見えんから②
鍋のような物の隣に置かれたロウソクに、火が灯される。
安が宇田と同じタスキをかけ、水を一口飲んだ。一呼吸入れると姿勢を正し、柏手を打つ。
いよいよお祓いが始まった。
香西と知華は後ろの方で見守る。
宇田は二人の少し前に控えている。
佐藤さんもどうやら近くにいるようで、時々知華が話しかけていた。
御経が始まり安の声が響く。とても静寂に満ち、空気の変化も感じない。
十分ほどそれが続くと、痺れが切れて知華に尋ねた。
「霊たち、どんな?集まったりしとん?」
小声なので、知華が顔を近づけて教えてくれた。
「いや、特に何にも。立ち入り禁止にした外から見とる人が何人かおるけど、やじ馬って感じ。しつこかった三人もおらん」
これは嵐の前の静けさ、ではなかろうか。
知華も同じ様に考えているようで、不安そうだ。
さらに二十分が過ぎただろうか。ようやく変化があった。
知華によると、霊道の穴が小さくなってきたらしい。
「内側に吸い込まれるみたいに、急に動き出した。どんどん小さくなっとるよ。うわっ、何か穴の中から顔が……覗いとる。気持ち悪……」
複数の顔がこちらに出ようと、もごもごと蠢いているらしい。
集団恐怖症の人は、見てはいけない状態と言われた。
知華の恐怖というよりも嫌悪の表情を見て、どんなのもか想像出来た。
そこから更に一時間。
時間の経過とともに穴は小さく縮小し、やがて消えたらしい。
空気が軽くなり、どんよりとした雰囲気が無くなったと、知華は教えてくれた。
香西も道が明るくなったような気がした。
街灯の明かりのせいだけではないだろう。
「これで、終わりなんか?」
思った以上にアッサリ終了し、拍子抜けした。
「えっ、そうなん?……うん。……うん。分かった」
佐藤さんから何か言われた知華が教えてくれる。
「とりあえず霊道は無事に閉じれたって。でも戻っていかなかった霊が複数おるから、それを探さんといけんみたい。あの三人は確実にまだおるよって、佐藤さんが言っとる。封鎖した道のどこかに気配殺して潜んどるらしいから、これから捜索するって。危ないから安ちゃんから離れんようにってさ」
何とも恐ろしい状況になった。
服の上から御守りを握りしめる。
知華の方は落ち着いており、躊躇することなく霊媒師二人の方へ行ってしまった。捜索に参加するらしい。
自分だけたがビクついているようで、情けなくなる。
仕方ないと分かっていても、自分の気持ちに嘘はつけない。
気を取り直して、香西は三人と距離が離れすぎないよう、着いていく。背中を見失わないよう、けれど邪魔にならないように。
三人は閉鎖された二十五メートル程の道を見渡している。
街灯が照らす範囲は狭く、視界は悪い。
懐中電灯は宇田が持っている一個だけで、効率は良くなさそうだった。
ゆっくりと歩き左右を見て回っていると、知華が何かに気づき、ゴミステーションの方を指さした。
懐中電灯の光がステーションをチラチラと照らす。
霊媒師二人はそこへ歩いていった。
ステーションの左横に立つと、何やら話しかけている。
暗がりが広がるばかりだが、そこに何かいるのだろうと思うと自然に鳥肌が立った。
知華が邪魔にならないよう、香西の元まで戻ってきた。
「あそこにお婆さんがおる。小さく蹲って《うずくまって》、安ちゃんを見とるよ」
知華が実況してくれると、状況が分かって助かった。
距離があるので、会話の内容までは分からないそうだ。
暫く話すと、安は宇田に代わった。どうやら供養するようだ。
宇田が姿勢を低くし、お香を焚く。
そして御経を読む仕草をしている。
安は暫く見ていたが、暴れることもなく進行できそうと判断したのか、そこを宇田に任せ、別の場所を見回り始めた。
宇田の懐中電灯を持ち、一人で道を進んでいく。
その少し後ろを、香西と知華が続く。
懐中電灯の丸い光が上から下へ動き、家や塀を照らす。
ふと家の敷地内にある木に光を当てると、そのままじっと見て、安が足を止めた。
そして何やら話しかけている。
先ほどより距離が近いので、かすかに声が聞こえる。
それによると、木の枝に逆さに何かぶら下がっているらしい。
危害を加えないとか、手を出さないなど、安の口から不穏な言葉が聞こえる。
「安ちゃんがサラリーマン風の男の人を説得しとる。仕事関係で恨んでる人がおるみたい。でもその人は見つからんくて、似てる人を探して痛い目に合わせるって言っとる。そんな事するなら強制的におくるって、安ちゃんが説明しとるよ」
安は長々と男性と話した。
