安③
翌日の夜。
神戸の一軒家で仕事を終えた安と紅野は、依頼人の家を出た所だった。
比較的穏便に解決出来る事案であったので、安一人で対処できた。
紅野は見守っていただけだ。
安の実力から言うと一人で対応出来るものの方が多いのだが、いかせん未成年のため保護者として紅野や宇田が付き添うのが通例となっていた。
依頼人は安が対応すると言わられると、皆いい顔をしない。
見習いが来たと、渋られる事の方が多かった。
上手く対処しても、後日『本当に大丈夫か』と確認の電話や訪問を希望される事も珍しくなかった。
今回も似たようなもので、依頼人の妻は紅野が対応すると思っていたので、あからさまにがっかりした。
夫の方はこういった事柄に懐疑的なようで、不審がられた。
報酬は効果を確認してからの後払いと説明を受けたので、一応納得して除霊を受けてもらえた。
紅野は依頼人と話し終わると、安の傍に来て駅までの道を一緒に歩き出した。
電車がまだあるので帰宅することも可能だったが、安を気遣って宿泊するのが常だった。
何を話すわけでもなく、歩きながら周りの景色を見る。
すっかり暗くなった住宅街からは、団欒を楽しむ声やお風呂に入っている湯気が感じられた。
安は街灯や住宅から漏れ出る明かりを頼りに、紅野の表情を見やった。
その表情から、先ほどの除霊の対応に問題が無かったことを察し、安堵した。
何か苦言があればもっとニコニコとしながら指摘が始まるので、仕事の後の紅野の笑顔はいつも怖いのだ。
本日はただ道の先を見ているだけで、静かな顔だった。
「安ちゃん、お疲れ様やで〜」
佐藤さんが二人の前をふよふよと漂いながら労いの言葉を送ったが、何とも緊張感がない。
除霊中、佐藤さんはもっぱら周囲の警戒をしているが、本日は紅野がいるためその必要もなく、依頼人が飼っている犬と金魚と戯れていた。
動物は霊が見えることが多いので、視線が合い嬉しくなるのだそうだ。
「佐藤さん、今日は楽しそうやったな」
「あのワンちゃん、ワシの動きに合わせて顔が動くんよ〜。全然吠えんし、かわえかった〜」
上機嫌でくるくるとダンスのように回っている。
空中でよくそんな動きが出来るものだと、少し感心して見ていると、紅野が提案をしてきた。
「安、今夜は遅くなったけ、この辺りで夕食をとろう」
紅野が少し先の大通りにある店を指した。
幾つか飲食店の看板が光っている。
「何が食べたい?」
「じゃぁ、お刺身がいいです」
紅野は頷くと、日本料理屋を目指して歩き出した。
車通りが多くなってきたので、横を通るたびに風が吹き安の髪をなびかせた。
木枯らしと合わさり、より寒さを感じる。
「今日はどうやった?」
紅野は大まかな表現に留めているが、安に気づいたことや反省点があるか、と聞いているのだ。
「そうですね。今日は悪霊の除霊になったので、だいぶ疲れました。奥さんの方に入り込んで暴れた時は、抑えられるか心配でしたけど」
たまに霊が抵抗して依頼人に憑き、暴れることがある。
男手があっても大変になるため、馬乗りで押さえ込む事も珍しくなかった。
しかし、今回はそこまで抵抗されなかったので穏便に済んだほうだった。
「今回は何とか一人で抑え込めたな。素早くお神酒を手に取れたのが良かった。そもそも、なんで悪霊があの家族に憑いたかは、分かったか?」
安はあの家族を思い出す。
話を聞く限りの推察と、実際に話した印象から結論を出してみた。
「家族関係が良くなかったせい、ですかね?もともと会話が少ない夫婦だったみたいですし…。息子さんが独立してから余計に会話が減って、お互いの気持ちがすれ違う様になった事で、心に隙が生まれたんだと思います。奥さんは小さな事も不安になったりする性分みたいですし、旦那さんは短気で無口。何も話さない旦那さんの機嫌を伺いながらの生活が、負担だったんでしょう」
