和輝の葛藤
翌日。
両親が共に地域の会合に朝から出ていったので、兄妹二人きりにとなった。
朝食を終え、兄はリビングでテレビを観た。
知華は自室で宿題を片付けながら、音楽を聞いていた。
和輝は昨日の事を考えながら、妹が人生の大きな決断を一つしつつあることを、感慨深く感じていた。
和輝は妹を邪険に扱ったことは無い。
父と同じで口数が少ないので、説明が足りない時があるが、実は祖母を介護している時も、知華の体調や精神負担を心配していた。
余裕が無い知華は、それを汲み取れなかった。
和輝の言葉も態度も足りなかったのは、もちろんある。そこは反省し、和輝なりにそれを心苦しく思っていた。
葬儀の時も、ほとんど声をかけてやれなかった。
力尽きそうな妹を見てられず、戸惑って結局何もしなかった。
「ずっと傍にいなかった自分が、声を掛けた所で」と考えていた。
でも一言、言ってやれば良かった。
頼りっきりで悪かったと。
(『言わんと分からんし、伝わらん』か……)
昨晩の知華の言葉を思い起こす。
あれは自分自身に言われた言葉だと感じた。
そして兄貴ヅラをして進路の事など聞いた事を恥じた。
しかし、今からでも遅くないはずだ。
知華は変わった。両親との関係も変わった。
いい方向に。
なら自分も、知華のために出来ることをしてやりたい。
そう思い、知華の希望進路で思い当たる大学や専門学校がないか調べようと考えた。
スマホを取り出し、検索文字を打ち込もうとした所で、チャイムが鳴った。
時計を見るが、両親が帰宅するにはまだ早い。
(来客か?)
休日の朝から誰だろうと思い玄関に向かう。
戸を開けると、そこには知らない男子が立っていた。
香西は羽原家から出てきた人物を見て硬直した。
知らない男だった。
相手の男も硬直している。
二十歳前後の青年のように見えた。
整った顔立ちで、背も百七十五はあろうかと思われる。
「どちら様ですか?」
先に落ち着きを取り戻したのは、相手の方だった。
「香西といいます。知華…さんはいますか?」
思わず、途中で呼び捨てをやめてしまった。
香西はこっそりと水族館のペアチケットをポケットの奥に押しやった。
男は疑いつつも、「知華ー!」と呼びながら奥に消えていった。
(呼び捨てとる……)
手に汗をかいた。
ただでさえ、デートに誘おうと緊張していたのだ。
それが、違った方向の緊張に変わってしまった。
(なんで知華の家におるんやろ……。やっぱ、伝えたい事は言っとくべきやったんか?)
思った以上に動揺している自分がいた。
先日、安に忠告された言葉が頭の中で反芻された。
―気持ちは伝えられる時に言わんと、永遠に機会を逃す事になるで
香西が一人、玄関先で不安になっていると、家の奥から「何ー?」と知華の声が聞こえた。
そして、何やら短く会話が聞こえた後、知華が出てきた。
フード付きの長袖ワンピースというラフな格好をしている。
首にヘッドホンがかかっているので、音楽を聴いていたようだ。
「香西くん、どしたん」
きょとんとして言う姿はいつも通りで、香西の方が面食らってしまう。
「ああ、いやー、その……」
誘い文句を幾つか考えていたはずなのに、何も言葉が出てこなかった。
「大したことないんよ。取り込み中なら、今度でもええから。今日は帰るわ」
苦笑いしながら、踵を返す。
「は?」
知華は意味が分からず、帰ろうとする香西を呼び止めようと、手を伸ばした。
その時。
知華の手首に付けていたブレスレットが、『ピキッ』と音を立た。
小さな音だったが、知華はそれと同時に悪寒がした。
何やら不穏な空気を感じる方向を探し、目をやる。
向かいの家の屋根。
女がいた。
ザンバラ髪で、目だけがギラついている。
相手も知華に気が付くと口元が嬉しそうに歪み、にたぁと笑った。
それを見た瞬間、知華の全身に鳥肌が立った。
心臓が急に早鐘を打つ。息が一瞬止まった。
あれは駄目だ。
まずい。
直感でそう思った。
背を向けて帰ろうとする香西の腕をガシッと掴み、
「待って」と引き止めた。
いつもはしない知華の行動に、戸惑ったのは香西だ。
「来て」
それだけ言うと香西の手を握り、女と目を合わせないようにして家に入った。
和輝は知華が男を連れ込んだので、驚いた。
しかも手を引いている。
「知華?」
ソファーから慌て立ち上がった。
「ちょっと二階行く。上がってこんでな」
そう言われ、さらに動揺した。
「おい!」
と後を追おうとしたが、階段に足を掛ける前に、
「上がってこんで!」
とキツめに釘を差された。
香西は何がなんだかわ分からず、されるがままになった。




