十皿目『ミレたん、通過点』
※今回のお話も食べ物は出てきません。
スタンプラリー開始、直前。
選手全員に、封のされた地図が配られていた。
まだ誰も開けてはいけない。
合図が鳴る、その瞬間までは。
その中で、ルッカの視線は、自然と一人の人物を捉えていた。
──ミレア。
「ミレア先輩は……どう動くデスか……?」
誰に聞かせるでもない、小さな呟き。
ルッカの頭の中には、すでに地図がある。
数時間前、記憶に焼き付けた配置。
必要スタンプは全部で10個。
それぞれに1から10までの番号が振られており、
重複は意味を持たない。
──全てを回らなければ、ゴールは出来ない。
「近いところくらいは、自分で取るよ。お姉さん」
隣で、リオが言った。
「そう?」
ミレアは軽く首を傾げる。
「まあ、判断は開封してからね〜」
地図の封は、まだ固い。
「チロルチョコ一年分……」
ミレアは小さく拳を握る。
「元はと言えば、これが目的で参加したんだから。絶対に取るわよ!」
意気込みは十分だった。
「うん! 頑張ろうね、お姉さん!」
リオも力強く頷く。
──そして。
開始の合図が鳴り響いた。
一斉に、封が破られる音。
紙が開く、乾いた気配。
「……ふむ。なるほど」
ミレアは、地図を一瞥しただけだった。
「リオ。1と2のスタンプは任せるわ。そこから、ゴール地点を目指して」
即断。
「え? でも、3のスタンプくらいは……」
リオが戸惑う。
「いいの」
ミレアは迷いなく言った。
「3のスタンプは、ゴール地点から少し逸れるし、あそこに向かう大通りは流通用の道路なのよね」
指で、地図の一角をなぞる。
「馬車や竜車の往来が多い。気を付ければ問題ないけど……急いでる時は、少し危ないわ」
理路整然とした判断。
「だから、そのままゴールを目指して」
「……う、うん。わかったよ」
リオは頷いた。納得はしたが、同時にミレアの負担の大きさが頭をよぎる。
その様子を、少し離れた場所からルッカが見ていた。
「さすがミレア先輩デス……!」
思わず声が漏れる。
「あんな一瞬で、ルートを決めてしまうなんて……しかも、1と2以外を全部、自分で回る気デスか!?」
驚嘆と、焦燥。
「え〜っと……」
ルッカは、脳内の地図を展開する。
「つまり……こう行って……ここを抜けて……」
ミレアが通るであろう軌道を、必死に追う。
「そこは任せるわね、リオ」
ミレアは、もう次を見ていた。
「それじゃ」
──次の瞬間。
破裂音にも似た衝撃が、その場を叩いた。
空気が一拍遅れて押し出され、
視界が一瞬だけ歪む。
「わっ!?」
リオが思わず声を上げ、足元がぐらりと揺れた。
「っ!?」
ルッカは反射的に一歩踏み出す。
だが、もうそこには誰もいない。
残っていたのは、耳の奥に響く圧と、
今しがたまで“人が立っていた”という事実だけだった。
「1と2のスタンプは任せたデスッ!!」
振り返りもせず、妹に叫ぶ。
「え、ちょっと……!?」
返事は、置き去りにされた位置から聞こえた。
だが、ルッカは止まらない。
目標は、ただ一つ。
ミレア・ノワール。
その背中が、すでに街の向こうへと消えかけていた。
「くっ……なんて速さデスかッ!」
ルッカは歯を食いしばり、必死にミレア・ノワールの背中を追う。
しかし、凄まじい速さで距離が開いていく。
ルッカが理解したミレアの恐ろしいところは、その爆発的な初速。
普通、どんな種族であれ最高速度に到達するには助走が必要になる。
筋肉の伸展、呼吸、重心移動──すべてが揃って初めてトップスピードに乗る。
だが、ミレアは違う。
ミレアは──助走が、無い。
踏み出した瞬間から、いきなり最高速度。
それを可能にする脚力が、あまりにも異常。
