二皿目『ミレたん、違う宝を持ってきた』
※今回の話では食べ物は出てきません。
スタートの合図が響いた瞬間、子供たちは一斉に森へ向かって駆け出した。
それぞれに組まれた保護者たちも、遅れまいと後に続く。
リオも勢いよく前へ踏み出す。
だが、ミレアだけがひと呼吸遅れて走り出した。
その足取りは重い。
地面に落としたままの視線は一度も上がらず、速度も伸びない。
先ほどまで元気そうに見えた気配は嘘のようで、リオとの距離はみるみる広がっていく。
「あ、あれ? お姉さん……?」
振り返ったリオは、そこでようやく悟る。
──ミレアは、限界ギリギリだ。
空腹で“ミレたん”を維持できない状態。
走るだけで精一杯なのは、ひと目で分かった。
(ぼくが……頑張らないと……!)
そう決意し、リオが正面へ視線を戻したその瞬間。
「……見えた!」
背後からミレアの声が飛ぶ。
次の刹那、視界の端を何かが駆け抜けた。
風だけを残し、姿はもう前方へ消えていた。
「うわっ……!」
巻き起こった風にたじろぎ、リオが後ろを振り返る。
そこにミレアの姿はなかった。
「……あれ、お姉さん?」
空腹では、普段のように力を引き出すことすらできていなかったはず……。
深呼吸して気持ちを整えたリオは、ひとり森の奥へと進んでいった。
リオは森へ踏み込むと、周囲の空気が一気に変わった。
木々のざわめき、地面に落ちた枝の感触──どれもがはっきりと耳と足裏に伝わってくる。
「……よし」
小さく息を整え、リオは走り出す。
お姉さん──ミレアの姿はどこにもない。
だが、それに怯む時間はなかった。
彼が狙うのは得点が少し高めの“大きいお宝”。
森のあちこちに隠されているはずだ。
得点が高いお宝は数が少なく、発見も困難。人よりスピードもスタミナもあるコボルトの特性を活かし、普通より少し高い得点の物を中心に素早く狙っていく。それがサクラのお姉さんが立案した作戦だった。
リオは木の根元を覗き込み、低い茂みの影をチェックし、時折ジャンプして枝の上まで目線を上げる。
慣れた動きで、隠れそうな場所を素早く探っていく。
「……ないなぁ」
苔むした倒木の下も、葉の溜まった窪みも空振り。
時間だけが過ぎていく。
そのうち、他の参加者の声が近づき、ぱたぱたと足音が横を通り過ぎていった。
ペアの保護者に背中を押されながら、子供たちは次々と道を進んでいく。
「みんな速いなぁ……」
リオは苦笑しつつ、もう一度気を引き締める。
あのお姉さんが、空腹でも必死に動いていた姿が脳裏に焼きついている。
(ぼくが、ちゃんとしなきゃ)
自分の役割を思い出し、リオはさらに奥へ。
木々の影が濃くなる。
地面には落ち葉が深く積もり、足が沈むたびにざくざくと音が立った。
視界の端で何かがちらりと光る。
「……!」
駆け寄ってみると、枝に掛けられた得点の高い宝。
横には大きめの石が目印のように置かれていた。
「やった!」
リオは宝を手に取り、胸にぎゅっと抱え込む。
(まずは一つ……しかも狙ってないものが見つかるなんてっ!)
