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クリカゲ  作者: 栢瀬 柚花
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公園


 佐藤さんの報告から十五分後。

 

 安が講義室に到着すると、知華はさめざめと泣いていた。

 安は駆け寄り冷え切った知華の体を抱きしめると、背中をさすって「ごめんな、ごめんな……」と謝った。

 それ以上にかける言葉が見つからなかった。

 だからずっと背中を擦っていた。

 安が周りを見ると、散乱した荷物の傍で男が伸びていている。まだ意識が戻らないようで、ピクリとも動かなかった。

 そこに知華のスマホが鳴った。画面を見ると、「奈海」と表示が見えた。

 たしか、友人と一緒に来ていると言っていた知華の言葉を思い出す。それに、この名前は知華と那津から何度も聞いたものだった。

「さっきからずっと、その子から掛かってきとる」

 ずっと傍にいた佐藤さんが安に言った。

 とても電話に出られそうにない知華に変わり、安が対応する。

 スワイプすると

『知華!!なんで出んの?!めちゃくちゃ心配したじゃん!!』

 と叫び声にも似た声が聞こえてきた。

 安はどう説明したものかと思いながら、まずは「今、知華は出られなくて……」と遠慮がちに答えた。

 親友の電話から知らない人の声がしたので奈海は動揺した。

『……えっ、誰ですか?』と震えた声で尋ねた。

「あたし、知華の友人の安井安です。たまたま近くに住んでて……。知華は今、電話に出られる状態じゃないから、あたしが変わりに」

 そう伝えると、奈海は困惑して『電話に出られない?どういう事?』とさらに質問した。

 安はとりあえず、今いる場所を伝えた。

 

 五分もせず、奈海は講義室に姿を現した。

 二人を見つけると駆け寄り、くしゃくしゃな顔で蹲る《うずくまる》知華を見た。

 その慌てふためく様子から、二人の友人の強さを感じた。

 とりあえず、安は奈海に改めて自己紹介すると、状況を説明した。

 オマモリサマや鬼ごっこの事を言うわけにはいかないので、誤って入った講義室で男に乱暴されそうになったと説明した。そしてすでに警察に連絡しており、到着を待っているとも伝えた。

 知華の前で言うのはどうかと思ったが、知華を一人にする方が不安だったので、仕方なくそうした。

 奈海は泣きそうな顔になり、屈んで知華の肩をさすった。知華は顔を上げなかったが、何も言わず奈海の手を握っていた。

 そうしていると警察が到着した。安の見知った顔が一つあり、少し安堵した。こう言った事態の時、よく顔を合わせる女性警察官だった。

 安は廊下で事の次第を説明し、男は伸びたまま連行されていった。

 詳しい事は後日、知華から聞く事になり、とりあえず帰宅する様に言われた。


 そこからはなんとか講義室から知華を連れ出し、大学をあとにした。

 

 宇田の車で近くの公園に移動すると、知華と安と奈海は東屋の椅子に座った。男の佐藤さんと宇田は遠慮し、公園内のベンチに腰掛けた。

 誰もいない園内は静かで、茜色の夕日が差し込んでいる。冬の冷たい風が強く吹いていて、とても寒かった。

 安は奈海に知華を任せ、那津に連絡をするため少し離れた所に移動した。

 あれから一度も那津に連絡を取っていない。きっとかなり取り乱し、焦っているだろうと考えていた。

 スマホを取り出し電話をかけると、那津はすぐに出た。

『どうなった!?』

 安が声を出す間もなく、那津の焦り声が耳に入ってきた。

 安はこれまでの事を話した。那津は大層ショックを受けると同時に、怒っていた。

 公園の場所を教え、間もなく到着すると言うので待つことになった。

 