もともとは夫の方に憑いていた悪霊だったが、精神的にも弱い奥さんが家にいたので、そこに乗り換えられたのだ。
妻の豹変ぶりに驚愕していた夫は唖然とし、隅っこで震えていた。
数時間に及ぶ除霊が終わってからは、ぐったりとした妻を気遣いソファーに寝かせ、水を運んだり汗を拭ったりと甲斐甲斐しく世話をしていた。
夫婦らしい愛情が感じられる場面だった。
「今日を期に、少し会話が増えるといいんですけど」
別れ際、夫婦で肩を抱き合い礼を言っていた姿を思い起こす。
「心の隙は誰にでもある。つけ込まれない精神力が必要なだけじゃ」
店に到着し、温かい店内に入る。
にこやかに迎えた店員の案内で、ボックス席につく。
平日の夜なので家族連れは少なく、年配の女性や夫婦の姿がちらほら見えた。
被っていた帽子をゆっくりと取り、自分の横に置きながら紅野は続ける。
「知華さんの一件に、何か役立てそうか?」
安は返答に困った。
家族の不仲
言葉足らず
気持ちのすれ違い
心の隙
知華の家族にも全て当てはまる。
しかし、決定的な違いは助けを求めていない事だ。
今回は依頼があった。
明確な救済サインだ。
話も切出しやすいし、受け入れも早い。
(せめて、助けを求めてくれれば)
しかし、知華は穢が常に付いていることさえ知らないのだ。
きっと佐藤さんからの情報で、紅野は知華の穢の原因を突き止めている。
だから今回の依頼を安に任せた。
正直に言うと、今回の事例は他の人見習い弟子でも良いものだった。
悪霊払いと言っても、紅野のサポートがあれば修行として申し分ない経験が出来たはずだ。
紅野はメニュー表を見ながら、思案を続ける弟子の返答を待った。
佐藤さんからは知華達の件の他に、安がもう一歩踏み出せないだろうから、背中を押してやって欲しいと頼まれていた。
誰であろう紅野の言葉なら、きっと効果があるから、と。
(全く、安は良縁に恵まれている)
佐藤さん、知華、香西、何より修行の許可をくれた両親。
全て安が霊媒師としてやっていけるように結ばれた縁だ。
安は素直になれない。
それに一人で解決しようとするクセがついている。前者はもともとの性格だが、後者には明確な原因があった。
わずか十五歳でこの仕事を選んだ。
現場では一人で判断を下すことが多いので、それを徹底的にたたき込んだ。
そうしなければ依頼人はおろか、安自身の身も守れない。
それがすっかりクセづいてしまい、こういった時にも相談しない傾向になってしまったのだ。
安がようやっと熟考を終え、顔を上げた。
口を開こうとしているのが分かり、紅野は意識を現実に戻した。
「共通点は多くあります。でも、知華は穢の事を知りません。気づいていないんです。だから、助けを求めてもこない。このままじゃ、堂々巡りです。きっと、また何かに憑かれてしまう。……でも、話をするきっかけが見つかりません」
(なる程。やっと全てをさらけ出せて付き合える友人が出来、臆病になっとるんか)
知華も香西も貴重で大切な友人。
だから尻込みしてしまっている。
紅野はメニュー表をパタンと閉じた。
「知華さんの気持ちを大切にする気持ちはわかる。じゃけど、伝えたい事は言える時に伝えんとな。手遅れになる前に。妹さんの件と、同じじゃ」
安はハッと紅野を見た。
その目がわずかに潤み、キュッと唇を結んだ。
「……はい」
安にとっての古傷を、あえて突いた。
ここまで言わないと、安はきっと動けない。
「すぐにとは言わん。じゃけど、出来るだけ早く、な」
差し出されたメニューを受け取りながら、安は頷いた。




