特別な友人②
午前中はとても遅く時間が過ぎた。
香西が話を受け入れてくれ、今朝のおばさんのことを聞いてくれると思うと、彼と話したい気持ちは更に高まった。
何度も時計を見ては、その進みの遅さにため息をついた。
時折香西をチラッと見たが、心なしかいつもよりそわそわしている様に見えた。
英語の授業もあったのだが、静かに座り授業を受けていたので、知華の思い過ごしではないかもしれない。
やっと終業ベルが鳴り、昼休みになった。
二人は弁当を持つと中庭の隅のベンチまで移動した。
それぞれ昼食を広げながら、知華がこの週末で見たものについて話を始める。
それは人のような影だったり、小さな蜃気楼のような塊だったりと、一様ではないと知華は説明する。
「最初は気のせいかなって思った。視界の隅にチラッと映るだけじゃけ。音も空耳かなって思うくらいの大きさで。でもな、今朝学校行こうと思っていつもの道歩いとったら、前から真冬のコート着たおばさんが歩いてきたんよ。結構はっきりとした姿だったけ、普通におばさんがおると思った。まだ昼間暑いけど、凄い寒がりなんかなぁって通り過ぎようとしたら『気のせいじゃないからな』って言われたんよ。びっくりして振り返ったら、その人、体は前向いたまま頭だけ真後ろ向いとって……。普通、そんな姿勢出来んじゃろ?生きとる人じゃないと思った」
香西は弁当をつつく手を止め、淡々と話す知華を見た。
顔が引きつっている。
「めちゃくちゃ怖いやん!ようそんなに落ち着いていられるな。俺じゃったら、逃げとるで」
「あたしだって逃げたよ、全速力で。でも今思えば話しかけられただけよなぁ、って思う。あんな目にあった後じゃし…。あれに比べたら、まだましっていうか。何かされたわけじゃなから」
確かに二人とも死にかけたので、その経験から言えば命の危機を感じるほどの事ではない。
だが、なかなかの恐怖体験だ。
「実害ないからって、冷静やな」
信じられない、という眼差しで見られ知華は
(そこまで怯えんでも……)
と思う。
「俺は何にも変わらんで。見えたりせんよ。何で羽原だけ、なんじゃろ」
彼は少し考えて、
「オマモリサマに触れらとった事と、関係あるとか?」
と考察を述べた。
「えっ?」
「だって、それくらいじゃろ。俺らの違い。羽原はあの時、腕を掴まれとったじゃろ?直接触られとる。けど、俺は一回も接触はないんよ」
知華は口元に手をあてて思い返す。
言われてみれば確かに、と納得した。
それが正解か分からないが、二人の違いはそれくらいに思えた。
「よう覚えとるね。あたし、言われて気がついた」
「この休みの間、色々考えとったから。そういや、あいつに触られた所、痣とかになってないん?」
「平気。ほとんど擦り傷みたいなのばっかり」
「腕掴まれて、めちゃくちゃ近くでなんか話しとったが?あんまり聞こえんかったけど、あいつは羽原に何をしようとしたん?」
あの時。
思い出すと背筋が冷えた。
香西は息も絶え絶えで、何か言われていた姿しか見ていないのだと言う。
知華の表情から、ただ事ではないと思い、泥を投げつけたらしい。
「魂が欲しいって言っとった。目を見とったら動けんくて。香西くんがオマモリサマの目をめがけて投げつけてくれたから、助かったんよ。ありがとうね」
「俺も羽原に助けてもろうたし、そこはお互い様じゃろ。それにしても、魂って……。取られたら死ぬやん。あいつはそれを食べとるってことか?」
「そうなんちゃう?あの後、オマモリサマすっごい怒って『この一帯、喰いつくす』って言ったよな。あれって、あの周辺の魂をごっそり食べようとしたんかな?」
状況を思い出し、香西は青白い顔になった。
尋常ではない圧力と物理的な圧迫感が確かにあった。
「そうなんかもな。実際に体が沈むような感覚で、動けんくなったし。あのままじゃったら何もできんかったから、無抵抗のまま喰われてしもーたんかも」
二人してその状況を思い出し、無言になった。
「あのワンちゃんが来てくれんかったら、あたしらここにはおらんかったね」
片目が白濁した老犬の姿を思い出す。
あの会話から察するに、オマモリサマが探していた昔からの知り合いとは、老犬のことだったのだろう。
老犬、もといミズチカの方もオマモリサマと面識があった様子だった。
かなり久々にあった様で、姿も以前と違ったのだろう。オマモリサマが探しても見つからないはずだ。
「姿が変わったこと、オマモリサマは知らんみたいじゃったな。それにしても、いっつも小屋におったワン爺がなぁ」
「ワン爺?」
「そう呼んだったんよ。ここ数年、よぅ見かけるようになってな。首輪もないし、どこからともなくひょっこり現れるから野良犬か、捨て犬じゃと思っとた。痩せてヨボヨボ歩いとるから、水とかドックフードをたまにあげとったんよ。じゃけど、庇ってくれた時はシャキっと立っとったな。今までは演技じゃった、って事か」
こういう姿の方が人間には馴染みやすい、とミズチカは言っていた。
老犬の姿も弱々しく歩いていたのも、全ては人の世界に馴染むためだったのだろう。
世話になった礼、ともミズチカは言っていた。
数年分の恩返しのつもりだったようだ。
怪異同士の会話から考えると、ミカヅチはもうあそこには居ないのだろう。
香西もそう感じているようで、寂しそうな顔で
「まさか、犬やなかったとはな」
と呟いた。
「もう会えんと思うと、淋しいな」
「オマモリサマ、また来ると思う?」
知華は不安げに聞いた。
興が冷めたと帰っていったが、諦めたとは言っていなかった。
お前の魂しかいらんと言っていたので、また知華の魂を欲して姿を現すことは十分に考えられた。
また襲ってこられたら、太刀打ちできる気はしない。
香西は思案しつつ、不安そうに言った。
「どうなんやろ…。また会ったとしても、逃げることしか浮かばん。除霊?とか、そういう方面に詳しい人の知り合いもおらんし」
知華も霊媒師やお寺などにツテはなく、対策のたてようがなかった。
「アイツのことも心配やけど、羽原が見えるようになった事も、何とかせんと」
「なんとかなるんかな、これ。今の所、害はないけど」
「今の所、じゃろ。悪霊とかたちの悪い奴に付きまとわれたらどうするん。オマモリサマみたいな奴も、他にもおるかも知れんし。霊感ある奴とか、お坊さんとか神社の人とか、とにかく相談できる人がいるで」
真剣に自分事のように考えてくれる香西に、知華は感謝した。
こういう性格だから友人が多いのだろう。
「やっぱり香西くんは世話焼きやね」
茶化すように言った言葉に、彼は真剣な表情で返す。
「あんな経験を一緒にしたんで。もう他人事じゃないやろ。それと、連絡先教えて。見えて困った時とか、いつでも電話してええから」
彼は携帯を取り出し、QRコードを差し出した。
知華はスマホを操作しながら、とても心強い友人を得た喜びでほほ笑んだ。




