騙す悪霊
自室に戻ると、すぐにカーテンを閉めた。
そしてブレスレットを見る。
もともと白く濁っていたブレスレットが、ひび割れていた。
最近もらった黒いブレスレットと、二本目の方は無事だ。
(やっぱり……)
あのザンバラ髪の女は良くない者だ。
知華の直感は正しかった。
ブレスレットを見つめたまま、何も言わない知華を見て、香西はドキドキしていた。
繋いでいる手が熱い。いや、全身が熱い。顔も火照っている。
否応なく、知華の手ぬくもりを意識してしまう。
どうしていいか分からず、
「知華?」
と声をかける。
すると、パッと手を離した。
残念なような、名残惜しいような気がしたが、知華の表情が硬いので香西は訝しんだ。
「どしたん?」
聞くと、知華はブレスレットを香西に見せた。
白くひび割れている。
それを見てハッとした。
「なんかあったんか?」
香西に緊張が走った。
知華は頷き、「ついさっき」と言った。
「向かいの家の屋根に、髪がバサバサした女の人がおった。絶対に良くない者。見ちゃ駄目と思って、カーテン閉めたんじゃけど」
と窓をチラッと見た。
「香西くん、暫くここにおった方がええよ。うちの家を見とったし、あたしが『見えとる』って気がつかれたから」
香西は頷き、「安井に連絡するか?」と聞いた。
その方がいいと、直感が言っていた。
スマホを取り出し、早速安に電話する。
冷え切った指は上手く動かず、もたもたと通話操作をした。
しばらく呼び出し音が繰り返されると、『もしもし』と安が出た。
「安ちゃん?ちょっとええ?」
『知華、どしたん?なんかあった?』
知華はブレスレットがひび割れたこと、今遭遇した女の事を伝えた。
「絶対に良くない者。全身に鳥肌が立ったもん。今、香西くんも隣におるんじゃけど、暫く帰らん方がいいよな?」
『その方がええな。知華の家は結界張ってあるけ、安全地帯じゃから。とりあえず、一時間はそこにおって。佐藤さんがそっちに行ければ良いんじゃけど……。今お師匠の所におるんよな。戻ってきたらそっちに送るわ』
これには知華がきょとんとした。
「送るって、どういう事?」
『そのまんまの意味よ。佐藤さんをそっちに飛ばすの』
「飛ばすって?」
『まぁ、見たほうが早いと思う。佐藤さんもどったら連絡するわ。万が一にも家の中に入ってきたら教えて』
そう言って切れた。
知華は首を傾げた。
不思議そうにスマホを見つめる知華に、香西は
「安井、なんて?」
と聞いた。
今し方言われた事をそのまま伝えると、
「まあ、何とかしてくれるんじゃろ。兎に角連絡を待とうや」
と冷静に言われた。
仕方なく、安の折り返しを待つことになった。
知華は先程の寒気が忘れられず、両腕を擦った。
指先まで凍えて、氷のようだった。
おばさん悪霊以来の寒気だった。
知華の様子を見た香西は、
「大丈夫か?寒いんか?」
と心配そうに屈み、顔を見た。
「大丈夫。久しぶりに寒気を感じる霊にあったから、ちょっとびっくりした」
そう言って笑うが、顔は青白い。
無理をしているのが分かった。
何か体を温めた方が良いかと思い、飲み物でも準備しようかと考える。
しかし人様の家だ。
勝手をする訳にはいかないので、香西は自分の着ている上着を脱ぎ、知華に羽織らせた。
邪魔かと思い、ヘッドホンも外してやる。
「ありがとう」
香西は横に座ると背中を擦り、少しでも暖が取れるようにした。
暫くそうしていると、だんだん顔に赤みがさし、震えが治まってきた。
さらに数分後には指先の感覚が戻り、やっと気持ちが落ち着きを取り戻す。
知華は香西に上着を返し、お礼を言った。
体が落ち着くと思考も回るようになったので、あの女について思案する。
一体いつからあそこにいるのか。
「あいつ、いつからおるんじゃろ。昨日、奈海と出かけて帰ってきた時には、おらんかったんじゃけど」
あんな者がいれば、絶対に見逃すはずはないと知華は言った。
「今朝、カーテンを開けた時も違和感なかったし。安全な敷地内におったせいかな?」
知華が口元に手を添えて考えている。
「昨日の帰宅後から、今朝に掛けて現れたって事か?」
香西も腕を組んで考えを巡らせる。
「そうじゃと思う」
知華は本日外出の予定が無かったので、香西が来てくれなかったら気が付かなかっただろう。
そうなると、明日の登校時に発見した事になる。
そうなれば学校に行けなかったし、家に残る兄に何と言い訳すればいいか分からなかっただろう。
(今日、香西くんが来てくれて良かった)
そう思うと、ふと気がつく。
(そういえば、なんで来てくれたんじゃろ)
結局、来訪の理由を聞いていなかったことを思い出す。
休日に連絡先なしで来たことは、これまで無かった。
特別な用事だったのだろうかと思った。
