不退転の決意
知華の意識が戻って三日目。
やっと一人でトイレに行けるようになり、食事も柔らかい半固形に変更された。久々に人間らしい食事をした気分になり、少し感動した。形が分かるようになると味も感じる気がして、料理は見た目も大事なんだととつくづく思った。
食事を終えた頃、宇田と交代した安と佐藤さんが顔を見せた。二人は相変わらず一緒に行動していて、はたから見れば様子に変わりはなかった。
しかしあの会話を知っている知華には、安の元気がないように見えた。
「調子どうや?」
ベッドの傍らに立った佐藤さんに言われ「大丈夫だよ」と返した。
食事が少し変わった事を伝え、何とかトイレまでの距離が歩けるようになったと教えた。
「毎日少しずつようなっとるな」
笑って言われ、知華も笑顔を返した。
「じゃ、今日の分のお祓いするな」
そう言われたが、知華は同意する前に、ずっと気になっていた事を聞いてみた。
「あたしの穢ってまだそんなに残っとる?」
一日一回のお祓いを見続けてきた知華は、少しも良くならないのかとモヤモヤしていたのだ。
知華の不安を飛ばすように安は大丈夫、と笑った。
「随分と綺麗になった。あたしと出会ってから、一番綺麗な状態」
佐藤さんも頷き、
「ほとんど人並みになったで」
と教えてくれた。
「でも、まだ続けた方がいいん?」
「まだ常に穢を呼び寄せとる状態やから、毎日溜まった分を祓っていった方がええ。ここは病院やから、他の場所より穢が多いからな」
やはり、根本をどうにかしなければこの作業は終わらない、ということらしい。
「そっか……」
僅かに気落ちした知華を見て、安は言った。
「体調も上向いてきたし、そろそろ知華にも知っとってもらいたい。お祓い終わったら、そのまま話をしよう。ちょっと長い話にはるけど。ええかな?」
そう言われ、知華は頷いた。
お祓いを終えると、一息つく間もなく安は知華の元へやってきた。
椅子に座ると水を手に届く所に置き、居住まいを正す。
「心の準備はええ?長い話になるし、沢山受け入れんといけん事があるよ?」
改めて言われ、知華は少し緊張した。
「知華が倒れてからの話を全部するで。少しはご両親や那津から聞いとるじゃろ?」
知華は頷いた。
目覚めた後、皆が教えてくれた。心肺停止になり救急搬送になったことや、十日も意識が戻らなかったこと。
しかし知華はにわかには信じられず、他人事のようで最初は受け入れがたかった。
そもそも、知華は倒れた時の事を薄っすらとしか覚えていない。酷く全身が痛かった事、自分の腕が伸びた事、そして那津から向けられたあの目……。
それが全部だった。
しかし思う様に体が動かない事や、重力を感じるほどの倦怠感に襲われたことで、聞いたことは現実なのだと気持ちが追いついた。
「頭と心が追いついて、今やっと実感が湧いとるとこ」
安は頷いた。
「じゃあ、他にあった事を話すよ。出来るだけゆっくり説明するけど、多分混乱すると思う」
そう言って順を追って話して聞かせた。
まず、和輝だけでなく、両親もオマモリサマの事、知華の霊感の事、安が霊媒師である知っていると伝えた。
まずはこれが衝撃だった。頭をガツンと殴られたようだった。皆からそんな素振りを全く感じなかったからだ。
「みんなに話た……?!全部知っとる?!」
驚愕で大きな声が出て、思わずむせた。喉を労って話していた事を忘れるくらいだったのだ。
むせ込んだ知華の背中をさすりながら、安が
「大丈夫?」
と気遣わしげに言った。
「奈海ちゃんも知っとる。あたしが霊媒師ってことだけじゃけど」
「奈海も……?!」
咳き込む合間にも驚きの声が出た。
余りにも多くの人が一気に真実を知ったことに動揺した。
知華は暫く咳で呼吸が落ち着かず、苦しく息をした。痛めていた喉が熱を持ち、言うことをきかなかった。
「ほらな、こうなると思ったわ」
背中を丸めて止まらない咳をする知華を見て、佐藤さんが心配そうに言った。
「落ち着き、知華ちゃん。もうみんな受け入れて、心は落ち着いとる。もちろん最初は取り乱して混乱しとったけどな。それぞれが話をのみ込んで、状況を理解してくれとる。やから、焦らんでもいいんやで」
そう言われ何とか心を平常に戻そうとした。
喉は焼け付くように痛んだが、今の衝撃よりはよほどマシに思えた。
が、この衝撃は序の口だった。
更に安は、お祓いが毎日二回必要だった理由、オマモリサマの手掛かりを掴んだ経緯を伝えた。
那津が手記をみつけたこと。
手記には西田という女性の事が書かれていたこと。
オマモリサマは少なくとも半世紀以上前の人間の体に入っていること。
本体とは別に分身である影を飛ばし、人間を操れること。
知華にも分身の影が入っていること。
「オマモリサマは、きっともう直ぐここへ来る。あたしらは知華に全部話した事が、オマモリサマにバレてると分かった上で作戦を立てた。この病室にも強固な結界を準備しとる。いつでも向かい撃てる状態になっとる」
「三人が交代交代であたしの傍におったのは、そう言う理由じゃったん?」
安は頷いた。
