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【食品メーカー複数社監修】終焉の神ですが 今日も人の感情でお腹を満たす【もぐもぐ神™】  作者: 黒井津三木
献立4 お菓子 ときどきごはん

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七皿目『ミレたん、パン食い競走をフライング』

※今回は想定より話が膨らんだため、前半・後半の2回に分けています

三人での休憩を終え、会場の空気が少しずつ動き始める。


人の流れが増え、遠くでは係員の声が響き、紐に吊るされた白い布や支柱が調整されていく。

“次の競技”が、確実に準備段階へ入っているのが分かった。


「わたし、競走で走るコースを下見してくるわね」


そう言って、ミレアは椅子から立ち上がる。

軽い動作だったが、その視線はすでに会場の奥、競技エリアへ向いていた。


「あ、はい。いってらっしゃいませ」


サクラは自然に頭を下げる。


「リオも一緒に行く?」


ミレアは振り返り、声をかける。


「ううん、大丈夫。子供向けのコースって、まっすぐ走るだけだから」


リオは気楽に答え、椅子に座ったまま尻尾を軽く揺らした。


「……子供向けのコース……?」


ミレアは眉をひそめる。


「大人向けのコースがあるの?」


「うん。平均台があったり、軽く飛び越えたりとか、色々だよ」


思っていたよりも単純ではない。

ミレアは一瞬だけ視線を上げ、頭の中でコースを組み立て直す。


「落としたら失格ですから、下見をするのは正解だと思いますよ」


サクラが静かに言った。


「そうね。軽く見るつもりだったけど……しっかり見てくるわ」


そう言い残し、競技エリアへ向かって歩き出す。


「は〜い。開始時間までには戻ってきてくださいねー」


サクラの声を背に、ミレアは人の間を縫うように進んでいく。



──────────



競走コースは、すでにほぼ完成していた。


地面には白線が引かれ、途中には低い障害物。

平均台は幅広だが油断すると足を取られそうで、飛び越え用の柵も高さは控えめながら、連続すると息が上がる構成だ。


「……なるほどね」


ミレアは足を止め、一つひとつを目で追う。

走るだけではない。

走りながら、判断し、姿勢を保ち、最後に口を使う。


競技としては、よく出来ている。


コースの端から端まで一通り眺め、ぐるりと回り込んだところで──ふと、別の気配に気づいた。


甘い香り。

お菓子とは違う、もっと素朴で、焼き色を想像させる匂い。


視線を向けると、テントの脇に積み上げられた箱があった。


箱、箱、箱。

その中には、競技用に用意された大量のパン。


丸いもの、細長いもの、少し大きめのもの。

どれも表面にこんがりとした焼き色をまとい、白い布の下で静かに出番を待っている。


「……あら」


思わず、声が漏れた。


色とりどりのパンの山。

競走の“主役”が、まだ誰にも触れられず、そこにあった。


ミレアは一歩近づき、匂いを確かめるように鼻をひくりと動かす。


「これは……」


箱の前に立ったまま、ミレアはしばらく動かなかった。


白い布の隙間から覗く焼き色。

均一ではない表面。

ほんのり立ち上る、小麦と酵母の匂い。ジャム、餡子、クリーム。様々な匂いが立ち込める。


それは競技の備品というより、

誰かに食べられるのを待っている食べ物にしか見えなかった。


「パンがいっぱい……」


ミレアは独り言のように呟き、箱の縁に指先を掛ける。

布をめくると、パンがきれいに並んでいるのがはっきり見えた。


触れられていない。欠けてもいない。

熱はすでに落ち着いているが、乾ききってもいない。


「……これ、もう冷めちゃってるわよね」


答える者はいない。

周囲には係員も参加者もおらず、準備だけが終わって置き去りにされた一角。


ミレアは首を傾げる。


「……誰も、食べないの?」


