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クリカゲ  作者: 栢瀬 柚花
37/47

家族の話し合い


 家路への道が軽い。

 心持ちが違うと、こんなにも景色が明るく見えることを知華は知らなかった。


 霊道があった道を抜け、電柱を通り過ぎると自分の家が見えた。

 我が家にも灯りがついている。

 両親は知華の覚悟を知らず、いつも通りに過ごしているだろう。

 

 玄関ドアを開けて中に入ると、二人はいつものようにリビングと台所にいた。

 夕飯を作り、新聞を読んでいる。


 両親の姿を見るとやはり体が強張ったが、グッと手に力を入れて自分を鼓舞した。

(大丈夫。今日のあたしなら出来る)

 深く息を吸った後、「ただいま」と声をかけた。

 いつも通り「おかえり」と返されたが、知華はそのままリビングに足を運んだ。


 普段ならすぐに自室に戻る娘が二人の元へやってきたので、両親はその動きを不思議そうに目で追った。

「今日は、二人と話したいの」

 唐突な言葉に、両親は顔を見合わせた。

 しばらく何も言わず、テレビの音だけが妙に大きく聞こえた。

「大事な話なんじゃな?」

 いつもと違う様子に、感じるものがあったのだろう。父が知華の表情を見て尋ねた。

 知華は声に出さず、頷いた。

「分かった」

 父は新聞をたたみ、テレビを消した。

 すっと室内が静かになり、時計の秒針が聞こえだす。

 母は鍋の火を止め、手を手ぬぐいで拭くと、リビングにやってきた。

 両親が椅子に座るのを見届けると、知華は正面の椅子に腰を下ろした。


 正面で向き合うと、心臓の鼓動がはねた。

 こんなにも自分の心音を意識したことは無いくらい、緊張していた。

 まともに話し合いをしてこなかったツケがここにきて回ってきたと思うと同時に、これを乗り越えなければ何も変わらない事が分かっていた。 

「それで、どうしたん?改まって話って」

「うん」

 返事だけして、どう話を切り出そうかと考えを巡らす。


 隣の家の談笑、車の走行音、秋を感じる鈴虫の音。

 会話を始めるのに、こんなにも緊張するなんて知らなかった。

「あたし最近、仲がいい友達ができた」

 まるで小さな子供の様な報告から、家族の話し合いは始まった。

「三人おってね。学校でも外で遊ぶ時も、誘ってくれる。沢山話をして、みんなそれぞれに頑張っとる事、悩んどる事、楽しんどる事があるんやなって、分かってきた」

 深呼吸をして、決意を固めた後、話し始めた。

「この四年間、出来んことが沢山あった。映画とか、本屋とかショッピングとかお祭りとか。最近は皆で色んな所に行く。実際、行って楽しかった。楽しかったんじゃけど⋯でもな、言われてしもうたん。『一緒におれる時間も、自由な時間も増えたけど、全然そんな風に見えん時がある』って。ずっとモヤモヤしとる物を抱えとるんじゃないかって」 

 そこまで一気に話しながら、だんだんと知華の声は震えた。

 声だけでなく手も震えた。

 涙がうっすらと滲んだ。

 本音で話すと泣いてしまうんやな、と初めて知った。

 顔を上げて両親の顔を見る。

 二人の顔を正面から見たのは、いつぶりだったのか。

 少しやつれたように見えた両親は、知華を真っ直ぐに見ていてくれた。


ーー私をみてくれてる。


 そう思ったら一気に涙が溢れてきた。

「おばあちゃんの介護、嫌じゃなかった。全然、嫌じゃなかった。毎日大変でっ、困る、こととか、分からん事とか、沢山あったけど!嫌じゃ⋯なかった」

 ひくっ、ひくっと喉が震えながらも、何とか言葉を絞り出した。

「でも、それを一緒に分かち合ってほしかった!どうすりゃいいんじゃろ、困ったな、とか。分からんなぁ、って一緒に悩んで、そんな話がしたかった。ずっと、ずっと!一人は嫌じゃった!!」