「そういえば香西くん、なんの用事だったん?」
急に話題が最初に戻り、香西は焦った。
「えっ?あー、そのー」
あらぬ方を見てあたふたしているので、知華は首を傾げた。
香西は先程会った青年の事を思い出した。
(もし、知華の思い人やったら…)
チケットを渡す前に、ますばそちらを確認しなければ、渡す物も渡せない。
「その前に……さっきの男の人は、誰?」
ゴクリと息を呑む。
「ああ、お兄ちゃん?昨日から帰って来たんよ」
あっさりと返す知華に、香西は静かに胸を撫で下ろした。
(良かった。身内か…)
「県外の大学に通っとってな、年末年始は帰省できんから、早目に帰って来たんだって」
「ああ、そうなんや」
そういえば、だいぶ前に兄がいると聞いたことを思い出した。
勝手に勘違し、動揺し、慌てふためいた香西は顔が赤くなりそうだった。
安堵すると、本日の目的を果たそうとズボンのポケットに手を入れる。
「実はな、今日はこれを渡しに来たんよ」
チケットを取り出し、知華に渡した。
無理やり突っ込んだので、しわくちゃになってしまっている。
「この間の、山本さんからのお礼。水族館のチケットだった。クリスマスの飾り付けもされるみたいじゃけ、どうかなと思って。二枚しかないけ、行くなら俺と二人じゃけど……」
知華はチケットをしげしげと見ている。
その時間がいやに間が長い気がして、香西は慌てて言った。
「嫌なら、猪俣に俺の分を渡すで?」
知華は顔を上げて、「いいよ」と返事をした。
「行こ、水族館。あたし、小学校の遠足以来かも」
楽しみだなー、と言う知華を見ながら、香西は心の中でガッツポーズをした。
気持ちが跳ねる。一気に気分が高まった。
そこへ、知華のスマホが鳴った。
安の折り返し電話だ。
すぐに出ると、『変わりない?』と言われた。
「うん、大丈夫。家にも入ってきてないよ」
『良かった。那津もそこにおるんよな?』
「うん」
そう返事をすると、スピーカーに切り替えるように指示された。
アイコンを押し、二人が映るようにスマホを持ち直す。
佐藤さんと安が画面に映る。
佐藤さんはひらひらと手を振っていた。
『これから佐藤さんをそっちに送って、偵察してもらう。外に出ても安全って分かったら、那津は帰り』
それを聞いて香西は心配そうな顔をする。
「ええんか、知華を一人にして?」
『佐藤さんを暫く知華に預ける。学校にも一緒に行ってもらうから、大丈夫』
「そんな事して、安ちゃんは平気なん?」
仕事のパートナーだと思っていたので、心配になった。支障はないのだろうか。
『平気よ。暫く仕事ないし、緊急で入ったとしても対応はできるけ。ないと思うけど、どうしても困ったら連絡するわ。ないと思うけどな』
『そんなに念を押さんでもええやん』
苦々しい顔で佐藤さんが言った。
それのやり取りに少し癒され、知華は笑った。
「どうやって佐藤さんはこっちに来るん?」
『電化製品って、霊障起こしやすいやろ?よく電気が消えたとか、スマホが操作できんくなった、とか聞くやろ?あれを使う』
そう言うと、手を振っていた佐藤さんがパッと画面から消えた。
するとスマホ画面が乱れ、ずずっと佐藤さんが画面から出てきた。
まるで3Dの映像のようだった。
「わっ!?」
驚いた知華は思わずスマホを取り落とした。
そのまま上半身、足、つま先と徐々に抜け出し、
「じゃーん」
佐藤さんは手品師のような言葉とともに登場した。
香西は知華が急に声を出してので
「どした?」
とびっくりしている。
「こうやって移動するんよ」
ふわ~っと知華の元に浮遊してくる。
佐藤さんは知華が取り落としたスマホ画面に顔を向けて、手を振った。
安に挨拶したらしい。
知華はスマホを拾い、
「佐藤さん、こっちに来たよ」
と言った。
「今、安ちゃん手を振ってる」
画面越しでは見えないと、以前安が言っていたからだ。
『見えとるよ、大丈夫。佐藤さんとは長年おるから、霊力を感じるんよ。ぼんやりとじゃけど、何となく見える』
その言葉に目を丸くした。
「一緒に居ると、だんだん見える様になるん?」
「そうやで。すりガラス越し位の見え方らしいけど、分かるんやて」
佐藤さんが変わりに答えた。
「そんじゃ、早速偵察してこよか。ちょっといってくるわ」
そう言うと、窓から外へ出ていった。
『少ししたら帰ってくるから、そのまま待っといて』
安に言われて数分後、佐藤さんが同じように窓から戻ってきた。
「どうだった?」
佐藤さんは首を振っている。
「あれはアカン奴やな。けっこう従えとるし、誰彼構わず、見境なしでたちが悪い。暫く護衛が必要やな」
安が頷く。
『分かった。お師匠にはあたしから伝える。出来るだけ早う、そっちに行くわ』
「了解〜」
