十六皿目『ミレたん、竜王城でおやつ』
「さあ、行きましょう!」
背を向けたまま、サクラがはっきりと声を張る。
朝の光を受けて、その横顔は妙に晴れやかだった。 迷いも、逡巡もない。
「ぇう? 行くってどこに?」
間の抜けた声で、ミレアが首を傾げる。
「決まっています。竜王様の元へ、です」
振り返ったサクラの表情は、いつもの慎重な従者の顔ではなかった。 どこか吹っ切れたような、軽い笑み。
「サクラも行くの?」
「当然です。私はミレア様の従者ですから」
その声音には迷いがない。 “従う”というより、“並ぶ”に近い強さがあった。
ミレアは目を細める。
「……そっか。でも行く時間決めてないんだよね。招待状を貰った時刻くらいを予定してたんだけど」
「関係ありません」
即答だった。
「招待状には、要件の詳細すら書かれていなかったのでしょう?」
「う、うん」
「でしたら、今すぐ向かってやりましょう。無作法に呼びつけたのは向こうです。お会いできないのなら、それまでの王ということです」
サクラの口調は滑らかで、淀みがない。
いつもなら 「失礼ではないでしょうか」とか「ご迷惑では」とか そんな言葉が挟まっていたはずなのに。
今日は違う。
「それに、一国の王だか知りませんが。無作法な対応に、どうしてこちらが礼儀に則らなければならないのでしょう?」
歩幅が少し大きい。 勢いがある。
「文句があるなら、向こうから来るべきです」
尚もまくし立てるサクラ。
ミレアは、黙ってその横顔を見る。
さっきまで膝の上で眠りかけていた少女と、 今、王に噛みつこうとしている少女は、 同じ人物とは思えない。
「サクラ」
静かな呼びかけ。
「っ……あ、はい」
ようやく我に返ったように、サクラが足を止める。 自分がどれだけ感情を前に出していたのか、今さら気づいたらしい。
「……申し訳ございません。少々、言い過ぎました」
ミレアは、にっこりと笑った。
「ううん」
一歩、近づく。
「言いたいこと、はっきり言えるようになったね」
「え……?」
目を丸くするサクラ。
「今の、生の感情をそのまま出してるサクラのほうが、わたしは好きよ?」
それは甘やかしではない。 肯定だった。
力を抜くことを覚えた少女は、 今日は感情を抑え込まないことを覚えつつある。
ミレアは満足そうに頷くと、くるりと踵を返す。
「じゃあ、行こっか」
向かうのは、街で最も高く、最も白い建造物。
竜王の城。
その塔の先端は、朝の光を受けて、まるで金属のように鈍く輝いていた。
──────────
白亜の竜王城。
王城の最上層、外壁に沿うように設けられた執務室は、王の私室でありながら、同時に国家の中枢でもあった。
高い天井。
壁一面を覆う書架。
年代ごとに整然と並ぶ書物や資料が、竜王国という若い国家の歩みをそのまま積み重ねている。
大きな窓の外には、夕暮れに染まり始めた王都の屋根が広がっていた。
重厚な机の上には、幾つもの書類が整然と並べられている。
他国との条約文書。
貴金属鉱山の採掘報告。
周辺国家の情勢。
そして、他国に存在する竜種の記録。
それらを一枚一枚、淡々と処理しているのが──
竜王、ヴァルグレアだった。
椅子に深く腰掛けるその姿は、人の王というより、静かに巣を守る獣のような落ち着きを持っている。
長い銀髪は椅子の背に流れ落ち、窓から差し込む光を受けて淡く輝いていた。
側頭部から後ろへ伸びる四本の角は黒褐色で、磨かれた角質の光沢がある。
整った顔立ち。
だが端正という言葉だけでは足りない。
黄金色の瞳は細く、爬虫類を思わせる鋭い光を帯びている。
笑みを作れば柔らかく見えるが、油断すれば一瞬で捕食者の目になる類の顔だった。
白を基調とした衣装には、細やかな金の刺繍が走っている。
肩口には龍を象った装飾が施され、王としての威厳を静かに主張していた。
黒い手袋をはめた片手で頬杖をつき、もう片方の手で書類をめくる。
胸元には、白金の十字架が一つ。
派手さはないが、その存在感は妙に目を引く代物だった。
