おばさん②
学校では文化祭の準備が始まり、知華たちのクラスは焼きそばとドリンク、ドーナツを販売することになった。
香西とは時々話をするのものの、長く一緒に過ごすことはなく、文化祭の準備が始まると更に会話をすることがなくなった。
看板や屋台づくり、調理道具を集めたりラッピングの案を出し合ったりと、やることが次々と舞い込んできた。
そんな準備の中、数名のクラスメイトと仲良くなり一緒に作業することが増えた。
それが知華にとっては嬉しい変化で、クラスに溶け込めたようで文化祭の準備期間は楽しく過ぎた。
気がつけば十月に入り、文化祭準備は大詰めに入ってきた。
帰宅時間が遅くなることもあり、母が先に夕飯準備をしていることもしばしばあった。
帰宅時、家の明かりがついているとやはり安心する。
これまでは介護のため一番に帰宅していたので、先に誰かが帰っていることは無かった。
両親と顔を合わすとぎこちない空気になるが、それでも寒い中、家の明かりが灯っているのを見ると胸が温かくなるので、その光景が好きだった。
「ただいま」と台所に立つ母に声をかける。
背中でおかえり、とだけ返して夕飯作りに勤しんでいる。
台所横の廊下を歩き、階段を上がる。古い家なので電気をつけても薄暗く、小さい頃は怖かった。
階段も急なので、より影が伸び不気味に見えるのだ。
二階の自室に入ると、鞄を机に置き私服に着替える。そうしながら、ふと思う。
ここ数日、帰宅時に見かけていたおばさんを見ない。
何となく嫌な予感がして窓を見ると、自分が反射して映る。
そこには怯えた自分の顔があるだけだ。
(日没が早くなったけ、暗闇で見えんだけかも)
カーテンを閉めようと、窓に近づき外を見る。
自然と、いつもおばさんがいる電柱に目が動く。
そこには誰もいなかった。
「やっぱり、おらん。気のせいやないんや」
独り言を呟くと、急に背中がゾワッとした。
顔を上げると、反射した窓の自分の後ろに、おばさ
んが立っていた。
相変わらず帽子で見えないはずなのに、目が合ったのが分かった。
「気のせいじゃぁぁぁぁ、ないよぉぉぉぉ」
おばさんの声に、目をみてはいけないと咄嗟に視線を逸らす。
そして視線を下に向けて、ドアの方に滑らせた。
閉めたはずのドアが空いている。
おばさんは知華の部屋と廊下の間に立っていた。
知華の部屋は二階の角にある。その位置に立たれとると部屋から出られない。
おばさんが滑るように部屋に入って来た。寒気が一気に部屋に広がり、思わず後ずさる。
先程机に置いた鞄にぶつかり、ドサッと音を立てて床に落ちた。教科書や筆箱が散乱して、足元に広がる。
(なんで急に、こんな近くに……!)
おばさんは
「気のせいじゃぁぁぁぁ、ないよぉぉぉぉ」
を繰り返し喋っている。
首を傾げ、細かく体が震えているその様は異様で、吐き気がこみ上げてきた。
ジリジリと、おばさんは知華に向けて足を進めている。
部屋がどんどん冷えていく。
知華はおばさんが進んでくるたび、部屋の奥へと後退りするしかなかった。
家具に背中をつけ、視線を上げないように進む。
手探りで机、タンス、クローゼットまで移動すると、クローゼットの手すりに引っ掛けていたショルダーバックが床に落ちた。
その音には全く反応せずおばさんの進行は続き、一番奥のベットまで到着してしまった。
それでも進んでくるこで、ついにはベットの上に上がった。
おばさんは部屋の中央に来ると、今度は
「入れた入れた入れた入れた入れた入れた入れた入れた」
嬉しそうに笑って、腿のあたりで拍手をするように手を叩き始めた。
パンパンと響く音と「入れた」の言葉が耳にぐわーんと響く。
寒さも相まって、頭痛がした。
「知華、なんの音?」
一階から母の声がした。
すると、おばさんは手を叩くのをやめて首を百八十度回し、廊下を見た。
その隙にベットから飛び降り、床の鞄を持つとおばさんに思い切りぶつけた。
物理攻撃は幸いにも効いたようで、おばさんがぐらっと態勢を崩した。
その隙にさっと横を抜け廊下に出ると、大きな音を立てて階段を駆け下り、台所めがけて走った。
バッタバッタと騒音を立てながら娘が飛んできたので、母は驚き「どしたん?」と声をかけた。
ほとんど夕飯の準備を終えた母親は、お玉を持って味噌汁を注ぐ所だったらしい。