「地走型の鳥人種の脚でも追いつけないなんて……一体どんなスピードで走ってるデスッ……!?」
地走型ハーピーの平均走行速度は、時速70〜80km。
そして、特急配達員であるルッカはその中でも選りすぐりで、最高速度は、時速110〜125km程。
街中を走る存在としては、ほぼ極限だ。
結果、追いつくどころか──目に見えて距離はぐんぐんと開いていく。
スタンプ配置所。
「……そろそろ始まったかな」
係員のひとりが、のんびりと呟いた。
「うん、もう時間だしね。……去年のコボルトの子、早かったよね〜。今年も来るかな?」
もうひとりが笑う。
「来てくれるといいなぁ。一生懸命走ってるの、可愛いんだよね〜」
「分かる〜。応援したくなるよね」
そんな他愛もない会話の途中──
ザッ、と人影が現れた。
「スタンプくださいな〜♪」
何事もなかったかのように、ミレアが両手で地図兼スタンプシートを差し出していた。
「きゃあっ!?」
「わっ!?」
突然現れたミレアに驚く係員達。
「……え、なに?」
混乱する視界の中。
「ス、スタンプ? え、早くない!?」
困惑しながらも、シートが正規のものであることは一目で分かる。
「……えっと……」
迷いながら、係員はスタンプを押した。
ぽん。
「どうも〜♪」
礼を言った、その瞬間──空気が弾けた。
「ひゃあぁ!?」
胸元を叩くような圧に、思わず声が漏れる。
「な、なに今の人……」
視界が一拍遅れて落ち着いたとき、ミレアの姿はもうどこにもなかった。
残っていたのは、耳の奥に残る短い衝撃と、
その場が一度“乱された”気配だけ。
──そこへ。
「スタンプくださいデスっ!!」
今度は勢いよくスタンプシートが差し出される。
「えっ!? あっはい……」
腕を振り上げた動きに合わせて、ふわりと弱い風が遅れて流れた。
さっきとは違う。
叩かれる感じはなく、ただ空気が動いただけ。
ぽん。
係員がスタンプを押した瞬間、ルッカはもう走り出していた。
「どもデスッ!」
走りながら加速する。
だが、その差は明白。
すでに、追いつくのが不可能な程の距離ができていた。
「くっ……!」
ルッカは歯噛みする。
「こっちは止まるたびに、加速し直さなきゃいけないのに……! 加速の必要がないのは、ズルいのデスっ!!」
──なお、カンニングというズルをしようとしていたのは、ほんの数分前の自分である。
だが今は、そんなことを考えている余裕はない。
一方、ミレアはというと。
速度を一切落とさず、行く手を塞ぐ馬車は軽く跳び越え、
時には建物の壁を蹴り、家の屋根へと駆け上がる。
屋根から屋根へ。
街を、平面ではなく立体として使っていた。
「……っと」
視線の先、次の目的地を捉える。
「アレね!」
さらに速度を上げる。
街は、彼女にとって障害ではない。
ただの、通過点だった。
この“差”をはっきりと刻みつけながら、
次の局面へと突き進んでいく。
その頃、スタート地点では。
「う〜ん……?」
ルッカの妹は、封を解いた地図を手に取り、
傾けたり、回転させたり、色々な角度から眺めていた。
「……意味わかんない」
俯瞰図と現在地が、どうしても頭の中で噛み合わない。
一方。
「1と2……よし、いくぞっ!」
目的地を確認したリオは、迷いなく走り出した。
「あっ……! クッソ!」
ルッカの妹は、地図を見るのをやめる。
そして即座に、リオの後ろを追いかけた。
──姉が他のスタンプを回るなら。
──自分は、目的地が同じ相手について行けばいい。
判断は早かった。
「……っ?」
走り続けるリオは、背後に視線を感じて振り返る。
(あの人、一緒に走った人だよね? ついてくるの?……それなら!)
チョコパイ食い競走では負けた。
だが、その記憶が、リオの中で小さく火を点ける。
(鬼さん、こちらっ!)