その姿勢には、焦りも苛立ちもない。
ただ、仕事を処理する王の静かな時間が流れている。
だが。
ヴァルグレアの意識の片隅には、ひとつの名前が残っていた。
──ミレア・ノワール。
人化した竜種。
配達員。
そして──煌竜の可能性。
書類をめくる手が、ほんのわずかに止まる。
自分が送った招待状のことを思い出していた。
「……昨日は、少し焦りすぎたな」
小さく呟く。
拒否されたのは当然だと、ヴァルグレア自身が理解している。
子供向けの催しとはいえ、あの場に最初から参加していたとなれば、身なりの乱れや汚れはあるはずだ。
それを整える間も与えず、王城へ呼びつけるなど──
無粋。
その一言に尽きる。
竜種であっても、人の姿で長く暮らしているならば、人と同じ感覚は持つはずだ。
美意識。
体裁。
礼儀。
女ともなれば、尚更だろう。
ヴァルグレアは椅子の背に体を預け、軽く息を吐いた。
「頭では分かっていたつもりだが……」
黄金の瞳が、わずかに細くなる。
「男としての本能が思考を鈍らせたか」
口元に、自嘲の笑み。
「こればかりは品性の欠片も無く、擁護のしようがないな」
静かな独り言だった。
竜王であろうと、竜である以上、本能から完全に自由にはなれない。
煌竜という存在を前にして、冷静さを欠いた。
それが事実だった。
だが。
ヴァルグレアは決して、自分の判断を悔いているわけではない。
むしろ──
「……とはいえ」
指先で机を軽く叩く。
「可能性があるなら、確かめずにはいられない」
煌竜。
それは、この世界でも数えるほどしか確認されていない竜種だ。
そして、自分もまた──
その一体である。
だからこそ。
もし本当に、同格の竜が現れたのだとしたら。
それは国家にとっても、個体としても、見過ごせる存在ではない。
ヴァルグレアが再び書類へ視線を戻そうとした、その時。
「陛下、ご報告が……」
執務室の扉の外から、控えめな声が響いた。
「なんだ?」
ヴァルグレアは手を止めない。
視線も書類から外さず、淡々と答える。
「ミレア・ノワールが来城しました」
その瞬間、紙をめくるはずだった手が、ぴたりと止まった。
「……なに?」
顔を上げる。
黄金の瞳がわずかに細くなる。
「如何なさいましょう?」
扉の向こうの騎士が、判断を仰ぐ。
「ふむ……」
ヴァルグレアは椅子の背に体を預けた。
昨日出した招待状。
そこに記した時刻より──随分と早い。
本来の予想では、招待状が届いた頃合いで訪れるはずだった。
少なくとも、そう見積もっていた。
だが。
「予定より……早すぎるな」
指先で机を軽く叩く。
状況を整理する。
まず、本来の予定時間ではない。
次に、突然の来訪。
選択肢は単純だ。
追い返すか。
通すか。
問題は──
なぜ今なのか。
ヴァルグレアは思考を巡らせる。
ミレア・ノワール。
もし彼女が本当に煌竜であるならば、
この行動から推測できる性格は二つ。
傲慢か。
あるいは、自由奔放か。
誠実。
堅実。
その類の性格であれば、
招待状の時間を守るはずだ。
「……だが」
傲慢であるならば、むしろ御しやすい。
力ある個体ほど、自尊心を満たしさえすればいいのだから。
問題は、野放図な場合だ。
秩序を嫌い、気分で動く個体。
だが。
「配達員……」
小さく呟く。
営業成績一位。
その情報を思い出す。
野放図な竜が、組織の仕事で一位を取り続けることは難しい。
つまり──少なくとも、社会性はある。
「……ならば」
追い返す、という選択肢は──ほぼ消える。
次の接触機会が減るのは確実だ。
「通すか?」
ヴァルグレアの視線が窓へ向く。
この多忙な時間帯に。
だが。
情報は得られる。
それだけでも価値がある。
そして──ふと、別の可能性が浮かぶ。
「……これは」
口元がわずかに歪む。
「試されているのか?」
元を辿れば、こちらが不躾だった。
急な呼びつけ。
しかも王城への招待。
それに対する、突然の訪問。
まるで、当てつけのような行動。
ここで門を閉じれば──どう見える?
