残り香
家族と話し合ってから一週間後。
知華と香西は安と会う約束をしていた。
直接会うのは秋祭り以来で、知華の心は躍った。
準備をしながら安との電話でのやり取りを思い出す。
出来れば話し合いの結果は直接会い、顔を見て伝えたかったが、多忙な安にはそれが難しかった。
電話ではカメラを通して何度か話をした。
一回目の電話は両親との蟠り《わだかまり》が無くなった事を伝え、今後も上手く話が出来そうだと報告した。
安はとても喜んでくれ、佐藤さんも娘を見るように笑ってくれた。
二回目の電話では普段の様子を伝えた。
両親とも挨拶以外の日常会話が増えた事、クラスでも話をする人が出来た事を報告した。この時会う日にちを決める予定だったが、お互いの都合が合わなかった。
三回目の電話をする頃には、電話越しでなくどうしても直接会いたい気持ちが募った。安の修行は以前より忙しいようで、何とか工面してもらい、仕事の合間になら会えそうと返事が来た。
そしてようやく今日に至り、知華と香西は繁華街に来ていた。
両親は知華が出かけるのを快く見送った。
髪型は朝、母がセットしてくれた。
あの秋祭り以降、時々やってくれる様になったのだ。
「仕事の合間って、安井ホンマに忙しいんやな」
香西と駅近くの喫茶店で寛ぎながら、安の到着を待っていた。
安を見つけやすいので、室内ではなく外のテーブル席を選んだ。
秋風が吹く中、色づいた落ち葉が風に流されている様を見ながら、流れていく人々を見るともなく目で追った。
二人とも飲み物を頼み、オーダー品を前にして話をしている所だ。
「県内なら一人で行く事も増えたらしいよ。県外一人派遣は成人になってからなんだって」
アイスコーヒーを飲みながら、知華がメッセージや電話でのやり取り内容を香西に伝えた。
「本格的な独り立ちは、もう少し先か」
「これからはあんまり会えんのかな。今日も約束取り付けるの、結構大変やったし。最初は一ヶ月後、とか言われたもん」
流石にそれは…と知華が渋ると、安は師匠と交渉し、日程と予定を調整してくれた。
「まぁ、俺らも来年受験やし。お互いに忙しくなったら、電話の方が増えるかもな」
これまで定期的に会えていたのが、珍しかったのかもしれない。
急に頻度が減ると寂しさが募った。ぽっかりと穴が空いたように感じた。知華はやっと出来た霊感友達だと、最初に会った時言っていた。安も同じように思っているだろうかと考える。
すると、テーブルに置いていたスマホからピコンとメ受信音が響いた。
見ると安からで、
『駅着いた!どこにおる?』
と焦ったメッセージが届いていた。すぐに喫茶店の名前と場所を送る。
既読はすぐに付き、『急ぐ!』のスタンプがポンと送られる。
「安ちゃん、着いたみたい」
そう香西に言うと、二人でキョロキョロ見回して安を探した。
休日なので人が多く、大分目を凝らしていると、走ってくる姿が見えた。
頭一つ分高い位置に佐藤さんの半透明な体が見えるので、間違いない。
知華は椅子から立ち上がり、両手を振った。
安は背中に大きなバックパックを背負っている。
姿がだんだんと大きるなると、ハァハァと息を切らしいるのが分かった。
二人の元に到着すると、
「ごめん……おく…れた……」
と呼吸の合間に絶え絶えな言葉を絞り出した。
見るからに呼吸が苦しそうで、見ているこっちまで焼けるような喉の痛みを感じた。
見かねた香西が、まずは荷物を降ろせとバックパックを持ち上げると、安は軽くなった体を二つ折りにして両手を膝についた。
「落ち着いてからでええで。水飲むか?」
三人分の水を貰っていたので、その一つを安に差し出すと、一気に飲み干した。
