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クリカゲ  作者: 栢瀬 柚花
42/47

黒い影①


  家の外で、歩く影ある。


 それはのっそりのっそりと、まるで家の周囲を見回るように練り歩く。

 歩くたびに、水槽の水が揺れた。

 飼っている犬が尻尾を丸めた。

 

 いや、ただの影ではないと、最近気がついた。

 ちゃんと頭も手も、足もある。

 しかし顔は輪郭だけで、目や口はない。 

  

 しかし、あまり恐怖心はなかった。

 ただ、その影が助けを求めているような気がした。


 母はこの影に気がついている。

 父は気付かないふりをしている。


 少女は気がついて、話を聞いてあげたかった。

 だが口がないので話ができない。


 誰か、わかる人がいればいいのに――


 

 ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 

 公園の片隅、自動販売機の前のベンチに座っている二人分の姿がある。

 

 傍らの花壇には色とりどりのコスモスが咲き、秋風に揺れていた。

 近くにある池には、ススキが真っ白な穂を垂らしている。

 

 空は高く、まさに秋晴れだった。

 昨日降った雨は日中の快晴ですっかりと渇いている。

 昼間の暖かさは午後四時を過ぎたこの時間には無くなり、少し肌寒くなっていた。

 

 知華は放課後、香西と公園で話していた。

 珍しく香西から相談がある、と言われたからだ。


 両親との一件以来、二人は一緒に帰ることが増えた。

 奈海も加わる事があったが、最近は塾の全国模試が近くなったので、帰りは二人になることが多かった。


 知華は奢ってもらったホットドリンクで暖を取りながら、香西の話を聞いていた。

 マフラーや手袋をするにはまだ早いが、温かいものが恋しくなる寒さだった。

「最初に会った時、近所の女の子の話したの、覚えとるか?」

 彼は知華の隣に座り、すでに飲み干した缶をもて遊んでいる。

「うん。小さい子なんやろ?」 

 ミズチカがいたあの小屋で話していた少女だと思い起こす。

 適当にあしらったら付きまとわれ、仕方なく相手をしていたら懐かれたと言っていた。

「小三なんじゃけど。その子が今、困っとるみたいで」

「ちょっと待って。それは小さいんかな?」

 話からもっと幼子、保育園児くらいを予想していた知華は、首を傾げた。

「小さいやろ、身長なんて百三十もないんやで」

 きょとんとして香西が言う。

 身長は個人差があるのでは、と思った。

 香西の『小さい』基準は身長らしい。

「そんで、その子が最近変なこと言うんよ」

「変な事?」

「『黒い影がお家の外を歩いとる』って。母親は気がついとって父親に相談しとるみたいなんじゃけど、父親の方は信じたくないちゅーか、信じんようとせんらいし」

 そういったことに懐疑的、という事だろうか。

 

 霊感を持っているのは男性よりも女性の方が多いと、安が言っていた。

 もともと女性は物音や気配に敏感なので、その影響らしい。

 例えば夜寝ていて物音に気が付き目が覚める、といった描写は女性に多い。

 男性は肉体的な力はあっても、第六感的な部分では敵わない事が多いそうだ。 

 そういった事が関係してか、女性の話を信じない男性は多いと傾向にあると聞いた。

 特に見えない、感じない物に対する許容性は低いので、お祓いでも男性を説得する方が骨が折れるらしい。

 もちろん、場合によるが。

 

「女の子、陽咲ひなたって言うんやけど。最初に影に気がついたのは陽咲で、影も小さかったらしい。だんだんと日が経つにつれて大きゅうなって、メダカ飼っとる水槽が揺れたり、犬が怯えたりするようになったら、母親気がつくようになったんやって。母親は怯えとるみたいじゃけど、陽咲は違ごうて『影が困っとるから助けてあげたい』って言うんよな」

 知華は目を丸くした。

 話の流れからして、怖いから帰りたくないとか、なんとかして欲しいという相談かと思っていた。

「助けてあげたいって、陽咲ちゃんは影と話が出来るん?」

 小さい子は霊感があるとよく聞くが、そのタイプだろうかと思い、尋ねた。

 しかし香西は首を振る。

「いや、陽咲はできん。見えるだけらしい。その影の方も顔はあっても口がないから、出来んらしい。じゃけど何となく分かるんやって」

「うーん、なんか感じとるんかな?」 

 黒い影は良くない者が多いと、以前安から聞いたことがあった。

 しかし陽咲が恐怖を感じていないと言うことは、悪い者ではないのかもしれない。

 悪霊や良くない者であれば、本能的に恐怖を感じる。 

 知華の場合、霊の見た目に関わらず、良くない者であれば悪寒がしたり鳥肌が立ったり、心臓が跳ねたりする。

 子供大人に関わらず、そう言った本能は感じるものなので、害意は低いと思われた。

「陽咲ちゃんが怖さを感じてないんやったら、あんまり悪い者じゃないんかも……。そんで、あたしは何をすればええん?」

「ちょっと家に行って、その影を見て欲しいんよ。見るだけでええから。知華が危険を感じるものなら、早めに安井に連絡せんといけんし。危険がなくても、連絡はするけどな」

「分かった。ええよ」

 そう言うと、香西は立ち上がり缶を自販機横にあるゴミ箱に捨てた。

「んじゃ、行こうか」


 