 涙が止め処なく溢れて頬を伝い、手で拭っても足りず、今度は手からこぼれ落ちていった。

「しんどかったし、辛かった!一人で全部抱えとんの!お兄ちゃんは帰ってこんし、お父さんもお母さんもおばあちゃんの部屋、覗きにもこん!話を分かってくれるの、ヘルパーさんくらいで。でも、向こうは簡単な言葉しか返してくれんし。担当代わってしもうたら、またイチから色々と聞かれるし!友達には、何にも伝わらん!みんな大変じゃな、ってそれだけ!いつの間にか遠巻きにされて、何にも誘われんくなって!どんどん居場所が無くなっとる気がして、すっごい嫌じゃった!」

 喋っていると声がどんどん大きくなり、叫んでいた。

 知華自身が思っていたよりも大きな声が出ていた。

「二人からも、もっと言葉が欲しかった!何でもいいから、欲しかった!『ごめん』じゃのうて。せめて、後ろから見ててくれるだけでも⋯よかった⋯そんだけで⋯よかった⋯」 

 言い切ると知華はむせび泣いた。

 泣いて泣いて、息が詰まるほど。

 いつもどうやって呼吸をしているのか、分からな位くらいに、泣いた。


 椅子から立ち上がる音がしたと思うと、背中から抱きしめられた。

 母だった。

 何も言わず泣きながら、知華をぎゅっと抱きしている。

 温かかった。

 母の腕に触れて、袖をぎゅっと掴んだまま、知華は泣いた。


 しばらくそうしているとだんだんと落ち着いてきて、父がティッシュを箱ごと机に置いた。

 母も席に戻り涙を拭く。

 お互いに目も瞼も真っ赤だった。


 知華の呼吸が落ち着くと、父が真っ直ぐ知華を見て言った。

「悪かった、知華」

 堪えるような声だった。

「ずっと、長い間、悪かった」

 そして、頭を下げた。

 それに続いて母も頭を下げた。

「⋯知華、ずっと何も出来んくて、ほんまにごめんなさい⋯。許してほしいわけじゃないけど、ごめんなさい⋯」

 しばらくその状態が続き、知華は二人の謝罪姿を見つめた。


ごめんな


 この言葉で知華が思い返すのは、一つしかなかった。

「あたしな、二人から言われる『ごめんな』が嫌いやった。介護しとる時、よく言っとったじゃろ?あれ、言われるたんびに、『頑張って』って言われとるみたいで⋯。直接そう言われたほうが、まだましやったかもしれん」

 父は静かに頭を上げる。

 変わらず真っ直ぐに、知華を見ていた。

「お前を追い込んどるのは分かっとった。まだ十四歳じゃったし、受験の時も、学校行事ん時も⋯背負わせた。顔をみるたんび、お前の表情が暗くなっとったことも、気づいとった。お前の時間を奪って、気持ちもボロボロにして⋯。本当に、申し訳なかった――」

 そこまで話すと父は言葉を切り、もう一度頭を下げた。

 数秒黙り、静かに息を吐ききった後、再び話し始めた。

「父さんも、やろうとはしたんじゃ。知華の働きからしたら、やったとは到底、言えん程度のことじゃけどな。⋯じゃけど、できんかった。介護の経験がないから、いうわけじゃない」

 母がチラッと父を見た。

 硬い表情をしている。

「母が怖かったんじゃ。こんな事を言うんは⋯信じられんかも知れんけどな。父さんが見て、思ったことなんよ。長い話になるが、聞いてほしい」

 心の内をぶちまけて涙も止まりつつあった知華は、父の意外な言葉に驚いた。


 祖母が怖かった?