その問いは、競技に向けたものではなかった。

ただ純粋に、目の前にある食べ物が放置されている理由が分からなかっただけだ。


パンは逃げない。だが、時間が経てば硬くなる。

美味しい時間は、確実に過ぎていく。


「もったいないわ」


即断だった。


ミレアは一つ手に取る。

思ったより軽い。

表面はふわりとして、指の形がすぐに戻る。


「……ちゃんと、美味しそうなのに」


競技のため。

吊るすため。

走らせるため。


そんな前提は、彼女の意識には一切なかった。


あるのは──今ここにあって、誰にも選ばれていないパン。


「誰も食べないなら、わたしが食べるね。……いただきます」


誰に許可を取るでもなく、

ミレアは一口、齧った。


ぱふ。


小さく、柔らかな音。

噛んだ瞬間に広がる、小麦の甘さ。


「……んっ」


目が、少し見開かれる。


「……普通に美味しい」


次を食べない理由が、もう見当たらなかった。


二つ目。

三つ目。


箱の中で整然と並んでいたパンが、少しずつ減っていく。


四つ目。

五つ目。


「はむはむ……誰も食べないなら、もらっちゃっていよね」


“競技用”という言葉は、最後まで浮かばなかった。


ミレアにとってそれは、

誰も手を伸ばさなかった食べ物が、たくさん置いてある場所でしかなかったのだから。


大量のパンでずっしりした箱の中は、いつの間にか随分と軽くなっていた。


整然と並んでいたはずのパンは姿を消し、

底板の木目が、少しずつ顔を出している。


「……あと、ひとつね」


ミレアは最後に残ったパンを手に取り、迷いなく口へ運ぶ。


はむっ。


柔らかな食感と、小麦の甘さ。

それをしっかりと味わい、最後まで噛みしめて飲み込む。


空になった箱を一度だけ覗き込み、満足そうに頷いた。


「ごちそうさまでしたっ♪」


弾んだ声を残し、ミレアは上機嫌のまま踵を返す。

競技エリアの方へ、何事もなかったかのように歩いていった。




少ししてから、係員が箱の前にやって来る。


「……あれ?」


白い布をめくり、目を瞬かせた。


「……パン、どこ行った?」


箱の中は空っぽ。

あるはずのパンの山は、跡形もない。


「えっ……? ついさっきまでここにあったのに……まさか盗み!?」


慌てて周囲を見回すが、そこに残っているのは──

静かな箱と、かすかに漂う小麦の香りだけだった。


競技開始まで、残りわずか。


パン食い競走の“主役”は──

すでに、誰かのお腹の中に消えていた。



──────────



競技エリアの一角が、にわかに騒がしくなった。


係員が走り、別の係員が呼び止められ、視線と声が行き交う。

準備は整っていたはずなのに、どこか歯車が噛み合っていない。


その様子を、少し離れた場所からサクラとリオは眺めていた。


「……なにか、慌ただしいですね」


騒々しい様子にサクラは眉をひそめる。


「ね。さっきまで静かだったのに」


リオは椅子の上で身を乗り出し、耳をぴんと立てた。

大人たちの足音が増え、声の調子も落ち着きを失っている。


「パンの数、確認しましたか!?」

「確認したはずなんですが……!」

「いや、全部、無いんです!」


断片的に聞こえてくる言葉に、リオの表情がわずかに固まる。


「……パン……パンが……ない?」


「どうしたんですか? リオくん」


サクラが首を傾げる。


そのときだった。


「たっだいま〜♪」


場の空気とまるで噛み合わない、上機嫌な声。


振り返ると、ミレアが手を振りながら歩いてくる。

足取りは軽く、表情は晴れやか。

さっきより随分と上機嫌で、いつもの“ミレたん”だった。

つい先ほどまでの騒ぎなど、まるで視界に入っていない様子。


「下見、どうでしたか?」


サクラが問いかける。


「うん! なかなか工夫されてて面白そうだったわ!」


そう言ってから、ミレアは首を傾げる。


「……なにかあったの?」


「なんだか、パンが無くなったんだって」


