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第二章(3)

 王太子一行がサバドの街に入ったという話は、シアの耳にも届いた。沿道にはその姿を一目見ようとたくさんの人が集まり、街は熱気に満ちていたという。コリンナでさえ、シェリーとヘリオスを連れて、豪奢な馬車が通り過ぎる様子を見に出かけたほど。


 その話をシアが聞いたのは、その日の夕方。彼女はいつも通り養護院で子どもたちに勉強と剣術を教え、ヘリオスを迎えにモンクトン家の屋敷を訪れたときのことだ。


「シアも見に行けばよかったのよ。ああいうのって、一種の行事みたいなものでしょう?」


 まるで全員参加の催しもののように、コリンナがさらりと口にした。


「でも、行けない子もいますし。授業もあったので……」


 人混みが苦手な子もいる。全員が全員、王太子が来たからといって、それを見たいとは思わないのだ。

 それに養護院では慎ましい生活をしており、そこに刺激を与えてもいけないとシアは思っていて、華やかな催しものがあったとしても、行きたい人は行けばいいし、いつもの生活を望む者にはそれを与えてあげたい。


 だから普段と同じ時間に養護院へ行き、いつもと同じように勉強を教えた。ただ、生徒の数はいつもより少なかったかもしれない。


「ひと、たくさんよ~、おうまさん、ぱかぱか」


 豪勢な馬車を守るようにして、馬に乗って並走する護衛の騎士の姿なんて、滅多に見られるものでもない。ヘリオスも初めて見たため、興奮しているようだ。


「毎年、王家の使いだという人たちが監査には来るけど。今回のように、王家の方が直接来られるのは二年ぶりなのよ?」


 二年前には国王夫妻が、訪れた。二年前といえば、ヘリオスを出産したばかりで、養護院での仕事も休んでいた。


「それに王太子殿下が結婚されてからこちらに来られるのは初めてだし。もしかしたら、妃殿下も同伴されるかもって思っていたけれど、今、第二子を授かったところのようだし」


 ランドルフは三年前に結婚し、一年半前に第一子に恵まれた。そして今、王太子妃クラリッサのお腹の中には新しい命が宿っているため、今回の視察は王太子のみとなったらしい。


「詳しいですね」

「このくらい、みんな知っているわよ。大衆紙にも書いてあるし」


 大衆紙とは娯楽や噂話を取り上げる新聞のことだ。労働層には好まれているのは知っているが、コリンナが読んでいるのは意外だった。


「私だって商会長夫人ですから」


 商売をしていくうえでは必要な情報だと言いたげだ。


「シアも読んでみればいいのよ。ただの噂話だと思って侮ってはいけないわ。そこから商売のヒントになることだってあるのだから」


 貴族令嬢だったコリンナだが、結婚して数年が経ちすっかりと商人気質になったらしい。こちらに嫁いですぐは、お嬢様気質が抜けなかったようで苦労したとも聞いている。


「そうですね。すべての情報を鵜呑みにしない。情報を見極める力も必要ですね。今度、大衆紙を使った授業でも……?」

「あら、それは面白そうね。そのときは私も生徒として教えていただくわね。よろしく、先生」


 そんなやりとりをしていると、ヘリオスがシアの手をぎゅっと握りしめてきた。


「まま、おなか、ぺこぺこよ」

「そろそろ帰ります。今日もヘリオスを見てくれてありがとうございました。シェリーも一緒に遊んでくれてありがとう」

「シェリーはお姉さまだから、これくらいは当たり前なのよ」


 腰に両手を当てて胸を張っているシェリーを見たコリンナは、ぷっと吹き出す。


「もう、最近はこればかりなのよ」


 シアは穏やかな笑みを浮かべ、二人に別れを告げた。

 モンクトン家の屋敷を後にし、庭園を抜けようとしたそのとき、ふいに声がかかった。


「シア。待ってくれ」


 ボブが大きな身体を上下に揺らしながら走ってくる。だが、ヘリオスはお腹が空いて不機嫌そうだ。仕方なく息子を抱き上げた。


「ボブ、何かありましたか?」

「あぁ。六日後に王太子殿下を招いて晩餐会を開くのだが、料理に使う香辛料が足りなくて。王都の支店から運んでもらいたいんだ。それから演出に使うための魔石も足りなかった」


 魔石とは魔力が込められた石のこと。魔力を持つ人間はゼロではないが数少ない。たいていは魔石が持つ魔力を使って、灯りにしたり火をつけたりしている。今回は王太子をもてなすことから、魔石の力で光の演出をしようとしていた。


