八皿目『ミレたん、神速のチョコパイ食い競走 ②』
「ありゃりゃ。リオは三着。決勝戦進出ならずね」
選手の待機所の端で、ミレアがのんびりとした声を出した。
「おお〜、うちの妹が勝ったデ〜ス!」
ミレアの隣で、胸を張って叫んだのは一人の少女。
先ほど走者としてゴールしたハーピーと、同じ羽色、同じ脚をしている。
「アレ、あなたの妹なのね」
ミレアは横目でちらりと見てから、少し首を傾げた。
「てことは……あなたも、いい走りをするのかしら?」
「もちろんデスよ!」
ハーピーの少女は即答した。
「なんたって私は、特急配達員なのデスから! 脚力には自信あるのデス!」
言い切りながら、軽くその場で足踏みをする。
靴底が乾いた音を立てた。
「営業成績一位と、特急便成績一位との勝負なのデス!」
ぐっと身を乗り出し、目を輝かせる。
「ミレア先輩っ!」
名前を呼ばれて、ミレアは一瞬だけ瞬きをした。
「……あなた、わたしのこと知ってるの?」
「もちろんデス!」
勢いよく頷く。
「というか、ミレア先輩! 私のこと覚えてないんデスか!?」
「え?」
ミレアは本気で考えるように、少しだけ間を置いたあと、
「全然知らないわ。だれ、あなた?」
あっさり言った。
「ひどいのデス!!」
ハーピーはその場で崩れ落ちそうな勢いで肩を落とす。
「同じ支部なのに……同じ配達員なのに……!」
背景に、見えない効果音が鳴った気がした。
──ガーン、という感じで。
ミレアはそんな様子を見て、悪びれもせず首を傾げる。
「支部、広いからね。配達員も多いし。……ご飯おいしいし」
「言い訳が雑なのデス……! あとご飯は関係ないのデス!」
ハーピーは羽をばたつかせながら抗議するが、ミレアはどこ吹く風だ。
「……コホン。では改めて、自己紹介なのデス」
ハーピーは一度咳払いをすると、
びしっと姿勢を正し、ミレアに正面から向き直った。
「アークリンク・ヴァルグレア支部所属。
鳥人種の──ルッカ・エクスなのデス!」
胸を張り、指先までぴんと伸ばす。
一つ一つの動作がやたらと大きい。
「ルッカ、ね」
「はいなのデス!」
その一言だけで、ぱっと表情が明るくなる。
「ミレア先輩には、私が初めてお仕事に向かう時に──
『お仕事、気をつけてね。いってらっしゃ〜い♪』って、
可愛く送り出してくれたのデス!」
そう言って、遠くを見る目になるルッカ。
明らかに美化された記憶だ。
「ん〜……」
ミレアは少し考えるそぶりを見せてから、
「全然覚えてないわね。それ、誰にでも言ってそうね。わたし」
あっさり言った。
「な、なんデスと……!?」
次の瞬間、ルッカはガガーンという効果音が聞こえそうな勢いで、両手を地面について崩れ落ちた。
「あぁぁ……! あの可愛くて、素敵なミレア先輩に憧れて……
今日まで頑張って来たのに……!