なかなか話が通じないらしく、堂々巡りのように同じ説明が繰り返されているらしい。
いつも短気な安が、よくもまぁこんなに長く説得を続けられるな、と香西は思った。
十五分程の説得の後、何とか話がまとまったらしく、安が宇田を呼んでほしい、と言ってきた。
知華が道を戻り、宇田を連れて帰ってくる。
お婆さんの供養を終えた宇田は安のもとへ行き、少し話をする。
供養が始まると、安は二人の方に歩いてきた。その顔には疲労が滲んでおり、顔色も少し悪い。
「結構時間かかったわ、あのサラリーマン。遺恨が深くて、ほっとくと悪霊になりかねんかったわ。霊道なんかあると、憎悪とか憎しみが増すからなぁ。なんとか説得して、供養に納得してくれた」
知華に差し出された水を受け取り、グビグビ飲んでいる。
一気に半分を飲み干すと、また懐中電灯を取り出し「あと一人やな」と捜索に戻ろうとする。
「大丈夫なんか、安井。顔色悪いで」
少し休憩した方がいいのではないか、と声をかけるか悩む。
「平気、とは言わんよ。正直しんどいけど、あと一人おるから。それを何とかした後じゃないと、終われん」
安は自分に喝を入れるように頬をパン、と叩いた。
「大丈夫、事前に清めてきたし、お師匠から言われた物も身につけとる」
佐藤さんが何やら言ったのだろう。宙に向けて返事をした後、知華にブレスレットを渡した。
「これ。新しいブレスレットな。渡しとく」
手の中を見ると、前回のものと組紐の色が違う。
石も紫、透明感のある茶色、白の組み合わせで、一本目より落ち着いた色味になった。玉の大きさも少し大きい。
「少し強化してくれたよ。二つとも付けとってええけど、最初のブレスレットにヒビが入ったら、こっちの新しい物だけ使ってな。前も言ったけど、濁りがある程度ならまだ効果は発揮できるけ」
うん、と頷き、知華は古いブレスレットと同じ腕にそれを付けた。
「残る一人は同世代の女の子、やろ。付きまとわれとったみたいじゃし、一番厄介そうじゃから用心してな」
「分かった」
「宇田兄はさっきの男の人の供養に時間がかかると思うから、あたしら二人で探そ」
「時間かかるて、なんか違いがあるんか?」
「あの人、説得に応じたけど、少なからずの悪行があるんよ。関係ない人に穢振りまいたり、金縛りかけて悪夢を見させたり。体調崩した人もおったはず。じゃから、供養にも時間がかかる。お婆さんのみたいに簡単じゃないんよ」
罪に応じて御経が長くなる、という事だろうか。
かくして、知華と安の二人で女の子を探すことになった。
効率化を図るため、二人は少し距離を開けて散り散りで探し始めた。
とはいっても、目が届く範囲だ。
見えない香西は、その場で見ていることしか出来ない。
女子二人を見守りながら、歯がゆい思いをしていた。
(見える相手なら、向かって行けるのにな)
オマモリサマの時もそうだった。
怪異と知らなかったとは言え、言葉や態度で威嚇出来た。
幸いにも父親譲りの身長があるので、言葉と態度次第で迫力が出る。人間相手ならどうにかなったが、霊相手ではどうしようもない。
(こんな状態で、何の役に立つんやろか……)
以前宇田から言われた言葉が頭をよぎる。
『見えない人が近くにいる事で、救われることもある』
本当にそうだろうか。香西には全くその実感がない。
(今もただ見守る事しか出来んのに……)
今までここまで思い悩む事がなかったので、香西自身も戸惑っていた。
誰かに相談出来るとしたら宇田だ。
これが終わったら、会えるように約束を取り付けよう。
そう結論を出し、何気なく周りを歩いた。
すっかり日が落ち、辺りは暗い。
街灯の光が心もとなく辺りを照らしている。
寒くなってきたので、早く決着が付けばいいのにと考えていると、電柱の近くに落とし物があった。
通学バックなどによく付けてある、ボールチェーンが付いたぬいぐるみだ。
猫なのか熊なのか、動物をモチーフにしたキャラクターだ。
最近人気なのか、クラスの女子がつけていたような気がするが、香西は名前を知らない。
白と青の服を着たそれはにこっと笑っており、可愛らしく見えた。
誰かが落とした事に気づかず、放置されているのだろう。
白い生地は茶色く薄汚れている。
屈んで手に取ると、手のひらに収まる大きさだった。
(電柱にぶら下げておけば、持ち主が気がつくかもしれん)
そう考えて、ボールチェーンをいじっていると、急に声がした。
「香西!!!」
切羽詰まった安のものだったのだ。
血相を変えている。
何事かと思い振り返ろうとした所、知華が凄い勢いで腕を引っ張った。
勢いでぬいぐるみを落とし、地面に激しく倒れた。
