦った。
「知華の役に立てて、良かったわ。……あとな、こういう場所でそんな顔するな。ー困る」
「困る?」
言われた意味が分からず、知華は首を傾げた。
その仕草に更にうっ、と仰け反った。愛しくてじっとしていられなくなりそうだった。
何とか煩悩を散らそうと那津は辺りを見回した。
知華は那津が急に部屋の装飾に興味を示したので、更に意味が分からなくなった。
「あたし那津くんが何か困るような事した?」
そう聞かれ、那津は耳まで赤くなった。
小声で「……した」と返した。
知華は更に混乱した。何かやってしまったかと焦り顔になったので、那津は知華を思わず抱きしめた。
「嫌な困ったじゃないから、気にせんでいいよ」
急に抱き寄せられたことに驚き、知華は那津の顔を見ようとしたが、出来なかった。力が強すぎて身動きが取れなかった。
「ーー那津くん、ちょっと痛い……」
そう言うと、那津はハッとして知華の肩を掴み、自分から引き離した。
「悪い、強すぎたか?」
焦った所に、安達が戻ってきた。
那津に肩を掴まれた知華を見て、安は何とも言えない冷めた目をして、
「神聖な場所やから、いちゃつかんでな」
とだけ言った。
動揺したのは那津で、
「やましい事は何もしとらん!」
と返した。




