香西と宇田
香西は一人、家族連れやカップルで賑わうファミレスの席に座っていた。
目の前にはドリンクバーで取ってきた炭酸ジュースがあるが、手はつけられておらず、溶けかけた氷がカランと音をたてた。
今は人待ちをしている。
ずっと話したかった人と、ようやく会える約束を取り付けたのが、一週間前のこと。
土地神の件で穢に触れた人間を目の当たりにし、香西の中である思いが再び燻り始めていた。
穢とは何なのか。
穢が人に及ぼす影響はどんなものなのか。
最終的に人はどうなってしまうのか。
ずっと考えていた事だったが、ずっと聞けずじまいでズルズルと時間だけが過ぎていたのだ。
見えないことを言い訳にせず、自分から動く。
あの時決めた事にやっと着手できる。
今日はその一歩目なのだ。
ファミレスのドアが開き、来店を知らせるチャイムがなる。
香西は首を回して待ち人か確認した。
宇田がキョロキョロ辺りを見回し、自分のことを探している。
香西は立ち上がると手を挙げ、
「こっちです」
と声をかけた。
久々に会う宇田は最初に会った頃と変わらず、柔和な笑顔で彼に近づき、「久しぶり」と顔をほころばせた。
香西は会釈をすると「はい、お久しぶりです」と礼儀正しく挨拶を返す。
宇田は仕事終わりで、カバンの他にも大きな荷物を抱えていた。安もそうだが、霊媒師の仕事はつくづく体力勝負だと香西は思う。
「悪いね。仕事が長引いて、すっかり遅くなってしもうて」
疲労を感じさせない真っ直ぐな姿勢で、香西の向かいに座る。店員が早速水を持ってきた。
「ありがとう」と返すと、彼は一口水を飲んだ。
「今日はわざわざすいません。仕事終わりなのに、俺のワガママに付きおうてもらって」
宇田に詫びを入れると、彼は「そんなに謙遜せんでもええよ」と返した。
「ぼくの方も、香西くんとはずっと話したかったんじゃし。霊道封鎖の一件が片付いたら、すぐにでも会おうと思っとったんじゃけど。何だかんだでこんなに遅くなってしもうた」
宇田は一旦言葉を切ると、香西を見る。
以前神社への送迎で会った時とは、顔付きが変わった。
あの時は自分の身の振り方が分からず、下を向いて悩んでいたようだが、今は真っすぐと前を向けている。
宇田を正面から見据えているのがその証だと思った。
(きっと、何をすればいいか分かったんやろうな)
約一週間前に届いたメッセージには、
『穢について知りたいです。見えなくても出来ることがあれば教えてください。それ以外でも、とにかく知識が欲しいです』
と記されていた。
(見えない人なりの身の構え方を、彼は探っとる)
宇田は早速香西に尋ねた。
「あれからどうだい?見えない人なりの役割が、少しは分かった?」
香西は少し考えて、頷いた。
「それなりに牽制にはなっとるかな、と。見えん俺が言うからこそ、あの二人に響く時がある」
彼は霊道封鎖時の事を思い出していた。
我が身を顧みずに突っ走った二人に、香西が懇願したあの時の事を。
「あの時は半ばやけくそで、説得しようとか、納得させようとは思ってなかった。俺自身の経験で、やって欲しくないと思った事を率直に伝えただけでした」
きっとそれで良かったし、それが良かった。
――見えない人が近くにいる事で、救われることもある。見えるようになる努力より、支える努力を重ねてほしい。
あの時言われた言葉の意味が、今の香西にはよく分かった。
宇田が言っていたのはこういう事かと、納得した。
「見えないなりに、二人を支えたい。そのためには知識がいるんです。俺は穢について、よう知らん」
香西は宇田を見た。
精悍な顔つきだった。
「この間、穢に憑かれた人を初めて見ました。俺は普段から知っとる人じゃったから、あの時の違和感はよく分かった。態度も表情も発言も、全部いつもと違った。あれが穢ついた状態なんですか?」
「そうやね。僕はそっち専門じゃないけど、それでも穢に憑かれた人は見たことがある。いつもの人格とは変わって攻撃的だったり、懐疑的だったりする。ちょっとした発言にも怒ったり、感情の起伏が激しくなる」
香西は陽咲の母親を思い出した。
不自然に多弁だが行動が落ち着かず、いつも可愛がっている陽咲に酷く冷徹な態度をとっていた。
