約束
三人は立ち上がり、服をはたいて汚れを落とす。
気がつけばそれぞれ怪我をしており、今さら痛みを感じた。それに、地面に座っていたせいで体も冷えた。
「まずは手当てして、温かいもの飲んでから動こう」
宇田が提案し、鞄を置いてある場所まで全員で戻った。
救急箱から消毒液や絆創膏を取り出し、それぞれ手当てを受ける。
幸いにもかすり傷ばかりだったが、知華と香西はせっかく治った傷がまた増えてしまった。
「突き飛ばしてごめんな。また絆創膏、増えてしもうた」
知華が香西の手当てをした。
申し訳なさそうな顔に、香西は気にしてないと返す。
「こんな傷、いつものことじゃけ。知華もあんまり傷増やしたらいけんで。ご両親心配するで」
両親と聞いて、少し顔が曇る。
「……そう、なんかな」
「当たり前やろ。一人娘じゃろ?年ごろの娘がしょっちゅう傷作ってどうするん」
随分年配の人のセリフに思えて、知華はおもわず笑った。
「お兄ちゃんでもそんな事言わんよ」
やっと笑った知華を見て、そうか?と香西も薄く笑った。
和やかな雰囲気の二人に、宇田に手当てしてもらっていた安が口を挟む。
「なぁ、所でいつの間に香西は知華を名前で呼ぶようになっとん?」
ピタッと香西の動きが止まる。
自覚が無かった当の知華は、そういえば……と気がついた。
余りにも自然で、言われるまで何も思わなかった。
「……まあ、成り行きで?」
ふーんと安は意味深な視線を向け続けている。
別の意味で緊張している香西は、自分の指が熱い事に気がついて余計体温が上がった。
彼自身は気づいていないだろうが、耳まで真っ赤だ。
安は(結構分かりやすい奴なんよな)と思いながらも、何も言わなかった。
「ま、知華がええなら、いいんとちゃう?」
当の知華はと言えば、平然としている。
「あたしは大丈夫よ」
「あ、ああ。そうか……」
少し嬉しそうな笑みで、ぎこちなく返事を返した。
(これは脈なしなんか、知華が全く気づいていないんか)
二人の関係がどうなるのか、傍で見て楽しもうと安は心の中でニヤついた。
それから宇田が自販機で購入したホットドリンクを奢ってくれた。
安は
「香西には必要ないんじゃない?すでに暑そうやし」とちゃちゃをいれた。
佐藤さんが「安ちゃん、ヤキモチ?」とニヤついたので、危うく祓われそうになった。
佐藤さんは慌てて宇田の背中に隠れ、知華に助けを求めていたが、その表情が何とも面白く、場が大分和んだ。
その後宇田の指示の元、片付けに入る。
途中、あのぬいぐるみを発見したので安に渡した。
もう手にしても大丈夫だが、紅野の神社でお焚き上げをすると、袋に詰められた。
結局、これがあの女の子の物なのかは定かではないが、着ていた制服からすると年代が合わないので、勝手に気に入ったものかもしれないとの見解になった。
霊道が閉じた後は、あの人間らしからぬ霊達は見かけなかった。
やじ馬霊がこちらの様子を伺っているだけで、遠くでコソコソと井戸端会議をしている主婦霊が数人いる程度だ。
全ての荷物をまとめると結界を解き、三角コーンや看板を軽トラックに詰め込んだ。
これで運んできたらしい。
作業が一段落した頃には、二十二時を回っていた。
「二人とも、ご両親に怒られない?僕が言行って謝罪しようか?」
宇田が気にして言ってくれたが、二人とも大丈夫と断った。
宇田が運転席に乗り込み、いよいよ解散と言う時、香西が知華と安に声をかけた。
「あんさ、今度このメンバーで秋祭り行かんか?」
香西が明るい口調で、急に提案した。
「悪霊退治や霊道封鎖の功労会、みたいな。文化祭とかお師匠さん所行ったりでバタバタしたから、言い出せんかったんじゃけど」
照れているのか、頭をかいている。
「功労してないやん、あんた」
「必死に体張ったじゃろ!」
すかさず言葉を返すその速さ。
もはや漫才の様に見えてきた知華は、二人のやり取りにすくっと笑った。
それに救われたのか、香西は改めて女子二人を見た。
「学校とか関係ない場所でやりたかったんじゃ。隣町の祭りやし、知っとる奴にも会わんと思う」
「ええよ」「行きたい」とそれぞれ返事をした。
日時を確認し、詳細はメッセージでやり取りしようと話し合い、全員は別れた。
知華は香西に家の近くまで送ってもらい、玄関のドアを開けた。
まだ起きていた両親は、リビングにいた。
娘の遅い帰宅にいい顔をしなかった。
「随分と遅かったな」
父がしかめっ面をした。
「ごめんなさい……」
二人とも私服のままで、風呂にも入らず待っていたことが分かった。
「ちゃんとメッセージくれてたけど、こんなに遅くなるとは思ってなかったんよ」
母が知華の元に来て、怪我がないか確認した。
視線が絆創膏に目が留まる。
「また怪我したん?」
母が触ろうとしたので、思わず体が強張った。
それを察知した母は、伸ばした手を引っ込めた。
少し気まずい沈黙が流れる。
知華は何気に台所を見た。洗われた食器がない。
テーブルに目をやると、箸や茶わんが食事前の状態で伏せられていた。
「もしかして、二人ともご飯食べてないん?」
驚いた知華に、父はボソっと言った。
「娘が帰ってこのに、のんびり食ってられんわ」
知華は意外に思った。
家族団欒で食事をするなどの家庭ルールはなかったので、こだわりは無いのだと思っていた。
「怪我は大したこと、ないんか?」
父が気遣わしげな視線で絆創膏を見た。
知華が頷く。
「ごはん、まだ食べてない?」
母の言葉に、また頷く。
「じゃあ、遅いけど食べよう」
母がいそいそと準備を始めた。
知華は手を洗うため洗面台に移動する。
家の雰囲気が変わりつつある。
両親が近づこうとしているのは明らかだ。
これまでの親子の距離を縮めるために。
しかし、知華には準備が出来ていない。
現実と心の距離が追いつかない。
嬉しいというより、戸惑いの方が大きかった。
久しく言葉を交わして来なかったこの四年が、重く知華の心にのしかかった。




