『困った』の声
知華の顔を見た那津は、そっとベット脇に座った。
そして、その頭を撫でた。
知華はされるがままになっていたが、目を細めて顔を歪めた。
瞳に溜まった涙が、止めどなく溢れていく。
そして、絞り出す様な声で言った。
「……ここに来ちゃダメだよ――」
呟きはやがて嗚咽となり、部屋の中に響いた。
「あたしと…いちゃ……ダメ……だよ……。一緒には……いられない……」
そう言うと、両手を顔に当てて声を出して泣いた。
安と那津はじっと知華を見た。
一緒にいちゃだめ。
その言葉に心当たりはない。
つい二日ばかり前まで、そんな素振りはなかった。
オマモリサマの穢の気配が付いていた事と言い、急速に知華の穢が増していた事と言い、不可思議な事が多すぎた。
(知華は何かに気がついたんだ)
安はそう思った。
大学でオマモリサマと知華が会った時の詳細を、知華から聞いてはいない。その時に何か言われたか、何かあったのだろうと推察した。
そうでなくては、メッセージを読まない、電話にも出ないなんて行動を、知華が取るわけない。
嗚咽が続く知華に、安は言った。
「オマモリサマに、何を言われたん?」
攻める訳ではなく、静かに尋ねるようにそう聞いた。
知華は泣いていたが、僅かに肩を震わせた。
安にはそれで十分だった。
「教えて。何を言われたん?」
二人は静かに言葉を待った。
知華は泣き声の中に何とか言葉を挟もうとしているようだった。
「……あたしは……見られてる……」
やがて、言葉が出てきた。
両手で顔を覆ったまま、知華は話し出した。
「全部、オマモリサマは知っとった……ずっと二人とおることも……よくあたしの感情が動く事も……悪霊と対峙したことも……あたしを通して、安ちゃんも……那津くんも見られとる」
話していると少しずつ言葉が連なり始め、何とか喋れるようになってきた。
「二人と一緒におって……あたしの感情が揺さぶられるのが気に食わんって……。たがら、鬼ごっこをしようって…言われた。きっと気晴らしなんだと思う……」
安はその言葉を反芻して考えた。
(知華を通して見てる?どういう事?そんな話、聞いた事ない……)
佐藤さんも難しい顔をしている。過去の前例と照らし合わせているのだと、安には何となく分かった。
「知華、オマモリサマが『見てる』って言ったん?」
知華が頷く。
「でも監視じゃないって……。ただ『見てる』って」
その意味を図りあぐねて、頭を悩ませた。
那津は困惑しつつも知華に聞いた。
「それで、知華は俺らと一緒におれんって?」
また知華が頷いた。
「二人を危険にさらすかもしれん……」
その言葉に安は顔を歪めた。
「そんなの、関係ないやん。あたしも那津も、好きで知華と一緒におるんよ?今までだって、そうやったやん。あたしと一緒におることだって、二人にとっては危険なんよ?!霊道封鎖の時も土地神の時も、この間の悪霊の時も。全部危なかった!でも二人は一緒におってくれるやん!」
安が言い募るが、知華は首を横に振った。
「そうじゃない……『見てる』だけじゃないんよ……それだけじゃない」
言葉を切ると、ぐっと唇を噛んだ。
その先の言葉を呑み込むか吐き出すか、躊躇って《ためらって》いるようだった。
「あの…男の人……。あたしを襲った……。自殺したやろ?あれ……あたしのせいなんよ……」
「……は?」
想像だにしなかった言葉に、二人は絶句した。
佐藤さんも驚愕してじっと知華を見ている。
「オマモリサマは、あたしを『見てる』。それと困ったら助けるって言ってた……。呼べって……。襲われた時、あたし…思った。『とにかく助けて』って……。そしたら……急に内側から…力が湧いてきて……。男の人に…抵抗出来た…。あれは……あたしのちか……らじゃ……ない。きっと…オマモ…リ……マの……」
そこまで言うと、知華はまた涙を流し始めた。
嗚咽で切れ切れになりつつも、何とか喋り続けている。
「あたし…が、願った……から……。印を付けられた…のも、あたしの……せい……。助けてって…思った……から、オマモリサマ……は、あの男の……ひと……を……」
知華はいくら言葉を並べても、焦りと申し訳なさと心配な気持ちの半分も伝わらない気がした。
感情が渦巻いて上手く言葉にできないのか、知華はそれ以上喋れなくなった。
二人は何とか今の話を飲み込もうとした。
知華はオマモリサマにずっと見られている。
そして知華が願えばオマモリサマは応える。歪んだかたちで叶えてくれる。
だから一緒にはいられない。
ここに来てはいけない。
二人を危険にさらしたくない。
知華の言わんとすることが分かり、皆言葉がなかった。
那津も佐藤さんも沈黙する中、安は泣いている知華を見て、妹の事を思い出していた。
ーあたし、のろわれた!ねぇねにもうつっちゃう!