ハーピーは速い。しかしそれは、直線ならの話だ。
入り組んだ道。曲がりくねった路地。
そこでは、コボルトの身体能力が活きる。
リオは、意図的に進路を変えた。
大通りを外れ、裏路地へ。
普段から街を歩き回り、食料を探し、
小さな抜け道を覚えてきた。
この街は、彼にとって“庭”だった。
ミレアほどではないが、リオもまた、地形を知っている側の存在だ。
「はぁ!?」
後ろから、声が飛ぶ。
「なんで、そんな道……! 近道でもあんの……!?」
判断に迷いながらも、ルッカの妹は追いかける。
「〜♪」
リオは、鼻歌混じりだ。
狭い道を、柵をくぐり、箱を飛び越え、
ほとんど減速することなく駆け抜けていく。
「チクショウ……!」
ルッカの妹は歯を食いしばる。
「嵌められた……!」
すぐに悟った。
これは、単なる逃走ではない。
追う者を、“振り落とす”走りだ。
柵を飛び越え、急カーブを曲がる。
ハーピーの脚力で必死に食らいつくが、無駄な一歩が少しずつ差になる。
距離は、確実に開いていった。
「っ……!」
視界の先で、リオの背中が小さくなる。
──線じゃない。
──速さだけじゃない。
この街では、知っている者が強い。
その事実をルッカの妹は、身をもって理解し始めていた。
「ちぃっ……!」
ようやく路地を抜けた先。
小さな広場の中央で、リオがスタンプを受け取り、走り出すところだった。
「ワッフ〜ン♪」
上機嫌な鼻歌。
その余裕が、妙に腹立たしい。
「……っ!」
苛立ちを飲み込み、ルッカの妹もすぐさま動く。
「クソっ……スタンプ、早くちょうだい!」
「は〜い、頑張ってね〜」
係員からスタンプシートを受け取ると、一拍も置かずに地面を蹴った。
「……ああ、そうだったわね」
走りながら、ふと思い出す。
「あいつ、前回の優勝者じゃない……!」
ようやく、自分が必死に追いかけている相手の正体を思い出した。
目立っていたのは、あの人だった。
異様な速さで、切り裂くように走る、あの存在。
でも──
その隣の相方も、決して飾りじゃない。
確かな実力。
街を知り、身体を使いこなす走り。
「……姉だけじゃない」
ルッカの妹は、歯を食いしばる。
「目標を追いかけてるのは……私も同じじゃない」
視線の先。リオの背中は、まだ見える。
「こうなったら……」
息を整え、脚に力を込める。
「やってやるわよ!」
闘志が、はっきりと火を点けた。
ただ追うだけじゃない。
振り回されるだけでもない。
──この街で。
──この競技で。
自分が、どこまで通用するのか。
ルッカの妹は、その答えを掴みに行くようにリオの背中を追い続けた。
その頃、ミレアは──
すでに七つ目のスタンプを押し終えたところだった。
「ふっふ〜ん♪ あとひとつね!」
足取りは軽く、表情も上機嫌。
順調そのものだ。
追いかけてきていたはずのルッカの姿は、もう見えない。
「さっさと行って、ゴールに向かわないとね」
そう呟き、最後のスタンプへ向かって走り出す。
──が。
ふと、足が止まった。
鼻先をくすぐる、香ばしい匂い。
「……あ」
露店の前だった。
炭火で焼かれた串焼きが、いい色をしている。
「じゅるり……」
迷いは、ほぼ無い。
ぱくっ。
「……ん♪」
頬張りながら、自然と歩き出す。
「なかなか、いけるわね!」
味の感想は軽め。
だが、満足しているのは確かだった。
そのまま、最後のスタンプ配置所へ辿り着く。
「スタンプくださいな〜、もぐもぐ♪」
串焼きを片手に、地図兼スタンプシートを差し出す。
「え……選手、ですよね……?」
係員は一瞬、目を瞬かせた。
「なんで串焼き……?」
困惑しつつもシートが正規のものだと確認し、スタンプを押す。
ぽん。
「……はい、どうぞ」
「ど〜もっ♪」
礼を言い、ミレアはそのままゴール方向へ向かう。
歩幅は一定。
焦りも、躊躇もない。
競技中であることすら、どこか“ついで”のように。
──スタンプラリーは、彼女にとって探索でも競争でもない。
ただ、街を通過するための理由に過ぎなかった。
ゴールは、もうすぐそこだった。
ふたつ目のスタンプを獲得したリオは、
迷うことなくゴールへ一直線に向かっていた。
「フッ……フッ……フッ……!」
呼吸は荒いが、脚は止まらない。
さきほどまで背後にあった気配は、もうない。
ルッカの妹の姿は見えず、完全に振り落としたようだった。
(ここを曲がれば……ゴールだ……!)
