水族館
デート当日の日曜日。
奈海は羽原家に来ていた。
知華から香西と水族館に行くと聞いたのが金曜の昼休み。
この日は香西が委員会で不在で、かなり久々に女子二人での昼食だった。
(ついに香西くんが動いた!)
と興奮したのは奈海一人で、知華は平常心でお弁当を食べていた。
「いつ誘われたん?」
前のめりで聞いてきた奈海に、知華は「月曜日」と淡々と答えた。あまり興味がない、といった言い方だった。
「乗る気じゃないん?」
あまりにも表情が変わらないので、奈海は心配になった。
もし知華に思いがないから、一緒に行くのは香西には酷だろうと思った。期待ばかりさせても気の毒だ。
「いや、楽しみだよ」
知華はそう言うが、あまり感情は感じられなかった。
(照れてるんかな?初めてのデートやもんな)
と思い、奈海は改めて知華に聞いた。
「どうやって誘われたん?」
もぐもぐとおかずを食べながら、
「友達のお見舞いに行った帰り」
と教えてくれた。
それ以上の詳細も聞きたくて待っていたが、知華は何も話さない。
「それで?」と催促すると知華は顔を上げ、
「チケット渡されて、一緒に行こうって言われた」
そう答えた。
あまりにも淡白な返事に、奈海は
「全然楽しみにしてるように見えんのじゃけど…」
とさらに心配になって言った。
咀嚼し終わった知華はごくん、と飲み込むと、一口お茶を飲んだ。
「そんな事ないって。楽しみだよ」
とやはり表情が少ない。
奈海は呆然と顔を見返した。
「……そう。ならいいんじゃけど」
奈海は若干の違和感を感じながらも、自身の弁当を食べ始めた。
(緊張…?初めてじゃけ、どうしてええんか分からんのんかな?)
考えていると、
「日曜日さぁ、服選ぶの手伝ってくれる?」
と知華が提案した。
「そりゃ、もちろん。いいよ」
「じゃあ、あたしの家来て。ファションとかよく分かんないから」
笑って言う知華に、奈海は少し安堵して頷いた。
奈海が羽原家のチャイムを鳴らすと、母が出てきた。
「あら、おはよ。どうしたん?こんなに朝早くから」
何も聞いていなかったのか、母は驚いた様子だった。しかし迷惑そうな顔ではない。
「知華と約束してて。お邪魔します」
そう言い玄関に上がり、靴を脱ぐ。
「今日は二人でお出かけするん?」
そう聞かれ、この様子だと家族には言っていないのだと悟った。
リビングからテレビの音がするため、父が奥にいるのだろうと推察した奈海は、小声で教えた。
「実は知華、今日デートなんです」
それを聞いた母は、奈海と同じように目を輝かせた。
嬉しそうに笑うと「相手は?」と聞いた。
「香西くんです」
「やっぱり?」
二人でニコニコしながら笑い合い、「よろしくね」と奈海の背中を押して二階へと誘った。
部屋に行くと、知華はのんびりクローゼットを開いて服を物色していた。
「おはよ。どんな服がいいか、決まった?」
「ううん。全然」
あまり緊張していないのか、いつも通りの知華の様子に少し安堵した。
(そこまで気負ってないか)
奈海はコートを脱いで椅子にかけると、早速知華の隣に立ち、クローゼットに目を向ける。
ワンピースにスカート、ロングスカート、パンツ。
知華は自他ともに認めるファション無頓着で、服のレパートリーは少ない。
サイズが近い奈海の服も持って来ようかと思ったが、ここは何としても知華の服で勝負したいという奈海のこだわりがあった。
(前はこの服にしたから、今日は別のがいいよな…)
口元に手を添えて考える。
知華は横で眺めていた。積極的に参加するつもりは無さそうだ。
(クリスマス近いし、水族館ならスカートはありだな…)
行き先と交通手段、季節イベント。本日のデートに相応しいコーデのため、奈海は知識を総動員して考える。