「そんなにダッシュせんでも良かったのに。毎日仕事で、安ちゃん疲れとるやろ」
気遣って安に言うと、佐藤さんが変わりに教えてくれた。
「二人に会えるから、少しでも時間長くとるって聞かんでな。駅についてからダッシュしたんよ」
肩で呼吸する安は、何とか呼吸をおさめようと深呼吸をしている。
椅子に座ることもせず、テーブルに寄りかかったままだ。
佐藤さんも気遣わしげに安を見ている。
「電車では仮眠しとったからな。降りる駅間違わんで良かったけど。最近あっちこっち行かされるけ、ちょっと睡眠時間がバラバラでな。疲れも溜まっとるんよ。学校のテストも近いから、勉強もせなあかんし」
言われてみれば、少し痩せた気もした。
知華は仕事と学業を両立させている安の多忙さを、改めて思い知った。
ここまでして霊媒師の仕事を望んだのは、やはり相当な覚悟あっての事だろうと思えた。
安が心配になり、知華は顔をのぞき込む。
少しずつ呼吸が落ち着いてきた安はそれに気がつき、視線を上げた。
水も飲んだので、喉の渇きも少し落ち着いている。
これなら話せそうだと、安は口を開いた。
「久しぶり。画面越しでは会っとったけど、元気……」
そこまで言うと、笑顔だった安の表情が強張った。
知華を凝視している目が陰り、固まった。
「安ちゃん?」
知華は首を傾げ、安を見つめる。
「安井、どうしたん?」
香西もフリーズした安を見ている。
知華が佐藤さんに目を向けると、痛々しそうな、哀れむような目で安を見ていた。こんな表情は見たことがなく、知華の心がざわついた。
「知華、穢が……」
やっと安の声が出た。
震えている。
安は佐藤さんに訴えるような眼差しを向けた。
しかし彼は首を振っただけだった。
それを見て、安は失望がのしかかったように肩を落とした。
その落込みようから、知華に良くないことが起こっていると分かる。
知華の心のざわつきが、黒い雲がかかるように広がる。
(だって、お父さんともお母さんさんとも話し合った。気持ちも変わったし、毎日が楽しくなった。なのに……駄目だった?)
息がしづらい気がして、胸を抑えた。
知華も暗い表情になり、体が強張る。
知華の様子に気が付いた香西は、思わず語気を強めて安に尋ねた。
「安井、ちゃんと説明せい。知華の穢がどうしたんや?」
安はゆっくり顔を上げ、香西を見る。
その目は少し潤んでいるように見えた。
「穢が、薄くなってない」
そう言うとしゃがみ込み、髪をグシャと掴んで頭を抱えた。
「なんで!?原因は他にあった?生まれつき…な分けないし。絶対それやと思ったのに!」
ちょうど注文を取りに来た店員が、安の声にびっくりして立ち止まる。
三人を見て、タイミングが悪い所に来てしまったと分かったのだろう。持ってきたメニュー表を渡そうか、オロオロしている。
香西はメニューを受け取ると、
「すいません、また後で呼びます」
と声を掛けて、下がらせた。
安の言葉を聞いて香西は自身の気持ちも落ち着かなかったが、自分まで取り乱してはいけないと思い、何とか気持ちを静めようと、深呼吸した。
数呼吸の後、安に「とりあえず落ち着いて、席付けや」と椅子を勧めた。
安は言われるがまま座ると、背もたれに背中を預けて、先ほど飲み干した水のコップを見つめた。しかし、その目は遠くを見ているように焦点が合わない。
二人も椅子に戻る。
知華は飲みかけのコーヒーを意味もなく見つめた。
(穢、良くならなかった……?)
そう認めると、急に不安がのしかかってきた。
このままであれば、どうなるのか。
秋祭りの時、安は喋れず動けず、病院からも出られなくなると言ってた。
植物人間みたいになるという事だろうか?