答えは簡単だ。
“ただの傲慢な王”。
しかも、相手は竜種。
下手に機嫌を損ねれば、
後々の関係が面倒になる。
ヴァルグレアはペンを机に置いた。
決断は早い。
「構わん」
椅子に座ったまま言う。
「通せ」
騎士の返事がすぐに返る。
「はっ」
ヴァルグレアは続ける。
「それと──」
一瞬の思考。
「茶と菓子を用意させろ」
客人として迎える。
戦意はない。
そう示すには十分だ。
「承知しました」
騎士の足音が遠ざかる。
扉の向こうの気配が消えると、執務室に静けさが戻った。
ヴァルグレアは椅子にもたれ、天井を見上げる。
黄金の瞳に、わずかな興味が浮かんだ。
「……少し」
小さく呟く。
「高飛車な小娘を想定しておくか」
口元に、静かな笑み。
もしそれが違うのなら──それはそれで、面白い。
次に扉が開く時、竜王は初めてミレアと対面することになる。
メイドが、ふたりを案内してくる。
廊下に靴音が響く。
絨毯を踏む柔らかな足音が、執務室の前で止まった。
コンコン、とノック。
「陛下、ミレア・ノワール様をお連れしました」
「入れ」
短い返答。
重厚な扉が、ゆっくりと開かれる。
最初に入ってきたのは、ミレアだった。
その後ろに、サクラが続く。
ヴァルグレアは椅子に座ったまま、二人を観察する。
まず雰囲気。
次に魔力。
そして──竜の気配。
それらを探ろうと、意識を向けた瞬間。
「失礼しま〜……あ、お菓子ある!」
先頭のミレアが、ぽつりと呟いた。
一瞬、部屋の空気が止まる。
メイドの動きが固まり、
ヴァルグレアも、思わず言葉を失った。
「ミレア様。まずはご挨拶からです」
後ろからサクラが小声で言う。
「ぇう〜?」
ミレアは振り返り、
「アークリンクのミレア・ノワールで〜す♪」
にこやかに名乗りながら、そのまま部屋へ入ってくる。
サクラは深く一礼し、静かに入室した。
「よっと」
ミレアは迷いなくソファへ向かう。
「ふかふか〜」
ぽすん、と腰を下ろしたと思えば、
弾力を確かめるようにぽよん、ぽよんと軽く跳ねる。
その後ろでサクラがすっと立ち、控えた。
「……」
ヴァルグレアは、完全に言葉を失っていた。
天真爛漫の方であったか……。
脳裏に浮かんだのは、その一言だった。
となると……
この時間に訪れるよう仕向けたのは──
後ろの従者か。
黄金の瞳が、サクラを一瞬だけ見る。
落ち着いた立ち姿。
感情を抑えた表情。
(……なるほど)
ヴァルグレアの口元が、わずかに緩む。
面白い。
これはむしろ、僥倖と言うべきか。
もしあの少女が完全に自由奔放なら、交渉は難しい。
だが、隣に思考役がいるなら話は別だ。
ヴァルグレアは軽く手を差し出す。
「非公式の場だ」
穏やかな声で言った。
「君もかけたまえ」
視線はサクラへ向けられている。
サクラは一瞬迷い、軽く頭を下げた。
「……では、失礼致します」
ミレアの隣へ静かに腰を下ろす。
そのタイミングで、メイドが紅茶を注ぎ始めた。
白磁のカップに、琥珀色の液体が満ちていく。
「こちら、ダージリンでございます」
香りが、ふわりと広がる。
続いて、銀の皿が運ばれてくる。
小さな焼き菓子。
薄く焼かれたクッキー。
砂糖菓子。
果実を使った菓子。
テーブルの上が、あっという間に華やかになる。
「お?」
ミレアが身を乗り出した。
「これだけじゃなかったんだ?」
そう言って、最初から置かれていた箱を見る。
ヴァルグレアは頷く。
「そちらは私のお気に入りでね」
落ち着いた声。
「紅茶には欠かせないのだよ」
わずかに笑みを浮かべる。
「好きなように召し上がってくれたまえ」
その言葉を待っていたかのように、
ミレアの目が輝いた。
「それじゃあ遠慮なく〜♪」
嬉しそうに声を弾ませながら、ミレアはテーブルの上にあった二つの箱を自分の方へ引き寄せる。
ころり、と箱を回して表を確認する。
「んー……ん?」
ミレアの表情が少し変わった。
「これ、明治だ!」
思い出したように声を上げる。
以前食べた果汁グミ。
あの時の鮮烈な甘さが、ふっと記憶に蘇った。
「明治さんの《アーモンドチョコレート》と
《マカダミアチョコレート》ですね」
横からサクラが説明する。
「どちらもすごく美味しいですよ」
落ち着いた口調だが、わずかに楽しげでもある。
「へ〜」