リオが少し声を落として言う。

耳を立てたまま、騒がしい方向をちらりと気にしていた。


「本当にパンが無くなったのなら……競技は中止かもしれませんね」


サクラは落ち着いた声でそう告げる。


「中止!?」


思わず声を上げる。


「仕方ないよ。パンが無くなったら、パン食い競走じゃなくなっちゃうもん」


リオは肩をすくめ、もっともらしく頷いた。


「パン食い競走がなくなる……ん?」


ミレアの声には、わずかな揺れが混じる。


「うん。裏に置いてた箱に、たくさんパンを入れてたみたいで、そのパンが無くなったって。係の人が話してるの、聞こえちゃった」


「え、裏……?……箱に……た、たくさんのパン……」


言葉の途中で、ミレアの声がかすかに震える。


「……まったく、許せませんね」


静かな怒りを滲ませた声。


「パンを盗むだなんて、不届きな輩がいるものです。これではパンやお菓子を楽しみにしていた子供たちが可哀想です」


そう言ってから、ゆっくりと視線をミレアへ向ける。


「……ねぇ、ミレア様」


同意を求めるような、穏やかな呼びかけ。


「……」


返事はない。

ミレアは視線を逸らし、どこか遠くを見つめていた。


「……ミレア様?」


再度呼ばれても、ミレアはそっぽを向いたままだ。

その様子に、サクラは確信めいた違和感を覚える。


「……あの〜……もしかして、なのですが」


一歩、距離を詰める。


「競技用に置いてあったパン……まさか、食べたりしていませんよね〜?」


声は柔らかく、笑顔も崩れていない。

だが、その笑顔の奥にある圧は、確かに存在していた。


「……し、知らないわね」


ミレアは頑なに目を合わせようとしない。


「ほんとですか?」


さらに半歩、近づく。


「本当に……食べてませんか?」


「……」


額に、じわりと汗が浮かぶ。

さきほどまでの上機嫌は、見る影もない。


「……」


サクラの影が、ゆっくりと差し込む。

笑顔はそのまま、距離だけが詰められていく。


「……たべっ……た、かもしれない……」


小さく、観念したような声。


その瞬間になってようやく、

先ほど自分が平らげたパンが、“競技用”だったという事実が、はっきりと繋がった。


場の空気が、静かに凍りつく。


パン食い競走は──

始まる前から、完全に想定外の局面へ突入していた。


サクラは思わず頭を抱え、深く息を吐いた。

リオは口を半開きにしたまま、言葉を失っている。


「……本当に、食べちゃったんですね?」


静かに、確認するようにサクラが問う。


「うん……」


ミレアは小さく頷き、視線を落とした。


「おいしそうなパンが放置されてたから……誰も食べないなら、いらないものだと思って……」


人差し指同士を、つん、つん、と合わせながら。

声は弱く、完全に反省している色だった。


「なにをやっているんですか、もう……」


呆れは確かにある。

だが同時に、こういうところも可愛いんだよなぁ。

という、どうでもいい感想が頭をよぎり、サクラは自分で自分にため息をつく。


「うぅ……だってぇ……」


ミレアは眉を下げ、今にも泣きそうな顔で抗議にもならない声を漏らす。


「すぅ……」


サクラは一度、姿勢を正した。


「仕方ありません。ここは誠心誠意、事情を説明して謝罪するしか──」


そこまで言った、そのときだった。


会場全体に、軽いハウリング音のあと、アナウンスが流れる。


『えー……参加者のみなさまにお知らせいたします』


ざわめきが、一斉に静まる。


『みなさまが楽しみにしてくださっていた、パン食い競走で使用する予定だったパンですが、誰かが食べてしまいパンが無くなってしまいました』


リオが、びくっと肩を跳ねさせる。

ミレアは、そっと目を逸らした。


『そのため、急遽ではありますが──』


一拍、間が置かれる。


『優勝賞品としてご用意していた、ロッテの《チョコパイ》を代用し、競技を続行いたします!』


一瞬の沈黙。