私のこと、覚えてないなんてっ……!」
「……あーうん。なんかごめんねー?」
ミレアの声は、軽い。
「うぅ……でも、いいのデス……」
ルッカは膝をついたまま、肩を落とす。
「緊張して、まともに話せなかった私が悪いのデスから……
それじゃあ、その辺の石ころと印象が変わらないだけなのデス……!」
自虐混じりに、深く落ち込む。
「そこまで言ってないけど……」
ミレアは首を傾げ、
「使い古して、ちょっと色褪せた食器くらいの印象は残ってると思うわ」
とてつもなく適当なことを言った。
もちろん、慰めにはなっていない。
「……ほんとデスか……?」
かすれた声で聞き返すルッカ。
「うん。だから、元気出して?」
そう言って、ミレアは手を差し伸べた。
一瞬だけ迷ってから、ルッカはその手を取る。
「……やっぱり、ミレア先輩は優しくて、素敵な先輩なのデス」
引き上げられながら、しみじみと言う。
「っと、そろそろ私たちの番なのデス」
立ち上がると、すぐに切り替えた。
「あら、それじゃあ行こっか」
「はいなのデス!」
ふたりは並んで歩き出し、
それぞれの持ち場へと向かった。
甘い匂いと喧騒の中、次の競技が静かに準備されていた。
「よ〜し! 張り切って行くデスよ〜!」
スタートラインで、ルッカが軽くぴょんぴょんとジャンプする。
声だけがやけに元気だ。
その横に並ぶ走者たちは、明らかに様子が違った。
成人したスリムな狼種。
筋肉の塊のような、ガタイのいい虎種。
そして、下半身をとぐろのように折りたたんだ蛇人種。
誰が見ても、速さか、力か、体格か。
いずれかが突出した面子だ。
「……どうして、わたしここに入れられたのかしら?」
ミレアは、周囲を一度見回してから、ぽつりと呟いた。
この中で、一番小柄で、一番特徴が薄い。
一見すると、完全に場違い。
──理由は単純だった。
エントリーの際、
名前と種族欄に“竜人種”ではなく、
ミレアは“竜種”と素直に書いてしまった。
それを見た運営が、
「煌竜では?」
「ヤバイやつじゃない?」
と判断し、迷わず“要注意枠”に放り込んだ結果である。
「……ん?」
隣のタイガーが、ようやくミレアに気付いた。
大きな影が落ち、見下ろされる。
ミレアも、それに合わせて顔を上げる。
「……子供……?」
タイガーの低い声。
身長差は歴然で、ミレア二人分は縦に並べそうだ。
「……もふもふ」
無意識に、ミレアが呟く。
「っ……!」
タイガーの肩がぴくりと揺れた。
「気安く触ってくれるなよ、嬢ちゃん」
警戒を含んだ声。
だが、完全に突き放すほどでもない。
その様子を、観客席からサクラが見ていた。
「……なんと言うか。アウェー感が凄まじいですね」
並ぶ体格差を見て、率直に言う。
大人の集団に、子供が一人紛れ込んだようにしか見えない。
「仕方ありません」
サクラは一度息を吸い、
「……すぅ〜……」
そして、腹の底から声を張り上げた。
「ミレア様〜〜! 周りは大人しか居ませんから〜!
本気でやっちゃっても、大丈夫ですよーー!!」
一瞬、会場が静まり返る。
直後、ざわりと視線が集まった。
だがサクラは、まったく気にした様子がない。
羞恥を司る感情は、すでにミレアに抜き取られている。
注目されること自体が、意味を持たない。
ミレアは、観客席の方を見て、軽く手を振った。
「聞こえたよ〜」と言いたげな仕草。
「……サクラの許しも貰えたことだし」
小さく肩を回しながら、ミレアは言う。
「遠慮なく、行かせてもらうわね」
その一言で、空気がわずかに変わった。
「……な、なにやら」
ルッカが、羽を逆立てる。
「侮れない気配が漂って来たのデス……!」
スタートラインに、緊張が走る。
誰もまだ気付いていない。
この中で一番“異質”なのが、
一番静かなその子だということに。
そしてスタートの合図が、乾いた音を立てて鳴り響いた。
