四皿目『ミレたん、キャラメルとパインの夏へ出発』
赤いきつねと緑のたぬきを平らげたミレアは、ようやく色が戻ってきていた。
肩の力が抜け、息の温度も柔らかい。
「お姉さん、元気出た?」
リオがそっと覗き込む。
ミレアは胸を張り、小さくどやりながら答える。
「ええ。もうばっちりよ」
その満足げな顔に、リオはほっと笑った。
自分もつられてお腹をさすりながら、
「お姉さん、おいしそうに食べるから……ぼくまでお腹すいちゃった」
照れた声がこぼれる。
「リオもなにか食べる?」
「ううん、大丈夫。甘えてばかりじゃ……大人になれないから」
まっすぐな瞳。
小さな身体なのに、責任感の芯が揺らがない。
横で見ていたサクラが、にこりと笑って言う。
「立派ですね。ね、ミレア様?」
わざと意味を忍ばせた笑み。
それを受け取ったミレアは、むっとして唇を尖らせた。
「なによ〜……わたしのお世話するのが、ここ最近で一番楽しいって思ってるくせに〜?」
サクラの頬が一瞬で熱を帯びる。
「ちょっ……! 変なことバラさないでくださいっ! というか、なんで知っ……」
言いかけて、はっと気づく。
この人は神様。
表情も気配も、見透かされて当然だ。
「……む〜」
つまり、“神様ってずるい”。
そう言いたげに頬を膨らませる。
ミレアは楽しそうに目尻を下げた。
「サクラってば照れてるの〜?」
にまにました笑み。
悪戯を見つけた子供のように、肩が揺れる。
サクラはぷいっとそっぽを向いた。
「……ミレア様は意地悪です」
声は拗ねているのに、耳だけがほんのり赤い。
ふたりのやり取りを、リオは柔らかい目で眺めていた。
ほっとする空気が、胸の奥をあったかく満たすようだった。
「お姉さんたち、仲いいね……」
リオがぽつりとつぶやく。
さっきまでの掛け合いにほっこりしたのだろう。
尻尾がふわっと揺れていた。
サクラは顔を逸らしながら、強引に空気を切り替える。
「つ、次は虫捕りですよ! はいっ、はやく準備して下さいっ!」
照れを押しつぶすような声。
耳まで赤いまま、必死に仕切ってくる。
「同じこの森でするの? ルールは?」
ミレアが首を傾げると、リオは胸を張って即答した。
「大きい虫を捕まえればいいんだよ!」
それだけ。
本当にそれだけ。
拍子抜けするほどのシンプルさ。
ミレアはじと目で見つめる。
「……それだけ?」
「それだけです!」
サクラが即座に食い気味で返す。
「これならズルしようがないですね。はいっ、受付にいってらっしゃいませ!」
ミレアの背中をぐい〜っと押して、受付方向へ強制的に送り出す。
「ちょっとサクラ〜っ!」
ミレアは押されながら不満を漏らし、リオは後ろから慌ててついていくのだった。
時間がほんの少しだけ流れ、
子供たちのざわめきが会場全体に広がりはじめる。
湿った土の匂い、木陰を抜ける風、遠くで鳴く鳥の声、
森で行われる競技特有の“冒険前の空気”が満ちていく。
そしてスタートの合図と共に、子供たちが一斉に森へ駆け出す。
「よし! お姉さん、今度こそ優勝しようね!」
手には虫取り網、肩には虫かご。
夏の少年そのものの姿で、リオがミレアに笑いかける。
「任せなさいな! “でっかい虫”を捕まえればいいだけでしょ?」
「うん!」
「おっけー。サクラ、それじゃあ行ってくる〜!」
ミレアは軽やかに地面を蹴り、森の奥へ駆けていく。
リオも慌ててその背を追う。
「は〜い、気をつけてー」
ふたりの後ろ姿が木々の向こうに消えていくのを見送りながら、サクラは胸に手を当てる。
「……なんでしょう。すごく嫌な予感がします」
15分後。
森に響くように、終了を知らせるアナウンスが鳴り響いた。
「みてみて〜! ノコギリクワガタ捕まえたよ!」
リオが虫かごを胸の前で掲げ、嬉しそうに駆けてくる。