次の瞬間、会場がどよめいた。


「えっ……チョコパイ!?」

「パン食いじゃなくて、チョコパイ食い……?」


期待と驚きが入り混じった声が、あちこちから上がる。


リオは目を輝かせ、サクラを見上げた。


「チョコパイ……!」


サクラは額に手を当てたまま、ゆっくりと息を吐く。


「……最悪の事態は、避けられたようですね」


その横で、ミレアは小さく胸を撫で下ろしていた。


「な〜んだっ、他にもあるなら別に……」


ぽつりと零れたその一言に、サクラは思わず視線を向ける。


「ミレア様?」


「……い、いえ。なんでもないわ」


こうして、パン食い競走は想定外の主役交代を迎えながら──いよいよ、スタートラインへと向かうことになる。



──────────



ロープが張られ、一定間隔で“それ”が吊るされている。

個包装を開けられたチョコパイが、白い糸に結ばれ、ゆらり、ゆらりと揺れていた。


開封されたことで、ほのかに甘い香りが風に乗る。

焼き菓子とチョコレートが混ざった、安心感のある匂いだ。


「……本当に、チョコパイが吊るされてますね」


サクラが感慨深そうに言う。


「でもよかった〜!」


リオはぱっと表情を明るくする。


「これでパン食い……じゃなくて、チョコパイ食い競走ができるね!」


「ふむ……」


サクラはロープの高さや間隔を眺めながら頷いた。


「対応が早く、機転も利く運営ですね。こうして代替案を即座に用意できるのは、なかなか出来ることではありません」


「……チョコパイ、っておいしいの?」


ミレアが首を傾げる。


「美味しいですよ」


サクラは即答した。


「少し贅沢な感じがするので、私は疲れた日のご褒美に食べたりします」


「ご褒美にするくらいなんだ?」


「はい。それくらいのお菓子です」


「へ〜♪」


ミレアの瞳が、きらりと期待に輝く。


サクラはふと思い出したように、淡々と続けた。


「……今回の優勝賞品は、ロッテさんから《コアラのマーチ》と《パイの実》ですね。《チョコパイ》もそのひとつでしたが……」


一拍置く。


「今回は参加者全員に振る舞われてしまいましたね。……誰か様のせいで」


「……まったく、どこの誰かしらね?」


ミレアはわざとらしく腕を組み、顔を背ける。


「迷惑なやつも居たもんだわ!」


「……」


サクラは何も言わず、すっと手を伸ばした。


ぷに。


ミレアの頬を掴み、左右に伸ばしたり、縮めたりする。


「いひゃ〜〜! やめひぇ〜〜!」


容赦なく引っ張られ、声が裏返る。


ぱちん。


手が離れ、空気を切る音が小さく鳴った。


「ぇうぅ〜……」


ミレアは両手で頬を押さえ、すりすりと撫でる。


「めっ、です」


サクラは短く言い切った。


「……ぶ〜」


ミレアは頬を膨らませ、露骨に不満顔を作る。


その空気を、リオが軽やかに切り替えた。


「お姉さん、そろそろ時間だよ」


「はーい……」


少しだけ間延びした返事。


「それじゃあ、リオくん。頑張ってくださいね」


「うん!」


リオは元気よく頷く。


ミレアが一歩踏み出したところで、足を止める。


「……わたしは?」


「はい、ミレア様もがんばれー」


あまりにも軽い調子だった。


「なんか軽くなーい?」

「気のせいですよ」


「ほんとに?」

「気のせいです。はい、いっらっしゃいませー」


言い終わるより早く、サクラはミレアの背中をぐいーっと押す。


「またこれなのー?」


抵抗する暇もなく、競技エリアへ送り出される。


有無を言わさず押し出されるのは、これで二度目だった。


その様子を、リオは少し羨ましそうに眺める。


「お姉さんたち、ほんと仲がいいんだな〜」


ほっこりとした気持ちのまま、リオもまた、ミレアの後を追って走り出した。



七皿目『ミレたん、パン食い競走をフライング』

おしまい

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