葛藤
オープンキャンパスから二日が過ぎた。
知華は精神的に応えており、ずっと学校を休んだ。
今も自室のベットの上ににうずくまっている。
両親は当然、今回の件を知っている。
わいせつ未遂として起訴するかと言う話もあったが、それは頓挫した。
捕まった男が自殺したからだ。
男は正気に戻ると、強く反省していた。彼女と別れたばかりで気が立っていたと認め、深く謝罪してたそうだ。
逃げることも無さそうと言うことで、自宅に帰らせた翌日、自ら命を絶った。
事件性はなく、状況からも自殺で間違いないということだった。
大学からは正式に謝罪があった。
男の両親からも謝罪があり、家まで来ていたが知華は会わなかった。
後から父に、「起訴も何もしない」と教えられた。
加害者とはいえ、急に自害した息子にショックを受け、男の両親の疲弊ぶりは見ていられなかったと言う。
知華は思い出したく無かったので、それでいいと返事をした。
男が自殺したという事実は、重く知華の心にのしかかった。
その原因に心当たりがあったからだ。
(オマモリサマだ……)
知華はそう思っていた。
鬼ごっこの話をした時、オマモリサマは言っていた。
ー危なかったら助けてやる。困ったら呼べ
そして襲われたあの時、知華は願ってしまった。
「とにかく助けて」と。
あの時、内側から急に現れた力。
ぐっと押さえつけられ、身動き出来なかったのに、願った後から押し返すことが出来た。
(助けてくれた……。確かに、そうじゃけど……)
枕に顔を埋めて考える。
印を付けられた影響なのか、知華が願ってしまった代償なのか、はたまた知華を傷つけようとした男への、オマモリサマの報復なのか。
男は自殺してしまった。
(これが、見てるってこと?)
オマモリサマの言葉通り、知華を『見ている』のなら、襲われた時も見ていたはずだ。
また、オマモリサマはこうも言った。
「あの二人のことも間接的に見ている」と。
一緒にいると二人を危険にさらすかもしれない。そう考えると心が締め付けられて、動かなかった。
また奈海の事も気がかりだった。
知華が心を傾ける人に対しても、オマモリサマはいい顔をしなかった。
ー知華が拘る《ごたわる》のは面白くない
今回は見逃してくれたが、次も同じとは限らない。あの気まぐれで考えが読めないオマモリサマの事だ。気が変わるかもしれないと考えると、どうしようもなく怖かった。
今日は冬休み明けのテストがあったはずだ。
本当なら、オープンキャンパスの話を奈海としていただろう。志望校の相談も出来たかもしれない。
しかし、それはひどく遠く場所の出来事の様に思われ、まるで現実感がなかった。
もう昼過ぎだったが、空腹は感じなかった。
枕に顔を埋めたまま、身の置きどころなく寝ていると、ピコンと受信音がした。
チラリと顔を横に向けると、光ったスマホ画面が見えた。
那津だ。
この二日間、何度もメッセージがきていた。しかし、どれにも目を通していない。
知華は那津の事を考えると、酷く淋しくなった。
大学からの帰り道、ずっと那津に寄りかかり、ボーっと車窓を見ていた。
那津の体温はあの男とは違い、知華を安堵させた。
触れられる事も、声を聞くことも、全てが違った。
那津に不快感を感じたことは一度もなかった。
だから、知華は気づいた。
那津が好きだと。
その感情は温かさと安堵を産んだ。
今もその気持ちは確かに知華の中にある。
たがら怖かった。
那津に何かあったら。何かされたら。
(見てるって、いっつもなんかな……?結界があるこの家の中でも……?)