「おぉ……これはまた見事ですね。赤茶色で艶もあって、サイズも十分。これなら優勝候補まっしぐらですよ」
虫かごの中で“がしっ”と足を踏ん張るクワガタに、素直な感嘆がこぼれる。
「へへ……!……ところで、お姉さんは?」
きょろきょろと辺りを見るが、ミレアの姿はどこにもない。
「えっ……いっしょに行動してたんじゃ……?」
「ううん。気づいたらいなくなってた」
「あー……」
深くため息が落ちる。
さっき胸の奥でざわついた“いやな予感”が、輪郭を持ち始める。
その直後、少し離れた位置から甲高い悲鳴が響き渡った。
「きゃあああああああああ!!!」
ざわめいていた会場が、一瞬で緊張に呑み込まれる。
「……はい、的中しましたね……」
悲鳴が上がった方向へ視線を向けた瞬間──そこに「やっぱり」な姿があった。
「ミレアさ……」
言いかけたサクラの表情が固まる。
「えっ……」
リオも同じく石のように固まった。
視線の先、ミレアは“でっかい虫”を引きずりながら、のほほんと帰ってくる。
「お〜い! “でっかい虫”捕まえたよ〜♪」
無邪気そのものの声で手を振るミレア。
しかし彼女が首根っこを掴んでいるのは──
巨大な蜘蛛。……ではなく、局地災害級。
スパイダー・ハント。
通称 “森の猟兵”。
体長1メートルほど、森で巣を張り家畜や旅人を襲う危険種。
単体ならまだしも、群れで連携を始めた瞬間に被害が跳ね上がる厄介者だ。
「キシャァァァァ!!(離せゴラァァァァ!!)」
ぶら下げられたまま、蜘蛛型モンスターが暴れ叫ぶ。
口から毒液をぼたぼた垂らし、地面に黒い跡を残す。
会場全体が凍りついた。
「ちょっ……ミレア様、なに持って……」
サクラの声は完全に困惑寄り。
けれど周囲はそれどころではない。
子供や保護者の悲鳴が、波のように押し寄せてくる。
しかしミレア本人は──まるで気にも留めていない。
「じゃじゃーん! これなら優勝まちがいないでしょ!」
首根っこを掴んだまま、ぐいっと掲げるミレア。
ぶら下げられた巨大蜘蛛は、足をばたつかせながら叫んだ。
「ショワーーー!!(離せーーー!!)」
毒液を垂らしながらの抵抗に、サクラとリオの顔色は一瞬で真っ青になる。
「ひ、ひぃぃ……!」
サクラは震える声で叫んだ。
「ミ、ミレア様……! それ虫じゃなくてモンスターです!! Cランクモンスター! 絶対、人の多いところに連れ込んじゃダメなやつです!!」
ミレアはぽかんとした目で振り返る。
「え、そうなの?」
──その瞬間。
ピピーーーッ!!
鋭い警笛が広場に響いた。
「そこの人!! 街にモンスターを連れてくるとはどういうことですか!!!」
係員たちが血相を変えて走ってくる。
周囲は大混乱。
ミレアだけが“へへ〜ん”と無自覚に得意げな顔をしていた。
「ど〜よ? これならわたしが優しょ──」
「失格です!!」
ミレアの言葉を真っ二つに断ち切る勢いで、係員が“失格”のカードを押しつける。
「……え?」
ミレアの顔が、ガガーン、という効果音そのままの表情になる。
「いや……“でっかい虫”って……」
必死に食い下がろうとするミレアに、係員が全力で返す。
「そうです! “虫”です! 断じて“モンスター”じゃありませんっ!!」
完璧な正論。完璧な指摘。
ミレアはゆっくりと、ぶら下げた蜘蛛の“目”をのぞき込む。
「……お前、虫じゃないって……」
「シャァァー……(知らねーよ……)」
蜘蛛モンスターが悟ったように、脱力した声を漏らす。
会場の誰よりも状況を理解していた。
「……じゃあ、これはいらないか……」
ミレアがそっと地面へ置こうとした瞬間──
「ミレア様!! 絶対に! 手を離さないで下さいね!?」
サクラが珍しく声を荒げて飛び込んでくる。
「え、なんで……。だってこいついらない……」
「いらなくてもです!! モンスターですから!!