角を一つ曲がった、その先。
視界に、ゴールの横断幕が飛び込んでくる。
そして、その下──背を向けて立っている人影があった。
「……え」
「お姉さん……?」
すでに、ミレアが待っていた。
「本当に……全部回ったの……!?」
あまりの早さに、半信半疑の声が漏れる。
それでも、疑うより先に信じてしまうのがリオだった。
「ワッフ! おまたせ、お姉さん!」
リオは勢いよく跳び、ゴール地点へと飛び込む。
「お?」
ミレアは振り返り、少しだけ目を丸くする。
「思ったより早かったわね、リオ。はい、串焼き」
「え、いいの!?」
差し出された串焼きを、二本受け取る。
その代わりに、スタンプシートをミレアへ手渡した。
「ハグハグッ!」
受け取るなり、即座にかぶりつく。
尻尾が、激しく左右に振れた。
「よしっ。はい、これで十個全部揃ってるわ」
ミレアは、揃ったスタンプシートを係員に差し出す。
「……はい、確かに……」
係員は目を落とし、数を確認する。
「まだ開始して、数分ですよ……?」
声色には、疑問と、若干の不満が混じっていた。
「それがなに?」
「い、いえ……まぁ……」
しばし迷った末、
「……はい。問題ありません」
ズルをした痕跡は、どこにもない。
規定通り。完全な優勝だった。
「よし」
ミレアは、満足そうに小さく頷く。
「……よくやったわ、リオ」
そう言って、リオの頭を撫でる。
「っ……!」
一瞬、動きが止まり、
「えへへ……」
照れたように笑って、尻尾をさらに大きく振った。
「ふふっ」
ミレアも、楽しそうに微笑む。
こうして──スタンプラリーは、ふたりの優勝で確定した。
街のどこかでは、まだ必死に走っている者もいる。
だがゴール地点には、すでに静かな達成感だけが残っていた。
その頃、エクス姉妹は──
「かんっ、ぜんっ、にっ! 見失った、デーースッ!!」
街の一角で、ルッカの声が響き渡っていた。
手にしているスタンプシートには、四つの印。
「なんデスか、あれ!? 建物の上を、あんな軽やかに……!
あんなの、ありデスか!?」
ルッカは必死に視界へ収めようとした。
だが、角を曲がった時にはすでに遅し。
ミレアは屋根から屋根へ。
地形を無視した直線移動。
地面を走る自分と、空間そのものを使う走り。
どちらが早いかなど、考えるまでもなかった。
「……本当に、とんでもない人デス」
ぽつりと、感嘆の声が漏れる。
「ミレア先輩は……」
そこへ──
「……くっそ! ここ、どこよ!?」
不機嫌そうな声が割り込んだ。
目の前に現れたのは、完全に迷子になっている妹だった。
「あれ? なんで、ここにいるデス?」
ルッカが首を傾げる。
「あぁ!? それは、こっちのセリフなんですけど」
妹は睨み返す。
「私は、ミレア先輩を追って……完全に見失ったデスよ」
そう言いながら、さらりとスタンプシートを見せる。
「あっそ。ま、私は自分の仕事はしたけどね」
妹も、自分のシートを差し出した。
そこには、二つのスタンプ。
「おぉ!」
ルッカの目が輝く。
「ちゃんと、迷わずに行けたデスね!」
「……う、うん」
妹は、露骨に視線を逸らす。
「……ん?」
ルッカは、ふと周囲を見回した。
「ならどうしてここに居るデスか? ゴールは向こうデスよ」
翼で、ひとつの方向を指す。
「わ、わかってるってば! 今から向かうところよ!」
「嘘デス」
即答。
ルッカは、反対方向──
正しいゴール地点を指し示す。
「ゴールは、あっちデス」
「んなっ……!?」
「……また、迷ったんデスね?」
じとり、とした目。
「っ……仕方ないじゃない!」
妹は声を荒げる。
「あのリオってコボルト、めちゃくちゃ速いんだから!」
羽をばたつかせながら続ける。
「直線でも早かったけど、街中ならもっと速かったのよ!」
「そうデスか」
ルッカは、すぐに理解した。
「それで、追いかけてたら振り切られたと」
「……そうよ」
妹は、むくれる。
「しょうがないデスね」
ルッカは、ふっと息を吐いた。
「残りは一緒に周るデスよ。しっかり、ついて来るのデス!」
そう言うが早いか、ルッカは走り出した。
「あっ、ちょっと! 待ちなさいよ!」
慌てて、その背中を追う妹。
言い合いながらも、今度はちゃんと同じ方向へ。
エクス姉妹は、再び街の中へと駆け出していった。
ゴールは、まだ少し先だ。
十皿目『ミレたん、通過点』
おしまい




