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クリカゲ  作者: 栢瀬 柚花
30/49

安①

 


 霊道を封鎖して二日後。


 安は紅野のもとへ来ていた。


 県北の山はすでに紅葉が始まっており、赤や黄色に染まり出した景色は美しかった。

 落ち葉も増え、境内はすっかり秋に染まっていた。

 この二日は体力と霊力回復に努めた。


 実はもう少し早く訪れたかったが、紅野がそれを許さなかった。

 禊の意味も込めて、自宅で精進潔斎するよう申し渡されていたので、外出するのも二日ぶりだった。


 実は、オマモリサマと対峙して以降も神社へは訪れていなかった。

 高熱が出た事もあるが、封鎖作業のための体力を残しておくよう何度も言われ、渋々従ったのだ。

 霊道封鎖の指示は、全て電話で受けていた。


 境内に入り、社務所に寄った。

 馴染みの巫女がいたので一言挨拶し、紅野へ帰還の知らせをして欲しいと伝えた。


 同行していた佐藤さんには、境内で自由に過ごしてもらうことにし、安は神社の本堂に入る。


 鎮座する仏像の前に座布団を敷き、居住まいを正す。


 安はここの空気が好きだった。

 目を閉じると、木々の音や鳥の声しか聞こえず、自然に無心になれる。

 自分の体を透明にし、空気の様に一体になる感覚で満たされる。

 そうなると、いつも無意識に読経していた。

 この時間は好きで、気がつけば何時間も座っていることがしょっちゅうだった。

 この日は紅野との約束とあったので控えめにしようと思っていたが、結局一時間は行っていた。


 目を開けると、隣にはいつの間にか紅野が座っており、安の御経を静かに聞いていた。

「大分心を落ち着けて読めるようになったね。いい声だ」

 穏やかに声をかけられる。


 電話ではよく話していたが、直に会うのは知華達を連れてきた時以来だ。

 安は仏像から紅野に体の向きを変え、お辞儀をした。

「只今戻りました」

 深々と頭を下げる弟子に、紅野は頷き「よくやった」

 と一言褒めた。

「宇田くんから報告は聞いている。あの二人を守りつつ、霊道封鎖も除霊も一人でしたんだろう?さぞ疲れたろう」

 頭を上げると、優しく目尻を下げた師の顔があった。

 労ってくれているのが伝わる。

「はい。ごっそり持っていかれました」

 霊道封鎖と悪霊になりかけた少女の除霊は、安の霊力と体力をごっそりと奪っていた。 

「精進潔斎して、良かったろう?」

「……はい」

 自分の体力を過信していた。

 ここまで持っていかれるとは考えておらず、状況を過小評価していたことを反省した。


 霊媒師にとって、状況判断は重要だ。


 除霊に必要な物は多々あり、それが足りなければ祓えない。

 霊の強さ、人数、除霊か供養かの違い、依頼人に必要な対策グッズ等々。


 一度祓えたと思っても、足りない部分があればまた霊が戻ってくることもあるのだ。


 安は他の弟子よりも場数だけはこなしている。

 それは自他ともに認める所だ。

 そのため準備物や体力計算も、ある程度できるようになったと、少し自信がついてきた所だった。


 しかし、今回の霊道封鎖は予想を大きく外れた。

 事前に紅野に相談していなければ何もかも足りず、霊道封鎖どころか、知華達の身の安全も確保出来なかっただろう。


 いつも紅野は先にいる。

 状況を見据え、先読みし、指示をくれる。

現場を見なくてもそれが出来るのだ。


(あたしはいっつも足りない事ばっかりで、反省するだけ)

 しゅんとしょげている弟子を見て、強く反省しているのが分かった紅野は、内心その成長を喜んでいた。 


(よくもこの二年足らずで、よくここまで出来るようになったものだ。どの弟子よりも成長と吸収が早い)

 

反省真っ只中の安に言っても、励ましとしか捉えないだろうと分かっていたので、その言葉は胸に留めた。

 紅野は優しく言葉を続ける。 

「安、暗い顔をするんじゃないよ。反省も大事だが、今回は自分で判断出来た事も多かったろう。場数をこなすだけじゃ出来ない事が見えたはずだ。それは安にとっての財産になる。自分を誇りなさい」