奈海にとっては親友のとっておきのイベントだ。何としても成功させたかった。
そこからは知華がマネキンになるファションショーが始まった。
何度も着替え組み合わせを吟味し、色のコーディネートを考える。
服選びに四十分を費やした後は、髪形と化粧だ。
「化粧はしなくてもよくない?」
知華は眉間にシワを寄せ、奈海から離れようとした。
その腕をぐいっと掴み「よくない」と引き寄せた。
「せっかく服選んだのに、野暮ったい顔で行くつもり?」と怒られた。
「野暮ったい顔ですいませんね」
と頬を膨らませたが、椅子に座らされると観念し、後はされるがままに任せた。
髪型は一つまとめのアップにされ、髪留めは以前香西がプレゼントしてくれた硝子細工の物を使った。
顔の横髪はコテで巻かれた。顔周りがスッキリして、いつもと大分違う印象になった。
鏡の前で完成した姿を知華に見せ「どう?」と嬉しそうに奈海が聞く。
知華は頷いてお礼を言うと、親友を振り返る。
頭の動きに合わせて髪が揺れるととても可憐で、少し大人っぽく見えた。
奈海はその仕上がりに得意げに笑った。
しかし知華は、拍子抜けな質問をした。
「ところで、デートって何すればいいん?」
(今更?!)
と奈海は呆気にとられ、言葉を失った。
「なんか特別な話でもした方がええんかな?」
至極真面目に言っている事がわかり、奈海は頭を抱えた。
恋愛漫画を読んでいるはずなのに、何も学習してないのか。
奈海はどう返事をしようかと考えた。
知華の場合、事前にアレコレと言わない方がいい気がした。頭で考えすぎるタイプなので、直感やその場の流れに任せた方が自然体に振る舞えるのでは、と思った。
奈海はベットに座り知華と視線を合わせると、親友にアドバイスした。
「正直、すっっごい今更な質問じゃと思うけど、知華としては困っとるんじゃろ?あたしもデートってしたことないけどさ、知華の場合、自然にいけばええと思うよ。気負わず、思った事を話したら?特別な会話とかじゃなくて」
知華は少し考えると、分かっと返事をして鞄を持った。
「じゃ、行ってくるね」
香西は早る気持ちを押さえつつ、待ち合わせ場所に足を進めていた。
昨日の夜から落ち着かず、味噌汁とお茶を間違えて飲み、熱さに驚いてこぼしてしまう程だった。
(我ながら、浮かれすぎじゃろ)
こんなにもワクワクすることがあるのかと思うくらい、彼の心は躍っていた。
約束の時間にはまだ十分程あったが、道の真ん中で待っているのもおかしいので、待ち合わせ場所の空き地に入った。
知華はすでに来ており、寒そうに空き地の真ん中に立っていた。
オフホワイトのワンピースに黒のタイツ、紺のダッフルコートを着ている。
頬が寒さで赤くなっていた。
香西はどうにもむず痒い気持ちになった。
デートするために来てくれたと思うと、なんとも落ち着かなかった。
ずっと眺めているわけにもいかないので「悪い、待ったか?」と声をかける。
「平気だよ」
知華はいつも通り、香西を見上げる。
その唇の色がいつもと違い、薄っすらと化粧をしていることに気がついた。
頬の赤さも寒さだけではなかったらしい。
よく見るとほのかにピンクで、睫毛もパッチリして可愛らしかった。
髪留めを見てあっと、気づいた。誕生日プレゼントで贈った硝子細工の髪留めだった。
いつもと違う雰囲気に香西の気持ちはギュッとなった。
緊張と高揚感を隠すため、香西は咳払いをして気持ちを静めてから話しかける。
「少し早いけど、行くか?」
「うん」
二人は一緒に駅に向かって歩き始めた。
香西はずっと知華の歩幅に合わせて歩く事に意識を集中させ、出来るだけ緊張しないように努めた。
(二人きりで歩くなんて、しょっちゅうある事やのに)