絞めるか元の場所に帰して来てください!!」
必死の制止。
対してミレアは、あからさまに不満そうなむくれ顔。
「えぇ〜、めんどくさいなぁ……」
その“子どもみたいな文句”に、
会場の大人たちが一斉にひきつった笑顔を見せるのだった。
「仕方ない、ぃよっと。……そぉ〜れいっ!!」
ミレアは片手で蜘蛛モンスターをひょいっと持ち上げ──
そのまま身体をくるりと回転させ、
フルスイング投擲。
空気が裂けるような勢いで、モンスターが一直線に吹っ飛ぶ。
「フシャァァァァ……!?(ぬぉぉぉぉ……!?)」
抗う暇も、文句を言う余裕もなく、
Cランクモンスターは“空の彼方へ旅立つ命”となった。
キラーン。
空の高みに小さく光り、
やがて“星か何か”になって消えていく。
周囲は──ポカーン。
誰も声が出ない。
ただ風の音だけが虚しく通り抜ける。
ミレアは服の裾を軽く整え、何事もなかったように振り返った。
「……ふぅ、仕方ない。リオ、優勝は任せたわ!」
「…………え? あ、うん」
完全に呆気にとられていたリオは、
空に小さく点となっていくモンスターを見送りながら、
ようやく呼ばれたことに気づく。
「……うんっ!」
返事の声はなぜかいつもより高かった。
森のざわめきが落ち着き、広場中央に子どもたちが整列する。
虫かごの中で光沢を返す翅が、太陽に照らされてきらりと揺れた。
係員の声が響く。
「では、虫取り競技──結果発表です!」
ざわっ、と空気が緊張する。
「まず……優勝は──オオムラサキを捕獲した、こちらの子です!」
ひときわ大きな拍手が起きた。
紫の翅が誇らしげに震え、優勝者の肩が少し上がる。
「わぁ……すごい……」
リオがぽつりと呟く。
彼の虫かごからは、立派なノコギリクワガタが力強く脚を鳴らしていた。
「そして二位──ノコギリクワガタを捕まえたリオくん!」
「……っ!」
肩をびくっと跳ねさせて、リオは前へ一歩。
虫かごをぎゅっと胸に抱えて、ちょっと照れたように俯いた。
「二位のリオくんには、特別に──
《森永ミルクキャラメル》と《パインアメ》を一袋ずつ差し上げます!」
「……えっ、こんなにもらっていいの……?」
リオが目を丸くして袋を受け取り、
その場で袋の重みを確かめるように抱え込む。
「ふふ、とても頑張っていましたから。正当なご褒美ですよ、リオくん」
「やるわねリオ」
後ろでミレアが手を叩く。
“虫ではなく災害級の脅威”を投げ飛ばした本人は、なぜか自分のことのように誇らしげだ。
そして最後の発表。
「三位以下の子は、参加賞として──
森永ミルクキャラメル、またはパインアメのどちらかをお渡しします!」
係員が配り始めると、子どもたちは嬉しそうに列を作る。
「お疲れ様です。ミレア様、リオ君」
サクラが迎えると同時に、ミレアはぷくっと頬をふくらませた。
「ぶー、今回も優勝できなかったわ」
子どもみたいにむくれた表情のまま、腕を組んでそっぽを向く。
「……はい、お姉さん」
リオがそっと歩み寄り、手のひらに載せた二つの袋──
森永ミルクキャラメルとパインアメを差し出す。
「いいの?」
ミレアが目を丸くする。
「いいよー」
まっすぐで優しい笑顔。
その笑みに、ミレアのむくれ顔がふっとゆるむ。
「ありがとう」
受け取った二粒を眺めたあと、森永ミルクキャラメルから開封する。
ミレアは指先で小さなナイロンの端をつまみ、ぱりっと裂く。
中に並んだ淡い琥珀色の粒が、ほのかに艶めいた。
そっと摘む。
指に触れた瞬間、角の丸い感触と、ほんの少しだけ柔らかい“温み”が伝わってくる。
「いただきま〜す♡」
ころん、と口の中へ。