声を聞きたいし、会いたかった。
しかし、見られると思うと、どうしてもスマホに手は伸びなかった。
いつの間にかうたた寝し、目を覚ますと夕方だった。
思考は働かず、ボーっと窓の外を見た。
太陽がだいぶ傾いている。
(学校、そろそろ終わりかな……)
そう考えていた時、スマホの呼出音が鳴った。
一回…二回…。見ると那津からだった。知華はチラリと視線を向けた。
三回…四回…五回…。だが、見ただけだった。
呼出音が鳴り続ける。その度、胸が締め付けられる。
六回…七回…。耳の奥まで音が響き、まるで知華の心を直接叩いているかの様だった。耐えきれず、枕に顔を埋め、ギュッと握り締めた。
そうして耐えていると、プツリと音は切れた。
静寂が部屋に広がる。
知華はどうしようもなく涙が出た。
羽原家の外で、那津は知華の部屋を見ながら電話を掛けた。しかし、いくら呼出音が続いても電話が繋がることはなかった。
諦めて、電話を終了させる。
那津は顔をしかめた。
メッセージをいくら送っても、既読にならない。
学校で奈海にあった時も、同じ事を言われた。二人で心配したが、ここは那津が言ったほうがいいと説得された。
言われてここまで来たはいいものの、玄関前で立ち尽くした。
オープンキャンパスの後、公園で知華と抱き合ってからずっと、あの震えていた肩を思い出す。恐怖に震える心が気がかりで、那津はいつも以上に知華の事を考えてしまっていた。
(男と二人きりになるのは、嫌なんじゃ……)
そう思うと、玄関のチャイムを押せなかった。
帰ろうか、このまま入るか悩んでいると、ドンと背中を押された。
急な事に体が数歩、前によたついた。
誰だと振り返ると、安が怒った顔で立っていた。
「こんな所で、邪魔やで」
見ると私服で、いつもの大荷物もない。どうやら仕事で来たわけではなさそうだった。
「急になんや、ビックリするやろ」
文句を言ったが、ここにいる理由など明白だ。
安も同じ様に考えていたようで、
「知華に会いに来たんやろ?」
と心配顔で知華の部屋の辺りを見た。
安の視線の先が何処にあるか分かり、那津も同じ様に顔を上げた。
「……全然メッセージくれんのやもん。流石に怒るで」
悲しさと怒りが混じった様な声だった。
「既読にもならんし。那津は?」
「おんなじ。猪俣もそうやって、学校で言われた」
那津は学校での話をした。
安はそれを聞き、顔をしかめた。
安は紅野から連行された男の末路を聞き、知っていた。知華に会う前に、那津にも知らせたほうがいいと思い、制服の袖を引っ張った。
「……ちょっと、大事な話がある。ここはまずいから、向こうの空き地、行こ」
二人が移動すると、那津は「改まってなんや」と安を見た。暗い表情なので、良い話ではないと察しはついた。
「知華に乱暴した男の事なんやけど」
そう言うと、那津の目にぐっと怒りが見えた。怪訝そうな顔をしているのは、あえて那津に話すほど重要な内容なのかと、訝しんだからだろう。
「……それで?」
低い声に、安は言いにくそうに言葉を続けた。
「……捕まった翌日、自殺した」
思ってもいない内容に、那津の目から怒りが消えて驚愕に変わった。
「なんで!?」
「分からん。正気に戻った後はむっちゃ反省しとるって聞いとった。お師匠が事件当日にはお祓いしたし、オマモリサマの影響とは関係ないと思うけど……。知華は、どう思ったやろうな」
沈んだ安の言葉に、那津も言葉を無くした。
知華が学校に来ないのは、強姦未遂だけが理由と思っていた。
「……もちろん、知華も知っとる、か」
安は頷いた。
「ご両親にも事件のことは当然知らされとるし、捕まった男がどうなっかは知っとるはず」
知華は被害者とはいえ、加害者が自殺したとなれば心を痛めただろう。
そう思うと、那津は無性に知華に会いたくなった。
ぐっと拳を握ると、安に「なら、知華に会いに行こう」と強い目で言った。
「俺らが聞いてやらんと」
羽原家に戻ると、佐藤さんが知華の部屋をこっそり覗いてくれた。
知華から分からないよう、そっと窓に近寄り、頭だけを覗かせる。
ベットに力なく横たわる姿が見えたのを確認すると、安の所に戻った。
「部屋におる。ベットに横になっとるけど、寝とる訳じゃないな。あと、穢が増しとる。きっと今回の事件のせいやろな……」
それを聞くと、安はもう一度電話を掛けた。
やはり出なかった。
虚しく響く呼出音を切り、安は覚悟を決めた。
「那津、行くよ」
力強く光った安の目を見て、那津は頷いた。
玄関のチャイムの音が響いた。
知華は部屋でその音を呆然と聞いたが、動かなかった。頭に雲が掛かったようで思考が働かず、体が重い。
下階でなにやら音がした。両親が帰って来たのかと、頭の隅っこで思った。どうやら家に入って来たらしい気配がして、話し声もする。
足音はだんだん近くなり、知華の部屋の前まで来た。
(またご飯って言われるんかな……)
欲しくない。またそう返すと、母は悲しそうな顔をするだろうか。
ドアに手がかかる気配がした。
「入るよ」
その声は母ではなかったが、知華は何も思わなかった。
ガチャと音と共に廊下の光が室内に入る。
二人の人が立っているのが見えた。
そして、息を飲む声がした。一人の姿がしゃがこみ、知華を見下ろす。
「なんて量の穢付けてんの!!」
安の声だと思った。何故か怒っている。
「那津!窓開けて!あと台所いってお酒とお水も持ってきて!!」
ガラガラと窓が開く音がした。風が入ってくる。冷たい風だ。