 二人は公園を出て、香西の家に向けて歩き出した。

 道中、香西はさらに事情を説明してくれた。

「十日後、音楽発表会があるらいんじゃけど、本番までになんとかして欲しいらしい」 

 音楽発表会は、この地域の小学校全てが参加する行事だった。

 小学校三年生と四年生が合同で、課題曲と選曲を一つずつ合奏する。

 当日は市民会館を貸し切って行われ、地元のケーブルテレビも入り別日に放送されたりもするので、児童たちは気合が入るのだ。

 知華の頃にもあった恒例行事だった。

「そんなのあったなぁ。市民会館で発表するやつじゃろ?」

「そうそう。俺らの時はめっちゃ雨降って、会場入る頃にはびしょ濡れになったんよな」

 懐かしそうに身を細めているが、同じ日に参加したはずの知華に、その記憶にはない。

「そうやっけ?」

「どの学校の生徒も濡れとったで。翌日風邪で欠席する奴、何人かおったから覚えとる。寒くて鍵盤ハーモニカの鍵盤押せんかったよんよな」 

 香西は時々、記憶力が凄い。

 オマモリサマと対峙した時もそうだったが、よく覚えているなという些細なことを口にする。

「全然覚えてないわ。そんで、発表会が影のオバケとなんで関係してくるん?」

「ああ、話が逸れたな。発表会で陽咲が鍵盤ハーモニカを担当するんじゃけど、家に持って帰って自主練しとるらしい。その度にその影が出てくるんやって。嫌そうにはしてはないらしんじゃけど、気軽に練習出来んで困っとるから、早めに解決して欲しいって頼まれたんよ」

 なるほど。事情は分かった。

 鍵盤ハーモニカを吹くと出てくる、というのはよくわからないが、見るには都合がいい。

 相手のタイミングを待たずして会えるに越したことはない。

 

 陽咲の家は香西のすぐ隣だ。

 家の近くになると、道路で待っている女の子の姿があった。

 家の外壁に寄りかかり、暇そうにしている。

 長袖のパーカにジーンズという格好で、小三にしては細く小柄な子だった。

「あの子が陽咲やで」

 知華にそう言うと、香西はおーい、と陽咲に声をかける。

 陽咲はこちらを見ると、にこっと笑って手を振った。

 二人が陽咲に歩み寄るよりも早く、陽咲の方が駆けて近づいてきた。

「香兄ちゃん!お話出来る人、来てくれた?」

 駆け寄って来るなり、そう聞いた。

 そして隣の知華に目をやる。

「もしかして、このお姉ちゃんがそう?」

「ああ、そうやで」

 返事を聞くと、すぐに自己紹介してくれた。

「山本陽咲です。あんな、あたし黒い影呼べるから、見てほしいの」

 確かに人懐こい性格だ。

 年上にも尻込みせず話しかけてくる。

 体格のいい香西に付きまとうくらいだ。自分と違い、社交性は相当高そうだと知華は思った。

「羽原知華だよ。香西くんとは同じ学校なんよ」 

 そう言うと、陽咲は顔を輝かせた。

「もしかして、香兄ちゃんがよく話してるお姉ちゃん?」

「よく話してる?」

 それを聞くと、香西の耳が赤くなった。

「ほっとけないとか、見てられんってよく言っとる。あとはなぁ、気になるって」

「勝手にペラペラ喋るな!」

 香西が慌てて陽咲の口を塞ごうとしたが、陽咲はひょいと掻い潜った。

 慣れている動きだ。

「香兄ちゃんはな、こんなに体おっきいのに、よくウジウジすんの。はっきり言えばええのに、『それはー』とか『でもなぁ』とか、言い訳ばっかりなんよ。お父さんと一緒!そう言う男は駄目だって、お母さんが言よった」

 何となく家庭の力関係が見え、知華は苦笑いした。

 

 それにしても、香西にウジウジしている印象はない。はっきり発言している姿も学校で見ているので、イメージと合わなかった。

 慌てたのは香西で、

「そんな女々しい事ないで。ちょっと話しとった事を勝手にあれこれ言っとるだけじゃけ!」

 と、知華に弁明するように言い募った。

 知華はというと、顔に手を添えて思案しているようだ。

「香西くん、そんなにウジウジしとらんけどな。いっつも意見ははっきり言うし、怒る時は怒るし。なぁ?」

 最後は香西に聞き返すように、顔を見てきた。

 香西は慌てて弁明したのが恥ずかしいのか、気まずそうに頭をかいて、

「まぁ、そうやろ?」

とだけ返した。

 内心では知華に優柔不断と思われていないことが分かり、安堵した。 

 それを見た陽咲は、

「そういうとこなんよ、香兄ちゃん。お姉ちゃんにいいとこ見せようとしても、すぐにバレるんよ。お父さん、いっつもお母さんにバレとるもん」

 と諭すように指摘した。

 その姿はまるで小さな姉のようだと、知華は思った。

「ほんま、最近の子供ってこんな感じなんよな。大人っぽいちゅーか、可愛げないちゅーか…」

 呆れ顔で独り言の様に香西がぼやいた。

 こんな調子では、あの香西が付きまとわれるのも納得だ。振り払うのも大変だろう。 

「そんな事言よったら、影のオバケ見てやらんで」

 香西は脅すように言ったが、これが逆効果だった。

「見るのは香兄ちゃんじゃないやろ?自分がする、みたいに言わんの!」

 本当にしっかりしている。

 香西は面白くないという顔をした。

 学校では絶対にされない扱いに知華は笑いを堪えようとしたが、抑えきれず声が漏れた。

 くつくつ肩を震わせているのに気がついて、香西はさらに渋い顔をする。 

 ひとしきり笑うと知華はなんとか感情は鎮まった。

 陽咲に、

「お姉ちゃんが見るから、案内してくれる?」

 と伝えた。

 陽咲は「ええよー」と家へ向けて走り出した。

 やれやれと二人は陽咲の後について行った。

 

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