舌の上に乗ったキャラメルは、最初はきゅっと固さを保っているのに──
体温で少しずつほどけ、表面からゆっくりと甘さが滲み出してくる。
ミルクの香りが、ふわっと喉の奥へひろがる。
濃すぎず、軽すぎもしない、あたたかい甘さ。
まるで胸の真ん中をぽんと押してくるような、懐かしい味わいだった。
「ん〜……これ、癒される……♡」
噛むたびに、キャラメルが舌に寄り添うように形を変え、甘さの層がひとつひとつほどけていく。
最後のひとかけらまでゆっくり味わい、ミレアはほわんと笑った。
「やさしい甘さって、いいわね〜。しあわせの味って感じ……♪」
キャラメルをころころ舌で転がしながら、ミレアは頬を緩めている。
そんな彼女に向けてサクラが声をかける。
「それでは次の競技は“なぞなぞ”ですね。会場は最初の受付のところです」
「りょうか〜い♪」
キャラメルの甘さがまだ口の中に広がっていて、返事もとろんとした声になる。
まだ余韻にふわふわしている足取りのまま、広場へ向かって歩き出す。
三人は街の小道を抜け、ざわめきの戻ってきた最初の受付前──“なぞなぞ大会”の会場へと戻っていく。
──────────
「……さてと、受付も済んだことですし、今度こそ“ちゃんとした”優勝目指して頑張りましょう」
サクラはにこっと笑ったものの、胸の奥では「どう転んでももう驚かない」という半ば観念めいた落ち着きが漂っている。
「わたしは至って真面目なんですけどー?」
ミレアがむふん、と胸を張るとリオが少し引きつった笑みを漏らす。
「あはは……」
その空気をまるくするように、ミレアはリオから受け取ったパインアメを指先でつまんだ。
透き通った丸い飴が袋越しに光を受け、ぽつりと星みたいに瞬く。
指に触れた瞬間、表面のつるりとした感触が、ほんの少しだけ指先を滑らせた。
中心の穴から光が抜けて、まるで小さな輪っかがきらりと息をしているよう。
「きれいな飴ね。あ〜むっ」
口元へ運ぶ。
唇に触れた瞬間、ひんやりした表面が小さく震え──ころん、と舌の上へ転がり込んだ。
かりっ。
最初の噛みでは砕けない。
硬質な甘さが舌に広がっていき、空気がひとしずく、柑橘の香りをまとって抜けていく。
甘さは軽くて、べたつかない。
パインの風味がふわりと膨らみ、喉の奥に向かってするんと滑り込む。
噛まずにゆっくり溶かすと、じんわりと甘さの層がほどけていく。
ミレアは目を細めて、ほぉ〜っと息を吐いた。
「ん〜……うまうまっ♡」
胸の奥までほんのり温かくなる、素直な一粒の甘さだった。
その余韻がまだ舌に残るまま、ミレアはくるりとサクラに向き直る。
甘さで上機嫌なその顔は、次の競技に今度こそ勝つ気満々だ。
「どうせ子供向けのなぞなぞでしょ? 楽勝ね」
余裕綽々なミレアに、サクラは半眼で苦笑する。
「まぁ……そうでしょうね。今度は移動することもないですから、変なことさえしなければ失格にはならないでしょう」
「そんなこと、はじめからしてないわ」
即答するミレア。
そのまっすぐさに、サクラとリオは、彼女なりにすごく頑張っていたんだろうな……。と同時に思う。
「そういえば、このなぞなぞ大会の優勝賞品って?」
「えっと……確認しますね」
サクラが受付票を手に取り、視線を落とす。
ほんの一瞬、なにかを見つけたように目が丸くなった。
ミレアとリオが同時に首を傾げる。
四皿目『ミレたん、キャラメルとパインの夏へ出発』
おしまい
※本作に登場する
「森永ミルクキャラメル」
「パインアメ」
の名称および関連表現については、森永製菓株式会社様及び、パイン株式会社様より正式に使用許諾をいただいております。