考えると恐ろしく、ゴクリとツバを飲み込んだ。
せっかくクラスに馴染み、両親とも会話が増えた。
奈海や香西とも楽しく過ごせるようになった。
これからクリスマスもお正月もある。
イベントを友達や家族で迎えるのを楽しみにしていた。
安を見ると、まだ考えにふけっているのかコップを見ている。
知華は喉に言葉がつっかえていたが、不安が勝り堪らず
「あたし、良くなってない?」
と聞いた。
安はコップから知華に視線を変える。その目は困惑とと苦痛が混ざったようだった。
「……穢は変わっとらん。前と同じ」
そう言うと視線を下げた。
「何度もカメラで通話したけど、あたし画面越しだと見えないんよ。動画とか写真も駄目。肉眼で直接じゃないと、見えん体質で……」
眉間にシワを寄せ、悔しそうに言った。
「今のあたしには、原因が分からん」
その言葉が波紋を広げるように、その場に静寂をもたらした。
知華も香西も、何も言えなかった。
安が力なく頭を垂れているのが全てを物語っていた。
「お師匠さんでも、駄目なんか?」
香西が尋ねた。以前神社で会った時、穢があると言われたが、原因については話していなかった。
「見て分かるもんじゃないんか?」
「穢はな、『ある』としか分からん」
安が険しい顔つきのまま話し出した。
「なんで穢がついとるかは、人によって原因が違う。前に話した通り、病気とか精神的ストレスとか、色々あるんよ。知華は家族と和解できたけど、穢は変わらんかった。なら、原因は他にある」
「思い当たる事、ないか?」
最期の佐藤さんの言葉に、知華の視線が佐藤さんに移る。
「穢の原因で、家族以外に思いたること……」
他の可能性を、知華も考えていなかった。
ずっと心の中のしこりだった両親の事。今
は溶けてかなり小さくなり直に霧散するだろうと思えた。
他に大きな変化といえば、オマモリサマと出会っことくらいである気がした。
これまでの二ヶ月、色々なことがあった。
霊感を自覚したのはオマモリサマと出会ってからだ。
雷雨の日、香西と対峙して、全てはあの日を境に変わった。
「一番変化したとしたら、霊感が出たことかな」
知華はポツリと言った。
「オマモリサマと会ってから、全部変わった。あたしの見えてる世界が」
普通の人より雑音と目に映るものが多い世界。
嫌ではないが、慣れるまでに時間が必要だった。
「知華、前に二人で話したよな?霊感が知華だけに現れたのは、オマモリサマに触れられた事が関係しとるんかな?って」
香西が言った。
いつかの昼休みにそんな話をした。
香西と知華の違いを考えていた時、そういった結論になったのを思い出す。
「どういう事?」
安が問い返す。
霊感の発現につて、具体的なことは安には話していなかったと思い出す。
「俺と知華は、オマモリサマに会うまで霊感なんてなかった。けどオマモリサマに襲われた翌日から、知華だけに霊感が現れた。この違いがなんなんか、二人で考察した事があってな。話し合った結果、知華だけ手首を掴まれたって気がついたんよ。これって関係あるか?」
安と佐藤さんは顔を見合わせる。
お互いにそんな事象は聞いたことがない、と言った様子だった。
安が思案顔で唸った。
「うん……どう……じゃろ?あの怪異は確かに強力やけど、そこまで影響を残せるもんなんかな…?触っただけで……残り香って奴やろ?」
安の言葉を受けて、佐藤さんも腕組みして首を傾げる。
「可能性は低いけんど…。あの怪異は型にはめて考えん方が良さそうやからなぁ」
はっきりとは言えないようだ。
「飽くまで可能性の一つにはなる、っつーことじゃな?」
香西が安に確認した。
「まぁ、な。でもかなり低いと思った方がええよ」
「低くてもええ。絶対無いって言い切れんなら、残しとくべきや」
言い切る香西を、安は見た。