「話をしとると違和感が出てくる。言動が統一されず、最初と言っていることがちぐはぐだったりすることも多い」
あの時の様子と、概ね一致していた。
「その状態を放置すると、どうなるんですか?」
「実際に暴力を振るったりするから、警察沙汰になる。場合によっては傷害事件になって、被害者が病院行きになる事もある。穢に憑かれた人は衝動的に自分をも傷つけたりするけ、同じ様に病院行きじゃな」
そうなると、護身術が必要になりそうだと香西は考えた。少しは時間稼ぎになるだろう。
「具体的な対応策とか、あるんでしょうか?例えば護身術を習って対処する、とか」
宇田は「うーん」と唸って考えた。
「悪くはないが、もし数珠や御守り、お神酒があればいいかな。香西くんはお師匠から御守りを貰ったじゃろ?あれでもええ」
今も胸元からぶら下げている御守りを服の上から掴む。
「あとは羽原さんが持っとるブレスレット。あれはかなり強力に作って清めてあるから。一時凌ぎとは言え、効力は発揮してくれる」
「よく、塩とかもいいって聞きますけど、あれは?」
「きちんとお清め塩として作られたものなら、いいよ。あとは天然石の水晶。今は売ってるところも増えたし、簡単に手に入るじゃろ」
なる程。香西は言われたことを頭にたたき込んだ。
やはり、この御守りは大事にしようと握り直す。
少し香西からの質問が落ち着いたようなので、今度は宇田が話す番だ。
「僕からもええかな?」
そう振られ、宇田を見た。
「今言った対応でも十分なんじゃけど、香西くんの場合は精神力があるけ、そっちを伸ばせばいいと思うで」
言われたことに心当たりがなく、香西は目を点にした。
一体何のことを言っているのだろう。
「どういう事ですか?」
「霊道封鎖の時、悪霊に取り憑かれたやろ?自分とは関係ない感情が流れてきて、咄嗟に安を殴ろうとした」
言われて思い出す。
急に倦怠感と息苦しさに襲われ、安を見ると急に怒りが湧いてきた。
自分のものでは無いその感情は沸々と体を巡り、どうしようもなく安を殴りたい衝動に駆られ、拳を振り上げたのだ。
「あの時、香西くんは抵抗した。結局自分を殴って治まった。あれは直人には出来ない芸当なんよ」
そう言われ、再び目をしばたたかせた。
「普通は飲まれて、言いなりになる。勝手に喋ったり、泣いたりね。でも君が拒否するとそれが出来ない。相当なたくましい気力と勇ましい力強さがないと出来ない事なんよ」
褒められても、いまいちピンとこなかった。
実感もなく、誇っていいのかも分からない。
そう思ったことが表情に出ていたのだろう。
宇田は「なかなか実感は沸かんわな」と笑った。
「自覚して出来ることやないし、君本来の心の強さなんよ。でも、それでええ」
宇田はここまで言うと、改めて香西を見た。
真剣な表情になり、「いいかい?」とテーブルに身をのしだした。
香西は姿勢を正す。
「その勇ましさと力強さはきっと安の助けになる。いゃ、もうなっとるはずや。安は照れ屋じゃけ、君に直接は言わんじゃろうけど、きっと感謝しとるはず。羽原さんにとっては、大きな支えになる。彼女の精神安定剤にれるよ」
「精神安定剤?」
「心の支えや、癒しを与えられるってこと。君がいることで、羽原さんは心が落ち着いて、安心感を持てると思う」
そうなんだろうか。
知華は表情が出にくいが、感謝やお礼はきちんと伝えてくれる。思っている事を素直に言葉に出す事も多い。
(……そんな存在になれるんやろうか)
なりたいとは思うが、なれるかは知華の気持ち次第だ。
香西が静かな顔で思案しているので、彼なりに頭の中を整理しているのだろうと宇田は思った。
(本当に、三人ともお互いがいい関係値におる)
宇田はつくづくそう思い、嬉しそうに口元を緩めた。
宇田にとって安は実の妹のような存在だった。
こんなにも妹の事を考えてくれる友人がいることは、兄として本望だった。
「とりあえず、護身術を覚えて、お清め塩の作り方を教えようか。目に見えるものがあると、支えになるじゃろ」
宇田はそう言うと、横に立てかけてあるメニュー表を取り出した。
「まずは何か注文しようか。妹がお世話になっとるけ、ここは奢るよ」




