第一章 送信
1974年、プエルトリコのアレシボ天文台。
夜空は無数の星が瞬き、熱帯の湿った風が巨大な望遠鏡の金属を撫でていた。
地平線の向こうにはジャングルが闇に沈み、虫の声だけが静寂を切り裂く。
フランク・バーグ博士、44歳。
彼の人生は、この一瞬のためにあった。
——幼い頃、父の書斎で小さな望遠鏡を覗き込み、夜空の星々に問いかけた日々。
「僕はここにいるよ。誰か聞こえるか?」
答えはなかったが、フランクの胸にはいつも宇宙への憧れが燃えていた。
——大学時代、実験室で失敗を繰り返した夜。
同級生が帰る中、ひとりラボに残り、星の位置データとにらめっこ。
資金も人脈もなく、論文は何度も否定され、心が折れそうになった。
それでも、彼は星を見上げ続けた。
「いつか、宇宙は応えてくれるはずだ」
——中年になってからの孤独な研究の日々。
政府の圧力、冷戦下での科学者間の競争、仲間の死。
それでも、彼は信念を曲げずに研究を続けた。
部屋には数人の科学者が集まっていた。
冷静沈着なチームリーダー、眉をひそめる反対派の科学者、そして手に汗を握る若手助手。
誰もが緊張のあまり息を詰め、フランクの動きを見守る。
巨大な電波望遠鏡がゆっくりと星団M13に向かう。
博士はコンソールに手を置き、深呼吸。
数十年の人生、全ての経験が、この一瞬に結実する。
カウントダウンが始まる——
「3、2、1…送信」
電波が光速で宇宙へと飛んでいく。
スクリーンに「TRANSMISSION SUCCESS」と表示されると、チームの緊張が一気に解けた。
「やった…!」
小さな歓声があちこちから漏れ、若手助手は思わず拳を握りしめる。
博士の目にも涙が光り、肩が震えた。
彼は静かに手を合わせ、祈った。
「お願いだ…この小さな手紙が、遠い宇宙の誰かに届きますように…」
しかし、夜空は何の音も返さなかった。
スクリーンの光の中で、博士の胸には小さな不安が芽生える。
『本当に、この声は誰かに届くのだろうか…』
部屋の空気は、希望とわずかな不安が入り混じる、静かな夜だった。
星空の向こうで、宇宙は静かに瞬き続けている——その先のことは、まだ誰にもわからない。