息を切らしながらも、顔には達成感と決意が混じったような笑みが浮かんでいた。
ミレアは戻らない。
だからこそ──
自分ができるすべてを、この森でやるしかなかった。
リオは最初の宝を握りしめ、森の奥へ駆け込んだ。
落ち葉が跳ねるたび、小さな足が前へ前へと伸びる。
倒れた丸太が行く手を塞ぐ。
一瞬だけためらい、けれど勢いのまま飛び越える。
着地の瞬間、視界の端に淡く光る何かがのぞいた。
「……あっ!」
丸太の陰に半ば埋まっていた宝をつかむ。
胸がひとつ弾んで、そのまま走り出す。
背の高い草がしっとり揺れ、風の音が遠くなる。
リオは背を低くし、草むらのトンネルへ進む。
揺れた隙間からちらりと色がのぞく。
手を伸ばせば、指先に触れた。
三つ目をポケットへ押し込む。
今度は土の匂いが濃くなる。
斜面だ。
ほかの子供の声が遠くに響き、焦りが胸をつつく。
「負けないぞ……!」
勢いのまま坂を駆け下りる。
下り切ると、ひんやりとした水の気配。
小さな沢のそば──濡れた石の上に、落ちそうで落ちない宝。
滑りかけ、踏みとどまり、そうして拾い上げる。
木々が途切れ、天井のような枝のあいだから陽光が差し込む場所。
光を浴びた木の幹はひどく高く見え、その上の方に小さな宝が括られている。
「えいっ……!」
短い腕を伸ばし、木肌に抱きつくようにしてよじ登る。
指先で宝をかき寄せると、ぽとりと宝が落ちる。
地面に転がったそれを拾い上げ、息を吐いた。
そのとき、森の外で大人たちの声が響く。
「はーい! 間もなく終了でーす! 出口へ戻ってくださーい!」
ざわざわと森の空気が動いた。
走る音が散り始める。
リオは手元の宝を数え、ぎゅっと握る。
(……五つ。ぼく、ちゃんと……できたんだ)
胸の奥がじんわり温かくなる。
葉に当たる光がまた少し揺れ、足元に帰り道の影が伸びていた。
リオはそれを追うように、一歩踏み出す。
リオは胸に集めた宝の重みを確かめながら、足を森の出口へ向けた。
「お姉さん……ちゃんと見つけられたかな?」
戻り道の光は明るいのに、不安だけが影みたいに足元へつきまとった。
広場へ戻ると、すでに子供たちは長い列を作り、ひとりずつ“宝物の査定”を受けていた。
けれど──ペアで動いていたはずのお姉さんの姿は見当たらない。
リオは仕方なく最後尾へ並ぶ。
「……それじゃあ次の子、見つけた宝物を出してくれるかな?」
スタッフの声がして、列がひとつ進む。
気づけば、順番が来た。
「え、あの……まだもう1人戻ってきてなくて……」
「そうなのかい? でも時間はとっくに過ぎてるからねぇ……」
困ったように眉を寄せたスタッフが、予定通り進めようとしたそのとき──
「……おーい!」
会場の端から、異様に緩い声が届く。
振り返ったリオは、目を見開いた。
土まみれで、服も髪もぼさぼさ……。
その状態のミレアが、頭の上に何か“巨大な塊”を抱えて全力疾走してきた。
「あ、お姉さん!……って、それなに?」
「なにって……お宝よ」
あまりに真顔で返され、周囲の視線が一気に“なんだこいつ”と濁る。
スタッフが戸惑いながらリオへ確認する。
「えっと……その人が君のパートナーかな?」
「そうです!」
「ギリギリ間に合ったかしら? とりあえずこれを提出するわ」
──ゴトッ。
ミレアがテーブルへ置いた瞬間、地響きのような音が鳴った。
そこに鎮座するのは、小さな子供ほどある巨大な岩塊。
表面は光を吸い、七色を返すように輝いている。
「あの……なんですかこれは……?」
スタッフが訊ねる声は、完全に“困惑の限界”だった。
「だからお宝よ。……ああ、名前は“アレキサンドライト”とか言うんだっけ? 列記としたお宝、宝石よ!」
その場が一瞬、静寂した。
ほんの一秒遅れて──ざわっ、と周囲が揺れた。
「え、宝石?」
「やば……でか……」
一部の大人は目を丸くし、一部の子供は口を開けたまま固まった。
「……お姉さん、それ多分違うよ。そもそもそんなの、どこで見つけてきたの?」
リオが恐る恐る訊く。
「え、地中深くだけど……これダメ!?」
ミレアが頭上に掲げていたそれは──
ただ“大きい岩”なんかじゃなかった。
光を受けた瞬間、その塊は生物みたいに目を覚ます。
表面は荒々しい岩肌のままなのに割れ目の奥、ひびのひと筋ひと筋が深海の青と、焔の赤紫をゆっくりと切り替えながら光る。
角度がひとつ変わるたび、色が反転する。
青。
紫。
深い緑。
そして、わずかに覗く赤。
“アレキサンドライト”と呼ばれる宝石の特徴──
昼光では青く、夕光では赤く見えるあの色変化。