そこからバタバタと急いで部屋を出て行く音がした。
安は部屋に残っていて、数珠を取り出している。手首につけると、今度は知華の部屋を見回し始めた。
安は何を焦っているのだろう。何も困ったことはないのにと言いたかったが、声が出なかった。喋るのも億劫だった。
「佐藤さん、木珠!木珠どこにある?!」
半透明の影が動いて、鞄を指した。安はごぞごそ弄って中から木珠を出すと、知華の首に掛けた。
知華は頭を持ち上げられたのが分かったが、何をしているのだろうと、ボーっとしていた。
「安ちゃん、こりゃオマモリサマの穢の気配も入っとるで。この前の男と同じ気配がする」
佐藤さんの緊迫感ある声の後、ハッと息を飲む声がした。
「なんで?ここに来たってこと?」
安の戸惑う声がする。
「いや、ちゃう。何でかは分からんけど、知華ちゃんの周りに纏わりついとる。安ちゃん、この気配、よう覚えとき」
何やら話をしているが、知華にはどうでもよかった。だから、心配ないと伝えた。
「……平気。何もしないで」
安は虚ろに知華が話しだしたのを見て、ハッとした。
知華の目が濁っている。安を見ているようで見ていないその目は、取り憑かれた者特有の目だった。
「このままがいい。そっとして」
ぐっと唇を噛むと、安は鋭く言った。
「そんな訳にいかん!知華、しっかりし!!」
そこに、酒と水を持ってきた那津が合流した。
何やら安の剣幕が激しいので、何事かと数秒動きが止まった。
「安井、どうしたんなら?」
「知華にオマモリサマが少し入っとる!このままじゃ、連れてかれる!」
言われ、那津は慌て知華を見た。目の焦点が合わず、表情がない。
水と酒を机の上に置くと、知華の傍に座る。
「知華、知華!こっち見ろ!」
そう言うが、反応はなかった。視線も合わない。
すると血色が悪い唇が動き、話し出した。
「二人とも、もう帰って。もう来なくていい。会いたくない」
正気でないと分かっていても、知華の声で言われると、那津の心は固まった。
安は動揺することなく「馬鹿!狼狽えるな!」と一喝した。
「那津、あんたの御守りと木珠!あったら出して!」
そう言われ、懐から二つを取り出した。
木珠を知華の首掛け、御守りを手に握らせようとする。
すると「やめて」と知華が物凄い力で那津の腕を押し返した。尋常でない腕力だったが、知華は顔色一つ変えていない。
「やめて、いらない」
と言い続けている。
安は「そのまま抑えとって」と言い、酒を知華の額、手、足に付けた。そして数珠を巻いた手を額にピッと当てると、御経を唱え始めた。
知華は「そんなの意味ない。必要ない。帰って」と繰り返している。
那津はなんとか御守りを知華の体にくっつけようとした。腕がプルプル震える位の力で攻防し、何とか胸元に押し当てる。
すると突然叫びだした。
「いや!いや!触らんで!」
涙して拒否している。
それでも安は手を額に添えたまま、御経を続けた。
「近くに来んで!やめて!」
那津は堪らず、知華の両手を握った。そしてじっと目を見た。
「知華、知華……!」
とひたすら声を詰まらせながら名前を呼んだ。
那津は眉間にシワを寄せ、表情がひどく崩れていた。
苦痛そうな顔だった。
知華は何故そんな顔をするのか分からなかった。
ただ、この目を見つめていたくなかった。
心がざわざわする。落ち着かない。気持ち悪くなる。
だから叫んだ。
「やめて!見るな!」
顔を激しく左右に振って、なんとか抵抗しようとした。額に指を当てていた安は、知華が暴れるので手元が狂いそうだった。
(じっと額を抑えんといけんのに……!)
そう思っていると、那津が動いた。
那津は知華の頬に触れると、背ける顔を無理やり自分の方に向けた。
知華の目が気になったからだ。『何か』いる気がした。
じっと瞳の中を覗く。
チラッと『何か』が動いた。
捉えようと目を凝らすと、知華の瞳の中に煙の様な、ヘビの様な物を見た。
(これがおえんのんじゃ)
すぐに分かった。
那津はそれをギッと睨んだ。知華の中から出ていくように、強く強く願った。
するとだんだんと小さく薄くなり、陽炎の様になった。
「でかした、那津!」
安の声がして、那津はハッと我にかえった。
どこか遠くへ行っていたような気分だったので、辺りを見回した。
知華の部屋だ。今、安が知華の穢を何とかしようと奮闘している。
知華はもう暴れていなかったが、苦々しい顔をしていた。普段なら絶対にしない表情だった。
安が知華の額に指をあてて、御経を唱え続ける。だんだんと知華の顔がいつもの表情に戻ってきた。
そう思った時、急に知華がカッと目を見開いた。
そして「知華の魂は、ワシのもんじゃ」と喋った。
確かに知華の口が動いて話したが、その声はオマモリサマのものだった。
那津は戦慄した。
知華の姿と声がちぐはぐ過ぎて、信じられなかった。
呆然とそれを見ていると、知華はストンと力を失ったた。気絶したわけではなかったが、全身の力が抜けたようだった。
安はそれでも御経を続け、知華の額に指を添え続けた。
それから数分後。
やっと安の御経が終了した。
安が力なく知華のベット脇に座り込み、大きく息を吐いた。
頭と肩を重く垂れ下げるように脱力している。
那津はそろそろと二人に近づいた。声をかけようか迷う。
様子を伺おうと知華の顔を見ると、那津は動きを止めた。
静かに泣いていた。
声もなく、ただ涙が頬を伝い流れ、ベットのシーツを濡らしていた。
その瞳は確かに、いつもの知華だった。