どうしてもいつもの登下校とは違う気がして、落ち着かない。
時々チラッと知華の様子を窺うが、いつも変わりは無かった。
ただ装いと髪型が違うので、前を向いて歩いているだけでも特別な知華といるようで嬉しかった。
水族館は混雑していた。
家族連れとカップルで館内は人が多く、魚を見に来たのか、人を見に来たのか分からない有様だった。
「人、多いな」
思わず口走った言葉に、知華もそうだねと返す。
香西は上背があるので、知華とはぐれても見つけやすかったが、人混みに知華を取られてしまうのは癪だった。
「…人多いし、逸れる《はぐれる》のもなんやし、手ぇ繋ぐか?」
照れくさそうにそう言うと、知華は素直に香西の手をとった。
あまりにも躊躇なく握られ、香西は拍子抜けだった。(いや、言い出したのは俺やけど!そんな躊躇なく握るか?繋ぐのは初めてじゃないけど……)
前回は女悪霊を発見した時だったので、ある意味非常事態であった。
しかし今回は違う。
歴としたデートで手を繋いでいる。その違いは香西の中で非常に大きかった。
そのまま二人は水槽を見て回る。
クリスマスの装いが施された水槽内には、小さなクリスマスツリーや星、オーナメントが飾られている。中でクマノミ、デバスズメダイ、ニセモチノウオなどが優雅に泳ぎ、水中の餌やりショーでは飼育員がサンタ服と帽子を被っていた。
大水槽は人でごった返していた。人の頭ばかりで、辛うじてイルカが泳いでいるのが見えた。
イルカショーも見た。
華麗にジャンプし水しぶきを上げる様には歓声があがった。二人とも席は最後尾であったが、とても楽しめた。
一通り回ると、深海魚コーナーに移動した。
ここではイルミネーションが施されていた。天井や壁が仄かに光り、綺麗だった。
比較的人が少なく、他の展示場よりも静かで、少し話が出来そうだった。
隣を歩く知華は、ぼんやりと天井の光を見ている。
半日とは言え、ごった返した中を移動したのだ。
疲れたのかと思い、声を掛けた。
「今日は凄い人混みやったな。疲れたか?」
水槽の中で揺れる海藻と、片隅でじっと動かない魚を見ながら、香西は知華に聞いた。
「少しね。人混み歩くのって疲れるもんね」
薄暗い展示場の中では、知華のワンピースの色が紫に見え、大人びた髪型も相まり、少し妖艶な雰囲気だった。
香西はドキッとして、思わず視線を下にそらした。
知華はずっと水槽を見ていたが、その視線はどこか虚ろで、ぼんやりとしていた。
暫く二人とも喋らず、沈黙の時間が流れた。
香西は何か話した方が良いかと話題を探していた所、知華がポツリと言った。
「……安ちゃん、元気になったね」
その声音はどこか感情が滲み出ているようで、香西は思わず知華を見た。
知華の顔が水槽に反射している。
遠くを見つめるような目で、感慨にふけっているようだった。
「お見舞行って、沢山話せたから嬉しかった。…圭ちゃんの話はせんかったけど。きっとあたしらが知っとるって、分かっとるよな」
コツン、と知華が頭を水槽にぶつけた。
「あたしな、ずっと那津くんにお礼が言いたかったんよ」
「お礼?」
うんと、知華の頭が動く。
「安ちゃんが倒れた時、傍におってくれて良かった。あたし一人じゃ取り乱して、絶対助けてあげられんかった。隣におったのが那津くんで、良かった」
少し憂いを帯びたような目は、香西の心を揺さぶった。
今日一日、一人浮かれていた自分が恥ずかしくなった。知華はずっとその事を考えていたのかと思うと、切なくなった。
「そんな事ない。知華だって冷静やったやん。佐藤さんに言われてすぐにスマホ探して連絡取ったり、お兄さんを説得したりしとったやん」
ふるふると頭を振って知華は否定した。