「駄目!!!」
知華が香西の背後に向かって怒鳴る。
「こっちにきて!」
言うや否や、香西を置いて知華は安と逆方向に走り出した。
香西は訳がわからず、呆けていた。
「佐藤さん、向こうまで行ったらこっちに引きつけるから!」
安はさっと数珠を取り出し、戦闘態勢に入る。
「香西!そのぬいぐるみに触るな!」
安が知華から目線を外さないまま、語気を強めて言う。
香西は転がったぬいぐるみを見た。
これがトリガーで何か起こったらしい。
自分のせいで、二人が危険に晒されている。
慌てて知華を見ると、通行止めにした結界の端まで来ていた。
追い詰められたのか、まごまごと隅でもたついている。
隙を伺おうとしているようだ。
しかし次の瞬間、背中を押されたのか急に転んだ。
そして足が宙に浮き、ズルズルと結界の外に向かって引きずられた。
外に出てしまったら、知華は……
その先を考えるのが恐ろしく、香西は居てもたってもいられず、ぬいぐるみを掴んで叫んだ。
「おい!こっちや!!」
知華の動きがとまった。
足がドサッと地面に落ちたところを見ると、誘導は成功したらしい。
安の方へ向かって走ろうと、体の向きを変えた。
とたん、急に体が重くなった。
インフルエンザで寝込んだ時の様な倦怠感と息苦しさがあった。
「香西!!」
「香西くん!」
二人が同時に叫んだ。
安がこちらにかけてくる。
珍しく焦っていた。
それを見ると、急に怒りが湧いてきた。
自分のものでは無いその感情は沸々と体を巡り、どうしようもなく安を殴りたい衝動に駆られた。
ぎっと安をねみつけ、拳を振り上げる。
思わず両手で顔を覆い身構えた安だったが、拳の衝撃はこなかった。
変わりにどん、と鈍い音がした。
恐る恐る目を開けると、香西が振り上げた拳を、自分の胸に食らわせていた。
衝撃で息を詰まらせながら、香西は自分の中の何者かに向けて言った。
「見くびるなよ。女は殴らん……」
そのまま咳き込み、蹲ってしまった。
安はその隙に香西の背中に回り、御経を唱えながら素早く空で文字を書いた。
そして印を作ると背中にびたっとあて、除霊の御経を唱え始めた。
知華がようやっと追いつき、二人を心配そうに見る。
香西は頭を垂れ、咳をするばかりで動かない。
(あたしが足を掴まれたから……!)
香西が女の子の霊に襲われそうで、思わず体が飛び出していた。
自分の方へ引き付けたはいいが、誘導先を誤って追い詰められ、捕まってしまった。
自分の失態だ。
「大丈夫やで。今、入り込んだ霊を安ちゃんが抑え込んどる。除霊に入ったからこのまま見とき」
佐藤さんが近くに来て説明してくれた。
その頃になって、サラリーマンの供養を終えた宇田が追いつき、知華の横にやって来た。
「ごめんよ、時間がかかって」
安の状況を見て、宇田はすぐに事態を理解したようだ。
お神酒を安に撒き、援護した。
「僕はこんな事しか出来んから」
その後、佐藤さんが宇田に事の次第を説明した。
話を聞き終わると、宇田が感心した様子で言った。
「それにしても、香西くんは強靭な精神を持っとるな」
「どういう事ですか?」
取り憑かれた人を初めて見た知華は、震えている体を何とか抑えて尋ねた。
「憑かれた時、安ちゃんを殴ろうとしたんやろ?霊が除霊を拒んでそうさせたんじゃろうけど、香西くんはそれに歯向かった。体を操られとるのに、凄いわ。普通はそんな事出来ん。みんな自分の意識とは関係なく、喋ったり動かされたりするのに」
そいうものなのか。
確かに、香西の中に女の子が入った後は雰囲気が一変した。
目がいつもの香西ではなく、まるで別人になったようで恐ろしかった。
このまま香西が戻って来なかったらどうしようと、知華は強い不安と焦りを覚えた。
まだ小さく震える知華を、宇田が優しくなだめた。
簡単な落ち着く呪いをかけてもらうと、体がぽかぽかして気持ちが少し落ち着いた。
そのまま三人で除霊を見守った。
数十分御経が続いた後、再び背中に文字を書いて柏手を打った所で終了した。
安は大きく息を吐き出すと、香西の肩をポンポンと叩いた。
「どう?楽になった?」
彼は顔を上げて数回瞬きをすると、体を確かめるように手を動かした。
そして頷く。
その目はいつもの香西で、知華は安堵した。
「よかった……」
体が脱力し、へなへなと地面に座り込んだ。
脱力した知華を見て、安は疲れた笑みを見せた。
「知華もご苦労さん。無事に終わったわ」
うん、と頷き返す。
女子二人が安堵の空気でいる中、香西は一人納得していなかった。
「良くない」