ミレアは、誰よりも早く踏み出した。
風を切る、という表現ですら生温い。
身体が前へ“抜けた”。
「は、速いのデス……!!」
「速ぇ!?」
「なんだぁ!?」
周囲の走者たちが、一斉に目を見開く。
脚力でも、体格でもない。
単純に、初動が異常だった。
「……よっと」
軽い声とともに、ミレアは跳ぶ。
ほんのわずかな浮遊。
そのまま、ぶら下がるチョコパイへ口を寄せる。
「はむっ……ん!?」
噛んだ瞬間、衝撃が走った。
ミレアの目が、きらりと光る。
──理解した。
外側のチョコは薄く、歯を入れる抵抗が少ない。
生地は潰れにくく、走りながらの咀嚼にも耐える。
中の生クリームは重すぎず、飲み込みを妨げない。
構造として、完成している。
刹那、ぶら下がっていた全てのチョコパイが、消えた。
次の瞬間。
ミレアは、もうゴール地点にいた。
頬いっぱいにふくらませ、口にチョコパイを咥えたまま、
もぐもぐと咀嚼している。
足は止まり、表情は至って平常。
──何が起きたのか。
ミレアは跳躍中、チョコパイをひと噛みした。
その瞬間、結論に至った。
これは、他人に渡すには惜しい。
全て、わたしが喰らう。
判断は一瞬だった。
人の視覚が追いつく前に、
獣人の動体視力が意味を成す前に、
残存していたすべてのチョコパイは、
ミレアの口の中へと消えた。
追跡不能。
計測不能。
記録不能。
──まさに神速。
確認できた事実は、この二つだけ。
チョコパイが消えたこと。
ミレアが、すでにゴールしていること。
そして──会場は、静まり返っていた。
遅れて、他の走者たちがチョコパイが吊るされていた紐の前に到達する。
しかし、件のチョコパイは無く、選手たちは困惑で立ち尽くしていた。
だが、勝負はすでに終わっている。
「……んん〜♡」
ゴール地点に立つ彼女の頬は、すでに限界まで満ちている。
口内では複数のチョコパイが重なり合い、舌と上顎の間で順序よく待機していた。
ミレアは急がない。
「むぐむぐ……」
まず一つ、前歯で静かに切り分ける。
歯が触れた瞬間、表面のチョコがわずかに冷たく感じられ、その薄い層が抵抗なく割れる。
すぐ下にある生地は、しっとりとして押し返さない。
力をかければ、その分だけ形を変える素直さがある。
甘みは前に出すぎず、カカオの香りが先に立つ。
噛み進めると、中心のクリームに辿り着く。
ここで、口内の温度に反応する。
クリームは溶けるのではなく、ほどける。
チョコと生地をなだらかにつなぎ、どれか一つが浮き上がることを許さない。
ミレアは一度噛み、間を置き、もう一度噛む。
二度目には角が消え、全体が一つのまとまりに近づいている。
それでも、重さは残らない。
頬の奥に控えていた別のチョコパイが、自然に前へと押し出される。
競う気配はなく、順番が来たから出てきただけ、という動きだ。
噛み重ねるたびに、生地のきめ細かさが際立つ。
崩れ方は一定で、作為的なバランスが最後まで保たれている。
クリームは量を誇らず、役割に徹する。
主張しないことで、全体を支えている。
息を吐くと、甘い香りが喉の奥から鼻へ戻る。
外へ散らず、体の内側で完結する香りだ。
だから、次を入れても混ざらない。
舌は忙しく動きながらも、落ち着きを失わない。
押し潰すことはせず、厚みや層を確かめるように歯へ運ぶ。
薄いチョコ。
均一な生地。
過不足のないクリーム。
噛むほどに、納得が積み重なっていく。
量は減っていないのに、満足だけが増えていく。
甘いのに重くならず、軽いのに不足しない。
飲み込むとき、引っかかりはない。
そのまま、静かに落ちていく。
余韻を追う間もなく、次が口内で形を変え、
最後を意識したときには、それもすでに消えていた。
ミレアは唇を閉じ、最後の一噛みで味を整える。
そこに勢いはない。
ただ、最初から最後まで変わらない調子で続いた甘さへの信頼だけが残る。