その姿が余りにも今の出来事とちぐはぐだった。
いつもの光景に安堵しながらも、階段の下に立っているのが嫌で、返事もそこそこに「手伝う」とだけ言い皿を運んだ。
まだ心臓がドクドクしていた。
呼吸も不自然に早くなっていたが、母は不思議そうな顔をしただけで、何も聞かず食事の準備を再開した。
その間も二階から降りてきたらどうしようと気が気ではなく、ずっと階段が気になった。
テレビの音もろくに耳に入らず、何を食べたか分からないまま食事を終えた。
その頃にはやっと鼓動が収まり、階段を覗く勇気が出ていた。
怖怖と薄暗い階段を見る。
あの冷気はない。
そっと足を踏み出し、階段を一段一段上がる。普段は気にならない床板の軋み音が、妙に響いた。
二階の廊下が見えると、首を伸ばして自室の方をそっと覗く。
おばさんは消えていた。
開いたままの自室のドアの奥は、見えない。
それ以上移動する勇気はなく、階段を降りると一階にある祖母の部屋にこそっと逃げ込んだ。
居間すぐ隣なので、母親の動く気配がする。
慣れた部屋と人がいる安心感で、ようやく体の力が抜けた。
まだ残っている祖母の遺品たちが、変わらず知華を迎えてくれた。
まだ葬儀から一ヶ月程しか経っていないのに、この部屋が懐かしい。
膝を抱え、どうしようか考えていると、ふと香西のことを思い出した。
連絡先を教えてもらって以降、一度もやり取りをしていない。
『いつでも連絡してええから』
あの時の言葉が蘇る。
時計を見ると二十時半を回ったところだった。迷惑な時間ではないはず、とメッセージを送る。
『変なものが部屋まで来た』
とだけ送信した。
すぐに既読がつき、『どしたん?』と送られてくる。
返事をしようとしたが説明が難しく、しばらく指が迷子になり動かなかった。
『どう言えばいいか、難しい』
『電話がええ?』
『うん』
返事を返すやいなや、すぐに着信があった。
「ごめんな、突然」
『ええよ。連絡出来るように交換したんやし。それで、どしたん?』
知華はどこから話せばいいか、と悩んだ。
あれから毎日の様におばさんを目撃していたことを、話していなかった。
そこで、先ほど自室に入られた事だけ説明した。
「そんで、さっきおばさんが部屋におってな。動きも変やし、『入れた』って繰り返し言ってて不気味で…。今はもうおらんけど、部屋に帰るのが怖くってさ」
『そのおばさん、久々に聞いたな。やっと姿現したと思うたら、家の中ってキツイな』
「急に背後に立たれたから、心臓止まるかと思った……」
『今まで姿見てない分、ドキッとするわなぁ』
同情してくれる香西との会話が微妙にズレていきそうなので、知華は訂正することにした。
「あのー、実はな…。この一週間、毎日朝と夕方に見かけとったんよ」
そう返事を返すと数秒間があり、『はぁ!?』と驚嘆の声が耳にキーンと入ってきた。
『毎日、一週間!?そんな話、一回もせんかったやん!』
「だって、ずっと見られとっただけじゃし…。付きまとわれるわけでもないし…。こんなに近くに来られたのが初めてで」
『実害ないからって、ほっといたな?!何かあったら言えって、言ったよな?』
怒っている香西に戸惑う。
友人にここまで怒られたことがないので、言葉に困った。
「ごめんて…。おばさんに困っとる訳じゃなかったからさ。それに、文化祭の準備でお互い忙しかったし…」
『それでも毎日学校で顔あわせとるやん!連絡先も交換したのに。ずっと何にも言われんから、変なもの見てないんかと思っとったわ!』
「…ごめんって」
反省した声を聞き、香西は『次からちゃんと報告してな』と少し優しい口調で言った。
『とりあえず、今日はいつでも電話くれたらええから。明日、買い出しあるやろ?そん時、二人で立候補して外出よ。ゆっくり話せるし』
それに同意した後、しばらくとりとめもない話をした。
電話を切る前、再度何時でも電話していいから、と念を押された。
会話が終わり静まり返った部屋を出て、自室に戻る。
それからは何事もなく、お風呂に入った後も、消灯してからも静かだった。
念の為携帯を枕元に置き、横になる。
目を閉じ、まどろみながら浮かんだのは香西の声だった。心配そうに怒ってくれたのが嬉しく、心強かった。
こんなにも安心するなら、ちゃんとすべて話しておけばよかったと思った。