「はい」

 返事とは裏腹に、表情は暗い。


 今はこのままでいいと思い、紅野は話題を変えることにした。

「それで、もう一度始めから話してくれるか。霊道を穿った青年について」

 その言葉を聞き、安の顔が引き締まった。

 今日訪れたのは、霊道封鎖の報告ためだけではない。

 むしろ、こっちが本題だ。


 安は改めてオマモリサマについて話した。

 知華達と顔見知りだった青年。

 知華にとっては祖母の代からの知り合い。

 人ではなく、霊感のない者にもその姿は見える。

 少なくとも百年は生きており、霊道を穿ったり、魂を抜いたりする力がある。

 また安の力量を見抜き、穢で弱体化させるだけでなく、紅野が作ったブレスレットにヒビを入れるほどの妖力がある。

 自分で話していても、恐ろしさを感じる相手だ。 


 紅野を見ると、難しい顔で考え込んでいた。

 こんな顔は見たことがなかった。

「到底、人ではないし、霊でもないな」

「お師匠、こんな怪異、今まで遭遇した事ありますか?」

 紅野は記憶をたぐる。 


 まだ修行時代だった頃、不自然な青年に出会ったことがあった。

 異様な雰囲気を持つ青年で、おおよそ人間とは思えなかった。

 しかし周りの人間には見えており、買い物をしたり会話をしたりもしていた。


 どうにも気になり、紅野は師に尋ねたことがあった。

 しかし師は「あれに関わるな。飛ばされるぞ」としか教えてくれなかった。

 口ぶりから察するに何か知っていたようだが、遂に何も聞けずじまいだった。

 他の兄弟子たちとも話の話題に上ったことがあったが、紅野と同じく、青年を知る者はいなかった。


 あの当時の青年と同一人物だろうか。

 安から聞く能力が本当であれば、かなり手強いと思われた。


「思い当たる者が、一人だけいる」

 回想から浮上し、安にそれだけ答える。

 師である自分が迷えば、弟子は動けなくなってしまう。

 憶測は話さないほうがいいだろう。

「だが、同一人物かは分からん。佐藤さんはその怪異と遭遇した時、何か言っていかい?」

「あれは駄目だって。死ぬぞって」

 あの佐藤さんがそこまで警戒する相手。

 安では到底敵わない、と言うことだろう。 


 安は弟子たちの中でも、悪霊退治の腕は紅野の折り紙付きだ。

 あとは経験を重ね、その技術に肉付けしていけば、どこに出しても申し分ない能力者になるだろう。


 しかしその安でも対抗できないとなると、本当に厄介だ。

「そうか。彼がそこまで言う相手か」

 まだ情報が少ない。

 厄介者を相手にするには不利すぎる。

「まだ不明瞭なことが多すぎる。知華さんと香西くんの近くに現れる事が多いなら、彼らから目を離さない方がいいだろう」

「はい」

 安を見ると、やや不満顔だ。

 情報のために友人を見張っているようで、嫌なのだろう。

(全く、思っていることがすぐに顔に出るのは昔から変わらんな)


 本格的な修行を始めて二年ばかりだが、その成長を見てきた。弟子と思う以上に、孫の様な心持ちが芽生えていた。

「二人は安にとって大事な、それもこの仕事を理解してくれている貴重な友人だ。知華さんの魂が狙われているなら尚の事、警戒しなくてはな」

 そう言われると、安の目に力が入った。

「怪異が相手ならば、安の力の見せ所だ。存分に協力してあげなさい」

 安は紅野の目を見て、しっかりと頷いた。


 大事な話は終わった。


 空気を変えるため、紅野は膝をぱんと打った。

「さて、安。明日から神戸にいくぞ」

 紅野は修行に安を同行させる時、いつも唐突に知らせる。

 短時間で情報を整理し、準備を考えて物を揃えるのも仕事だからだ。


 最初は戸惑っていたが、ここまでの経験を重ねると慣れるというものだ。

「分かりました。何時に立ちますか」

「朝六時だ。神社下の駐車場に来なさい」

 頷く変わりに、深々と頭を下げた。



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