舌の上に残るのは、甘みとカカオの落ち着いた影。
それが消えきる前に、もう一度欲しくなる。
そう思わせる余白を残したまま、
チョコパイの時間は、静かに終わる。
《ロッテ チョコパイ》は、
“満ちているのに、余白が残るという不思議な形”だった。
「チョコパイ、とってもおいしかったわ♪」
ミレアは満足そうに頷いた。
「サクラの言った通り、ちょっとしたご褒美にもってこいね!」
屈託のない感想。
その背後で、ようやく走者たちは──
勝敗が、すでに終わっていたことを悟る。
「と、特急便成績一位の私が……手も、足も、出なかったのデス……」
ルッカは立ち尽くし、震える声で呟いた。
「これが……ヴァルグレア支部、営業成績……第一位……」
ルッカは、地走と飛行を両立する万能型の特急配達員だ。
地形を選ばず、走れなければ羽ばたき、
どこへでも最速で荷を届ける。
自分より速い者はいない。
そう信じて疑わなかった。
──ついさっきまでは。
ミレアとの間に横たわる差は、 技術でも経験でもなく、
そもそもの“次元”が違っていた。
「くそっ……とんだダークホースだぜ……」
タイガーが低く吐き捨てる。
「彼女は……一体、何者?」
ナーガが静かに口を開いた。
「……すっごく優秀な配達員なのデス」
ルッカが答える。
その声には、はっきりとした重みがあった。
「配達員、ねぇ……。あんなのが配達員をやってるか」
ウルフが眉をひそめる。
「あんなのだから、配達員をやってるんじゃないか?」
タイガーが腕を組む。
「アークリンクは、国の重要物資も運ぶと聞く。なら、一配達員が国の要を担うと考えても不思議じゃない」
「……なるほど」
ウルフは、ゆっくりと息を吐いた。
「国のライフラインを任せるなら……あれくらいの“バケモン”じゃなきゃ、話にならねえか」
「きっと……報酬も、破格」
ナーガが淡々と言う。
「違いないな」
タイガーが同意する。
「……」
ルッカは、何も言わなかった。
──知っているからだ。
ミレアが、報酬をあえて受け取っていないことを。
誰に対しても分け隔てなく、
危険地帯であろうと嫌な顔ひとつせず依頼を受ける。
以前、世界級の厄災・バジルグロンドが村を襲った際、
“薬を届けるついで”に討伐したという話を聞いた時、
ルッカは言葉を失った。
その直後、長年物流を阻んでいた岩山を平地に変え、
村の悩みを一瞬で消し去ったという逸話。
英雄譚そのものだ。
それでも彼女は、
薬の配達分──
それも国内便の最低限の報酬しか受け取らなかった。
とても真似できる生き方じゃない。
だからこそ、憧れた。
「ミレア先輩は……本当に、すごい人なのデス……」
そう呟いてから、ルッカは顔を上げた。
「……ミレアせんぱ〜い!」
元気よく声を張り、ミレアの元へと駆けていく。
「さっきの、どうやったんデスか〜?」
その声は、次第に遠ざかっていった。
残された三人は、視線を交わす。
「……ミレア、か」
「要注意人物だな」
「監視を……付ける、べき」
低い声で、密談する。
「少なくとも、リストには載せておくべきだ」
「うむ。……暇つぶしの催しだったが、思わぬ収穫だ」
ウルフとタイガーが短く頷く。
「……しかし」
ナーガが静かに続ける。
「高機動戦を……得意とする、我ら禁忌執行部隊……。
疾牙団の……機動力を遥かに、凌駕するとは」
「上には上がいるってもんだ」
ウルフが肩をすくめる。
「竜人種って感じじゃねえな。……煌竜、か?」
「恐らくな」
タイガーが低く答える。
「“竜もどき”とは、比べ物にならん」
「……要、観察」
ナーガが、そう結論づけた。
その視線の先で、ミレアはルッカに囲まれながら、
のんびりとチョコパイの話をしていた。
何も知らないまま。
あるいは──
知っていて、気にしていないまま。
八皿目『ミレたん、神速のチョコパイ食い競走 ②』
おしまい