 知華が知る限り、祖母は優しくいつもニコニコしている人だった。


 困惑する知華を置いて、父は話し始めた。

「最初は、幼稚園位の時じゃった。母とおる時、ある青年が挨拶に来た。道端でばったり会った感じじゃった。軽く雑談をして、知り合いなんじゃろう、と思った。その青年の目が異様に光って見えて、怖かったのを覚えとる」

 いきなり幼少期の話になり、ただ呆然と話を聞いていた。


 父は淡々と話を続ける。

 その目は遠い記憶をたどっているようだった。

「次に会ったのが中学生ん時じゃった。運動会の帰りにスーパーに寄った時じゃけ、よう覚えとる。またあの時の青年に会った。幼稚園の頃会った時と、年齢も姿も全然変わっとらんかったけ、違和感があった。また母と話し始めてな、少し後ろでそれを見とったんじゃけど⋯。気づいたんよ。こいつ、瞬きせんな、って。気になってじっとそいつの目をみとったら、今度は左右の目玉が違う動きをするんじゃ。ぐるぐるっと…。父さん、固まってしもうてな。そしたらその青年に凝視しとるの、気づかれた。そんでな、言われたんじゃ、『分かったか』って」

 その時のことを思い出したのか、父は青い顔をしているように見えた。

 恐怖心を追い出すように、ふーっと息を吐き、続ける。

「直感で、思った。人間じゃないと。父さんに気付かれた後も青年と母は少し話をした。それから別れた。何にもされんかったけど、逆にそれが怖かった。あんな奴と知り合いの母が少し怖くなった。じゃけど、それから青年を見ることはなかった。一回もな。父さんも母も、特に変わらず生活しとった。じゃから、安心しとった。そんな事があった事も忘れかけとった頃、母がおかしくなった」

 眉間に皺を寄せ、その時を思い出すのも嫌そうに続ける。

「精神的に、言うわけじゃない。見た目がおかしい時があった。首を何回も不自然に傾けたり、片目だけそっぽを向いたり、野菜を切りながら頭を上下に動かしたり。異様やった。じゃけど、母にその自覚は全く無かった。指摘しても『何言よん』て、笑っとった。そっから、母が恐ろしゅうなった。父がそれに気づいとったか、分からん。家にあんまり居らんかったし、父さんと元々仲がようなかったんじゃ。そんな家に居るのが嫌で、十八で一人暮らしをした。ほとんど実家には帰らんと、まともに会ったんは母さんと結婚した時と、父の葬式ん時くらいじゃ。そんで、しばらく一人暮らしをしとった母から突然電話があった。病気になったから一緒に医者の話を聞いてほしい、言うて。そっからは知華も知っとるじゃろ。癌で、治療してもあんまり効果は無かった。このまま病院におるか、自宅に帰るか医者から選択を迫られた時、父さん思ったんじゃ。このままじゃと、えらい親不孝な息子になるって。父の死に目にも合わず、母まで同じようにするんか、て。ずっと背を向けてきた母に罪悪感があった。じゃから、同居した」

 そこまで話すと父はもう一度知華を見た。

「でも、世話ができんかった。父さんが思っとる以上に、母のあの異様な姿がトラウマになっとった。母の部屋に入るのが怖くて、いつも扉の前に立つと体が止まった。そんで、知華に押しつけるような形になった。四年間も。全部父さんの罪悪感やら、トラウマから起こったことなんよ」

 父は背筋を伸ばし、これまでで一番深く知華に頭を下げた。

「すまん、こんな情けない父さんで、すまん……」

 知華は謝罪する父を初めてみた。


 これまでの四年間に対する謝罪に満悦するよりも、弁明の内容に呆然とした。

 何も知らなければ、意味不明な内容に怒っていたかもしれない。

 しかし、知華は怪異に遭遇したことがあるのだ。

 話に出てきた青年はオマモリサマだと確信した。

 やはり父は会ったことがあるのだ。


 無言でいる娘、頭下げている夫を見て、母も戸惑いつつ話し出した。

「お母さんも、何回か見たことあるんよ。おばあちゃんのそういう姿」

 知華は驚いて母を見た。

 当時のことを思い出しているのか、おどおどと下を向き、指が落ち着きなく動いている。

 不安になっている時の母の癖だ。

「お嫁に来て、何度か様子を見に行った時とか、和輝と知華が産まれて、二人と会わせてた時とか。⋯最初は気のせいかと思ったんよ。育児と家事で疲れとるんじゃろうな、と思った。でもな、小さかった和輝が『おばあちゃんのお顔、たまに変よな』って言い出して、あたしだけじゃないんや、和輝にも見えとるって」