その目には闘志にも近い、強い感情が見て取れた。
知華が困っているなら、手を貸したい。助けたい。
その想いが目に表れている。
安はその顔を見て、自分が随分と悲観的になってきた事を知った。
知華の穢の可能性を一つと決めつけ、当てが外れたら絶望してしまった。
他の可能性を全く考えていなかった自分の落ち度だというのに。
那津は諦めてない。知華のために必死に考えて、可能性を探ろうとしとる。
(……霊感ないくせに、ホンマ熱意だけはある奴。霊媒師の自分が、先に諦めてどうする)
そう思うと、安の中で気持ちが立ち上がった。
まだ出来ることはある。
お師匠に相談して、原因の可能性を絞り込む。
知華の穢がこれ以上広がらないようにブレスレットを強化する。
ブレスレットと本人の浄化方法を教える。
自宅の結界の確認と張り直しをする。
気持ちが立ち直ると、次々とやれることが浮かんできた。
(あたしにしか出来ない事がある)
安は拳をぐっと握り締めた。
まるで、高まったやる気を固定するように。
香西と話していると、心の熱が湧いてくる。
人のやる気を沸き立たせるのが上手いやつだ、と心中だけで感心し、感謝した。
安は香西を見た。
その瞳には力強さが見て取れた。
「オマモリサマの事は、お師匠にもう一回聞いてみるわ。知華の穢が取りきれてない事も相談せんと。昔の資料とか蔵にあるけ、そこも探ってみる」
知華達に伝えると言うよりも、自身に今後やる事を確認するような口調だった。
安は知華を見やる。
不安そうに表情が曇っている。
(霊媒師は、依頼者を不安から解放してあげるのも仕事。あたしが最初に心折れてどうする!)
喝を入れるために、安は頬をパンと叩いた。
乾いた音が辺りに響く。
佐藤さんはそれで安の気持ちが切り替わった事が分かり、呆れたような、しかし安心したような顔をした。
(そうよな。安ちゃんは諦めんよな)
ずっと安を見てきた佐藤さんは知っている。
一度走り出すと、どんな道であっても足を進めて、がむしゃらに向かって行ってしまうと。
わずか十五歳で霊媒師に志願し、紅野と両親を説得した時もそうだった。
安の強みだが、欠点とも言える所だ。
密かに嘆息しすると、口元を緩めて笑った。
(これから無茶するな、きっと)
「これから更に忙しゅうなるで。大丈夫なんか?」
安の近くにふわ~っと近づき、隣に立つ。
「修行の量はお師匠と相談する。テストもあるし、無理はせんようにする」
知華と香西に改めて目をやり、
「不安にさせてごめんな」と頭を下げた。
「もう一回、考えてみるわ。知華は思い当たる節ないか、考えてみて。那津は知華とおって、おかしな事とか気がついた事あったら連絡して」
いつもの霊媒師らしい顔になったので、少し安心した知華は頷いた。
香西も普段の安の顔に「分かった」と返した。
「安井はこれからどうする?すぐに次の仕事なんか?」
「いいや。こっから近い現場やから、十分もあれば着くんよ。まだ二時間はある」
そう言ってメニュー表に手を伸ばし、広げる。
「お昼まだなんよ。お腹すいた。パフェも頼んじゃおうかな」
メニューを見始めた安を見て、香西は水滴が着いたコップを手に取り、ジュースを飲んだ。
冷えたレモンの味が炭酸とともに口に広がり、弾ける。
その刺激は、今し方の安を見ているようだった。
安の言葉とやる気は香西にも伝染していた。
(俺も、見えん事をいつまでも言い訳にしたらアカンな)
穢について、知るべきことがある。
自分から動かなくては。
受動的では起こる変化も起きない。
「じゃあ、注文しよ。那津、店員さん呼んで」
相変わらず安からは使いっ走りの様に扱われる関係性だが、それも心地よく感じ始めていた。
秋が深まり遠くなった空の下、午後の日差しが長く三人の影を伸ばす。
これから本格的な冬が来る。