 電話を終えると、安は東家の二人を見た。コートを着ているが、寒風が吹き抜けるその場所はとても寒そうに思えた。

 しかしきっと今の知華はそれよりも寒い思いをしているのだろうと、安は心を痛めた。

 ぐっと唇を噛むと、二人の元へ戻った。

 椅子に座った知華は泣き止んでおり、今は少し落ち着きを取り戻したようだった。すぐ隣には奈海がいて、肩を擦り続けている。

 知華の表情は暗いが、闇に染まってはいなかった。目には光がある。安はそれを見て少し安堵した。

 目までも淀んでいたらどうしようと危惧していたからだ。

 安は知華の横に座ると、

「那津に連絡してきた。もうすぐ来るよ。……会いたい?」

 と柔らかい口調で尋ね、確認した。

 事が事だけに、男性に会うのが憚られると思ったのだ。

 知華は那津の名前に反応した。

「……会いたい」

 と小声で、しかしはっきりと答えた。

 潤んでいるが力がこもったその目には、強く焦がれるものがあった。

「香西くんに会って、平気?」

 と奈海が気遣わしげに尋ねと、知華は頷いた。

「会いたい……那津くんに……会いたい」

 繰り返し、懇願するように呟くと、両手で顔を覆ってしまった。

 安と奈海は顔を見合わせた。

 こんなにも強く誰かに会いたいと知華が切望するのは初めてだった。

 奈海は、知華の中に確かな那津への想いがある事を知った。

 今朝、電車で距離をとろうと話したばかりなのに、知華はもう那津に強く会いたがっている。

 奈海は背中をさすりながら、「そっか」とだけ答えた。

 

 十分ほどで那津は公園に現れた。

 姿が見えると、安は入口近くまで迎えに行った。

 知華を早く安心させてあげたかった。

 自分には出来ない。知華の心を冷たい水の中からすくい上げる事は出来ても、暖めることは出来ないのだ。

 那津は安の姿を見るとすぐに駆けてきて、息を弾ませ、

「知華は?」

 開口一番、そう聞いた。

 安は東屋を指した。

「今は少し落ち着いた。……あたしが到着した時は泣いとったけど、奈海ちゃんが来て少し良くなった」

 安はそこで那津を振り返り、

「那津、会ってあげて」

 と切実な声で言った。

 彼は少し戸惑った。

「……いや、でも……男の俺が行ってええんか?知華は、その……嫌がらん?」

 異性に会いたくないのでは、と懸念したのだろう。

 安は真っすぐ那津を見ると、はっきり言った。

「知華は凄くあんたに会いたがってる。ー行ってあげて」

 真剣な顔で言われ、那津は遠くにいる知華を見た。

 奈海にさすられている姿が見える。

 顔を手で覆っていて、その表情は見えない。

 那津はぐっと拳を握った。

(今日、俺が傍にいれば……)

 後悔の思いが苦く広がり、痛々しく顔をしかめた。

 

 知華のために出来ることをしたい。

 会いたいと思ってくれるなら、どこへでも駆けつける。どんな所にも。

 だから、自分が足を進める事を迷っていはいけない。

 彼は覚悟を決めた表情で歩いていった。

 

 那津が近寄ると、奈海は顔を上げた。

 彼の顔を見た奈海は、知華に何があったのか聞いたのだ、と察した。

 とても痛々しい表情をしている。

 二人は視線を合わせる。奈海の目は『声を掛けてあげて』と言っていた。

 そして「知華。香西くん、来たよ」と優しく声を掛けた。

 那津は傍に寄り、屈んで

「知華」

 とだけ呼びかけた。

 するとゆるゆると顔が上がり、那津と目が合う。

 知華は湿っぽい瞳で那津を見る。すると彼が声を掛ける間もなく、知華は勢いよく那津に抱きついた。

 その反動で尻もちを付いた那津は、驚いて自分の胸元に顔を埋める《うずめる》知華を見た。

 肩を震わせているが、泣いてはいない。 

 細い肩に手を掛けようとして、躊躇した。触れていいものか悩んだ。

 迷子になった手を彷徨わせていると、奈海が無言でうんうん、と頷いているのが目に入った。

 手を差し伸べろ、と言っている。

 那津は僅かに迷ったあと、知華の肩にそっと触れた。

 薄い肩は細かく震えていた。

 それが酷く痛ましく思え、那津は自分も泣きそうな顔になった。しかしその気持ちを底にしまう。

 自分が泣いてどうする。知華を支えなくては。

 