ミレアは箱を見比べる。
「それは楽しみ♪」
ミレアが先に手にしたのは、
《明治 アーモンドチョコレート》。
箱を持ち上げた瞬間、フィルム越しに伝わる軽やかなのに頼もしい重みが掌に収まる。
ぴたりと張りついた透明の外装が、角の立った紙箱の端正さを際立たせている。
側面の細いティアテープに指をかけ、するりと引く。
外装が一周して裂け、張りつめていた膜がほどける。
密閉されていた空気が、わずかな音とともに解き放たれる。
あらわになった紙箱は、よりくっきりと角を主張し、
内部に整列したひと粒ひと粒の存在を掌へ伝えてくる。
フラップを開く。
わずかな摩擦音とともに、空気が入れ替わる。
その瞬間、立ち上がるのは甘さ一辺倒の匂いではない。
カカオの落ち着いた香りの奥に、ローストナッツの香ばしさが静かに横たわっている。
焦げの手前で止められた、品のある焙煎香。
甘いのに、どこか乾いた印象がある。
ひと粒、指先で取り出す。
楕円のフォルムは均整が取れている。
表面はなめらかで、指でそっと転がすと、
わずかに温度を受け止める感触が返る。
艶も落ち着いており、光を静かに反すだけだ。
チョコレート層は厚すぎず、薄すぎない。
内部のアーモンドをきちんと包み込みながら、その存在を隠してはいない厚みだ。
口元へ運ぶ。
最初に触れるのは、外側のチョコレート。
歯を入れた瞬間、パキン、と明確な割れが返ってくる。
柔らかく溶ける前に、内側からアーモンドの硬質な抵抗が現れる。
カリッ。
この音がすべてを決定づける。
期待は、裏切られない。
湿気ていない。
軽すぎない。
芯まで均一に火が入った、アーモンドらしい香ばしい割れ。
噛み進めると、チョコレートが溶け始める。
ミルクの甘さは丸いが、過度ではない。
その間に、砕けたアーモンドの断面から油分がにじむ。
アーモンド特有のコクが、チョコレートの甘さに重なり、
味に奥行きを生む。
そして、甘さは“立体”になる。
味が、ゆっくりほどける。ただ甘いのではない。
カカオのほろ苦さ、乳の柔らかさ、アーモンドの香ばしさ。
三層が順に開き、最後にひとつへ収束する。
ひと噛みで、アーモンドの芯まで歯が入る。
外側よりもやや締まった部分が砕け、香りが一段深くなる。
焙煎の余韻が鼻へ抜け、わずかな苦味が舌の奥を引き締める。
ここで甘さが抑え込まれるのではない。
むしろ、輪郭が整う。
広がろうとする甘味を、アーモンドのほのかな渋みがきちんと支えている。
飲み込む直前、口内には三つの記憶が残る。
溶けかけたチョコレートのまろやかさ。
砕けたアーモンドの乾いた食感。
そして、焙煎由来のほのかな余韻。
喉を過ぎると、後味は意外なほど軽い。
甘ったるさは残らない。
代わりに、アーモンドの香ばしさが細く長く続く。
チョコレートは先にほどけ、
口の中には砕けたアーモンドの細かな断片や繊維、薄皮が残る。
その乾いた余韻が心地よく、自然と次のひと粒へ手が伸びる。
箱の中を覗く。
整然と並んだ粒は、均質でありながら、それぞれが確かな存在感を放っている。
「……これは、甘さより香りで押すお菓子ね」
アーモンドの硬質な核と、チョコレートの柔らかな層。
対照的な二つを、衝突させずに重ね合わせた構造。
《明治 アーモンドチョコレート》は、
“甘味と香ばしさの均衡を、ひと口で完成させた設計”。
軽快な噛み心地。揺るがないローストの芯。
そして、溶け際まで崩れない上品な甘さ。
一粒で完結する構造美。食べ終えた瞬間、また確かめたくなる。
静かに完成された、品位を示す強さだった。
「ふんふん♪ それじゃあお次はこちら〜♪」
続いて《明治 マカダミアチョコレート》に手を伸ばす。
箱を手に取ると、まず感じるのは“柔らかな期待”だ。
アーモンドのような緊張感ではない。
もっと丸く、ゆったりとした印象。
蓋を開く。
内側のトレーを覆うシートが、ぴたりと密着している。
端をつまみ、ゆっくりと引き上げる。
軽い音とともに封が解け、そこで初めて空気が触れる。
立ちのぼるのは、穏やかな甘い香り。
カカオの甘さの奥に、乳脂肪を思わせるやわらかなコク。
ナッツの気配もあるが、鋭さはない。
バターを含んだ木の実のような、丸みを帯びた香ばしさ。
ひと粒を取り出す。
形はやや大きめで、丸みに余裕がある。