低い声がした。
知華と安が香西を見る。
彼はキッ顔を上げ二人と目が合うと、怒り出した。
「何にもよくないわ、アホ!二人とも、そこに座れ!」
急に叱られぽかんとしていると、もう一度座れ、と地面を指された。
いつになく凄みのある顔に、仕方なく二人は地面に正座する。
香西と女子二人が向かい合う形になった。
「お前ら二人とも、もっと自分を大切にせい!」
バンバンと地面を叩きながら、香西は説教を始めた。
「なんでもっと自分を守るような動きをせんのんか!自分をおとりにするような行動をするな!」
香西もやっていたはずだが、それは棚に上げているのか。
二人ともそう思ったが、口には出さず反論した。
「だって、香西くんがぬいぐるみ持っちゃったから……。あれで女の子怒って、急に襲おうとしたんよ」
「あれがトリガーなんて、知らんわ!見えとるならきちんと教えてくれよ!」
「あたしらだって、知らんかったわ!香西が持った途端に気配がぐわっと強くなったから……。だいたい、何でも触るな!霊が何を大切にしとるかは、分かりにくい。あたしら霊媒師でも近寄らんと分からん。だいたい、あたしは今回、危険な行動しとらんやろ!」
「前回、高熱出したやろ!しかも、全開する前に今日の除霊に臨んどるやないか!」
うっ、と言葉を詰まらせる。
「そんな……仕方ないやん!急いでなんとかせんと、どんどん状況悪くなるんやで。だいたい、今日の香西が一番ないわ!見えんのに結界の中に入って。トリガーの物触るし、憑かれるし!見えん香西が一番分かったやろ、危険やって」
「そんなの、承知の上や!その歳でこんな危険なこと仕事にしとる安井に言われとうない!」
口喧嘩になってしまい、どうしたものかと宇田が考える。
お互いの言い分は最もだが、このままでは心配がおかしな方向にいき、友情にヒビが入りそうだ。
止めようとした時、佐藤さんが意味ありげに視線を送ってきた。
『黙って見てみとき』
安はそんな二人のやり取りには気が付かず、さらに言葉を続ける。
「やっぱり、香西には現場は危険なんよ。見えん人は近寄らん方がええ。聞こえもせんし、感じんし。霊感ないと身が持たんで」
冷静な注意喚起に、香西は黙った。
知華ははらはらしながら二人を見る。
このままでは仲違いしてしまいそうだ。
さらに反論が続くのかと思われたが、予想に反して香西は沈黙した。
そして少し考えたあと、口を開いた。
「そうや、俺には見えんし、聞こえん」
「だったら……」
言いさした安を、香西が止める。
「今日みたいな日は、俺は足手まといや。見えんから、何にも出来んと、まごつく事しかができん。見えんから、二人に危険が迫っとるか分からん。見えんから、余計心配になる。……頼むから、無茶せんとってくれ」
香西らしくない、弱々しい声だった。
下を向いた彼は、言葉を絞り出す様に続けた。
「見える二人が、心配なんよ。俺を巻き込まんように、自分をおとりにするような行動はせんとってくれ。……もっと、自分を労って大切にしてくれ。
……やないと、見てられん……」
最後は震える声だった。
いつもは威勢よく話す香西が、二人に懇願していた。
その肩が震えているような気がして、安は黙り込んだ。
これまで除霊を行う時に傍にいたのは、依頼主と霊媒師の仲間だけだった。
知華は祓えないが、見えるので状況が分かってもらえる。
しかし香西は、どの部分にも当てはまらない立ち位置にいた。
そんな人から見ると、こんなにも心配になるのかと、その姿を見て思う。
震えながら座る香西の姿が、何故か両親と重なった。
(現実には、両親とこんな状況になったこと無いのに……)
友人に言われて、ここまで気持ちが締め付けられるのだ。
これが両親で、こんなにも不安な言葉を投げかけられたら。
仕事を続ける意思が揺らぎそうだと思った。
「ごめん……」
心からの懇願に、安の口からは素直に謝罪の言葉が出た。
「今後はもっと安全な方法を考える」
「あたしも、ごめんなさい。香西くんが危なかったから、つい体が動いて……」
二人から真摯な反省の態度が見て取れ、後ろで静観していた大人二人は安堵した。
香西も鼻をすすると、何も言わず頷いた。
『見えない人が近くにいる事で、救われることもある』
これを予感していたのだろうか。
今日が正解だったとは言えない。香西自身も危険だったし、二人に心配もかけた。
しかしその対価としては、十分な物が得られた。
香西は心のモヤモヤが少し晴れたのを感じた。
「さっさと片付けて、帰ろ」
声の震えに気が付かれないよう、短く言った。