 知華に顔を近づけると、優しく言った。

「……知華、来たよ」

 低く柔らかい、暖かみのある声だった。

 瞬間、知華の中で怯えと不安が裂けて、緊張で張り詰めていた糸が切れた。

 ホッとする安心感と温かさで、体の力が抜けるのを感じた。

 抑え込んでいたものが一気に溢れた。

「……那津くん……那津くん……那津くん……!」

 那津の胸元で名前を繰り返し呼んだ。 

 それ以上の言葉がなくとも、知華が強く、激しく望んでいることが伝わった。言葉に出来ないほどの強い思いが、知華の心の中で叫びとなっていた。

 那津は堪えきれず、知華を抱きしめた。すっぽりと腕の中に収まる体を優しく、しかし力強く抱き込んだ。

 知華もギュッと那津の背中を握り返す。その温かさと優しさに包まれるように。

 

 暫く二人きりにしようと、奈海は東屋を出た。

 だんだんと陰っていく公園を背に、遠くから二人を見守る。

 安の傍にやってくると、抱き合う二人を見て

「知華、やっと答えが分かったみたいで良かった」

 とボソリと言葉をこぼした。

 安は二人の思いを知っているのだなと察し、

「ずっと見守ってたん?」

 と聞いた。

 奈海は頷く。

「二人を見ててやきもきしとった。今日でやっと、それも終わる」

 満足そうに口元を綻ばせて言う顔は、とても優しかった。

 いい子やな、と安は思った。

「奈海ちゃん、よな。二人からずっと話は聞いとったよ」

 そう言うと、奈海は安を見た。

「あたしも聞いとったよ。他校の友達、安ちゃん」

 お互いに笑い合い、改めて自己紹介した。

「こんな風に会うことになるとは思わんかったけど、よろしく」

 安に言われ、奈海も頷いた。


 楽しげに話し出した女子二人を見て、宇田と佐藤さんは笑みをこぼした。知華と那津もなんとか収まるところに収まったようだと思った。

 そこに、紅野から電話がきた。

 宇田が出ると、先ほど連行した男についてで、すでに警察署にて除霊を行ったとの知らせだった。

『安達の様子はどうだい?』

「落ち着いたところです。この後、知華ちゃん達を家まで送って帰りますね。オマモリサマについては、また後日聞きましょう。今はそっとしておきたいので」

 そう伝えると、電話を切った。

「なんやかんやあったけど、丸く収まったな」

 宇田の言葉に、佐藤さんも頷く。

 そして柔和な顔から少し険しい表情になると、

「うだっちゃんはオマモリサマの事、どう見とる?」

 と聞いた。

 自分なりの見解を述べろ、と言っているのだ。

 宇田も安と紅野から話は聞いていた。これまでの情報だけでも、その強大さと恐ろしさが分かった。

 顔を曇らせると、口を開いた。

「……どうにも厄介、としか。正直、相手にするのは相当難しいでしょう」

「やっぱりそう思うか?」

「ええ。はっきり言えば、見逃したいくらいです。お師匠や俺たち弟子総出でも、難しいかもしれない」

「……命がけ、か」

 頷くと、「でも」と続けた。

「知華ちゃんが狙われているとなると、尻込みはしていられません。安が悲しむ」

 どこまでも妹弟子の心配をする宇田に、佐藤さんは少し笑った。

 昔から宇田は、安にとびきり甘いのだ。

「なら、なんとかするしかないな。……宗原の手記に何か手掛かりがあるかもしれん。安ちゃんはそこにかけとる。あの男の性格を考えると、何か残しとるはず、とワシも考えとる。宗原のことは多少知っとるからな」

「僕も時間が空いた時には探してみましょう」

「頼むで」

 

 大人二人の会話はそこで終わった。

 知華、那津、安、奈海がこちらに歩いて来たからだ。

 それぞれ疲れた顔をしているが、緊張感はない。

 四人を眩しそうに見ながら、宇田は佐藤さんにそっと言った。

「まずは、家に帰りますか」

 

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