それを、この巨大な原石は見事に見せていた。
あまりに大きく、あまりに乱暴に地中から抜かれたものだからか、表面には小さな土粒がまだこびりついている。
けれど、その土すら光を反射して宝石の色彩をかえって引き立てていた。
ひび割れのひとつに指を当てれば、中から“冷たく澄んだ光”が透けるように指先へ返りそうな──そんな透明度。
内部はまだ完全に姿を現していないのに隙間越しに覗く結晶が、確かに“宝石そのもの”の光を宿していた。
まるで、大地の奥で何百年も呼吸してきた命の塊。
どの角度で見ても、“お宝”の一言で片づけてしまうのが申し訳ないほどの存在感だった。
スタッフも、周囲の大人も、子どもさえも──
その場の誰もが息を呑んだ。
驚愕というよりも、“現実感が追いつかない”という種類のざわめき。
ミレアの腕の中で光るその塊はイベントの景品どころか、竜王国の財務が動く本物の資源レベル。
それを、ミレアは当たり前のように抱えていた。
「ほら! こんなに大きくて綺麗なのよ!? 間違いなく1番じゃない!」
そう言って差し出したとき──
光が宝石の芯に落ち、一瞬だけ“深い赤紫”が膨らんだ。
それは、宝石がミレアの言葉に応えるように輝いた瞬間だった。
だがスタッフは、苦渋をにじませながら口を開く。
「え〜……そちらは多分、いや絶対──当スタッフが用意した物ではございません。申し訳ありませんが、そちらは無効ということで……」
ミレアは絶句した。
「そ、そんな……これに価値がないなんて……。頑張って掘ったのにぃ〜……」
再び頭上に掲げられた宝石は、無情にも太陽光を浴びてきらりと輝く。
まるで“本人だけが知らない悲劇”を照らしているみたいに。
「……べふっ……」
次の瞬間、ミレアは力尽きて前に倒れた。
遅れて、巨大アレキサンドライトがミレアの背に落ちる。
「ぐえ……」
スタッフは見てはいけないものを見た顔で、業務に戻るしかなかった。
「と、とりあえず得点を数えようね」
「う、うん」
提出した宝を集計されたリオの結果は──
四位。
ミレアが掘り当てた“地球規模の宝物”は無効。
だがリオの努力だけは、しっかり順位として残った。
──────────
ミレアはテーブルに突っ伏していた。
「ぇう〜……」
魂が口から漏れ出しているような、あの分かりやすい脱力姿勢。
ツインテールはしおしおと萎れ、肩は沈み込み、見るからに飢えた亡者だった。
横には──あの巨大なアレキサンドライトだけが、変わらず澄んだ光を放っている。
「お姉さん、大丈夫……?」
リオが覗き込む。
返ってきたのは、感情の影もない声。
「……ぇゔ〜……」
まるでアンデッドの呻き。
そのとき。
「……ミレア様〜!」
高い声が弾んで届く。
紙袋を抱えたサクラが、人混みを縫うように駆け寄ってきた。
顔は息で上気し、でも目は必死だった。
「ミレア様、大丈夫ですか? 食べ物、買ってきましたよ」
サクラはすぐ膝をつき、テーブルに沈み込んだミレアの手を取る。
「ぇぅ……」
かろうじて漏れた声。
「すぐに準備致しますね」
サクラは紙袋の中を探り始めた。
「……たべ……もの……?」
その言葉の弱さは、糸の切れかけた羽虫のようだった。
「はい。すぐにできますよ」
「あり……がとう……。お礼に……これ、を……」
ミレアの指先が、横の巨大アレキサンドライトにちょん、と触れる。
「そんな、お礼なんて……えっ、なんですかそれ!?」
ようやくサクラが宝石の存在に気付いた。
宝石に詳しいわけではない。
だが──その大きさ、輝き、透明度。
“とんでもない代物”だということくらいは、ひと目で分かる。
「得点にならなかったから……あげるわ……」
「……あ」
サクラはその一言で、だいたい全部を察した。
「はぁ……だからズルはいけないと申し上げましたのに……」
呆れ、しかし怒らない。
そして、宝石をそっと見つめる。
「それにしても……すごく綺麗な石ですね。──まるでミレア様のよう」
宝石は二色の光を抱えていた。
いつもの愛らしいミレたんの顔と、時折のぞく“神”の影。その両方が、この石の揺らぎに重なって見えた。
希少性や価格など関係ない。
ただ純粋に、サクラはこの宝石を綺麗だと思った。
「……もう少し小さければ、欲しかったやも知れません」
穏やかで、どこか愛おしむような声音。
「サクラ……ごはん……」
ミレアの手がサクラの袖を引く。
「あっ、はい! すぐに!」
サクラは紙袋を抱え直し、慌てて準備を始める。
二皿目『ミレたん、違う宝を持ってきた』
おしまい