表面は艶やかで、指先に吸いつくような滑らかさ。
内部に“空洞のない充実”を抱えていることが、重みでわかる。
口へ運び、歯を入れる。
こつ。
アーモンドよりも、外殻はやや厚い。
そのぶん、最初の破断は明確で、音に小さな重みがある。
だが本番はその直後。
内部のマカダミアナッツに歯が届いた瞬間、感触が一変する。
ほろっ。
砕ける、というより“崩れる”。
乾いた硬質な抵抗ではなく、油分を多く含んだ柔らかな崩れ方。
この質感の違いが、アーモンドとの最大の分岐点。
チョコレートが溶け始める。
ミルクの甘さが舌に広がるが、すぐにナッツの脂肪分がそれを包み込む。
ここで味は一段階、濃くなる。
アーモンドが“香ばしさで支える構造”なら、
マカダミアは“コクで溶け合わせる構造”。
砕けたナッツの断面から、豊かな油分がにじみ、
チョコレートのカカオ感と混ざり合う。
甘さは角が取れ、より丸く、より厚みを持つ。
二噛み目。
ナッツがさらに細かく崩れ、口内でペースト状に近づく。
ここで初めて、マカダミア特有の“ほのかな青い苦味”が顔を出す。
それは強くはない。
だが、乳脂のコクを引き締めるには十分な線。
甘さ、コク、ほろ苦さ。
三つが混ざると、味は単純なチョコレート菓子の枠を越える。
溶けきったあとも、満足感だけが静かに残る。
まるで、ナッツクリームを高品質なチョコレートで包み込んだような完成度。
飲み込む直前、口内には濃密な余韻が満ちている。
だが重すぎない。
油分が多いにもかかわらず、後味は意外なほど澄んでいる。
喉を過ぎると、残るのは二層。
ひとつはミルクチョコレートのやさしい甘さ。
もうひとつは、マカダミアの丸いコク。
アーモンドのような乾いた香ばしさは長く残らない。
代わりに、柔らかな脂肪の記憶が、ゆっくりと溶けていく。
数秒後、舌の奥にだけほのかな苦味が残る。
その控えめな締まりが、全体を甘くしすぎない。
箱の中を見つめる。
粒はどれも均一に見えるが、
噛んだ瞬間に広がるコクは、ひとつひとつが主役級だ。
「これは、甘さのためのチョコレートじゃないわね。
……静かに満たされるための一粒だわ」
《明治 マカダミアチョコレート》は、
“柔らかく崩れるコクを、最も美しく閉じ込めた構造”。
外側の明確な破断。内側のやわらかな崩れ。
溶け合う甘さとナッツの厚み。
一粒で、満足が完成する。
それでも、もう一粒を求めてしまう。
静かな贅沢を知っている、定番のお菓子だった。
「どっちも美味しいわ♪ うまうま♡」
ミレアは満足そうに頬を緩めながら、チョコレートを頬張る。
ころり、と次の一粒を指先で転がし、また口へ運ぶ。
幸せそうなその様子は、まるで菓子の時間そのものを楽しんでいるようだった。
「それは、大変よろしゅうございますね」
サクラが微笑みながら答える。
その姿を見て、サクラは胸の奥がふわりと温かくなるのを感じた。
ついさっきまで、広場のベンチで日光浴をしていた。
力を抜くことを覚え、子供のように休むことを許された。
そして今。
竜王城の執務室で、紅茶とお菓子を楽しんでいる。
常識で考えれば、あり得ない状況だ。
けれど――
(……不思議と、落ち着きますね)
サクラはカップを手に取る。
ダージリンの香りがふわりと立ち上る。
一口。
静かに口へ運ぶ。
その横で、ミレアは相変わらずチョコレートを楽しんでいた。
紅茶を飲み、お菓子をつまみ、また紅茶を飲む。
ゆったりとした時間が流れている。
「……」
その様子を、ヴァルグレアは静かに眺めていた。
執務室の空気は、いつの間にか完全に変わっている。
本来ここは、条約と報告書が並ぶ場所。
政治と交渉の場。
だが今は──ただの、穏やかな茶会のようだった。
ヴァルグレアは内心で小さく笑う。
思っていたよりも、
ずっと面白い相手らしい。
そして、カップを持ち上げる。
「気に入ってもらえたようで、何よりだ」
静かな声で言った。
ヴァルグレアもまた、紅茶とチョコレートを楽しんでいた。
十六皿目『ミレたん、竜王城でおやつ』
おしまい
※本作に登場する
「アーモンドチョコレート」
「マカダミアチョコレート」
の名称および関連表現については、株式会社 明治様より正式に使用許諾・監修をいただいております。




