お師匠
車は舗装された道を外れ、山道へと進んだ。
急な斜面を登り切ると、車が数台停められそうな空き地に着いた。
そこに車を止めると、ここからは徒歩だと言われた。
駐車場の脇に石階段があり、そこを登ると手水場が見える。
水が静かに流れる水面や足元に落ち葉が見えないことから、手入れしているのが分かる。
手水場での手洗い後、更に石階段を登ると灯籠と鳥居が姿を見せた。
敷地は広くないが、山の麓に建てられた神社は自然と一体に存在するかの様に佇み、その姿は威風堂々としている。
こちらも砂利道や地面に落ち葉はなく、灯籠も苔むした様子がない事から丁寧に整えられていることが伺えた。
「こっちが本堂だから、来て」
宇田に促され、立派な建物の方へと足を進める。
社務所の巫女に声を掛けると、宇田とその巫女は少し話をした後、奥へ消えていった。
数分の後、「本堂に行っておいで」と宇田は三人を促す。
安に連れられて本堂の縁側を移動していると、佐藤さんも一緒にいることに気がついた。
「佐藤さん、神社に入っても平気なん?」
神社に幽霊がいるのは、果たしてよいのか。というか、佐藤さんは消えたりしたいのだろうか。
表情から知華の疑問を察した佐藤さんは「大丈夫やで」と答える。
「神社とかお寺さんとかにも入れるよ。成仏とかせんし。逆に清々しい空気で、気持ちええわ」
爽やかな顔で言う姿を見ると、何とも言えない気持ちになった。
ここでも霊のイメージが変わった。
そんな話をしていると、前を歩いていた安が足を止めた。
障子を開けると立派な仏像が立像している。
「ここが本堂。お師匠を呼んでくるから、ここで待っといて」
安と佐藤さんはさらに奥の部屋へと消えていった。
入った事のない空間に残された二人は、緊張して正座していた。
気軽に話す雰囲気でもなく、ただ黙って待っていた。
仏像は木製で、彫られた細かな装飾には見目を見張った。
ここまで間近に仏像を見ることがなかったので、その作りに見入っていると、部屋の隅の障子が静かに開いた。
お爺さんが安を引き連れて入ってきた。
白衣を着て、紫色に白の紋様が入った袴を着ている。足袋がわずかに擦れる音が聞こえるが、歩く所作は美しく静かだった。
お爺さんは二人の前まで来るとにこやかに笑った。
静かに二人の前に正座して、姿勢を正す。祖父がいない知華は好々爺然とした姿に好感を持った。
「遠い所、来てくれてありがとうございます」
すっと二人に頭を下げた。
慌てて「今日はよろしくお願いします」とお辞儀を返す。
安はお爺さんの横に座った。
「私は紅野といいます。この神社で宮司を務めておりまして、安の霊媒師としての師でもあります。お二人は安の事をご存知と伺っております」
紅野は知華と香西をそれぞれ見ながら話す。
「先日、悪霊に襲われた所を安が対応したとか。それからお身体にさわりはありませんか?」
「はい、大丈夫です」
二人同時に答えた。
うんうん、とにこやかな笑顔で紅野は頷く。
「それは良かった」
「お師匠、二人とも緊張するからもう少し砕けて話して下さい。香西くん、ガチガチですよ」
安が香西を見ながら伝えた。
知華が隣を見ると、確かに表情が硬く肩にも手にも力が入っている。
「ほんまやな。そんなに緊張せんでええよ。家でお爺さんと話してると思ってな」
言葉を崩してそう言われ、香西は少し安堵した顔になった。
「家に祖父母がおらんのんで。父親より年上の人と話すこと、あんまりないもんで」
言われてみれば、学校でも教頭や学年主任と話している香西は緊張しているようだった。
なる程、そういう理由だったのかと、知華は納得した。
「君が知華さんやね。何時から見えるんかな?」
「一ヶ月位前です。急に見えるようになりました」
そうか、と言うと紅野は知華をじっと見た。
自分の中の何かを凝視されているような感覚で、落ち着かない。
自然と背筋が伸び、じっと紅野の言葉を待った。
「最近見える様になったにしては、穢が濃いな。安、持っておいで」