「あたしは直前に佐藤さんから聞かされとったから。きっと安ちゃんが倒れるから、頼むって」
そうだったのか、と今更知った事実に驚いた。
一体いつそんな話をしたのか気になったが、それは二の次だ。
あの時の知華の動きは俊敏で、的確だった。
そう思い、ありのままを伝えようと口にした。
「それでも、取り乱さずに動けとったで。今考えても的確やったと思うし」
「ただ必死やったんよ」
当時を思い出したのか、眉間にシワを寄せた。
「倒れた安ちゃんをみとったら……どうしてもおばあちゃんを思い出した」
知華はあの光景を思い出し、目が潤んできていた。
「……このまま、目を覚まさんかったらどうしようって……。安ちゃんまで……おらんくなってしまうって……」
安が倒れて以降、二人はあの時の話しをしていなかった。というより、出来なかった。
一週間経っても連絡はなく、佐藤さんからも何も聞けず、ただただ不安な日々を過ごしていた。毎日顔を合わす香西とでさえ、学校で話すことが憚ら《はばから》れた。言葉にしてしまうと、現実になってしまいそうで怖かった。
それでもあの出来事を夢に見ないのは、トラウマにならなかったからだ。
「那津くん大丈夫って、抱きしめてくれたやろ。ギュッって。紅野さんと宇田さんが来てくれるまで、ずっと。あれ、嬉しかった」
不安だったが、誰かの温かさがすぐ近くにある事が嬉しく、縋ってもいいのだと安心した。だから袖を強く握って離せなかった。
一人で抱え込まなくて良いと、香西が教えてくれた。
知華は涙を目に一杯ためて、香西を見ていた。
「一人じゃないって、那津くんの暖かさが教えてくれた。おばあちゃんの時と違って、一人じゃないって分かったから耐えられた」
目を細めて笑う知華の頬に、涙が伝った。
「……一緒におってくれて、ありがとうな」
その表情は酷く香西の心を締め付けた。
どうしょうもなく知華を抱きしめたくなり足が前に出たが、踏みとどまり、我慢した。
変わりに拳を強く握り締める。
「俺だって、知華と同じや。あん時、知華が冷静に動いとるの見たから落ち着いて対処出来た。……俺は、人が亡くなったのを見たことない。あんな顔色の人、見た事なかった。救急車に人が乗るを見たのも初めてやったし。やから、絶対に取り乱しとった。パニックになって、何にも考えられんかったと思う。知華がおったから出来たんよ。全部、全部、知華がおったから」
知華が冷静に動き、対応していたから香西も体が動いた。
傍にいたのも、抱きしめたのも、知華だったからだ。
他の誰かだったら、そんな事はしていないだろう。
「俺も、知華には礼を言いたい。ありがとうな。傍におってくれたのが知華で、嬉しかった」
知華は涙を拭って、さらに笑った。
「あたしら、ありがとう同士やね」
思いの丈を話し合い心が落ち着くと、どちらが言い出したわけでもなく、帰ろうかという雰囲気になった。
知華は涙で化粧が少し崩れたので、化粧室に行くと姿を消した。
香西は近くで待ちながら、一人今日の反省会をしていた。
この一週間、知華の気持ちをもっと汲み取ればよかったと後悔した。香西自身も心の余裕があった訳では無いが、一言声をかけるべきだった。
はぁ、と自己嫌悪にも似た気持ちでいると、
「那津くん」
と名前を呼ばれた。
顔を上げると知華が手を振っていた。
その両目が、キラリと黄色く光った様に見えた。
香西は見間違えかと思い、瞬きをした。
次の瞬間にはいつもの目になっており、ほっと安堵した。
(見間違いか……)
二人は再び混雑した水族館の中を進むことになった。
香西はもう一度手を差し出した。
今日手を繋ぐのは、これが最後だ。
知華はスッと手を取る。
この温かさを忘れないようにしようと、香西はギュッと知華の手を握った。




