八皿目『ミレたん、神速のチョコパイ食い競走 ①』
パン食い競走──
そう呼ばれていた催しは、今回は少し様子が違った。
ぶら下がっているのはパンではなく、艶のあるチョコパイ。
甘い匂いが風に乗り、観客席からざわめきが広がっていく。
出走を待つ順番。
今、待機列に並んでいるのは、リオたち獣人枠の子どもたちだった。
「うぅ……緊張する……」
思わずこぼれた声は、自分でも驚くほど小さかった。
「なんだよ。まだ始まってねえのに、もう緊張してんのか?」
そう声をかけてきたのは、同じ走者のコボルト。
狼種の男の子で、年頃もリオとほとんど変わらない。
「……まだ始まってないからだよ」
そう返すと、
「お? そっか」
妙に納得したような顔をする。
犬種のコボルトに比べて、狼種は成長後の身体能力が跳ね上がる。
その代わり、頭の回転はやや単純だとよく言われている。
──要するに、今はまだ似たようなものだ。
「テメーにはぜってぇ負けねえからな、このヤロウ!」
隣で声を荒らげたのは、山羊種の女の子だった。
「上等よ! アンタなんか余裕で追い抜いてやるわ!」
即座に言い返したのは、鳥人種の女の子。
ふたりとも年は近そうで、リオよりは五つほど上に見える。
立ち方も目つきも、すでに遠慮というものを知らない。
「言ったなテメェ! 負けたらあたしの角でつつき回してやるから覚悟しな!」
サテュロスの子が一歩前に出る。
「はんっ。そんな貧相な角、私のキックでへし折ってやるんだから」
ハーピーの子も負けずに睨み返す。
一触即発──
その間に、ふわりと割って入る影があった。
「……まあまあ。みんな仲良くしましょ〜ね〜」
ほんわりした声。
牛種のお姉さんだった。
この中では、間違いなく一番年上。
背も高く、表情は柔らかい。
彼女は自然な動きで、二人の首に腕を回し、
そのまま抱き寄せるように――しっかりと、ホールドした。
「んげっ!」
「うぐっ!」
思わず漏れた声が重なる。
「は〜い、いい子いい子〜」
終始、笑顔のまま。
「ちょっ……離せ、この怪力女っ!」
「く、苦し……っ!」
じたばたと身をよじる二人。
「喧嘩はだめよ〜? 仲良くしなきゃ〜」
言葉は優しい。
だが力は、まるで優しくない。
「わ、わかった! わかったから離してっ……!」
「今、グキッて言った! ギブ! ギブギブギブ!!」
ようやく腕が緩み、二人は解放された。
「あら〜、ごめんなさ〜い。つい力加減、間違えちゃったわ〜」
息を荒くする二人を、申し訳なさそうに見下ろすミノタウロス。
その様子を少し離れたところから眺めながら、リオは呟いた。
「あのお姉さんたちが……競争相手かぁ……」
自然と肩がすくむ。
「みんな力強えからな。転けて潰されねえようにしろよ?」
ウルフの子が、軽く肘で突きながら言う。
「う、うん……」
「特にハーピーな。家の石壁くらいなら、簡単に蹴り抜くらしいぜ?」
「ひ、ひぇ……」
想像しただけで、背筋が冷える。
「サテュロスのねーちゃんも要注意だ。目の前に出たら、そのまま突進されて吹っ飛ばされるぞ、たぶん」
「こ、怖いこと言わないでよ……」
リオの反応を見て、ウルフの子は楽しそうに笑った。
「にししっ。ミノタウロスは……まあ、見ての通りだな」
「……力、すごく強いもんね」
「ああ。だから俺たちは──追いつかれないように、スピード勝負だ!」
そう言って、拳を軽く握る。
「うん! お互い、頑張ろうね!」
リオも、同じように力を込めた。
甘い匂いの漂う会場で、
チョコパイ食い競走は、もうすぐ始まろうとしていた。
──────────
合図とともに、競技が始まった。
直線コース。しかし途中には、低めとはいえ連続するハードルが待っている。
スタートダッシュで前に出たのは、リオとウルフだった。
「……よしっ!」
「先頭は俺たちだ!」
地を蹴る脚が軽く、呼吸も乱れない。
そのすぐ後ろを、ハーピーが追う。
「私より子供とは言え、さすがはコボルトね!」
さらにサテュロス、最後尾にミノタウロス。
「くそっ、あいつら速ぇ!」
「だ、大丈夫よ〜。まだこれから〜」
前の三人は、揺れにも迷いなくチョコパイを咥え取った。
「んっ……!」
「よっしゃ、取った!」
少し遅れてハーピーが咥え取る。
「……ふんっ! こっから巻き返す!」
勢いのまま、間を置かず走り出す。
一方、後ろの二人は違った。
先の三人が取った反動で紐が大きく揺れ、
サテュロスは狙いが定まらず、ミノタウロスはタイミングを完全に外す。
「ちょ、揺らすなっ!」
「あ、あら〜……今のは失敗ね〜」
遅れながらも、どうにか咥えた二人が走り出した頃、
前方ではすでにハードル区間に入っていた。
リオとウルフは、脚力はあるが慣れていない。
「は、ハードル多くない……!?」
「くっ……間隔、短ぇな!」
低いとはいえ連続する障害に、リズムが崩れる。
対してハーピーは、まるで違った。
「この程度の高さなら、日常茶飯事よ!」
脚の運びに無駄がなく、姿勢も崩れない。
跳ぶたびに速度を落とさず、むしろ差を広げていく。
「……そのまま、行く!」
そのまま、最初にゴールラインを切ったのはハーピーだった。
「は、速……っ!」
「ちっ……!」
少し遅れて、リオとウルフが並んで最後の直線に入る。
そして、同着。
だが、ほんのわずか──
鼻先の長さほどの差で、ウルフが前に出た。
ウルフが二着。
リオが三着。
そして後方では、別の意味で大変なことになっていた。
ミノタウロスは、ハードルが苦手だった。
踏み切りが遅れ、着地も不安定。
そのたびに隣を走るサテュロスの進路を塞ぐ。
「てんめっ! あたしの進路塞ぐんじゃねぇ!」
サテュロスはチョコパイを咥えたまま、文句を言い続けている。
「ご、ごめんなさ〜い……!踏み切りが〜……」
ミノタウロスも同じく咥えたまま、ひたすら謝っている。
並走というより、巻き込まれながらの前進。
結果、二人はそのままの順でゴールした。
順位は確定した。
一位、ハーピー。
二位、ウルフ。
三位、リオ。
四位、サテュロス。
五位、ミノタウロス。
ゴール後、ようやく全員が立ち止まる。
咥えていたチョコパイを手に取り、それぞれが、ようやく落ち着いて口に運ぶ。
「ん〜、悔しかったけど……おいしい……」
甘さが広がり、緊張が解ける。
息を整えながら、笑ったり、拗ねたり、満足そうに頷いたり。
競争は終わり、ゆっくりと甘い余韻に包まれていった。
八皿目『ミレたん、神速のチョコパイ食い競走 ①』
おしまい