 母は自身の腕を抱いて、服をぎゅっと握った。

 恐怖で顔が真っ青だった。

「もともとホラーとか母さん苦手やし。お父さんに言うか悩んだけど、あんまにも怖くて話したんよ。そうしたら、全部話してくれた。そんで、子どもらには言わんでおこうって二人で決めたんよ。和輝は小さかったけ、あんまり覚えとらんと思うし、そうしようって」

 震える母の肩に父がそっと手を置き、背中をさすった。

 優しく愛情ある手の動きだった。

「じゃから、二人とも介護ができんかった。部屋にすら入れんかった」

 母の言葉を繋ぐように、父が言った。

「じゃけど、知華からしたら言い訳にしか聞こえんわな。お前に声も言葉もかけん、説明もせんかった理由にはならん」

 そうやね、と母も言った。

 知華は納得いかない点があった。

 そもそも四年間も傍にいて、そんな祖母の姿は一度も見たことがなかったのだ。

「あたし介護しとる時、そんな姿見たことないよ?ヘルパーさんも看護師さんも、そんな事言ってなかったし」

 知華の知る限り、介護をしていた時の祖母に違和感は何もなかった。

 目覚めている時間が少なくなって、違和感に気がつく事が出来なかったのだろうか?

「体が弱って、そんな事出来んかったんかもな」

 長く話したせいか、父は疲れたように見えた。

 その様子を見た母が続ける。

「こんな事、信じんじゃろ、普通。周りに言えるわけもないし。世間から見れば、酷く冷たい人達に見えとると思う。それも仕方ないけどな。でも、どうしても出来んかった。おばあちゃんの顔を、姿を、見れんかった。知華に話す事も出来んかった。おばあちゃん好きやったやろ?小さい頃からおばあちゃんに会うの楽しみにしとったもんな。知華にとっては優しい大好きなおばあちゃんのままでいさせてあげたかった。じゃけ、話せんかった」

 そこまで話すと、母はまた目に涙を浮かべた。

「ずっと一人にしてごめんな。何にもせんで、話もせんで。辛かったし、寂しかったんよな」

 母が涙を拭う姿を見ながら、知華はここ数ヶ月のことが頭をよぎった。

 異形な者たちを沢山見てきた。

 時には襲われたし、危ない目にもあった。

 だから両親の恐怖で足がすくむ気持ちがよく分かった。

(そうよな、怖いものは怖いもんな)

 そう思うと、ひどく心にストンと収まった。

「分かった。二人とも色々見たから怖かったんよな。納得したわ」

 知華があっさりと受け入れたので、二人は驚いたようだった。

「父さん達の話、信じるんか?」

「だって、二人とも冗談言うタイプじゃないやろ?こんな真剣な話しとる時に、嘘とか言わんと思うし。お父さん達が話しとる姿見とったら、本当の事話しとるって分かるよ。家族やもん」

 呆気にとられて両親は知華を見た。

 そして少し笑いながら

「そうじゃな、家族やもんな⋯」

と呟いた。

 母はまだ涙を拭っていたが、微笑んでいた。

 久々に見る二人の笑顔だった。


 全員が思いの丈を話し、部屋の雰囲気が軽くなったのが分かる。

 家の中に温かみを感じるのは、随分と久しぶりだった。

「沢山泣いたし喋ったから、喉乾いたな。ご飯の前じゃけど、お茶飲もう」

 母がそう言うと台所に向かう。

「あたしキャラメルラテがいい」

 知華はそうリクエストしながら、母の後を追って立ち上がった。


 二人の背中を見つつ、父は唇をほころばせた。

 久々に明るい声で話す二人を見たと。



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