そう返事をすると、佐藤さんは知華の部屋の天井付近に移動し、部屋全体を見回した。
この部屋での定置を決めようとしているのだ。
「どういう事?従えとるって何?」
知華が安に尋ねる。
『悪霊にも色々おってな。今回は一人の大物ボスがおって、そいつが死霊を取り込んで力を付けとる。取り込まれた死霊は下僕みたいなもんやから、拘束されて、指示さた事しかできんくなる』
「従えて、力を付けて、何をするん?」
今度は香西が聞く。
『生きた人間を呼ぶ。エネルギーを吸ってさらに力を得るんよ。生きとる人間が一番エネルギーに溢れとるからな。吸われ過ぎると最悪、死に導かれて仲間される』
二人はゾッとした。
「そんなたちの悪い者もおるんじゃな」
『よく交通事故が多い道路とかあるやろ?見晴らしがええのに、なぜか事故が多発する場所。そういう所には居る可能性があるんよ』
確かに、ニュースでもよく聞くし、怪談話でもある。
あれはそういう事なのかと思った。
『知華、さっき昨日の夕方にはおらんかったって言ったよな?』
「うん。あんな悪寒がする女悪霊なら、気づかんはずないもん」
『その悪霊は知華の家の方を見とったんじゃろ?』
「そうだよ」
安は少し考えると、『その間に、家に誰が出入りした?』と聞いてきた。
「お父さんと、お兄ちゃんとお母さん。あたしはしてない」
それを聞き、さらに考える。
『お兄さんって車の運転とかする?バイクでもええけど』
知華は首を振った。
「免許はあるけど、車がないよ」
『なら、よく旅行に行くとかは?』
「うーん、別居だから分からん。なんで?」
『その悪霊、かなり強そうじゃから。そんなのがそこら辺におったら、この前の土地神ん時に気がつくと思うんよ。でも、何の気配もなかった。じゃから、お兄さんがどっかから連れてきたんかと思って。友達が運転する車かバイクで遠出した、とか。心霊スポット行ったとか』
あの兄に限って、そんな所に行くだろうかと考える。
オカルトには懐疑的だが、そういった番組を観ないわけではない。知華が小学生の頃、夏休みの特番を一緒に見た記憶がある。
しかし、自分からわざわざ足を運ぶほど興味がある訳ではないはずだ。
「可能性は低いけど、聞いてみようか?」
『お願い』
そこまで話すと、今度は佐藤さんが知華に質問した。
「知華ちゃん、さっきあの悪霊を『女』って言ったか?」
「そうだよ?」
「あれ、女やないで。男やで」
「えっ?」
知華はよく思い出してみる。
ザンバラ髪だったので、見間違えたのだろうか。
しかし、フリルの袖が見えた気がしたのだ。
「なぁ、もう一回見ても平気?」
「大丈夫やで」
許可が出たので、知華はカーテンをそっと開けて隣の家の屋根を見た。
先ほどと同じで、女がこっちを見ている。
ここからだと、女の全身が見えた。
やはりフリルの袖のスカートを着ている。
髪は肩をにつくくらい、よく見ると右腕にはブレスレット、首にネックレスをしていた。
「女の人よ。スカート履いてて、袖にフリルがついてる。ブレスレットにネックレスしとるよ。髪は肩にかかるくらい」
佐藤さんはきょとんとして、知華の横に移動すると外を見た。
「黒っぽいスーツ姿の男がおる。縞縞ネクタイにお洒落なタイピンチしとって、昭和風の七三分け」
そういうと、二人は顔を見合わせた。
見えているものが違う。
ここまで食い違って見えたことはなかった。
『二人とも、全然違うやん』
沈黙する知華を見て、香西は「二人で見えとるもんか違うんか?」と尋ねた。
知華は頷く。
今、あの悪霊が見えるのはこの二人だけだ。
安は現地に来ないと見えない。
佐藤さんは腕組みして考え込んだ。
「むっちゃ珍しいパターンやな。ワシと安ちゃんでも、滅多にないんやけど」
暫く考えて、
「取り込んだ人間の姿を借りとるんかもしれん」
と推論した。
「悪霊は、人間を惑わすために色んな手段をとる。見える姿が一つよりも沢山あったほうが、惑わせる人間は多いからな」
悪霊なりに手段を模索するらしい。
『そうなると、相当に厄介やな。しっかりと準備せんと』
知華は推論を香西に説明した。
「それなら、俺にも見える可能性があるんか?」
『いや、那津は元々見えにくい体質なんよ。波長が合いにくい。めちゃくちゃ電波届かんスマホって感じ』
「……その例えはどうなんや」
さすがの香西も渋い顔をした。
『でも、ええことなんよ。今回みたいな場合も影響受けにくいからな。一番自我を保ってられるかもしれん』
香西はしかなく納得していた。
『兎に角、知華は絶対一人で行動せんでな。ブレスレットは必ずつけること。濁ってひび割れ入ったやつは、もう使わんで。あと、お兄さんに行った場所を聞いてみて。あたしも準備ができたら連絡するわ。なるべく早く行くから』