そう言われるとすっと立ち上がり、隣の部屋へと消える。
数分もしない後、三方を持ってき出てきた。
紅野の前にそっと置く。
三方の上には、和紙に載せられたブレスレットと御守りが置かれていた。
ブレスレットは安がつけているのと同じ様に、石がぐるりと一周あつらえてある。
紅色、紫、白と赤系統の色で統一された、綺麗なブレスレットだった。
「安から聞いて、知華さんに合うよう石を設え《しつら》えた。御守りは香西くん用やな。見えんでもこの二人と付き合っていくなら、持っておいた方がええ。これから少しお浄めをして、渡すからな」
そう言うと三方を持って仏像の方へ静々と差し出す。
その後、部屋の隅へ移動し安が束帯を渡すとそれを着て、改めて内陣へと三方を持って移動した。
紅野がすっと座り姿勢を正すと、部屋の空気がキリッと引き締まった様で、静室が一層際立った様に感じた。
そして、御経が始まった。
低い声は本堂に深々と響いた。聞いていて心地よさを感じる声だった。
しばらく読み上げた後、紅野は内陣を出て三方を知華達の前に移動させ、ブレスレットを知華に渡した。
「出来るだけ身につけておきなさい。完全に守ってくれる物じゃないが、身代わりにはなってくれるよ」
黒と白を基調にした天然石がきらきら光って綺麗だった。普段から身につけても違和感がなさそうだ。
「ありがとうございます」
知華の目が見惚れるように輝いて、早速手にとり、腕にはめた。
「香西くんには、これを」
両手で受け取った香西はお礼を言い、まじまじと見た。
一見すると普通の御守りに見てたが、何だか温かみを感じる気がして、不思議と安心出来た。
「御守りも出来るだけ身につけた方がええ。首からかけてもええし、ポケットに入れとってもええよ」
「分かりました」
胸ポケットに丁寧に入れる姿を見ながら、紅野は続ける。
「石は少し手入れがいるから、あとでやり方を安から聞くとええ。ほな、これから二人をお祓いするな。前に遭遇した悪霊の残り香を綺麗にするから。長くなるから足が痺れるで。崩しとってええよ」
そこから四十分ほど御経が続いた。
紅野の御経は力強く、しかししなやかで、耳に心地よく響いた。本堂に声が溶け込み、まるで温かな空気のに包まれる感覚がした。
安も一緒に聞いていたが、御経を読み上げる紅野を見る目はどこか誇らしげだ。
最後に柏手を打って終わると、紅野は外陣に向きを変え、改めて二人を見た。
「今日はこれで終わりや。これからも何かあれば安に言うとええ。力になれるはずやから。これからも友人として、安をよろしくな」
深々と頭を下げられる。
改めてお礼を言い、三人は本堂を後にした。
「お師匠さん、優しい人やね。これ、大事にするわ」
知華が手首を見て言う。
手首のブレスレットは午後の太陽にキラキラと光り、とても綺麗だった。
本堂の外に佐藤さんはいた。
思えば堂内で見なかったので、ずっと外にいたようだ。
「佐藤さんは本堂に入れんの?」
近くまで寄ってきた佐藤さんに、知華が聞いてみる。
「入れるよ。でも神聖な場所やし、遠慮しとる。気持ちの問題やな」
脱いでいた靴を履き、来た道を戻っていく。
そのまま社務所を通り過ぎたので、香西が心配そうに安に聞いた。
「御守り、お金払わんでええの?お祓いもしてもらったのに」
「大丈夫よ。香西は律儀やな」
「いや、大事なことやろ」
「全部あたしの修行の一環じゃけ、気にせんでええの。宇田兄とか他の人なら、分からんけど」
外に出ると宇田が待っており、また車に乗によう言われた。
「お清めどうやった?足痺れてない?」
「大丈夫です。お師匠さんの声が心地よくて、ずっと聞いていたかったです」
そうか、と言うと宇田の視線が手首に移った。
「それを貰ったんやね。役に立つと思うから、大事に身に着けとってな」
もちろん、と返事をした。
駐輪場まで戻り、三人と佐藤さんが先程と同じ位置に座ると、車は発進した。
「お腹空いてやろ?あんまりお店ないけど、美味しい所知っとるから行こうか」