 貴重な魔石ではあるが、モンクトン商会はいくつか鉱山を所有しているため、安価で質のよい魔石が比較的楽に手に入る。


「在庫は確認していたはずなのに。実際に今日、準備を始めたらどちらも在庫が足りないことに気づいてね」


 そこでボブはシアに手紙を渡す。


「この手紙を明日の朝、王都まで運んでもらえないか? 定期便に追加で送るよう書いてある」


 シアは鳩を飼っている。どうやら記憶を失う前から飼っていた鳩で名前はぽっぽちゃんという。それを教えてくれたのはシェリーだった。


 そしてぽっぽちゃんは通信文をやりとりできる伝書鳩でもある。サバドと王都間を今までも何度も往復していた。


 さすがにこれからの時間にぽっぽちゃんを飛ばすのは気が引けたので、明日の朝と言ってもらえたのはありがたい。ボブだって急いでいるだろうに。


 彼に別れを告げて家路を急ごうとすれば、また声をかけられる。


「シアさん。家まで送りますよ」


 モンクトン商会の従業員のフランクだ。赤茶の髪を短く清潔に刈り上げている彼は、女性従業員からも客からも評判がよい。


 シアを追いかけるボブについてきたのだろう。ボブは屋敷へと戻っていったが、フランクはそこにとどまってシアに声をかけてきたのだ。


「え? でも、すぐそこですし……」


 借りているアパートメントはモンクトン商会と養護院の間にあって、その三点を線で結べば三角形になり、歩いて行き来できる距離。


「ええ、ですが今日は人の出が多いでしょう? おいで、ヘリオス。肩に乗せてあげる」


 魅力的な言葉を聞いたヘリオスは、フランクに向かって腕を伸ばす。お腹が空いたとぐずっていたのに現金なものだ。


 ヘリオスはモンクトン商会に育ててもらっているといっても過言ではない。その従業員のフランクだからこそ、ヘリオスも喜んで彼の肩に乗る。


「たかいね~」

「暴れるなよ、落ちるぞ」


 フランクもヘリオスが落ちないようにと、小さな足をしっかりと握っているが、子どもの動きとは予想などできないもの。暴れて頭から落ちることだってじゅうぶんにあり得るのだ。


「あい」


 元気よく返事をしたヘリオスは、フランクの頭をぎゅっと掴んだ。


「実は、会長夫人から言われたんです」


 家路を急ぐなか、フランクがふと口を開いた。


「思いを寄せる相手がいるなら、他人を頼らず自分でいけって」


 それは先日、コリンナから好みの男性を聞かれた話と通ずるものがある。


「でも、僕は臆病だから……。こうやって、少しずつ僕を知ってもらう作戦に出ました」


 それではまるで、遠回しに好きだと言われているような気もするのだが、自惚れだろうか。


「シアさんも仕事があるし。僕も会長の下でいろいろと学ばせてもらっている時期ですけど。送ることくらいはできるかなって」


 ほんのりと彼の頬が赤くなっているのは、沈みかけの太陽のせいだろうか。

 シアはなんて答えたらいいかわからず、身体を強張らせたまま黙って歩く。やはり大通りは人が多い気がする。


「ひと、いっぱいね~」


 ヘリオスの声に、緊張がふと抜けた。


「偉い人が来ているからね。リオも見てきたのでしょう?」

「リオ、おうまさん、みたよ。ままは?」

「ママは、今日もみんなに勉強を教えていたから、見ていないの」

「今度はママも一緒にいけるといいね」

「まま、いっしょよ!」


 フランクの言葉に、ヘリオスが明るく重ねてくる。


 太陽が長い影を落とす夕暮れ、街を行き交う人々の足取りはどこか急ぎ足になる。いつもならヘリオスと手を繋ぎ、「今日、何をしたの?」「何が食べたい?」と語り合いながら家を目指すのに、今は、ヘリオスはフランクと楽しげに話をし、笑い声を響かせている。


 シアはただ、その賑やかな会話をそっと耳にしながら歩を進めるだけ。


「あ、ここまでで大丈夫です。ありがとうございました」


 あと二十歩も歩けば自宅につく。そこでシアは切り出した。


「うん、こちらこそ。僕につきあってくれてありがとうございます。また、送ってもいいですか?」


 フランクはヘリオスを肩からおろす。おろされたヘリオスは歩きたくないのか、すぐにシアに抱っこをせがんだ。ずっしりとした重みが腕にくわわり、シアは微笑む。


「では、またお願いします」


 彼が知ってほしいと言うのなら、まずはそれを受け入れるべきだろう。誠実な人というのは伝わってきたし、コリンナも彼であればと言っていたのを思い出す。


「フランクさんも気を付けて。それではまた明日」

「ばいばい」


 ヘリオスが手を振ると、フランクも同じように手を振る。その姿が彼の実年齢以上に幼く見えた。確かフランクは二十五歳であったと記憶している。


 夕日に背を押されて来た道を戻る彼を、シアは見送った。


「リオ。お腹が空いたでしょう?」

「おなか、ぺこぺこね」

「すぐにご飯にしましょう」


 人に紛れて彼の背が見えなくなったところで、家に入った。


「ただいま」

 無人の部屋だとわかっているのに、つい、出てしまう挨拶。人けのない部屋は静まり返っており、空気の流れも感じない。


 それからシアは、急いで夕飯の準備をして、ヘリオスにはお腹いっぱい食べてもらった。


 そして次の日、ボブの手紙を王都にまで運んでもらうよう、ぽっぽちゃんの足にくくりつけた。


「ぽっぽちゃん、よろしくね」

「ぽっぽ~」


 バサバサと羽音を響かせて、ぽっぽちゃんは青い空へと飛び立ったが、その日のうちにボブ宛ての手紙を持って帰ってきた。


 王都の支店には香辛料も魔石も必要分の在庫があるため、明日の朝の定期便に乗せるとのこと。王都とサバド間は馬車で三日程度であるから、王太子のもてなしにはじゅうぶんに間に合う。


 そこまでわかったところで、ボブは一息ついた。あとは道中、何ごともないことを祈るだけ。


 野盗とはいえ、縄張りや派閥が存在するらしい。ボブは彼らの中でも、義賊めいた振る舞いで知られる一団と手を組んでいる。いや、協力関係を築いていると言ったほうが正しい。


 彼らは王都とサバドを結ぶモンクトン商会の荷物を守る役目を請け、その報酬として荷物の一部を受け取っていた。


 だからこそ三年前のあの日、馬車から放り出されたシアたちを救ったのも、その義賊たちだったのだ。


「シアのおかげで助かったって、あの人も言っていたわ。荷物が届いたから忙しくしていてね。二日後には王太子殿下をお呼びしての晩餐会があるでしょう? 何も、このような商家にまで足を運ばなくてもいいのにね」


 まるで面倒くさいとでも言いたげなコリンナの様子に、どう答えたらいいかわからないシアは微苦笑を浮かべる。


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