苦しいはずなのに、周りの人を心配して泣いていた圭。
笑わなくなって、一人で遊ぶことを決めた圭。
あの時は結局、圭を抱きしめることは出来なかった。
助けることが出来なかった
(でも、今のあたしは違う……!)
安は知華の手を取った。涙に濡れて冷えた手は震えていた。
「あたしはそれでも傍におる。知華の傍にいたい。圭ちゃんの時は…出来んかったけど…!今のあたしは出来る。知華を守れる……!」
力強く言う安は、涙を堪えていた。
ぐっと握った手は知華の心をも包むようだった。
「ダメだよ……そんなの……安ちゃんに何かあったら……紅野さんも宇田さんも……圭ちゃんも悲しむ……!」
首を振って安の手を離そうとしたが、決して安は離してくれなかった。むしろ、握る力を強めた。
「オマモリサマは、あたしら傍におろうが、おらまいが、関係なく見てくる。きっと知華の事を諦めない。だったら、あたしも諦めない。知華の傍におることを諦めない」
知華は安を見た。どうしょうもなく涙が溢れた。
那津は知華の顔を覗き込んだ。
優しく笑っていた。
「俺はな、知華が好きなんよ。好きな人の事は守りたいし、支えたい。笑っていて欲しいし、幸せになって欲しい。知華が笑ってくれたら、俺は癒される。見返りなんか求めてないんよ。じゃけ、巻き込んだなんて、思わんでいい。一人を選ばんでいい。傍にいおる。一緒におる。じゃから、困ったら言って欲しい。知華の力になりたい」
そう言われ、つい数日前、奈海に言われた言葉が蘇った。
ー自分の『困った』の声を聞きなさい
思い出し、知華は更に涙が出た。
(ほんまやね、奈海……。困ったの声、聞かんといけんかったわ……)
知華は安の手を握り返した。強く、ギュッと。
「安ちゃん……あたし、困っとる。オマモリサマに言われたことが気になって……。どうしようもなく嫌だし、不安だし、怖い……。助けてくれる?」
安は頷いた。何度も何度も頷いた。
知華は那津を見た。
「いっつも助けてくれて、ありがとう。ーあたしも那津くんが好きよ。凄く好き。ずっと一緒にいたい……。一緒に笑っていたい……。オマモリサマに見られて、危ない目に合わせるかもしれんけど……それでもいい?好きでいて、いい?」
那津は泣き笑いの顔で知華を見た。
頭を撫でながら「一緒にいような……」と笑った。
知華に顔を近づけ、おでこをコツンとぶつけた。
(知華の体温が心地いい……)
(那津くんの温かさが好き……)
二人はお互い、小さく笑った。
佐藤さんは一人後ろで三人を見守った。
知華の穢は少し薄れたが、まだ直人よりは何倍も濃い。変わらず安心は出来ない状態だ。
しかし、オマモリサマの情報がまた分かった。
知華の気持ちが落ち着いたら、更に何か聞けるかもしれない。
(何としても知華ちゃんの穢を祓わんと。オマモリサマの事も……)
この三人の笑顔と友人をどうしても壊したくないと思った。
どんな代償を払おうとも。