「知華は弱って一人ではろくに逃げられん。それがオマモリサマにとっては好機じゃから、今のこのタイミングを逃すとは思えん。佐藤さんは付きっきりでここにおってくれるけ、オマモリサマの気配がすれば、すぐに教えてくれる手はずになっとる」
知華は今の話全てを、なかなか飲み込めなかった。
余りにも多くの事がこの十日で起こっていた。状況が大きく変わり、複数の事態が同時進行で一斉に歩みを進めている気がした。
知華はそれに追いつけず、ずっと後ろからその背中を見ている気分だった。
「ちょっと待って……。一気に話されて追いつけん……」
困惑して頭を抱えた知華を見て、安は気の毒そうに顔を歪めた。
「ごめんな。一度に話したから……。誰が知華に伝えるか、皆で悩んだんよ。話し合って、あたしに決まった。とりあえず、受け入れるのは後回しでもええから、まずは整理をつけよ?」
そうは言われても、とても大きな物を飲み込む様でかなり苦しかった。
知華は少し一人になりたかった。
自分なりに事を整理する時間が欲しかったのだ。
安にそう伝えると、
「分かった。何かあったら呼んでな」
と病室を出て、隣の部屋に行った。
静まり返った病室で一人になった知華は、大きく嘆息した。一気に体が疲れてしまい、強い倦怠感に襲われた。まだ衝撃を受けた心臓の鼓動が速かった。
何とか落ち着こうと窓の外を見た。
眠っていた間に進んだ冬景色。
三月に入ったが、冬らしい強い風がまだ吹き付け、葉を落とした木々を揺らしていた。澄んだ青空は遠く、強い寒風に雲が早く流されている。
それを眩しく見上げ、まるで今の自分のようだと知華は思った。
ゆっくり進んでいた乗り物が、急に速度を上げた。まるで制御が出来ず、あたふたしてるのと似ている。
知華は何とか操縦桿を握ろうとした。ひとまずは乗り物を真っ直ぐに立て直そう……。
自分なりに、時系列に順序立てて考えることにした。
搬送されたあと、最初に行われたのが家族への説明。知華の状況を全く知らない家族に、全てを打ち明ける所から始まった。
きっと苦戦しただろうと思った。以外だったのは、和輝が主導して両親を説得した事だ。ずいぶんと寛容になったと、知華の中で兄への思いが変わった。
何とかお祓いが始まり穢を除いていくと、知華の容体が落ち着いた。その間に那津が手記を見つけてくれた。その内容で、知華の中にオマモリサマの影があることが判明した。
そして影だけを祓う方法が分からないので、オマモリサマ本体を迎え撃つ事になった。
今は霊媒師の三人が常に見張り、その時を待っている……。
自分の中で要約すると、何とか乗り物は安定した気がした。
すると、今度は乗り物の行き先を決めなくてはいけなかった。
このまま止まれない事は分かっている。
知華は那津の覚悟を教えてもらった。
オマモリサマが知華の魂を奪うため手をかけようとしたら、盾になって守ると宣言したと。
安はそんな二人を絶対に守ってみせると言った。
「あたしを信じて命を託してくれた。必ず那津の信頼に応える。今度こそ、必ず守るから」
安の断固たる決意の目。知華はそこに、どうしても動かすことのできない堅固な決心を見た。
那津も安も、自分が行うべき事を決めてそこへ向かった。
なら知華は?
(あたしはずっと、何も出来てない……。守られて助けられとるだけ…。いっつもいっつも、皆の足を引っ張っとる……)
悔しかった。知華も戦いたかった。
皆の後ろではなく、横に並んで、一緒に。
そのために知華に出来ること。
知華にしか出来ないことは何だ……
(あたしの中にはオマモリサマの影がある。これを使えんかな?)
そう思った時、ハッと気がついた。
ーー困ったら呼べ。いつでも助けてやるぞ
そして先程の安の言葉が思い起こされる。
ーーオマモリサマはこの好機を逃さない。
みんなはオマモリサマがここへ来るのを待っている。
いつとも知れない時間をじっと待っているのだ。
(だったら、あたしが出来る事はある)
知華はオマモリサマを呼び出す事ができるー
それに気がつくと、知華の中で決意が固まった。
(もう皆の足枷にはならないーー)
あの時のように、オマモリサマの影に心を乗っ取られたりしない。体を預けない。
オマモリサマを迎え撃つ。
何があっても決して後戻りしたり、屈したりしない。
「もう退く《ひく》ことも転る《うつる》こともしない。オマモリサマの影を、あたしの中から追い出す」
不退転の決意を決意を決めると、知華の中で変化があった。
心の奥底、深い深淵の部分に何かを感じた。
それを捉えようと、知華は目を閉じた。
それはヘビの様に揺らめく“影”。
自分のものではない異質な存在。
それがはっきりと感じられた。
(これがそうなんだ……)
知華にはそれがオマモリサマから飛ばされた影と分かった。一度分かってしまえば、違和感を拭い去れなかった。なぜ今まで気がつかなかったのかと思うほどの異質感だった。
(これに呼びかければ、オマモリサマは応える……)
あの講義室の時の様に、必ずオマモリサマに届く。
知華にはその確信があった。
胸元を強く握りしめ、心を定めると目を開けた。
そこには安や那津と同じ断固たる決意の火が灯っていた。
「あたしがオマモリサマを呼び出す。これで終わらせる」




